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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

神の光

2009-04-19 17:12:04 | 聖書
「ヨハネの手紙 一」 を一緒に学ぼうと思います。

わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。
しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。
===== ヨハネの手紙 一 1章 5~10節 =====


イエス様は次のようにおっしゃっていました。

光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。
それが、もう裁きになっている。
悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
しかし、真理を行う者は光の方に来る。
その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。
===== ヨハネによる福音書 3章 19~21節 =====

これは、神は光であり、神は闇が全くないということです。 とイエス様がおっしゃいました。

神との交わりとは・・・?
闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。
光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスのイエスの血によってあらゆる罪から清められます。

私たちは、この世で生きている限り、闇の世界で生きていることになります。
しかし、闇の世界で生きていても、光は照らされているということが大事なことです。
クリスチャンは、闇の世界で生きていても、それは神の光に照らされて生きていることを、受け入れることです。
受け入れることによって、イエスの血によって、あらゆる罪から清められるということだと思います。

この世の闇は、神の光によって照らされていますが、私たち個人ではどうでしょうか?
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
と書かれてあるとおり、私たち個人は、神の前では罪人であるということです。

アダムとエバより善悪の知識の木の実によって、全人類が罪人(死ぬ存在)であるということです。
※罪のたどりつく先は、死であると考えると良いと思います。

よって、私たちは罪を行う存在であるということを、神の前で受け入れることが、大事なことなのです。
それが、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

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