追加で書きます。
ちょっと暇だったので、ネットで万葉集を検索してみた。
ほとんどの記事は朝鮮語で万葉集を読むことに、批判的というより、否定的であった。
トンデモ扱いなのだ。しかし、李寧熙さんの本は50万部のベストセラー、びっくりした歴史学会の人たちは、とにかくトンデモ扱いで抹殺しようとたくらんだに違いない。
私も以前から、そのような本があることは承知していたが、万葉集自体に興味がなかったから読む気はなかった。(ブックオフで見つけたから読んだのだ。)
そもそも、天皇が韓半島からやってきたと言う事を否定している学会の先生方が、万葉集を朝鮮語で読めることを認めるわけがない。当然、一言の元に否定するだろう。
そして、その否定派の論文を読んでみると、学術的には判らないが、とにかく素人に理解できる内容ではない。どちらでもいいのだ、彼等は否定することだけが目的なのだから。
ユダヤの情報操作のテクニックを使い、なるべく権威のある人が、「馬鹿なこと言うんじゃない!。」と言えば、誰も逆らう事はできない。
この種の学会のヒステリーはもはや感情であって、理論ではない。気分を害するだけだ。
彼等は、万葉集の中に日本語で解読できないのは、たったの数十首だけで、その数十を取り上げて、読める、読めないはおかしい。と言っている。そうではないだろう。読めないことが問題なのだ。日本人が読んだ詩は全部読めなければなるまい。
その、日本語で読めない数十首が古代朝鮮語で詠めるとしたら、それは朝鮮語で書かれたとしか言えないじゃないか。
先日、私はある学者にダン族の存在をメールで聞いてみた。ダンジリとダン族の関係だ。結果は、「妄想でしょう。学術的に何も面白いものはないですね。」であった。
彼等は、自分達の説に反するものを聞く耳は持たないのだ。自分達の世界を守るために研究をしている。私は確信している、学者が否定すればするほど、そこにはきっと真実があると言う事を。万葉集を朝鮮語で読み、地名を調べる事で真実が見えてくることを。
それが学術的に正しくなくてもいいじゃないか。学術的に正しいと言う事は、学会の審査に通り、先生方が認めたものを言うのだから、間違いなく通るわけがない。
学会なんて、そんなもんだ。認めてもらう必要などさらさらないね。