マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

法華経

2008-02-28 09:46:55 | インポート

イージス艦の事件で、勝浦漁港の漁民達が太鼓?を打ち鳴らしながら「南妙法蓮華教・・・」と唱えていた。なんとなく違和感を覚えたので、少しだけ調べた。勝浦は筑前・宗像に勝浦(桂)があり、四国、南紀から上総まで続き、桂も含めると仙台までの主に太平洋沿岸に分布している。奈良の葛城との関連は不明だが、おそらく同族だろう。勝浦はからら(弁羅)から来たという説もあるが説得力に乏しい。

問題はこの地が、日蓮宗の開祖、日蓮が安房(あわ)小湊の生まれで、蒙古襲来の時代に立正安国論を著し、北条時時頼に献じたという、まさに日蓮宗発祥の土地だと言う事だ。。

鹿島氏の本で読んだのだが、日蓮は「元が日本を支配したほうが民衆は幸せになれる。」と説いていたという。鹿島氏は日蓮とモンゴル軍となんらかのつながりがあったことを匂わしている。

また、八切氏によると、源氏を亡ぼした北条への恨みを晴らすために、モンゴル軍は日本へわざわざ軍を派遣したという。もちろん、モンゴル帝国が義経によって作られた国だと言う事が前提でしか成り立たない話だが。

前にブログで、義経を教育した鞍馬寺は突厥族だと言った。つまり、天狗の狗は犬族で、源氏とは同族だった可能性はある。

さらに、鮮卑の拓跋族は北魏を建国した後、元と改名した。その元が後に日本に入り、源氏と名乗った。その源氏の貴種、頼朝を利用したのが北条氏で、天下を統一したとたん用済みとばかりに源家を亡ぼしてしまった。もう一人の貴種、義経は逃亡した後、大陸で大成功し、蒙古となった。その子孫フビライとしては、日本の北条氏にその仕返しをしに来るのは当然のことだろう。日蓮はその理由を知っていたため、将軍に謝罪を促したのではないだろうか。北条氏もずいぶん怖かっただろうよ。もちろん、正規な日本史でこんな説明はするはずがない。どうして北条氏が皇室に斡旋を申し出た理由が説明されていない。

今回の勝浦と源氏は関わりのないことかもしれないが、漁村の様子を見ていて、鎌倉時代がそのまま継続しているようで、いささかびっくりした。


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