え、お呼びでない?!

日々の由無し事、時々、自転車ネタ・・・こりゃまた失礼いたしました。

火の玉? -- 関ヶ原町の火薬庫跡

2015年09月20日 | 雑記
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昼過ぎからトレーニングの予定でいたが、ついついラグビーワールドカップの日本vs南アフリカの録画放送(BS)を観てしまった筆者です。

朝のニュースで結果は既に分かってはいたけど、終了間際76分(後半36分)からの怒涛の攻撃は興奮したなあ。日本バンザイ!

観終えて午後2時からではもうトレーニングという気分ではなくなったので、ロードレーサーのペダルを平たいトラックペダルに取り換え、ボタンダウンシャツと半ズボンにジョギングシューズというラフな格好で、関ヶ原町の玉地区にある旧日本軍の火薬庫跡に行ってみました。

正式名称は「名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠」、通称「玉の火薬庫」。その字面から心の中ではどうにも「火の玉」と読み違えてしまいます(笑)。

ま、現地は夜ともなれば、どこからともなく人魂が飛んできそうな雰囲気の場所ですけどね(笑)。

戦時中、この火薬庫(火薬庫群)の規模は東洋一といわれてたらしく、構造的には洞窟式のものや地上式等いくつかあり、米軍に攻撃されることも無く終戦を迎えたそうです。

場所は簡単に言えば、関ヶ原鍾乳洞のすぐ手前、道すがらです。以前鍾乳洞には行きましたが、全然見た覚えがない。もし目に入ってたとしても、たぶん防空壕の跡かなんかなんだろうなくらいに思っていたのでしょう。

今年が戦後70年ということで、洞窟式の第五火薬庫のみ11月30日まで内部が特別公開中です。周辺でも火薬庫を囲んでいた土塁や立哨台等の遺構が見ることができますよ。詳しくは「玉の火薬庫」でググってみて下さい。

こんなに近いところに、こんなに大規模な施設(遺構)があったとは、感慨深いものがありました。やっぱり平和であることは、良いことだな。

第五火薬庫外観。



火薬庫入口(前室)。



前室に続いて小さな小部屋があり、その奥が火薬を保管していた本室。



小部屋の内部。



坑口の脇にあった立哨台。



第四火薬庫外観。



本日のルートは観音坂隧道、市場、春照西でR365、岐阜県に入りすぐの広域農道、県道229号線で鍾乳洞方面へ。帰りはこの真逆。

走行距離約40km。
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