氷室冴子さんが亡くなった。6月6日、51歳だった。
昨日も『るきさん』の解説を読み返したばかりだった。最近、何故だか妙に気になっていて、でもまさか、訃報を聞くとは思わなかった。彼女が復刊を手がけたシリーズ『リンバロストの乙女』,『そばかすの少年』は繰り返し読み続けていたけれど、彼女自身の本は、ある時を境にパタッと買わなくなっていた。あれから何年?10年は経つかもしれない。
当時、新井素子に夢中だった私は、最初は彼女の作風がダメだった。頭脳明晰で、理論家、ピンとつっぱった清少納言のような人だ、と敬遠していたのだ。それが、『東京物語』からだろうか、一気に読むようになった。
同じコバルトで活躍していた新井素子は、優しい年上の人たちに見守られ、成長していく少女をよく書いた。まわりに愛されて育った人ならではの、明るく、伸びやかな強い意志を持った少女たち。例えどれ程、人間の弱さや暗黒面を書いていても、彼女が描く主人公は、まっすぐで、まっとうで、力強かった。

一方、氷室冴子は、あのころ実際に生きていた少女たちを書いた。さばさばとして、シニカルで、夢見がちで、それでいて一生懸命に自分の人生を歩こうとしている女の子を、生き生きと描いた。
友達と賑やかにおしゃべりしては笑い、親と意見があわずジレンマに悩む少女たち。泣いたり、怒ったり、大騒ぎはするけれど、彼女達は、はっきりとした自分の意志と行動力を持っていた。ゆれたり、迷ってたりしても、やりたい、やろう!と思ったことは、するのだ。
彼女達は氷室さんの一部で、全部だった。リアリストでロマンチスト。大人になって中年と呼ばれるようになっても、少女の部分を持った女性だった、と私は思っている。。
氷室さんの結婚、仕事、女友達への思い、好きなことにかける熱狂的な情熱。そして母親との微妙な仲の良さと、絶縁ギリギリの葛藤。ある種の女たちは、深く共感しただろう。氷室冴子は特殊な才能を持っていた作家だったけれど、身近な存在でもあったのだ。自分で自分を養って生きていこうとしている女性にとっては、彼女は心の代弁者の一人で、大切な存在だった。たぶん今も昔も。

あのお母さんとのエピソード、今読み返してみたら、今の私はどう思うだろう。追っかけをしてたこと、月数十万の電話代と旧NTTにお礼を言わせた突拍子もないエピソードは、今も人ごとだから笑えるけど。
でも、私がたまに密やかに思い出すのは、金銀の1シーンだ。主人公でない登場人物のエピソード。異母兄を自らの手で殺し、楽にしてあげる異母妹の話。思い焦がれている美女の身代わりだとわかっていても、兄を愛していた妹の話。

訃報を見て調べてみたら、筆をおっていたという噂があった。1990年代の後半からといえば、丁度読まなくなった時期と一致する。氷室さん、どうして書かなくなっていたのですか。ずっと幸せでしたか。長い闘病でなかったことを祈ります。
学生服を着なくなっても、中年でなくなっても、あなたの文章は私の中にもう住み着いているから、忘れません。ありがとう、氷室さん。