言語空間+備忘録

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「絶対」を強調するときには、何か裏がある

2011-04-18 | 日記
 今日の記事、「「絶対に安全」はありえない」を書いていて思いましたが、

   世の中に「絶対」はありえない

ことを考えると、

   「絶対」を強調するときには、何か裏がある

と考えてよいのではないかと思います。



 原発の「絶対に安全です」の場合には、

   「本当は絶対に安全ではありません」が、
   「絶対に安全だと思わせたい」

という裏の意味 (本当の意味) が隠されているわけです。



 同様に考えれば、湯山弁護士による、「(私=memo26が) 絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」の場合には、

   許されないことは何もしていないが、
   許されないことをしたと思わせたい

という裏の意味 (本当の意味) が隠されているのではないか、と考えられます。

 このように考えれば、湯山弁護士の態度、すなわち、

   ( 私=memo26 は )
   「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」ので、

   「誰にも言わないほうがいいと思う」

と、私がアドバイスを求めていないにもかかわらず、アドバイス(?)をしたり、

   ( 私=memo26が )
   「それでは警察に行って自首しようと思いますが、
           かまいませんか?」と尋ねた際に、

   湯山弁護士が
   「警察に行く必要はない」の一点張り

だったことも、説明がつくと考えられます。

 要は、「黙らせたい」のではないか、ということです。

 もちろんこれは私の「推測」にすぎませんが、湯山弁護士が「教えてくれない」ので (私は)「推測」するほかありません。



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