マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

万葉集を朝鮮語で読むな?(追加分)

2008-02-12 15:28:54 | インポート

追加で書きます。

ちょっと暇だったので、ネットで万葉集を検索してみた。

ほとんどの記事は朝鮮語で万葉集を読むことに、批判的というより、否定的であった。

トンデモ扱いなのだ。しかし、李寧熙さんの本は50万部のベストセラー、びっくりした歴史学会の人たちは、とにかくトンデモ扱いで抹殺しようとたくらんだに違いない。

私も以前から、そのような本があることは承知していたが、万葉集自体に興味がなかったから読む気はなかった。(ブックオフで見つけたから読んだのだ。)

そもそも、天皇が韓半島からやってきたと言う事を否定している学会の先生方が、万葉集を朝鮮語で読めることを認めるわけがない。当然、一言の元に否定するだろう。

そして、その否定派の論文を読んでみると、学術的には判らないが、とにかく素人に理解できる内容ではない。どちらでもいいのだ、彼等は否定することだけが目的なのだから。

ユダヤの情報操作のテクニックを使い、なるべく権威のある人が、「馬鹿なこと言うんじゃない!。」と言えば、誰も逆らう事はできない。

この種の学会のヒステリーはもはや感情であって、理論ではない。気分を害するだけだ。

彼等は、万葉集の中に日本語で解読できないのは、たったの数十首だけで、その数十を取り上げて、読める、読めないはおかしい。と言っている。そうではないだろう。読めないことが問題なのだ。日本人が読んだ詩は全部読めなければなるまい。

その、日本語で読めない数十首が古代朝鮮語で詠めるとしたら、それは朝鮮語で書かれたとしか言えないじゃないか。

先日、私はある学者にダン族の存在をメールで聞いてみた。ダンジリとダン族の関係だ。結果は、「妄想でしょう。学術的に何も面白いものはないですね。」であった。

彼等は、自分達の説に反するものを聞く耳は持たないのだ。自分達の世界を守るために研究をしている。私は確信している、学者が否定すればするほど、そこにはきっと真実があると言う事を。万葉集を朝鮮語で読み、地名を調べる事で真実が見えてくることを。

それが学術的に正しくなくてもいいじゃないか。学術的に正しいと言う事は、学会の審査に通り、先生方が認めたものを言うのだから、間違いなく通るわけがない。

学会なんて、そんなもんだ。認めてもらう必要などさらさらないね。


言葉の壁

2008-02-12 09:27:31 | 古代史

昨日は「万葉集」の解釈ですっかり参ってしまった。

結論として言える事は、天武、持統、あたりの支配者は新羅、百済、高句麗の人間であり、少なくとも万葉言葉を知らなかっただろうということだ。だから、古朝鮮語でしゃべったものを、統一言語である漢字で表記した。当時、朝鮮にはハングルもカタカナもなかったから、それしか方法はなかった。だから初期の頃の詩はヤマト言葉では読めるわけない。なのに、学者達は無理やりこじつけて、トンデモ解釈で一般人を騙したのだ。

ところが、時代が進み、やまとことばと、朝鮮語のバイリンガルが育ってくると、両方から読めるスペシャルな詩が作られたと思われる。(天才的だ)

万葉言葉でやさしい自然を唄い、ウラの朝鮮語で、卑猥な恋文を唄ったのだ。きっとそうだったんだろう。

問題なのは、この李寧熙(イ・ヨン・ヒ)さんの解釈によると、天武は高句麗人、持統は新羅人、高市皇子は天智の子ではない、などなど・・・、色々新説を唱えている。どれも私達には否定できないし、とても興味のある内容だ。(十分、日本史をひっくり返している。)

困るのは、古朝鮮語を知らない限り、著者の説を否定できないと言う事だ。以前、万葉集がヘブライ語で読めると言う事を聞いたことがある。これも同じで、ヘブライ語を知る人など、ほとんどいないのだから、誰も反論できないではないか。

一体、韓国語ブームだとはいえ、古朝鮮語をどの様にしたら知る事ができるのだろう。

ところで、草壁皇子が登場して思った。日下部が古代より「くさかべ」と読むのは有名な当て字だ。なんだ、簡単じゃないか、日下部は草壁なのだ。殺された草壁の存在を抹殺するために草壁の字を消したんだ。こんな事を古代では一生懸命にやったんだな。わざわざ我々にヒントを残してくれている。

万葉集は私達には手も足も出ないから、やっぱり、地名と人名を探るほうが簡単そうだ。

その、草だが、「kusa」はusaに通じる。宇佐八幡のusaは草壁と関連しそうだ。青森弁で「どこへ行くの?」というのを、「どさ」というらしい。そして、「湯(銭湯)へ行くんだ。」と言う意味を「ゆさ」と言う。ちょっとぶっ飛ぶんだけれど、「宇佐」と言うのは青森の部族が命名したのではないのかな?

少し時代が下がり、有名な宇佐八幡神託事件と言うのがある。これは、天皇を道鏡に譲るかどうかに対し、宇佐が大きな権限を持っていたことを暗示している。宇佐は草壁として奈良に勢力を持っていたのではないだろうか。憶測ですが・・・。