真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

千夜一夜物語 封切り

2006年11月22日 15時49分13秒 | 虫プロ千夜一夜物語
6月14日土曜日 「千夜一夜物語」は「展覧会の絵」の時とおなじ、新宿のミラノ座、渋谷のパンティオン、東銀座の松竹セントラルで封切り上映された。
手塚先生のもとには、手分けして各映画館を下見に行ったスタッフたちから、「長い行列ができています」との報告を受けた。

そのあとの一般封切館での上映でも「千夜一夜物語」の大入りは続いた。日本ヘラルド映画社から、虫プロ全スタッフに、大入り袋が配られた。

みんなが歓喜して大入り袋の中身を見た。どの顔も期待に膨れていた。しかし中身は期待を裏切った、がっかりするような金額であったからで、お札ではなく玉であった。
芸能界に居て、大入り袋を貰った経験のあるものが、「大入り袋ってそんなモンですよ!」と言った。
そこでみんなが大笑いをした。
 観客が、沢山入って、大入り袋まで出た、成し遂げた、ものすごい充実感と、歓喜と、感動と、どの顔も喜びであふれていた。


そして手塚先生は

 アニメーションは子供のためのものだけではない。大人のためのアニメーションがあってしかるべきだ。と言うのが私の持論であり、かねてから、「おとなのためのアニメーション」を作るのが念願でした。

 アニメーションの持つ魅力、その豊富なイメージの世界の楽しさ、面白さ、そして美しさは 大人にとっても、十分に見ごたえがあるものであり、広く世界市場にも通用するもの、という証明をしてみたい、という意図で制作したこの 「千夜一夜物語」 は、十分その意図を表現できたものと確信しております。

 しかし「おとなのためのアニメーション」 という言葉はまだ生命も人格も与えられていないのです。われわれが、この作品をあえて 《アニメラマ》 と名づけたのは、この作品をとおして「おとなのためのアニメーション」に生命を与えようとしたからなのです。

 アニメーションの新しい歴史を開こう、と微力ながらスタッフ一同努力した 「千夜一夜物語」 が、ひろく皆様に愛され、楽しんでいただければ製作者の喜び、これに勝るものはありません。

1969年初夏  手塚 治虫

と当時のパンフレットに書いておりました。
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