くう・ねる・よむ・はな

食べること、眠ること、読むこと、お花が大好き。そんなメイジャンが日々の出来事を綴った、のほほんor辛口日記

「ブリ買う」復活!

2008年09月28日 | ココロの本

セキヤさんの「ブリを買うつもりじゃなかった」が復活した!

嬉しい!すごーく、嬉しい!

  

私はセキヤさんのこのブログが大好きで、どんな時でも、あったかいお風呂につかってるみたいな、ほっこりいい気持ちになれるので、毎日通うのを楽しみしていた。「文章って、その人の生き方や人柄が出るよなぁ」と思ったし、「何を伝えたいのか、ちゃんと意識してる人の文章は違うなぁ」と感じていた。

丁寧に楽しく作られた美味しそうな食事の写真も魅力だけど、セキヤさんの文章は私のココロを動かす。元気が出てくるのだ。(感情がわからなくなっている時でも、笑ったり、泣いたりしてる。)そして、実際に行動までさせる。(初めてコメントしたブログだったし、急にワインや料理に力を入れたりしてた。)人の気持ちを動かせる人って、すごい。

でも、お仕事で大変らしくて、いったん休止になっていたのが、9月あたま。

10月になったら再開するというので、帰りを待つポチのような気持ちで(?)で待っていたのだが、今日ダメモトで覗いてみたら22日に再開していた!私の元気のもとが、帰ってきてくれました~。

あ~、幸せ。 


『るきさん』

2008年06月08日 | ココロの本

高野文子著 (筑摩書房,1996年)

 

気持ちよさそに生きてるな~、いいなぁ~、るきさん。

1ヶ月に1週間だけ働いて、図書館行って本借りて、談話室で焼きそばパン&ファンタを飲む。家具のない素っ気ない部屋に住んでいて、しっかり貯金もするけれど、記念切手を買ったり、時には自転車と電車をスイスイ乗り継いで、テパートで買い物して、ピザを食べちゃったりもする。めかぶだけのつましい日もあれば、えっちゃんと出かけたり、あつあつギョウザをごちそうしたり。(う~!楽しそう~)

おともだちのえっちゃんは会社勤めのOLで、素敵なワンルームに住んでいる。月が見えそうな大~きなガラス窓がある広ーいロフト。ソファがあって、収納力が高そなタンスもあるし、何て素敵!(あぁ、憧れのロフト!)えっちゃんの方はファッションにはこだわりがあるみたいだし、入社したての若い男の子にソワソワしちゃったりして、気分はウキウキお年頃。(ふふふ、カワイイ)

体型も生活スタイルも違う2人だけど、ベタベタもせず、変な遠慮もせず、30女の気楽な独身生活をお互いマイペースで、のほほんと楽しんでいる。そんな感じ。

だけど、一番うらやましいのって、ふたりがピンで立っている、ってトコなんだろうな。仲良しだけど、群れてない。だから、距離が離れたトコで、どうってことナイ。突然、ナポリに行っちゃう、るきさんと、あわてず騒がず、どっしり腰すえてる、えっちゃん見てるとそう思う。いいな、そういうのって。

それにしても、一見すっとんきょうに見えるけど、ふたりの行動と会話は、かなり身に覚えがあるような…。(あっちこっちある)やっぱり、高野文子は、奥が深いわ。妙にリアルで、でも、今の時代じゃ考えられないくらいノビノビ生きてる、るきさんたち。マキシムのケーキも捨てがたいけど、駅前でおでん、一緒に食べたいです。

 

-氷室冴子さんへ-

最近、ココロのリズムを取り戻したくて、よく『るきさん』を読み返していた所だったので、突然の訃報を聞いて驚きました。

「さすが氷室さん!そうなのよ~」と言いたくなるような、スカッとする解説は、何度読み返してもいつも私の心の風通しを良くしてくれます。昔も今も。

私はこの『るきさん』をずっと手放さないだろうし、あなたの解説はこの本の一部になっているから、たぶんこれからも一緒です。ありがとう。 


ありがとう、氷室冴子さん

2008年06月08日 | ココロの本

氷室冴子さんが亡くなった。6月6日、51歳だった。

昨日も『るきさん』の解説を読み返したばかりだった。最近、何故だか妙に気になっていて、でもまさか、訃報を聞くとは思わなかった。彼女が復刊を手がけたシリーズ『リンバロストの乙女』,『そばかすの少年』は繰り返し読み続けていたけれど、彼女自身の本は、ある時を境にパタッと買わなくなっていた。あれから何年?10年は経つかもしれない。

 

当時、新井素子に夢中だった私は、最初は彼女の作風がダメだった。頭脳明晰で、理論家、ピンとつっぱった清少納言のような人だ、と敬遠していたのだ。それが、『東京物語』からだろうか、一気に読むようになった。

同じコバルトで活躍していた新井素子は、優しい年上の人たちに見守られ、成長していく少女をよく書いた。まわりに愛されて育った人ならではの、明るく、伸びやかな強い意志を持った少女たち。例えどれ程、人間の弱さや暗黒面を書いていても、彼女が描く主人公は、まっすぐで、まっとうで、力強かった。

一方、氷室冴子は、あのころ実際に生きていた少女たちを書いた。さばさばとして、シニカルで、夢見がちで、それでいて一生懸命に自分の人生を歩こうとしている女の子を、生き生きと描いた。

友達と賑やかにおしゃべりしては笑い、親と意見があわずジレンマに悩む少女たち。泣いたり、怒ったり、大騒ぎはするけれど、彼女達は、はっきりとした自分の意志と行動力を持っていた。ゆれたり、迷ってたりしても、やりたい、やろう!と思ったことは、するのだ。

彼女達は氷室さんの一部で、全部だった。リアリストでロマンチスト。大人になって中年と呼ばれるようになっても、少女の部分を持った女性だった、と私は思っている。。

氷室さんの結婚、仕事、女友達への思い、好きなことにかける熱狂的な情熱。そして母親との微妙な仲の良さと、絶縁ギリギリの葛藤。ある種の女たちは、深く共感しただろう。氷室冴子は特殊な才能を持っていた作家だったけれど、身近な存在でもあったのだ。自分で自分を養って生きていこうとしている女性にとっては、彼女は心の代弁者の一人で、大切な存在だった。たぶん今も昔も。

あのお母さんとのエピソード、今読み返してみたら、今の私はどう思うだろう。追っかけをしてたこと、月数十万の電話代と旧NTTにお礼を言わせた突拍子もないエピソードは、今も人ごとだから笑えるけど。

でも、私がたまに密やかに思い出すのは、金銀の1シーンだ。主人公でない登場人物のエピソード。異母兄を自らの手で殺し、楽にしてあげる異母妹の話。思い焦がれている美女の身代わりだとわかっていても、兄を愛していた妹の話。

訃報を見て調べてみたら、筆をおっていたという噂があった。1990年代の後半からといえば、丁度読まなくなった時期と一致する。氷室さん、どうして書かなくなっていたのですか。ずっと幸せでしたか。長い闘病でなかったことを祈ります。

学生服を着なくなっても、中年でなくなっても、あなたの文章は私の中にもう住み着いているから、忘れません。ありがとう、氷室さん。