山本暎一さんによると、暎一さんに援助を求めたのは12月28日であったと言う、40分しか出来ておらず、現在必要分数が足りなくて、納品に間に合わない、そのうえ演出が降りたと言うことであった。スタッフが正月休みに入って作業が出来ず、不足の5分強をストーリーを損なわず、資料室のライブだけで作る作業をすることになった。1月3日撮影が終わり4日編集5日アフレコダビング、6日納入そして2月2日日曜日午後10時半日本テレビで二十世紀アワー「海底都市の出来るまで」は放送することができた。 しかし、
山本暎一さんは「千夜一夜物語」のフタッフから正月休みに内職をしていたと見られてしまった。この仕事は虫プログループの危機を救うためで、役員であった山本暎一さんには、給料が増えたわけでもなく、残業代も付かず、正月休み返上の徹夜続きはただ働きであったのだ、まさに「泣きっ面に蜂」であった。
山本暎一さんは「千夜一夜物語」のフタッフから正月休みに内職をしていたと見られてしまった。この仕事は虫プログループの危機を救うためで、役員であった山本暎一さんには、給料が増えたわけでもなく、残業代も付かず、正月休み返上の徹夜続きはただ働きであったのだ、まさに「泣きっ面に蜂」であった。