マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

アテルイの戦い

2008-02-25 09:32:06 | 古代史

だいぶん前に、青森の「ねぶた祭り」の事を書いた。アテルイが騙され都に連行され、処刑され後、青森に残った親族達が生き埋めにされ、その上を住民が死ぬまで踏み続るよう命令された。その悲しい記憶を後世に伝えるための祭りだと書いた事がある。

ねぶた、すなわち、根に蓋をしたという。これは八切氏の説で、それ以上の確証はない。しかし、学校では蝦夷征伐しか学んでいないが、ねぶたが単なるお祭りではないだろう。

昨日、ネットの「億のうそみち」を読んでいて驚いた。日本語の起源はウラル・アルタイ語といわれるが、そのアルタイが阿智(アルチ)に変じ、愛知になり、アテルイも同じ源だという。

応神二十年、倭漢直の祖、阿知使主(あちのおみ)17県を率いて来朝す。(日本書紀)とあり、応神天皇がそれらの系統だったことがわかる。

このアテルイは桓武時代に、坂上田村麻呂に征伐され、亡びたのだ。彼等の同族は愛知県にもいて、追いこまれ末、恵那から中津川方面に逃げたようで、その地には阿智神社がたくさんあり、ずいしょに狛犬が祀られている。ただし、彼等が東北へ逃げたと言う事ではなく、東北には同族たちがオホーツク海経由で侵入していたと見るべきだろう。

つまり、各地には色々な民族がばらばらに居住していたが、部族ごとにまとまりながらうまく共存していたと思われる。神社ごとに集落を作り、バランスはとれていた。すくなくとも、桓武までは・・・。

ウラルのうるはフルであり、夫余や高句麗のフルの御霊に通じる。結局、王族の一部は間違いなくウラル・アルタイから来ている。シュメール地方のウル王朝と関連するかどうかは、今のところなんともいえない。どちらにせよ騎馬民族は混血を繰り返したから、さかのぼることは非常に困難な作業だろう。

言語学者は日本語を独特な孤立言語と言い張るが、基本はアテルイ部族が定着させたウラル・アルタイ語だろう。

世界の中で、日本語の語順は騎馬民族特有のもので、学者も当然それは認めている。韓国語と日本語は兄弟か親子になるはずだが、万葉集はちょうどその境目に当たり、その意味で、韓国、日本にとって、貴重な遺物なのだ。

私の想像では、百済に存在した歌集を日本に持ち込んだものだと思う。もちろん後で追加したものは多いのだが。

「億のウソ道」さんや、万葉集の秘密のおかげで、今までまったくわからなかったことが見えてくる。歴史学者の本をいくら読んでも、結局彼等は本当のところへ行けないように誘導しているだけだった。(大半はおおうそつきだ。)夫余や高句麗の元を探ろうとは決してしないのだから。

どれだけの本を読んだのだろう。まったく、時間の無駄であった。

熱田神宮が天皇家とはまったく関係ないことも良くわかった。名古屋はアテルイ一族が支配していたにちがいない。

日本史の奥は深いな。しかし、少し疲れた。


2 コメント

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マヨ博士、ねぶた祭の歌はヘブライ語と言われてま... (まゆみ)
2008-02-25 23:59:14
マヨ博士、ねぶた祭の歌はヘブライ語と言われてますが意味をご存知ですか?
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歌は知りません、ご存知ならならどうか教えてくだ... (mayo)
2008-02-26 08:45:53
歌は知りません、ご存知ならならどうか教えてください。いろいろな祭りの掛け声の日本語訳?は聞いたことがありますが、ねぶたは記憶がありません。知りたいものです。日本の祭りの掛け声が、ほとんどヘブライ語と言われますが、神社とユダヤの関連を考えれば、むしろ当然だと思います。ただし、どのルートを通ってやってきたのかが解明したいですね。
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