metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

いわれてうれしい言葉

2007-10-08 21:31:35 | 波乱万丈めっちの人生
口数が少ない人がいる。
口数が多い人がいる。

私の知ってるお兄さん(韓国人)は、
「僕は人に簡単に「カワイイネ」「綺麗だね」って言ったりしないんだ」って前に言ってた。
そういう言葉は結婚する相手や彼女に言う言葉であり、軽く使いたくないんだそう。
人と会話している時にも
「~って言う名前の、ホラ、髪が長い、あの子…」
「あぁ、あのすごく可愛い子?」
「可愛いかどうかは知らないけど!」
ここには決して「うん」とか「いいえ」がないのがこのお兄さんです。

でも、そういうこだわりって大事かも、って思います。

「愛してる」って韓国人は結構たくさんつかっちゃうけど、
お兄さんはこれも絶対に言いたくないと言い放っていた。さすがです。
このお兄さんは、「口数の多い人」ですが、気をつけるポイントにこだわってます。

前に、ある人が、彼女になる可能性のある出会いを、セッティングしてくれたんだって。
韓国語で"紹介ing"ということばがあって"そげってぃんぐ"っていうんですけど、
その場でも、紹介してくれた方が、
「ね、可愛いでしょ~?!うふふ」って言った時、
「さぁ、分かりません!」
って答えたんだそう。
・・・行き過ぎかもしんないけど、おもしろいお兄さんです。

口数が多い人は、一緒にいると楽しいけれど、失敗しやすい。
何でも軽く口に出してしまうと、失敗も必然的に多くなります。
この方みたいに独特のこだわりを持っているのも、一つの、失敗を避ける方法。
けれど、ちょうどいいところを守るのも、結構難しいものです。

話す時は、一緒にいる人たちや、その場を気遣う「配慮」が何よりも
必要だと思います。

そして・・・
口数が少ない人は、一緒にいると時々息が詰まる。ように感じる。
何を考えているんだろう?
私ばっかり話しているみたいだけど、これって大丈夫なのかな?
だけど、そういう人たちは、全然別の方法で言語を発している場合がある。
それを読み取るのは難しいです。
音声化されない言語とでも言うか?
だけど、そこに焦点を合わせてみると、見えないその人が見えてくる。

そして、本当に誠実な人が、黙って人の痛みを共有していたり、言葉を出さず、
態度で、行動で、弱い人を守っていたりするものなんだ。
最近それ、時々感じてる。

その場を盛り上げるために、いろんなことを手当たり次第に話す人がいる。
だけど、時々その中で泣いている人もいる…。

私が最近あんまりうれしくないと思ってる言葉達がある。
それはつかっている人たちは全然わかんないで使っている。
そして、私の側も自分勝手なものなのだ。
それはある時期まで、とか、人に何度も何度も同じ事を言われる前までだったら
全然気にしなかった言葉だったんだけど、何度も言われているうちに嫌になっちゃ
った言葉だったりするからだ。
だけど、その言葉を発している人は、自分が何番目かは、わかんないんだ。
だから、私って自分勝手だなって思うけれど、突き詰めても、嫌な気分になるもの
は、やっぱなるのだ。

一方、言われてうれしいなって言葉がある。
「神様に恵まれた方ですね」
「神様に愛されているんですね」
のような言葉は、本当に嬉しい。
「かわいいね」とか「綺麗だね」って言われるのももちろんうれしいけれど!
でも、神様に恵まれた方ですねって、言える相手の方も美しい心があると思うし、
私だけの恵みじゃなくて、多くの人たちの愛の通路、恵みの通路となれること
だから、もっともっと嬉しいんだ。

喜びが広がっていくような言葉を使いたい。
そして、人を配慮する言葉を使いたい。
そんなことは、簡単じゃない。
だから祈って一日をはじめたい。
それでも失敗する時はあると思うけれど。
でも、言葉を発する動物=人間としての責任ってとっても重いものなんだなって
思ってます。
そして、喜びを共有したり、幸せを拡大させることが出来る、大きな栄光に満ちた
つとめも同時に与えられているんだって思います。