真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

千夜一夜物語 2

2006年11月15日 22時57分02秒 | 虫プロ千夜一夜物語
 日本ヘラルド映画株式会社から社長に電話があった。
日本ヘラルド映画株式会社は、洋画の配給会社であったが、洋画を輸入するだけではなく、日本ヘラルド映画株式会社自身が制作した作品を、世界に配信できないものかと考えていた。

 そんな頃、売り込みに来た「展覧会の絵」を見ていた、それがヒントとなり、アニメならば、俳優の問題もなく、世界にすぐ通用する物が作れるのではないか、と思っていた。そしてその計画を立てていった。

アニメと言えば、子供もの ということではなく、大人が見るに耐える映画が作れるはず、「展覧会の絵」のような作品が出来るのだから、それはいたって可能なはず、そこで社内を説得して、アニメ制作の実現に向けて研究をし、企画をまとめその計画を会議にかけた。その結果、作って見ようのゴーサインが出た、すでに半年経って、それは秋になってしまっていた。

 社内では、製作会社は東映動画に頼むのが、長編映画に慣れているので、よいのでは、と言う意見が多かったが、やはり「展覧会の絵」の質の良さに、初めの思惑通り、虫プロへ依頼しようと言うことにまとまった。

この電話はその依頼の電話であった。

 手塚治虫先生はすぐにその気になり「作りましょう」と答えていた。
その時の手塚先生は、夢が膨らんでいた、そして少年のように、わくわくしていてとても嬉しそうであった。

もう、雑誌など手に付かなかった。すぐに時間を作り、山本さんと杉井さんを呼んで、日本ヘラルドからのすばらしい話を打ち明けた。
2人も大人のためのアニメ制作の話に、すぐに乗り気になった、やる気は十分であった。
しかし、制作費の問題で、現実に戻された。虫プロには、それだけの資金がないからであった。制作費は、国内の配給収入は8000万円と多めに見ても、宣伝費に2000万円かけて残り6000万円を半々にして3000万円の予算で作らねばならないであろう。東映の「白蛇伝」は5千万円以上かかり、40年の「ガリバーの宇宙旅行」は1億5千万円もかかったと言われている時代であったのだ。

いま、虫プロダクションは、新たにまた、無謀なことが、行われようとしていたのであった。
そして、手塚先生は、ゲーテの「ファウスト」を企画した。それは、手塚先生が、まえからアニメ化したいといっていた作品であった。
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