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史上最強チームは?

2010年04月04日 03時20分21秒 | 日記
昨日に続いて高校野球の話を。

史上最強チームはどこか、というのがよく話題に上がりますね。私自身は、20年、30年前の野球と現在の野球ではレベルが違いすぎるので、この問いに対する答えはない、という、面白くもなんともない立場を取ります。

だって、昨日の試合でも、延長12回でも、両エースともに140km近い球を投げてましたよ。20年前の高校野球では考えられない事です。20年前なんて、140km投げれれば甲子園最速級でしたからね。彼らの技術・体力は著しい進歩を遂げていると思います。

が、あえて、その時代の中での突出度、前例が見当たらないほどのインパクトがあった高校を1つ挙げろと言われれば、私は


池田高校(82夏、83春)

を挙げます。当時のフィーバーぶりを知っている人はもうオジサン・オバサンだと思いますが、出てきた時にあれほどの衝撃を世の中に与えた高校は、少なくとも40歳の私にとっては後にも先にもありません。

まさに、高校野球のイメージを一新する、打って打って打ちまくる野球でした。テレビ見てても、もう爽快すぎて笑っちゃうくらい。田舎の(失礼)県立高校というのがまた、魅力的でした。昭和40年代後半の栃木県には、もっと超絶インパクトのある人がいたようですが、、、私の年代では分かりません。36イニング連続「無安打」(無失点じゃないよ)とか、栃木県大会5試合で被安打2とか、、、何それ!?まあ当時の彼は人間ではないということで(笑)。

83年夏の、PL vs 池田戦は、ちょうど中学の夏休みの登校日で見れませんでしたね。当時はビデオなんか無いので、学校がおわって一目散に自転車を漕いで帰宅して見ようと思ったのですが、すでに終わっていました。

俺「どっちが勝った?」
母「PL」
俺「そうか。ま、水野はデッドボールの後遺症もあるし、PLも強いからな(ここまでは平静)。で、スコアは?」
母「7-0」
俺「ええええええ!!!!」

当時あの池田が1年生投手に完封された事を知った時は、ぞっとしました。桑田、、、、恐ろしい奴だ、、、と。でも、その後のPLは85年の夏まで優勝はできなかったし、よく洗練されたスマートなチームという印象はありましたが、池田が登場した時ほどのインパクトではなかったんですよね。まあ、池田の直後だったからかもしれません。もちろん人によって感じ方は違うでしょうし、KKコンビの3年間の安定度を考えれば、池田より上なのかもしれませんが、こんなチームみたことねーっていう、インパクトという意味では、私の中では池田が圧倒的です。

あまり注目されませんが、KKのPLが85年夏に優勝した次の年の春の選抜で、再び池田が優勝しています。甲子園主役の座を池田から奪ったのがPLで、KKなき後、再び池田の時代か?とも思ったのですが、87はPLが春夏連覇だし。まあ、80年代は間違いなくこの2校が主役でしたね。

ちなみに、甲子園最大のスター選手を1人挙げろと言われれば、私は迷うことなく「松坂大輔」を挙げます。98年夏の最後の3試合は、もう漫画の世界です。間違いなく、特別な星の下に生まれた子だと、当時思いました。

2000年以降はあまり見ていませんが、この年代のNo.1は駒大苫小牧かな。ハンカチ王子がいなければ夏三連覇してたでしょうし。うーん、こう考えると、もっとも新しい時代に夏三連覇まであと1勝という所まで行った、駒苫が実力絶対値では最強なのかなー、やっぱり考えるほど分からなくなる。