まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

言葉の重み

2010年06月09日 22時44分28秒 | Weblog
今日は畑のようちえん。田んぼで泥遊びの日。

知り合いの有機農家に頼み遊ばせてもらう。

私は少し顔を出し、小屋に戻ってひたすらニンニクを剥いて根を切り落とす。
今年はモグラの被害もあって3分の1ぐらいは採れずに畑へ鋤き込む。

それでも2千個以上はあるからこれを剥いて、根を切るのに相当時間を費やす。この忙しい時期に小屋に引きこもって一日。でも終らない。

今小屋の中はニンニクと玉ネギで溢れかえっている。




以前手づくりの市での紹介で「このブログ商売としてはマイナスかなぁ」なんてふと思ったけど全く気に留めていなかったので今頃になって思い出す。

こうして一人PCに向かって文字を打つ。
すると心の底から伝えたいことが出てくる。それが世の中に対しての批判であったりする。

自分はある時から自由になったから、自由の為の訴えみたいな所がある。

例えばサラリーマンは世の中を良くしないとか。お客さまにサラリーマンの方は恐らく沢山おられるだろうに。
もちろん誰かを批判しているのではなく世の中の在り方に対しての訴え。


最近、世間の言葉に重みが無いと思う事が多い。
あるブログを見て「戦争が無くなれば良いのに」と安易に書いてあるのを見て口先だけの言葉に腹を立てた。

テレビを見て「戦争は悲惨だなぁ」とか「環境の為に何とかしなきゃ」とか、世間話のように語られ次の日には忘れられている事が多い。

環境に優しく、戦争をなくそう、平和に、貧困を無くそうとか、耳障りの良い言葉を書けば皆、フムフムと読んでくれるだろう。

でもその元。
何故それが起こるか?を突き詰めていくと自分達のくらしにある。
戦争、環境問題、貧困問題の原因って私たちにあってサラリーマンと言う業種の無い職業、経済活動にある。
テレビを見て「戦争反対」と言っても自分が戦争支持者であったりする世の中。
その言葉に重みがあると言えるだろうか?

私だって原子力反対と言って電気を使っている。

世の中は矛盾で成り立っているのも事実。

でも大事なのは自由を訴える力を持つこと。
自分に不利益であっても自由を訴えたい。
自由の為に日々くらしたい。
そこに矛盾があっても自由を願いたい。

出来るだけ心と頭と行動を一致させ言葉に重みを持たせたいと思う。


「最大の悲劇は悪人による言動、暴力よりも善人の無関心に他ならない」(キング牧師)


ズッキーニ・玉ネギ・ニンニクセット販売始めました。右のブックマークから。