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将棋の日記

米長永世棋聖

2013-01-09 00:46:20 | プロ棋界情報
米長永世棋聖の将棋の棋風は、正直に言って知らないです。

名人戦の米長名人vs羽生棋聖の将棋の内容も、詳細までは知らないです。
羽生棋聖が名人戦の第1局の舞台で、中飛車を用いたので、羽生棋聖に批判があったらしい。
※肩書きは当時のものです。

瀬川さんのプロ編入試験のときの会長が米長永世棋聖だったのは、他のブログの記事を見て知りました。
私は、中原会長と米長会長を混同していました。

ネット中継や大和証券杯も、米長会長が先駆者だったのは、他のブログの記事を見て知りました。
どちらかと言って、若手の棋士から提案があって、米長会長が時代の流れから総合的に判断して、決めた印象が強かったです。

米長永世棋聖が、ボンクラーズ(コンピューターソフト)と対戦して、敗れたことを本「われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る」として出版したことは、この本がまるで、米長永世棋聖の将棋界の遺産に思えてならないです。


ただ、私が高校生の時、米長玉を対振り飛車戦の時に、よく用いていました。
居飛車側で、左美濃に組んでから、銀冠にして、振り飛車の角筋を外す目的で、米長玉をよく用いました。
米長玉は終盤の指し方だと、米長永世棋聖はおっしゃっていましたが、今でもノーマルな振り飛車にも使える戦法だと思います。

米長永世棋聖の哀悼の意を祈ります。

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