くう・ねる・よむ・はな

食べること、眠ること、読むこと、お花が大好き。そんなメイジャンが日々の出来事を綴った、のほほんor辛口日記

映画「グーグーだって猫である」

2008年10月06日 | やってみた

う~ん?加瀬亮は、何のために出てきたんだろう??

映画「グーグーだって猫である」を観た直後の感想が、コレ↑。映画は、ほとんど観ないけど、大島弓子好き、猫好きと、重い腰をあげる条件が揃っていたので行ってみたのだ。(2、3年前、集中的に大島弓子の作品を読みまくって以来、『ダイエット』、『サバシリーズ』は、私のココロの本の1つだ。)

    

でも、正直な感想と言えば、ちょっと肩透かしを食らった感じ。いくら主役の小泉今日子(小島麻子)が役柄にあわせた抑えた演技をしているとはいえ、アシスタント役の上野樹里(ナオミ)の元気の良さ、男前な性格ばっかりが印象的で、まるで彼女が主人公のよう。この映画って、彼女の成長物語だったんかなぁ、と思ってしまった。

加瀬亮を「あれ?この人って、カッコよかったんだ。」、と初めて思ったのもつかの間、最後はいつの間にか消えてしまったし、何だかあれもこれも盛り込み過ぎて、主人公の存在感や、グーグーの可愛らしさが、あんまり伝わってこなかった。

特にもどかしかったが、主人公の小島麻子(小泉今日子)と、サバのイメージが、かなり違ってたトコ。映画では、原作者の大島弓子さん(=小島麻子)を無口で、大人しい女性に描いていたけど、何か違う~。

大島さんのシニカルで一風変わっているような独特の感性や、どこかとぼけたようなコミカルな部分、それから、この人のまっすぐで一本筋の通ったしなやかな強さや、暖かなエネルギーなんかが、もっと感じられたらよかったのになー。ちょいと、残念だった。

 ←キャットテール(別名 キャッツテール=猫のしっぽ)」。