マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

早起きしても・・・

2008-02-20 09:24:22 | ぼやき

今朝は間違えて、三時半に起きてしまい、さすがに眠たかった。おかげでテレビのニュースをゆっくり見ることができた。

最新鋭のイージス艦でも、漁船にぶつかる事があるのだろうか。まず第一に、フォークランド紛争の時、ゴムボートで爆弾を仕掛けられ、多くの新鋭艦が沈没している。それ以来、小さなボートであろうが、しっかりと監視できるシステムになっているはずだ。要は、民間の漁船など無視しただけだろう。問題なのは、防衛大臣に連絡が行くのに、一時間半もかかったと言う事で、その間に武官と文官が責任の所在や、事実の隠蔽を図ったにちがいない。

人命より、自分達の地位が大事だったと言うしかない。あきれて物が言えないね。

さて、万葉集関連の本を3冊読んだ。結論として言える事は、最初の巻で極めて難解な詩は、ほとんどが朝鮮内で読まれたのだろうと言う事だ。それを日本へ持ち込み、漢字を入れ替え、日本語のように書き直したのだろう。だから、日本人が読めないことはないが、意味がまったくわからないのだ。時代が進み、純粋な日本人が読んだ詩は、正確に五、七、五、・・・になっている。漢字で書かれた詩を、大和の音、訓で日本人が書き直したと考えるのが妥当だろう。学者達は当然知っていて、認めないだけだ。真実は隠しようがない。

天智にしろ、天武にしろ、額田姫にしても、朝鮮にいた人だろう。蘇我氏は日本にはいたはずがない。大化の改新など日本で起こったことではない。

日本の成立にはとてつもなく大きなウソがあるのだ。万葉集にはそのヒントが隠されている可能性がある。

私が奈良に政権が出来たと確信するのは持統天皇からで、正確に言うと壬申の乱以降であり、近江朝の存在を認めるわけにいかない。法隆寺が大宰府から移転されたのが間違いがないのなら、日本が成立したのは九州の筑紫、もしくは韓半島南端の伽耶国だ。だから、小林恵子さんの「本当は怖い万葉集」を読んでいても、ひんぱんに百済と大和を往復する話、あるいは、近江へ逃げた話、吉野へ行く話し、これらに違和感を覚えた。これらは九州の話でしょう。(このあたりの古田氏の研究はまったく正しい。)

私には朝鮮語で万葉集を読むことは不可能なので、李寧熙氏の著作に頼るしかないが、大きな可能性を秘めていることは間違いがない。さらに、買い込むことにしようかな。


無人君は使ってはいけない。

2008-02-19 09:19:09 | ぼやき

先週、さる小売屋さんで話をしていたら、昨年の秋に売った高額商品の代金回収が遅れているという。

「えーっ、クレジット販売じゃないですか?」と聞くと、「実は結構クレジットが通らない人がいるの。しかも、本人さんも知らないの。」、「ウソー、本当ですか?」

何十万の高額品を販売するには、信販会社を利用するのが普通のようで、30回とか50回に分割し、金利手数料は販売店持ちにするのだ。高い商品を30回で割れば、買えそうな気がしてくるという消費者の心理を利用するものだ。あまり良い販売方法ではないが、しかし、売り上げ低迷の現在、小売店では最後の手段かもしれない。

しかし思いもよらず、審査に通らない人が一杯いるのだそうだ。

引き落とせない事故を起こせば、数年間はクレジットは使えない。それは、しかたがないことだが、意外と知られていなのは、無人君のような、簡単にキャッシングできる機械を使うと、住宅ローンが下りないと言う事はご存知だろうか。

現在は信販、消費者金融、銀行、すべてのデーターが共有されている。銀行は、自分達で消費者金融会社へ融資しているのに、そこを利用している人をマークしている。

信販など利用せずとも、現金で払えばまったく問題はない。しかし、自分の知らないところで審査され、ブラックリストに載っている事を知らなくてはいけない。

個人的にはクレジットは使わないが、ネットで物を買う場合、どうしてもクレジットカードで買うことになる。私が妖しげな本ばかり買っているので、おそらくその筋ではチェックが入っているに違いない。個人のプライバシーの保護を叫んでる割に、個人の情報はいつでも引き出せるようになっている。なるべくなら、現金でお買い物をするようにしましょう。決して分割払いなどご利用にならないように。ましてや、らくらくローンなどはだめですぞ。


真弓古墳は誰の墓?

2008-02-18 09:50:51 | 古代史

このところ、真弓古墳を気にしながら万葉集を眺めていた。先日手に入れた小林恵子さんの「本当は怖ろしい万葉集」を読んでいて、とても貴重な情報が手に入った。それは巻二の百六十七の長歌で、日並皇子尊の殯宮の時に、柿本人麻呂が作りし詩とある。

http://www.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/cgi-bin/MANYOU/manyou2.cgi?02/0167

とても長いので、必要なところだけ引用するが、「思ほしめせか つれなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいましみあらかを・・・云々」、とある。日並皇子というのはどこにも存在しないが、この長歌には天武の次に天皇になると思っていたのに死んでしまった。と書かれてある。

ということは、天皇に極めて近い皇子だったと思われる。そして、それが真弓の岡に葬られた。これぞ真弓古墳に違いない。

天武の息子がたくさんいる中で、不審な死に方をして、埋葬場所がわからない皇子を探す事にした。その中に、大江皇女(天智の娘)の生んだ弓削皇子、長皇子というのがいる。

弓削皇子は天皇の後継問題の発言が元で失脚し、死んでしまった。柿本人麻呂は彼を惜しみ、何種かの詩を読んでいる。

弓削氏が気になり、調べてみると河内出身のようだ。これでダンジリと繋がった。さらに大江の姉妹の太田皇女の子供に志貴皇子がいて、河内には志木神社がある。どうも、かの有名な道鏡は志貴皇子の子供らしい。(うわさであるが・・)

詳しい証明は困難であるが、すべては一本の線で繋がった気がする。

弓削皇子は弓であるから、檀であり、ダン族である。そして、志貴皇子と連携した可能性が強い。その後、道鏡は天皇になることに失敗し、弓削氏の野望はすべて潰えたのだ。

結果、真弓古墳は名前を消されてしまった。柿本人麻呂はそれを哀れんで、詩を作り、真弓古墳が高貴な人の墓であることを後世に伝えようとしたのではないか。

どうであろう、推理としては悪くないと思う。ただ、証明が困難だな。一応、せっかくだから発表しておこう。新聞の報道よりは正しいと思うな。

この時代はすさまじい権力争いの時代であり、日本書紀に正しく歴史が記録されたとはとても思えない。いずれにしても、とてもややこしいところを急いで書き上げたので、後日もう少し丁寧に説明したい。


猫とねずみ

2008-02-17 08:35:06 | 陰謀論

昨日TVで猫とねずみが仲良く暮らしている映像を見た。なんでも赤ん坊のねずみを自分の子供と勘違いし、ねずみは猫を自分の母親と思ったのだろう。(そのねずみちゃんの可愛い事・・・。)二匹はいつも一緒で、とてもハッピーだった。動物の子供は最初に見たものを親と思うらしい。

さて昨日、研究所へ久しぶりにメールが来て(めったに来ない。),GOLD WARRIORSの未公開部分を見たいと言ってきた。すぐに送ったのだが、来た返事を見て驚いた。20歳だそうだ。

私の陰謀仲間は、どちらかと言うと、世をはかなんだおっさんとオバサンばかりだ。まだ世の中の汚さ、恐ろしさを知らない世代に真実を教えても良いのだろうか。私の相手は固定概念で固まっている人たちで、それがない人に教えることは非常に恐い。

神奈川県は高校で日本史を必修科目にする。うそで固めた日本史を、若い人たちに教え、彼等がそれを真実と思ったら非常に困るのだ。人間は最初に聞いた事を事実と思い込み、一度固定概念となるとそれを覆すには数倍の努力が必要になる。

私が邪馬台国は日本になかったと言うと、ほとんどの人はビックリする。どこにあるか誰も証明出来ていないのだから、台湾でも、沖縄でも、佐渡島でも、もちろん韓半島でも全くおかしくないのだ。なのに、九州か近畿にあるものだと刷り込まれている。私は、邪馬台国がどこにあったかはそんなに興味はない。どうして日本の中にないと困るのかを知りたいのだ。

人はあるうそに気づいた時、他の事も疑うようになり、それからすべてを疑うようになってしまう。私は、騙されたまま50年間生きてきたわけで、それが良かったのか、よくなかったのか。

私の母はすでに80歳以上だ。今でも天皇の話で激論を交わしている。最終的に母は、「もういいの、このまま天皇を敬ったまま死ぬから。いまさら真実などどうでもいい。そうでなければ、戦争で死んでいった人に申し訳ない。騙されているならそれはそれでいい。」、とおっしゃる。私も、二十歳のころに真実を知っていたら、どんな社会人になっていただろう。

真実を知る事が本当に必要なのか、知らない方がいいのか。あるいは、知ったところで何も出来ないなら、知らない方が幸せなのか。

20歳の人のメールで、考えさせられました。


鬼塚氏と会食の2

2008-02-16 14:29:54 | インポート

先日の鬼塚さんとの会食で書き忘れた事を思い出した。

彼が東京へ行ったのは、デビット・アイクの講演会に参加するためだった。来賓席で寝ていた人が鬼塚さんだそうです。

講演は昼過ぎから夜9時までという長さで、アイク氏のバイタリティーには恐れ入るといってました。内容は爬虫類の話ばかりで、鬼塚さんはあまりその方面は興味なかったようです。

次作が原爆の話ですが、成甲書房の社長からは、さらに東京裁判を書いて欲しいと言われているそうです。

あの、世紀の茶番劇で面白い本が書けるのですか?と聞いたら、死刑になるか、無罪になるかはすべて裕仁が決めたことだから、その決定段階は非常に面白いという。期待しようかな?

いずれにしても70歳で、独身。殺されてもいい、書きたい事を書いてやる、と元気そのものでした。

シーグレイブ氏の大和王朝を訳していて思ったのは、何故、明治から物語を始めたのか、でした。しかし、今から考えると、十分な理由があったのです。つまり、英国が日本を利用する事を決めたのが明治維新以後だからです。

今、私は考えている。裕仁に、英国王室からの命令を拒否する事が可能だったのかどうかを。

世界中で多くの王室が亡ぼされている。フランス、ロシア、イタリア・・・・、日本の王室は命令を忠実に守ったからこそ存続させてもらえたのだろう。もちろん、数百万人の国民をいけにえとして進呈したが。日本に忠誠を誓うように迫ってきた勢力はあまりにも大きく、そして残酷で、誰も逆らう事ができないほどの怪物だったのだろう。アイク氏が述べたように、やつらはきっと爬虫類なのだろう。なぜなら、同じ人間だったら、あれほど人間を殺せるはずはない。

鬼塚さんは広島へ行き、よそでは得られない貴重な情報を得る事ができた。東京ではお目にかかれないすばらしい手記が手に入ったという。しかし、さすがにそれらに目を通すと寝ている時は毎日原爆の夢を見たそうだ。普通の人間ならそうなるだろう。

(おわび)昨日と、今日の一回目の記事は都合により削除しました。残しておくほどの記事じゃないからです。


深夜に帰宅で、眠いよ。

2008-02-14 09:27:03 | インポート

昨晩は、大分の鬼塚さんと会食した。

次作の本についての内容を聞くことができた。「原爆の秘密(仮題)。これを読んで腹を立てなかったら日本人じゃない!」と言う副題がついているそうだ。

よくある言い方なのだが、「もう少し終戦が早ければ、原爆が落とされずに済んだのに・・・。」、「原爆を落としたから早く戦争がおわったのだ。」、「本当に広島の原爆はしかたがなかった。」

いろいろな人がいろいろな事を言っている。しかし、次回の鬼塚さんの本を読めば、それがすべて間違っている事がわかるはずだ。

①第二次世界大戦は世界の寡頭勢力(イルミナティーと言う人がいるが、・・・)が金儲けのために仕組んだ陰謀である。(原爆の開発目途はついていたので、それを使用することが目的のひとつであった。)

②その決定で、日英同盟が破棄され、アメリカでオレンジ計画がスタートする。

③日本の最高幹部と海軍は筋書きどうりに戦争を始めた。陸軍はほとんど関知していない。(裕仁、ヒットラー、スターリン、ルーズベルト、チャーチル、みんな命令どおりに動かされただけだ。)

④裕仁とグリューは、終戦時期について討議したが、原爆を二発落とすまで終戦はさせてもらえなかった。(戦争が長引いたのは、原爆の開発が思った以上に遅れたからだ。)

⑤広島は裕仁が決めた。だから、自分の嫌いな者達を広島に集合させ、見殺しにした。

⑥長崎はクリスチャンの教会が多いことで選ばれ、三菱のドックを目標とした。海軍は三菱にいたアメリカ人の捕虜を事前に救出していた。

⑦日本の情報機関は原爆の開発、投下時期、投下目標をすべて承知していた。もちろん裕仁も承知だ。

大体こんな内容だが、恐るべき話ではないか。天皇崇拝者はたくさんいるが、これを知ったら腰を抜かすに違いない。

成甲書房の社長はとてもすごい人だ、商売のため副島氏やベンジャミンの本も出版するが、危険を承知でこんな本を出版するんだ。

そんなことで、昨日は帰宅したら深夜であった。何時?、九時を少し過ぎていた。私にとってはもう深夜なのだ。アー、今日は眠いぞ!


鬼塚氏名古屋へ

2008-02-13 09:56:53 | 古代史

私の師匠、鬼塚さんが所用で東京から帰る途中、名古屋で一泊してもらう事になった。

実は三年ほど手紙のやり取りをしていた仲なのだが、お目にかかったことはない。しかも、携帯もパソコンもないアナログ人間。どうやって落ち合うのか今から悩んでます。今夜は名古屋名物のひつまぶしでもご馳走することにしよう。

さて、万葉集です。昨日ネットで探してみたが、原文を見られるところは意外と少ない。しかし、絶対に原文を見なければだめだ。意味がわからなくても、絶対に原文を見る必要がある。

なぜかを説明しよう。

(原文)

樂浪之  思賀乃辛碕  雖幸有  大宮人之  船麻知兼津 (過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌)反歌

(読み下し) ・・・ネットで探しました。

楽浪(ささなみ)の志賀の唐崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人の船待ちかねつ

((現代訳)・・・ネットで探しました。

 ささなみの志賀の唐崎は元のように何の変わりはないが、大宮所も荒れ果てたし、むかし船遊びをした大宮人もいなくなった。それゆえ、その船をいくら待っていても再び見ることはできないのだ。

問題は、枕詞とされている、楽浪だが、さざなみと読んでいる。この枕言葉は、高市皇子の歌の中に何回も出てくる。楽浪と言えば、遼東に設置された郡名ではないのか。志賀を近江と決めつけ、亡びた楽浪からヤマトへ向かう高市皇子の嘆きを、さざなみと言い換え、あたかも近江を懐かしんだように偽装したのではないか。

また、滋賀に唐崎という地名があるのだろうか。大宮人は、私にはわからない。

上の詩は柿本人麻呂が高市皇子に返した歌だ。元の高市皇子の歌(原文)は、

古  人尓和礼有哉  樂浪乃  故京乎  見者悲寸 (高市古人感傷近江舊堵作歌  [或書云高市連黒人])

(訓読)いにしへの、ひとにわれあれや、ささなみの、ふるきみやこを、みればかなしき

(私の勝手な訳)私が好きだった楽浪の都もここと同じように、落ちぶれてしまった。見るものはみんな嘆いているよ。

その詩に、柿本が慰めて、「楽浪も、志賀の辛崎も、あるにはあるけど、都人はいないよ。」と慰めたのかな。

ぶっ飛び訳で申し訳ないが、高市皇子が高句麗人(百済人?)と知っていれば、当然、楽浪を地名と考えるだろう。読み下しで、「ささなみ」と訳す神経には恐れ入ってしまう。

「楽」がどう読むと、「ささ」になるのだろうか。細波がさざなみでしょう。

枕詞として、「楽浪」を「ささなみ」と読まされている人に、日本史の真実は絶対に見えてこない。皇族が朝鮮(楽浪)から渡来した事、遼東に朝鮮人がいた事を隠したい日本の学者は、絶対に楽浪を地名とは認めないだろうな。学者と言うのはそんな程度だ。


万葉集を朝鮮語で読むな?(追加分)

2008-02-12 15:28:54 | インポート

追加で書きます。

ちょっと暇だったので、ネットで万葉集を検索してみた。

ほとんどの記事は朝鮮語で万葉集を読むことに、批判的というより、否定的であった。

トンデモ扱いなのだ。しかし、李寧熙さんの本は50万部のベストセラー、びっくりした歴史学会の人たちは、とにかくトンデモ扱いで抹殺しようとたくらんだに違いない。

私も以前から、そのような本があることは承知していたが、万葉集自体に興味がなかったから読む気はなかった。(ブックオフで見つけたから読んだのだ。)

そもそも、天皇が韓半島からやってきたと言う事を否定している学会の先生方が、万葉集を朝鮮語で読めることを認めるわけがない。当然、一言の元に否定するだろう。

そして、その否定派の論文を読んでみると、学術的には判らないが、とにかく素人に理解できる内容ではない。どちらでもいいのだ、彼等は否定することだけが目的なのだから。

ユダヤの情報操作のテクニックを使い、なるべく権威のある人が、「馬鹿なこと言うんじゃない!。」と言えば、誰も逆らう事はできない。

この種の学会のヒステリーはもはや感情であって、理論ではない。気分を害するだけだ。

彼等は、万葉集の中に日本語で解読できないのは、たったの数十首だけで、その数十を取り上げて、読める、読めないはおかしい。と言っている。そうではないだろう。読めないことが問題なのだ。日本人が読んだ詩は全部読めなければなるまい。

その、日本語で読めない数十首が古代朝鮮語で詠めるとしたら、それは朝鮮語で書かれたとしか言えないじゃないか。

先日、私はある学者にダン族の存在をメールで聞いてみた。ダンジリとダン族の関係だ。結果は、「妄想でしょう。学術的に何も面白いものはないですね。」であった。

彼等は、自分達の説に反するものを聞く耳は持たないのだ。自分達の世界を守るために研究をしている。私は確信している、学者が否定すればするほど、そこにはきっと真実があると言う事を。万葉集を朝鮮語で読み、地名を調べる事で真実が見えてくることを。

それが学術的に正しくなくてもいいじゃないか。学術的に正しいと言う事は、学会の審査に通り、先生方が認めたものを言うのだから、間違いなく通るわけがない。

学会なんて、そんなもんだ。認めてもらう必要などさらさらないね。


言葉の壁

2008-02-12 09:27:31 | 古代史

昨日は「万葉集」の解釈ですっかり参ってしまった。

結論として言える事は、天武、持統、あたりの支配者は新羅、百済、高句麗の人間であり、少なくとも万葉言葉を知らなかっただろうということだ。だから、古朝鮮語でしゃべったものを、統一言語である漢字で表記した。当時、朝鮮にはハングルもカタカナもなかったから、それしか方法はなかった。だから初期の頃の詩はヤマト言葉では読めるわけない。なのに、学者達は無理やりこじつけて、トンデモ解釈で一般人を騙したのだ。

ところが、時代が進み、やまとことばと、朝鮮語のバイリンガルが育ってくると、両方から読めるスペシャルな詩が作られたと思われる。(天才的だ)

万葉言葉でやさしい自然を唄い、ウラの朝鮮語で、卑猥な恋文を唄ったのだ。きっとそうだったんだろう。

問題なのは、この李寧熙(イ・ヨン・ヒ)さんの解釈によると、天武は高句麗人、持統は新羅人、高市皇子は天智の子ではない、などなど・・・、色々新説を唱えている。どれも私達には否定できないし、とても興味のある内容だ。(十分、日本史をひっくり返している。)

困るのは、古朝鮮語を知らない限り、著者の説を否定できないと言う事だ。以前、万葉集がヘブライ語で読めると言う事を聞いたことがある。これも同じで、ヘブライ語を知る人など、ほとんどいないのだから、誰も反論できないではないか。

一体、韓国語ブームだとはいえ、古朝鮮語をどの様にしたら知る事ができるのだろう。

ところで、草壁皇子が登場して思った。日下部が古代より「くさかべ」と読むのは有名な当て字だ。なんだ、簡単じゃないか、日下部は草壁なのだ。殺された草壁の存在を抹殺するために草壁の字を消したんだ。こんな事を古代では一生懸命にやったんだな。わざわざ我々にヒントを残してくれている。

万葉集は私達には手も足も出ないから、やっぱり、地名と人名を探るほうが簡単そうだ。

その、草だが、「kusa」はusaに通じる。宇佐八幡のusaは草壁と関連しそうだ。青森弁で「どこへ行くの?」というのを、「どさ」というらしい。そして、「湯(銭湯)へ行くんだ。」と言う意味を「ゆさ」と言う。ちょっとぶっ飛ぶんだけれど、「宇佐」と言うのは青森の部族が命名したのではないのかな?

少し時代が下がり、有名な宇佐八幡神託事件と言うのがある。これは、天皇を道鏡に譲るかどうかに対し、宇佐が大きな権限を持っていたことを暗示している。宇佐は草壁として奈良に勢力を持っていたのではないだろうか。憶測ですが・・・。


リッセットしよう。

2008-02-11 09:43:55 | 古代史

ここニ、三日、江上波夫氏の本を読んでいる。騎馬民族渡来説を唱えた大先生の本だ。でも、少しも面白くない。その当時では画期的だったのだろうし、従来の歴史家達を震撼させたのだろうけど、現在ではこの説も単に体制側の歴史観の範中に収まってしまっている。つまり、日本書紀の中にその騎馬民族を当てはめ、従来の歴史観から脱却できていない。

何も、脱却しなければならないとは言わないけれど、従来の歴史では現実に存在する多くの素朴な疑問に何も答えれないのではないだろうか。

さて、天気もいいし、久しぶりにブックオフへ行く。

すばらしい!李寧熙(イ・ヨン・ヒ)の「天武と持統」が500円で見つけた。前からこの人の「韓国語で万葉集を読み解く」、を探していた。偶然にしても運がいい。

韓国語で万葉集を読み、壬申の乱を解き明かすと書いてある。うーん、面白そう。

それにしても、やはり私の研究は根本的に間違っているかもしれないと思わせるに十分な内容だ。

いくつかの万葉集の例が出ているけれど、大変だから、一つだけ紹介しよう。

原文 「三吉野之 耳我嶺爾 時無曾 雪者落家留 間無曾 雨者零計類 其雪之        時無如 其雨乃間無如 隈毛不落 念乍叙来 其山道乎  (巻1ー25 天武天皇の御歌)

<従来の読み下し> み吉野の 耳がの嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごとく  隈もおちず 思いつつぞ来し その山道を

<その意味> み吉野の 耳我の嶺に 絶え間なく雪がふるそうだ 休みなく降るそうだ その雪の 絶え間ないように その雨の休みないように 道の曲がり角ごとに 思いに沈みながら来た あの山道を

これは天武天皇が読んだ歌とされている。全く意味不明の詩ではないか。

この歌を読んで日本の万葉の時代を偲ぶことが出来る人は天才だろう。

一体、この歌を韓国人が読むとどうなるのだろう。

戦いが長引きそうだ、胸がつぶれそうだ、今すぐ出発しよう、悲しくて、どう行こう、また逢おう、無念でこのまま行けない、ああ悲しい、出発しよう、ああ無念だ、逢うことにしよう。クマの季節(高句麗の時代)が来る、重詐立つ、だから迂回しよう。

<その意味>

戦いが長くなりそうだ、出発しよう。しかし、悲しくておいそれと行かれようか。逢う日を期そう。無念で行く事が出来ない。ああ、悲しい。でも、出発しよう。また逢う事にしよう。「くま」の季節が必ずやってくる。重詐は立つ。だから、回り道しよう。(重詐とは占いの卦の一種のようだ。)

この韓国語の読みに関し、私は驚いてしまった。信じるかどうかは勝手なのだが、従来むりやり万葉仮名を使い、一生懸命に万葉集を味わっていた人の立場はどうなるのだろう。

それにしても、日本語による解釈では何もわからない。かといって、私に韓国語がわかる訳がない。これをどのように考えればよいのか、これは大問題だ。

仮に、朝鮮語で書かれていたものを、いかにも古代倭で読まれたものだと決め付け、勝手に解釈していたとしたらこれは、本当に大笑いだ。

言葉の勉強と言っても韓国語まではとても無理だし・・・・。困ったな。