真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

千夜一夜物語 8

2006年11月21日 13時59分36秒 | 虫プロ千夜一夜物語
 6月4日からは暎一さんが六本木のスタジオセンターへダビングのため泊り込みに入った。
現場は手塚先生を中心にしてやなせさんなどが、上がってくるものから、撮影出しをして撮影して上がったものを、次々と東洋現像所に届けにいった。

作画のめどがついてくると次には、彩色も、最終段階に入っていた、手塚先生の奥様まで、彩色を手伝った、当然社員の奥さんや、漫画部までもが、かり出された。虫プロに関係したものは、ほとんど、全員が狩り出されたのでは、とおもえるほど、大勢の人たちが彩色をした、そのためにこんどは、乾かす場所がなくなってしまった。部屋中、隙間さえあれば、乾かすために、彩色されたセルが置かれていった。
進行は外注さんから、まだ乾いていないセルでも、引き上げなくてはならなかった。そこで、車内の後ろの席に、彩色棚を置いて1枚1枚のセルを傷つけないように注意して、彩色棚へ入れたまま運んだ。セルを汚さないように、運転にも気をつけなければならなかったが、少しでも早く乾かしたいから、ヒーターを最高にかけていた。6月もう初夏、晴れていれば、室内の温度は容赦なく上がり、汗が吹き出る。そのうえ睡魔とも闘わねばならなかった。

6月9日最後のカットの撮影が終了した。そのネガの缶にラベルが張られ、「即日ラッシュ」のスタンプが押された。
「気をつけてね」との声に見送られて、東洋現像所へと車を走らせた。受付へ、「即日ラッシュでお願いします」と渡した。

夕方、東洋現像所に、仕上がったラッシュプリントを取りに行き、虫プロへ戻る。編集室で待ちかねていた手塚先生などが立ち会って編集が行われる。そしてその作業が終わり3階で試写をした。リテーク箇所の確認をしたうえで、そのラッシュプリントは東京スタジオセンターの暎一さんに届けられた。 すでに夜9時になっていた。

その時届けた進行はそれまで1週間以上寝ていなかった、聞いた話では、どうも気が抜けてロビーで爆睡してしまったらしい、無理ない話しであるが、暎一さんはその時のことを次のように本の中で書いている。

「すこし外の空気をすおうと廊下へ出た。ドアの外の床に、ロールのあがりを待っている進行のやつが、行き倒れの死体のようなかっこうで眠っている。それが、ものすごいぜいたくに見え、蹴飛ばして起こしたくなる。」と
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