マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

リッセットしよう。

2008-02-11 09:43:55 | 古代史

ここニ、三日、江上波夫氏の本を読んでいる。騎馬民族渡来説を唱えた大先生の本だ。でも、少しも面白くない。その当時では画期的だったのだろうし、従来の歴史家達を震撼させたのだろうけど、現在ではこの説も単に体制側の歴史観の範中に収まってしまっている。つまり、日本書紀の中にその騎馬民族を当てはめ、従来の歴史観から脱却できていない。

何も、脱却しなければならないとは言わないけれど、従来の歴史では現実に存在する多くの素朴な疑問に何も答えれないのではないだろうか。

さて、天気もいいし、久しぶりにブックオフへ行く。

すばらしい!李寧熙(イ・ヨン・ヒ)の「天武と持統」が500円で見つけた。前からこの人の「韓国語で万葉集を読み解く」、を探していた。偶然にしても運がいい。

韓国語で万葉集を読み、壬申の乱を解き明かすと書いてある。うーん、面白そう。

それにしても、やはり私の研究は根本的に間違っているかもしれないと思わせるに十分な内容だ。

いくつかの万葉集の例が出ているけれど、大変だから、一つだけ紹介しよう。

原文 「三吉野之 耳我嶺爾 時無曾 雪者落家留 間無曾 雨者零計類 其雪之        時無如 其雨乃間無如 隈毛不落 念乍叙来 其山道乎  (巻1ー25 天武天皇の御歌)

<従来の読み下し> み吉野の 耳がの嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごとく  隈もおちず 思いつつぞ来し その山道を

<その意味> み吉野の 耳我の嶺に 絶え間なく雪がふるそうだ 休みなく降るそうだ その雪の 絶え間ないように その雨の休みないように 道の曲がり角ごとに 思いに沈みながら来た あの山道を

これは天武天皇が読んだ歌とされている。全く意味不明の詩ではないか。

この歌を読んで日本の万葉の時代を偲ぶことが出来る人は天才だろう。

一体、この歌を韓国人が読むとどうなるのだろう。

戦いが長引きそうだ、胸がつぶれそうだ、今すぐ出発しよう、悲しくて、どう行こう、また逢おう、無念でこのまま行けない、ああ悲しい、出発しよう、ああ無念だ、逢うことにしよう。クマの季節(高句麗の時代)が来る、重詐立つ、だから迂回しよう。

<その意味>

戦いが長くなりそうだ、出発しよう。しかし、悲しくておいそれと行かれようか。逢う日を期そう。無念で行く事が出来ない。ああ、悲しい。でも、出発しよう。また逢う事にしよう。「くま」の季節が必ずやってくる。重詐は立つ。だから、回り道しよう。(重詐とは占いの卦の一種のようだ。)

この韓国語の読みに関し、私は驚いてしまった。信じるかどうかは勝手なのだが、従来むりやり万葉仮名を使い、一生懸命に万葉集を味わっていた人の立場はどうなるのだろう。

それにしても、日本語による解釈では何もわからない。かといって、私に韓国語がわかる訳がない。これをどのように考えればよいのか、これは大問題だ。

仮に、朝鮮語で書かれていたものを、いかにも古代倭で読まれたものだと決め付け、勝手に解釈していたとしたらこれは、本当に大笑いだ。

言葉の勉強と言っても韓国語まではとても無理だし・・・・。困ったな。