マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

年金基金の運用成績

2008-02-29 09:21:16 | ぼやき

昨日、私の所属する**健康保険組合の理事会があり、あるひとから、その資料を手にいれる事が出来た。

役人の資料はどこもそうだがわかりにくく、実際より深刻な状態にないように見せたがるものだ。

どれだけの欠損が出ているか簡単には理解できない様になっている。(前にも言ったが、このような保険組合は全国に1500存在し、どこも同じようなものらしい。)

まず基金の貸借対照表を見て明らかなことは、政府から委託され、運用している準備金が600億円必要で、それに対し累積してきた不足金が299億、つまり、政府への返済義務に約く300億の穴を空けている。組合員、約1万人だから、一人当たり300万の欠損が生じていることになる。さらに、来年の予算を見ると、年5.5%で運用する事になっている。不可能だろう。

まったく職員はのんきなものだ。赤字でも責任はないし、ボーナスももらうし、退職金はでる。

この話を各事業所の社長連中は知っているのだろうか・・・。

話は変わるが、三浦和義といえば、有名なロス疑惑。もう日本人はうんざりなのだが、週刊文集は大喜びだろう。私も、その当時、毎週のように週刊誌を買ったものだ。

問題はアメリカが有罪にする決め手が共謀罪らしいことで、おそらく米当局は誰か隠し玉でも持っているのかもしれない。また、時効がないと言う事は警察としてはとても有利だ。

どちらがいいのだろう、日本は何にでも時効があり、時がたてばすべて水に流してきた。

文化の違いなのか、昔のことをいつまでもくどくど言う中国、韓国なども、少しは時効と言う概念をもったらどうだろう。

いずれにしても、三浦氏の顔などもう見たくない、というのが本音だな。彼の一生とはなんだったんだろう、仮に無罪ならまったくお気の毒だ。でも、おそらく有罪なんだろうな?


法華経

2008-02-28 09:46:55 | インポート

イージス艦の事件で、勝浦漁港の漁民達が太鼓?を打ち鳴らしながら「南妙法蓮華教・・・」と唱えていた。なんとなく違和感を覚えたので、少しだけ調べた。勝浦は筑前・宗像に勝浦(桂)があり、四国、南紀から上総まで続き、桂も含めると仙台までの主に太平洋沿岸に分布している。奈良の葛城との関連は不明だが、おそらく同族だろう。勝浦はからら(弁羅)から来たという説もあるが説得力に乏しい。

問題はこの地が、日蓮宗の開祖、日蓮が安房(あわ)小湊の生まれで、蒙古襲来の時代に立正安国論を著し、北条時時頼に献じたという、まさに日蓮宗発祥の土地だと言う事だ。。

鹿島氏の本で読んだのだが、日蓮は「元が日本を支配したほうが民衆は幸せになれる。」と説いていたという。鹿島氏は日蓮とモンゴル軍となんらかのつながりがあったことを匂わしている。

また、八切氏によると、源氏を亡ぼした北条への恨みを晴らすために、モンゴル軍は日本へわざわざ軍を派遣したという。もちろん、モンゴル帝国が義経によって作られた国だと言う事が前提でしか成り立たない話だが。

前にブログで、義経を教育した鞍馬寺は突厥族だと言った。つまり、天狗の狗は犬族で、源氏とは同族だった可能性はある。

さらに、鮮卑の拓跋族は北魏を建国した後、元と改名した。その元が後に日本に入り、源氏と名乗った。その源氏の貴種、頼朝を利用したのが北条氏で、天下を統一したとたん用済みとばかりに源家を亡ぼしてしまった。もう一人の貴種、義経は逃亡した後、大陸で大成功し、蒙古となった。その子孫フビライとしては、日本の北条氏にその仕返しをしに来るのは当然のことだろう。日蓮はその理由を知っていたため、将軍に謝罪を促したのではないだろうか。北条氏もずいぶん怖かっただろうよ。もちろん、正規な日本史でこんな説明はするはずがない。どうして北条氏が皇室に斡旋を申し出た理由が説明されていない。

今回の勝浦と源氏は関わりのないことかもしれないが、漁村の様子を見ていて、鎌倉時代がそのまま継続しているようで、いささかびっくりした。


マジシャンの手口

2008-02-27 09:44:51 | 陰謀論

最近は万葉集ばかりに気を取られ、世の中に疎くなっていたかもしれない。テレビではイージス艦のことばかり。あまりにも基本的なミスで、自衛艦に弁解の余地もない。

けれど、広い海であんなにうまくぶつかるものなのだろうか。少し、冷静に考えてみよう。

この事件が起こって、米軍の不祥事報道はどっかへ行ってしまった。道路特定財源のリミットは目前だ。日銀の次期総裁も決めなくてはならない。健康保険の改正について国会では何もなされない。

防衛大臣の首をとっても国民には何のメリットもない。時間の無駄である。野党が騒いだところで、たいした成果はないだろう。何かあるのかな?

残念ながら、国民の目を他へそらす理由は不明なのだが、何かがあるとすれば、どんな陰謀が成り立つだろう。

あくまで憶測だと断ってからだが、例えば、米軍基地に対する地位協定の改正論議が盛り上がるのを防ぐため、何か事件を引き起こす必要があったとしよう。

そのことが、そんなに重要な問題なのだろうか?

まあ良い。仮にそうだとしよう。けれど、海の上でイージス艦を漁船に命中させるのは思ったほど簡単ではないのじゃないか。現に、他の船は回避できているのだから・・・。

どうしても命中させようとすると、漁船の運航をコントロールする必要がある。コンピュータで計算し、漁船の航路を計算できていれば、ミサイルでミサイルを打ち落とすよりは容易だろう。

結論から言うなら、完璧な陰謀を完成するには、船員が漁船をコントロール出来ては困るだろう。前もって船を改造し、遠隔操作でコントロール出来るようにしておく。イージス艦は予定通り、自動で運行させ、どてっぱらに突入すればよい。それは簡単だろう。

コントロールした証拠を隠滅するためには、操舵室は見つかってはならない。船員も助かるとまずいので、あらかじめ殺しておく。これで陰謀は完成だ。後は予定通り報道陣が騒げば良い。

うーん、いくら陰謀論者といってもこの推理は少し無理かな?それに、動機がいまいち・・・。

操舵室が見つかり、船員の遺体が発見されれば陰謀かどうかは明らかになる。発見される事を祈ろう。


さんざんな日だ。

2008-02-26 09:23:52 | ぼやき

週明けの月曜日、朝からレジが動かない。そんなにむずかしい計算は必要ではないが、お金の出し入れが大変。修理を頼んだが、結局、夕方にしか来てくれなかった。二万円ぐらいの修理になるようだ、高いなあー。ついでに食器洗浄器が水漏れ、今度は水を止める浮きに穴が開き、部品交換、二万五千円也。もう、めげそう。

長いことやっていると、設備全体が老朽化し、順々に壊れてくる。儲かっていれば良いのだが・・・・、このところの低迷で、やや苦しい。(ややでなくて、ずいぶんだが、)

こんな時に色々な食材が値上げラッシュだ。(油、マヨネーズ、胡麻、しょうが、パン・・・・・)

当店としても、もはや辛抱の限界に来ている。特にパン、スパゲッティが怖い。すでに値上げされているが、4月以降にまた大幅に上がるらしい。それを見ないことには動きようがない。

この二十年、物価の上昇はほとんどなく、今回は、今まで我慢していた分も含め、かなりな幅にならざるを得ない。所得水準が上がっていくのならそれはそれで良いのだが、おそらくそうはならないから、低所得層の人たちの生活を直撃するだろう。

実質賃金の低下、各種保険の負担増、定率減税の廃止、医療費の負担増、我々国民は痛みを十分味わった。小泉!あんた達にどんな痛みがあったのだ。まったくの詐欺じゃないのか。

確かに自民党はぶっつぶれた。しかし、日本もつぶれてしまった。

自分の商売がうまく行かないのを政治のせいにするのはみっともないが、選手が一生懸命試合をしても、審判が悪ければ試合に負ける。審判がえこひいきするなら選手はまともな試合は出来ないじゃないか。

四月には後期老人保険がスタートするのだが、誰に聞いてもみんな知らない。怖ろしい事が始まる事をマスコミも新聞も伝えようとしない。とんでもないことだ。

たまにアメリカの医療システムが報道されるが、あんな国になったら国民は悲劇だろう。日本の医療制度は絶対に守らねばならないが、徐々に壊されつつあるようだ。

商売はいやなことばかりだけれど、たまに少しだけうれしいことがあるものだ。しかし、最近はその少しだけのいいこともほとんどない気がする。僕だけかなーあ。

ちょっと、ぼやきすぎ。


アテルイの戦い

2008-02-25 09:32:06 | 古代史

だいぶん前に、青森の「ねぶた祭り」の事を書いた。アテルイが騙され都に連行され、処刑され後、青森に残った親族達が生き埋めにされ、その上を住民が死ぬまで踏み続るよう命令された。その悲しい記憶を後世に伝えるための祭りだと書いた事がある。

ねぶた、すなわち、根に蓋をしたという。これは八切氏の説で、それ以上の確証はない。しかし、学校では蝦夷征伐しか学んでいないが、ねぶたが単なるお祭りではないだろう。

昨日、ネットの「億のうそみち」を読んでいて驚いた。日本語の起源はウラル・アルタイ語といわれるが、そのアルタイが阿智(アルチ)に変じ、愛知になり、アテルイも同じ源だという。

応神二十年、倭漢直の祖、阿知使主(あちのおみ)17県を率いて来朝す。(日本書紀)とあり、応神天皇がそれらの系統だったことがわかる。

このアテルイは桓武時代に、坂上田村麻呂に征伐され、亡びたのだ。彼等の同族は愛知県にもいて、追いこまれ末、恵那から中津川方面に逃げたようで、その地には阿智神社がたくさんあり、ずいしょに狛犬が祀られている。ただし、彼等が東北へ逃げたと言う事ではなく、東北には同族たちがオホーツク海経由で侵入していたと見るべきだろう。

つまり、各地には色々な民族がばらばらに居住していたが、部族ごとにまとまりながらうまく共存していたと思われる。神社ごとに集落を作り、バランスはとれていた。すくなくとも、桓武までは・・・。

ウラルのうるはフルであり、夫余や高句麗のフルの御霊に通じる。結局、王族の一部は間違いなくウラル・アルタイから来ている。シュメール地方のウル王朝と関連するかどうかは、今のところなんともいえない。どちらにせよ騎馬民族は混血を繰り返したから、さかのぼることは非常に困難な作業だろう。

言語学者は日本語を独特な孤立言語と言い張るが、基本はアテルイ部族が定着させたウラル・アルタイ語だろう。

世界の中で、日本語の語順は騎馬民族特有のもので、学者も当然それは認めている。韓国語と日本語は兄弟か親子になるはずだが、万葉集はちょうどその境目に当たり、その意味で、韓国、日本にとって、貴重な遺物なのだ。

私の想像では、百済に存在した歌集を日本に持ち込んだものだと思う。もちろん後で追加したものは多いのだが。

「億のウソ道」さんや、万葉集の秘密のおかげで、今までまったくわからなかったことが見えてくる。歴史学者の本をいくら読んでも、結局彼等は本当のところへ行けないように誘導しているだけだった。(大半はおおうそつきだ。)夫余や高句麗の元を探ろうとは決してしないのだから。

どれだけの本を読んだのだろう。まったく、時間の無駄であった。

熱田神宮が天皇家とはまったく関係ないことも良くわかった。名古屋はアテルイ一族が支配していたにちがいない。

日本史の奥は深いな。しかし、少し疲れた。


大失態!

2008-02-24 08:07:34 | インポート

別に自衛隊のことじゃない。女房が昨日、南こうせつ、武道館ライブを録画するのを忘れてて、あわてて最後の30分だけを録画した。あのこうせつのために一万人が集まった。

もういいかげんおっさんなのに、彼の声はいつも艶があり、若いころよりはるかに魅力的だ。今回のコンサートはストリングもリズムセクッションも充実し、さらにビジュアル重視か、コーラスガールも美人ぞろい。うーん、全部見たかった。「妹」「満天の星」などのアンコールを見ることが出来たので、まあいいか。

「億のうそみち」のHPへ弓削の由来を問い合わせしていたが、物知りの彼も何の材料も持っていなかった。まあゆっくりやるさ。

昨日李寧熙氏の「日本語の真相」を読んだ。日本語の起源が韓国語にあると説明しても、日本の学者は全く取り合おうとしないと嘆いていた。プライドと学問を一緒にしては何もわからないだろうな。

彼が主張している中で、とても注目するのは、十一皇女がなくなったとき、高市皇子が読んだ詩に、済州島なまりがあるということだ。私はグーグルマップで済州島を精密に周遊したことがある、知られていないが古墳だらけだ。その島は今でも韓国内では差別されている。李寧熙氏は高市皇子が済州島出身の部族だという。日本史には全くでてこない新たな視点である。

日本の天皇のなかで、天智から光仁にはさまれたいわゆる新羅王朝は正統とは言われない。

恐らく新羅王朝ではなく、蛮族王朝なのではないか。日本の天皇家が一番恐れていることがこのことで、最高にエキサイティングな分野だ。

残念ながら李寧熙氏の解読でしか判りえないが、一つわかれば芋づる式に判明する事もある。きっとビックリするような真実が隠されているはずだ。さあ、がんばろう。


大阪の話の2

2008-02-23 20:21:52 | インポート

まゆみさんから大阪はゾンビ?と聞いて思い出したことがある。ある時、ブックオフで変な本を見つけた。「日本の阿片王 二反長音蔵とその時代」と言う本だ。思いもよらない題名に、思わず買ってしまった。何とビックリ、第二次世界大戦が終わるまで、高槻市は日本で最高級の阿片を栽培していたと言う。東海道線沿線は一面、白い阿片で覆われ、外人が見るとまずいじゃないかと心配していたと言う。この、二反長氏は阿片の栽培の功労者だったのだ。

彼は貧農を救う為、農民に阿片を推奨、品種を改良し、農民は彼のおかげでずいぶん潤ったようだ。

私のうどん屋の店長が高槻出身で、その話をしたら、真っ赤になって否定した。「事実だから、里に帰ったら親に聞いてみなさい。」、と言ったが、親も何も知らないと言う。親は昭和15年生まれぐらいだから知らないのだろう。「それでは、親戚の年寄りなら知ってるかもね。」、半年後、帰郷した折、年寄りの親戚に尋ねたら、やっぱり真実だった事がわかった。戦後、必死で隠蔽したようだ。戦争にはモルヒネが必需品になる。これが戦争の真実なのだ。台湾を占領した後、麻薬を専売にし、日本は外貨を稼いだ。二反長は満州へ派遣され、農作物を止めさせて阿片の栽培を指導し、中国やくざに売り渡し、中国をさらに堕落させ、日本軍は軍費を稼いだ。そのかわり、満州は農作物を失った。ひどい貧困の中、関東軍は暴利をむさぼり私服を肥やした。岸信介は巨万の富を築いたのだった。

関西は民族のルツボである。解放運動も、在日差別も、ほかでは見られないほどひどい。各部族が入り乱れ、自分の都合を主張し続けている。府の経済が破綻する事より、自分達の利益を優先している。これほど腐った街は他にはないだろう。早く破綻させ、膿を出しつくすことしか解決法はないと思う。そして、正しい歴史を学び、お互いの立場を知る事だろう。

大阪人は刹那的だ。阪神ファンは負ければ負けるほど、益々応援する。さほど面白くもない吉本の演芸で笑い転げ、笑いで自分達をごまかしている。いつまでもボケと突っ込みは通用しまい。

真剣に考えたらどうだ。金だけがすべてではないという事を。名古屋、東京の商売を見ろ。私達は人に売るのであって、金のためだけじゃない。私達は「申し訳ないけど、あなたには売れません。金の問題じゃないのです。」、と断る事がある。私はお金をゼニと呼ぶ人たちは嫌いだ。同じ国民を不幸にするような商売をしてはいけない。いつの時代でも、戦争となると、大阪の商人がソロバン片手に後ろからはやし立てた。コメが不作になるとコメを買い占めた。中国へは日本の機械を輸出して日本の工場を潰した。太古の時代から天皇家を裏から支配したのはあなた達でしょう。お金に印がないと思っているでしょうが、あなた達のお金は血で汚れている。やはり、ゾンビなのかもしれない。


大阪嫌い

2008-02-23 10:43:45 | ぼやき

いやだいやだと思いながら大阪へ出張したおかげで、悪性のウイルスをもらったみたい。下痢はするし、熱っぽいし、最悪・・・・。

心斎橋界隈の繊維問屋街も、昔の活況は今どこに、すっかりマンションの開発地域に成り下がってしまった。確かに大手の現金問屋は健在だが、中小は生き残れないようだ。

それでも、昼の食堂は人で一杯。仕入先の人にごちそうになったが、うな重と、う巻き、吸い物つきで1500円、まあ安いとは思ったけど、その店の従業員の無愛想な事。いくらお客がひっきりなしで、安く食わせるからといって、お客を客とも思わない態度。名古屋じゃ通用しないぞ。

大阪は、安いからこんなもんだで通るかもしれないが、やっぱり大阪はいやだ。

大阪で、新規に問屋を訪ねた。とても愛想が良いひとだった。「はいはい、お金さえもらえれば、うっとこは誰にでも売りまっせ。」、大阪商人はこれだから好きになれない。

そうやって外人に日本の女を売ったんだろう。と、心の中で叫んでしまった。商売とはいえ、大阪の人から物を買うのはいやだな。

楽しみにしている、李寧熙氏の「枕詞の謎」がまだ来ない。ヤマト便、おそいぞ!

今日は体調不良につき、ここまで。


糠田王姫はイケイケギャル?

2008-02-21 21:01:27 | 古代史

明日は午前中から大阪へ出張だから更新できません。律儀な私はその分、今夜更新することにします。

さて、本題です。今日は万葉集でも一番の注目される詩の韓国語訳を書いておきましょう。

天智天皇が蒲生野で狩りをなさった時に作った詩 額田王(巻一、二十)

   あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る

【現代語訳】

 茜色に輝く紫草が栽培されている野、天皇が占有されているこの野には番人がいます。その番人たちに見られてしまうではありませんか、あなたが私に袖を振っているのを。それが不安です。
(原文)

   茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

(李氏の韓国語訳)

私の陰部はほてっています。さあやりましょう、禁をおかして、野守りは見ないでしょうね、あなたが私の足を広げるところを

天智天皇7年(668年)5月5日、新都、近江大津宮から1日の行程の蒲生野(がもうの)で、宮廷をあげての薬狩りが催された。薬狩りは鹿の角袋や薬草を採る、夏の宮廷行事だった。この1首は、その折に額田王(ぬかたのおおきみ)が大海人皇子(おおあまのおうじ)に贈ったとされている。

井上靖の小説で、とてもロマンチックに描かれたこの詩が、韓国語で解釈すると、額田王がとんだイケイケギャルであったと言うお話でした。次回はそれに答えた大海人の返歌を紹介します。今日は眠いのでこれだけ。どうして韓国語だとそうなるのかは私には説明できません。

李寧熙氏の「もう一つの万葉集」をご覧あれ。


本当に隠したいことは・・・。

2008-02-21 09:35:10 | 古代史

ダンジリ祭りの考察から始まり、私の研究も大変に困難なところへ来ている。

従来の比較的穏やかな歴史解釈、騎馬民族征服説、これを東大の江波先生が唱えだしたことで、今や日本の歴史研究家たちは、それを基本に日本の歴史を考えている。

そうじゃないんだ、私が発見したダンジリの檀族は日本書紀にも、中国史記にも、朝鮮史にも顔を出さないのだ。でも、間違いなく彼等は日本に来ている。

西暦250年ごろ、邪馬台国は騒乱に明け暮れ、台与という娘を共立し、その後亡びた。この後、邪馬台国がどうなったのか、歴史のどこにも出てこない。出てこないのじゃない、とても書けなかいほど韓半島はひどい目にあっていたのだ。魏の国が晋になる頃、中国(晋)は韓半島への興味を失い、自らも内乱を起こしていた。その隙に鮮卑、匈奴、勿吉などの胡族が華北から韓半島を荒らしまわっていたのだ。(五胡十六国時代)

そして、倭の国(韓半島南部から九州)も彼等に占領されたに違いない。当然、日本の国土にも大量に流入した事だろう。(その証拠は地名に残っている。)

応神天皇が日本を征服し、八つの旗の下に王権を成立させた。これが宇佐八幡だろう。その部族のひとつは物部氏、檀氏・・・、彼等は匈奴・鮮卑・勿吉などの蛮族で、非常に残酷な民族だったはずだ。おとなしい雲南方面から定住してきた農耕民族は戦う事すら出来なかったに違いない。あまりの残酷さに、日本人はそれ以来、外来の民族には逆らわない習性が出来たのだ。今でもだが・・。

これらの蛮族の支配が終わったのは桓武天皇の頃だ、それ以来、死刑は廃止、動物は殺さない、けがれ思想が日本の支配層に定着した。

日本、朝鮮、中国、三国が本当に隠したかったことが、このこと、日本の国がかつて蛮族に支配されていた事、朝鮮が蛮族に蹂躙された事、中国の唐の国が実は蛮族出身である事。この事実を歴史から葬り去りたいのだろう。

色々な研究から少しずつそれが分りかけている。

華北を支配した鮮卑、拓跋族は北魏を建国し、姓を元に変えた。その部族は日本に来て源氏となり、義経はジンギスカンとなり国名を元とした。

おそらく、源族は桓武の頃、都を追われ、関東に定住したのだ。そして、東北地方にはアムール河経由でやってきた部族がいて、藤原三代を築いたが、おそらく都の支配者の一員と同族だったのだろう。そうでなければ藤原を名乗れるはずがない。この仮説を総合すると、義経が東北から大陸に逃れ、チンギスになった経由がなんとなく理解できよう。

むずかしかったかな?

一番肝心なのは、河内にある巨大古墳を、誰が作ったかがわかれば、日本の歴史の大きな謎が解けるということだ。彼等はマナの壺を知っている。その後、勢力を失っている。もう答えはすぐそこまで来ているのではないか。

しかし、研究することが多すぎる。