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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

新しい掟

2009-04-30 13:28:16 | 聖書
今日も一緒に、「ヨハネの手紙 一」を一緒に学びましょう!

<まことの光>
愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。
この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。
しかし、わたしは新しい掟として書いています。
そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。
闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。
===== ヨハネの手紙 一 2章 7~8節 =====

新しい掟とは、イエスのまことの光が輝いていることです。
昔から、メシア(救い主)がこの世を救ってくださることは、聞いていました。
そのメシアは、この世に来たことによって、私たちには新鮮な出来事でした。
なので、おそらくそういう意味で、ヨハネは新しい掟と表現したと思います。


<初めから存在なさる方>
父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが、初めから存在なさる方を知っているからである。
若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。
===== ヨハネの手紙 一 2章 13節 =====

神様は、初めであり、終りであると、ヨハネの黙示録に出てきますね!
私たちは、地球の創造者である、神様を知っています。
神様(天のお父様、主の名はアドナイ)を知っています。
※ヘブライ語を勉強すると分かりますが、ヤハウェの4文字をアドナイと読みます。


<神の言葉>
若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが強く、神の言葉があなたがたの内にいつもあり、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。
===== ヨハネの手紙 一 2章 14節(後半部分) =====

神の言葉である聖書、イエスの言葉は、いつも私たちの内にあります。
神様は、光の方であり、愛の方であるということです。
私たちは、聖書の御言葉によって、照らされているということです。


いつまでも、神様の名が褒め称えられますように・・・。
アーメン!!!

神を知っている

2009-04-22 14:38:22 | 聖書
今日も一緒に、「ヨハネの手紙 一」を一緒に学びましょう!

わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。
たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。
わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。
「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。
しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。
これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。
神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。
===== ヨハネの手紙 一 2章 1~6節 =====


あなたがたが罪を犯さないようになるためです。
神の光の下で歩んで行きましょう、という意味です。

全世界の罪を償ういけにえです。
たとえ、罪を犯しても、光の下で歩むならば、イエス様より償って下さるという意味です。

「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。
神の光の下で歩みながら、闇を行う者は、偽りであると言っています。
ここでは、意図的に闇を行う意味です。

神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。
神の光の下で歩みながら、光の道を行う者には、神の愛が現れます。


ここで重要なことは、死にいたる私たちを、神の光の道へと歩むようにヨハネが進めていることです。
良い時、悪い時、楽しい時、苦しい時、若い時、老いた時など、どんな時でも、神の光の道を歩むことによって、神への希望、神の愛が現れるということです。

神の光

2009-04-19 17:12:04 | 聖書
「ヨハネの手紙 一」 を一緒に学ぼうと思います。

わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。
しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。
===== ヨハネの手紙 一 1章 5~10節 =====


イエス様は次のようにおっしゃっていました。

光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。
それが、もう裁きになっている。
悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
しかし、真理を行う者は光の方に来る。
その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。
===== ヨハネによる福音書 3章 19~21節 =====

これは、神は光であり、神は闇が全くないということです。 とイエス様がおっしゃいました。

神との交わりとは・・・?
闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。
光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスのイエスの血によってあらゆる罪から清められます。

私たちは、この世で生きている限り、闇の世界で生きていることになります。
しかし、闇の世界で生きていても、光は照らされているということが大事なことです。
クリスチャンは、闇の世界で生きていても、それは神の光に照らされて生きていることを、受け入れることです。
受け入れることによって、イエスの血によって、あらゆる罪から清められるということだと思います。

この世の闇は、神の光によって照らされていますが、私たち個人ではどうでしょうか?
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
と書かれてあるとおり、私たち個人は、神の前では罪人であるということです。

アダムとエバより善悪の知識の木の実によって、全人類が罪人(死ぬ存在)であるということです。
※罪のたどりつく先は、死であると考えると良いと思います。

よって、私たちは罪を行う存在であるということを、神の前で受け入れることが、大事なことなのです。
それが、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

イエス様を通して

2009-04-08 11:07:48 | 聖書
私たちは、神様の存在を知るにはどうしたら良いのでしょうか?
聖書には、イエス様を信じない者には神様が分からないと書かれています。

イエス様は、罪人と共にいてくれて、その罪人を愛して下さいました。
盲人の目を見えるようにして、40年間の患いを持った女を癒してあげて、徴税人のザーカイと共に食事をしました。
他にもたくさん、罪人を愛して下さいました。


聖書は、神様は私たちのことを次のように表現しています。
わたしの目にあなたは価高く、貴くわたしはあなたを愛しあなたの身代わりとして人を与え国々をあなたの魂の代わりとする。
===== イザヤ書 43章 4節 (新共同訳) =====

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
===== イザヤ書 43章 4節 (新改訳) =====

新改訳の方が有名ですね!

神様は、わたし(神様)の目にあなた(人)は価高く、貴くわたし(神様)はあなた(人)を愛しいます。
これは、身分の上下に関わらず、神様は私たちを愛しています。 というメッセージです。
もちろん、罪人も愛しておられます。


イエス様は次のように言っています。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。
===== ヨハネによる福音書 14章 7節 =====

次のように読みます。
あなたがた(私たち)がわたし(イエス)を知っているなら、わたし(イエス)の父(神様)をも知ることになる。今から、あなたがた(私たち)は父(神様)を知る。いや、既に父(神様)を見ている。


神様は私たちを愛してくれています。 しかし、神様を知るにはイエス様が救い主(メシア)として信じることが、必要であります。

ソロモン王の夢

2009-03-24 05:02:54 | 聖書
その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。
ソロモンは答えた。
「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。
またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。
わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。
しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。
そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
神はこう言われた。
「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた
見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。
わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。
生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」
ソロモンは目を覚まして、それが夢だと知った。
ソロモンはエルサレムに帰り、主の契約の箱の前に立って、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、家臣のすべてを招いて宴を張った。
===== 列王記上 3章 5~15節 =====

That night the Lord appeared to him in a dream and asked him, "What would you like me to give you?"
Solomon answered,
"You always showed great love for my father David, your servant, and he was good, loyal, and honest in his relation with you.
And you have continued to show him your great and constant love by giving him a son who today rules in his place.
O Lord God, you have let me succeed my father as king,
even though I am very young and don't know how to rule.
Here I am among the people you have chosen to be your own, a people who are so many that they cannot be counted.
So give me the wisdom I need to rule your people with justice and to know the difference between good and evil.
Otherwise, how would I ever be able to rule this great people of yours?"
The Lord was pleased that Solomon had asked for this,
and so he said to him,
"Because you have asked for the wisdom to rule justly, instead of long life for yourself or riches or the death of your enemies,
I will do what you have asked.
I will give you more wisdom and understanding than anyone has ever had before or will ever have again.
I will also give you what you have not asked for: all your life you will have wealth and honor, more than that of any other king.
And if you obey me and keep my laws and commands, as your father David did, I will give you a long life."
Solomon woke up and realized that God had spoken to him in the dream.
Then he went to Jerusalem and stood in front of the Lord's Covenant Box and offered burnt offerings and fellowship offerings to the Lord.
After that he gave a feast for all his officials.
===== 1King 3:5-15 =====

神様は、ソロモンのところに夢で現れました。
ソロモンが王位に即位する直前の出来事でした。

神様は、ソロモンが求めるものを与えたいと考えていました。
その問いに、ソロモンは「あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるよう」と求めました。

神様は、本当に不思議な出来事をするのですね!
神様を賛美して、褒め称えたいと思います。

赦すこと

2009-03-20 13:59:40 | 聖書
そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。
「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」
===== マタイによる福音書 18章 21-22節 =====

私たちは、人に嘘をつかれたり、性的なことが行われたり、身近な人が殺されたりすることがあります。

えっ! そういう人を赦すの?
そんなことは、感情的に赦すことは出来ないとはっきりと言います。

実は、人を赦せないということは、人が人を裁いていることになります。
人が人を裁いて良いのでしょうか?

実は、裁きを行う方は神様のみであります。
なので、次のように考えることが良いと思います。
「私は赦せない気持ちでいっぱいです。 しかし、人を裁くことはしません。 神様に裁きをお任せを致します。」

なので、裁きはすべて神様にお任せするというスタンスが大事だと思います。

2009-03-12 11:03:55 | 聖書
私は、旧約聖書、新約聖書の両方を重んじているので、比較的に旧約聖書の「神を畏れ、愛しなさい」という表現が多いと思います。

今日は、新約聖書の愛を書きたいと思います。

新約聖書では、「神は愛である」と書かれています。
===== ヨハネの手紙 一 4章 16節 =====

<< 抽象的な愛 >>
愛とは・・・!?
「コリントの信徒への手紙 一 13章」に愛について書かれています。

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。
ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。
預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。

・愛がなければ、わたしは騒がしいどら
何をしても愛がないところには、騒がしいことであります。

・山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい
どんなに神様に対する信仰があろうとも、神様を愛し、隣人を愛することが出来なければ、価値がないと書かれています。(無 = 価値がない)

・愛は忍耐強い。愛は情け深い。
忍耐と情けが愛には必要なことであります。

・不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は不義でなく、真実を喜ぶ。 愛の性質として、忍び、信じ、望み、耐えるとあります。

・それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
昔も今も未来も、残るものは、「信仰、希望、愛」であります。

・その中で最も大いなるものは、愛である。
1番大事なものは、「愛」であります。


<< 具体的な愛 >>
なんだか、少し抽象的ですね! 具体的に書かれている部分があります。
「ルカによる福音書 10章 25~37節」

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
イエスはお答えになった。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。
追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」

ある律法の専門家は、永遠の命を得るには何をすれば良いですか?
とイエス様に尋ねました。
イエス様は、聖書に何と書いてあるか? と確認しました。
律法の専門家は、次のように答えました。
1)心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい
2)隣人を自分のように愛しなさい
次の2点を答えました。

では、律法の専門家は隣人とは誰ですか?
イエス様は、具体的に答えました。
追いはぎを受けた方います。
しかし、祭司、レビ人、サマリア人の3人が通り過ぎました。
・祭司は、もちろんユダヤ教の聖職者であります。 キリスト教で言えば神父(牧師)の役職にある方です。
・レビ人は、祭司職の部族のことです。 12部族の中で土地を持たない部族です。 もちろん、レビ人は律法に精通しています。
・サマリア人は、ユダヤ人から迫害を受けていた民族であります。

しかし、サマリア人は追いはぎの方を手当をしました。
イエス様は、このサマリア人のようにすれば、隣人を愛することであると言われました。


愛は叫ぶものではありません。 実行するものだと思います。
しかし、それがなかなか出来ないですよね!

2009-02-24 23:14:28 | 聖書
神様は、聖霊です。

なので、私たちには見えない存在であります。
しかし、見えませんが存在している方であります。

主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」
==== 創世記 6章 3節 =====


実は、私たちの体の中には霊があります。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
==== 創世記 2章 7節 =====


生きる、死ぬは、霊が体から離れることを意味します。
「人は神の言葉で生きる」とは、霊によって生きることを意味します。

家と土台

2009-02-20 14:06:49 | 聖書
<<< 家と土台 >>>
マタイによる福音書 7章 24~27節

そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。
岩を土台としていたからである。
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。

あなたたちのことは知らない

2009-02-17 08:30:51 | 聖書
<<< あなたたちのことは知らない >>>
マタイによる福音書 7章 21~23節

わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。
かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。
そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。
『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』


簡単に言えば、神様とあなたの関係が義の方だけが、天の国に入るという意味だと思います。