これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

令和維新のすゝめ (その8)

2020-10-31 11:24:50 | 工業技術
★★★★ 技術革新と物作り ★★★★
【はじめに】
 2019年の消費税2%アップと新型コロナで、日本の経済はズタズタになっています。菅政権の最優先課題は、当面は『新型コロナの感染拡大を防ぎながら、経済の減速を最小限に抑える』、コロナ後には『経済を如何に回復させるか!』です。

 バブル崩壊(1991年~93年)の後に、即効性の無い漢方薬の様な減税対策や補助金支給をやって、『失われた20年』になってしまいました。こんな施策を続けたら、コロナ後の経済回復は出来ないのでは?

 今回は、日本の経済にとって将来も重要な、工業における物作りの話しです。 私の経験した事を書きます。

【ノーベル賞】
 今年・日本人はノーベル賞を貰えませんでした。ノーベル賞の受賞者数とGDP(国内総生産)は密接な関係が有ると言うコメンテーターがいます。 この説は一見真実の様に思えますが、日本のデータをベースにして考えた結論です。 ノーベル賞の受賞者数とGDPは、直接の関係は有りません。

 人類の発展にとって重要な事に、発明と発見が有ります。ノーベル賞は『発見』に対する賞の様です。『発見』は重要ですが、直ぐに金を産む事が少ないので、発見者に何か報いを与えるべきだと考えて、ノーベル賞が出来たのでは?

 逆に言えば、ノーベル賞の対象になる学問は経済の発展には直接関係しないか、影響が少ないのです。 「日本人がノーベル賞を貰えなくなったら、経済が後退する」と考えるのは誤りです。 中国人と元中国人の受賞者は8人、韓国人は金大中の1人だけですが、経済は発展しました。誰かの発見をベースにして、発明して→特許を取って→商品化したら儲かるのです。

 「ノーベル賞受賞者が誕生する様な教育をすべきだ!」と言う方がおられますが、一国に限ればノーベル賞受賞者が増えても経済が発展する分けでは有りません。「寧ろ、経済発展に貢献する人材を育成する教育が必要だ」と私は思います。素晴らしい研究者が必ずしも、若い人を上手に教えられるとは限らないのです。 (後日、私の考えている「教育改革について書きたい」と考えています。)

(余談) 誰でも知っている偉大な発明家・エジソンやアレクサンダー・グラハム・ベルは、ノーベル賞を受賞していません。

(余談) ノーベル賞には6部門有りますが、経済学賞、平和賞、文学賞は止めたらいいのにと考えています。経済学賞はアルフレッド・ノーベル(ノーベル財団)とは無関係です。スエーデンの国立銀行が設立した賞です。経済学者には申し訳ないですが、経済学を捏ね回しても、現在の経済は良くならないと思うからです。 寧ろ、「数学賞、考古学賞を新設したら良い」と思われませんか?

 平和賞は、ノーベルの遺言で始まりましたが、その選考委員はノールウェーの国会が選んでいて、(スエーデンでは無く)ノールウェー国が与える賞です。 「佐藤栄作、金大中、バラク・オバマ・・・の諸氏が世界平和に貢献した」と思われますか? 余りにも、政治的な賞だと思います。

 文学賞も止めた方が良いと思いますが、続けたいのなら『芸術賞』に改称して、文学だけでなく、音楽、絵画、陶芸などなどの賞にすべきです。

【安く作る工夫】
 安く作る工夫/考案は、新しい機械を開発するのと同じくらい重要です。 嘗て(かつて)、日本の多くの職場には『提案制度』が有りました。 生産性向上や品質アップが期待できる提案をすると、報奨金が貰えたのです。ブルーカラーの人達の、チョットしたアイディアが予想以上の効果を発揮したケースが多々有りました。

 戦後、日本の工業が急激に回復/成長出来たのは、「社員の提案を真摯に受け取る体制」が有ったからだと思います。「塵も積もれば山となる」と言いますが、チョットした提案が沢山積み重なると、職場は効率化して/活気が出て来るものです。社員の提案を大切にする企業は、品質を落とさないで『より安く』作れると私は思います。

 私が務めていた会社で提案制度が衰退したのは、報奨金の額を下げてノルマを課したからです。 多分、提案が重要だと気付いた頭でっかちのエリート社員が提案したのだと思います。 「採用賞には五百円ほど、努力賞には二百円ほど出すから、毎月・一人2件以上提案しろ」と言う様な規則を作りました。 目標の件数に達しない課の課長は、上から毎月怒られるので大変でした。

 文章を作るのが得意な社員が、本来の仕事をしないで職場を徘徊して、他人の提案書を作成するアルバイトを始めました。(課長は黙認していました。) 1件・五百円ほどで請け負っていた様でした。 100人から依頼されたら、毎月「100✕2✕500=100,000円」も小遣いが稼げた分けです。 更に、問題だったのは審査担当者でした。 本業の仕事をしながら、沢山の提案書を読んで、採用賞と努力賞を決定して、お金を配って回ったのです。

 素晴らしいアイディアを期待するのであれば、ノルマを課しては駄目です。素晴らしいアイディアは、次から次へと湧いて来るものでは有りません。 会社の経営者に次のアドバイスをします。

① 社員に問題意識を持ってもらい、無駄を省くには?品質を向上するには?・・・何時も考えてもらいましょう!(アイディアが湧く社員は少数です。出来ない社員に強制するのは止めましょう!)
② 愛社/愛職場精神が持てる雰囲気作りが必要です。
③ 提案の内容を吟味しましょう。効果の期待出来そうな提案には、納得出来る報奨金を出しましょう!
④ 検査成績書を改竄する様な不正が横行する企業では、素晴らしい提案を期待するのは無理です。
⑤ 悪徳御用組合が暗躍する会社が、社員の提案を期待するのも無理です。

(余談 :頭でっかちの人間が作ったら駄目な例)
 私が務めていた会社が、1990年頃に広い!広い!機械工場を建てました。メインの建物は370m✕340m程も有りました。(その面積は、甲子園球場や東京ドームのグラウンド面積の10倍ほどになります。) 私は、その横に建てた事務所棟で4年程勤務しました。

 着任して直ぐに、工場を見て回りました。知り合いのブルーカラー社員が沢山いたので、挨拶したのですが、皆さん異口同音に「不便で仕事にならない」と言うのです。この工場には、機械部品の加工、機械の組立/試運転、梱包/出荷、外注部品や機器の受け入れ/保管などのスペースと、巨大な自動倉庫が有りました。

 この工場は原則『受注生産品』を扱っていました。 〘受注生産品は、顧客の要望を聞いて→設計して→生産するのです。見込み生産品(汎用品)は別の工場で生産していました。〙受注生産品でも、機械の基本部分には殆ど変更が無いので、図面の大半は繰り返し使用されました。 品質保証の基本の一つは図面の管理です。 現場で使用する図面には朱印を押して、工場内に設けた図面管理室にブルーカラー社員が取りに行って、作業が完了したら速やかに返却する事になっていました。設計者が勝手に図面を持ち込むのは、硬く禁止されていました。

 問題は、広い工場の中に図面管理室が一か所しか無かったことです。一枚の図面を借りて/返すのに2往復・1km以上歩く必要が有りました。

 測定工具(マイクロメータ、ノギス、ダイヤルゲージなど)の管理も重要です。工場内に一か所設けられた工具管理室から、検査済みの工具を借りて/測定が終わったら返す事になっていました。 測定工具を1個借りるのにも、1km以上歩く必要が有ったのです。

 私が一番ビックリしたのは、自動倉庫の籠です。籠は頑丈な金網製でしたが、網目が10cm以上も有るのです。 自動倉庫の責任者に、「こんな籠に小さな部品を入れたら落下してしまう」と言うと、近くで働いていた数人が集まって来て、「スタッフに何回も言っているのに改善してくれない。貴方から言ってくれ」と頼まれました。 完全なルール違反でしたが、私は小さな部品や機器を、自分で受け取って組立場に持って行きました。

 籠に入らない大きな物を並べるスペースが設けられていて、担当者が何人かいましたが、毎日多量に入って来るので、彼等でも置き場所が分からなくなるケースが多々有りました。手配した設計者は形状とサイズが分かるので、「探して下さい!」と電話が掛かって来ました。私は何回も呼び出されました。 結構・区分けして置いていましたが、モータだけでも百台以上並んでいて、探すのは大変でした。

(余談 :教訓)
 人間が新たに作った物では最初・大抵不具合が発生します。不具合を早期に洗い出して対策をする事が肝要なのです。(これは、法律や政府の施策でも同じです。)

 前述の工場の工場長(K氏)は常務になられていましたが、その前に別のセクションの平取の時、K氏の首が掛かった開発が暗礁に乗り上げていました。 急遽・私が引き継いで成功させました。開発の目途が立った時、K氏は料亭で宴会を催してくれ、「この借りは必ず返す」と言ってくれていたのですが、新工場では私に傲慢な態度を取りました。

 K氏に報告する時は、直立不動が要求されました。何回か会議に参加しましたが、メンバーの意見を聞くのでは無く、K氏が長々と自分の考えを喋る会議でした。 私は、二、三回意見を述べようとしましたが、話し始めると直ぐに怒鳴り出すのです。工場の問題点をK氏に報告する事は、誰にも出来なかったのです。

 結局、K氏が工場長の間は改善は進みませんでした。傲慢な態度を続け無かったら、この工場の売り上げが二、三百億円ほど有ったので、更に業績を伸ばしてK氏は専務になる事が出来たと思いました。

【生産コストの把握が必要です】
 私は中小企業と一緒に仕事をしたり、出向して働いたりしました。中小企業の多くは、自社製品の製造コストを把握していませんでした。期末に帳簿を締めて、初めて赤字/黒字が分かる有り様だったのです。

 生産コストを下げる為には、何にナンボ掛かるのか?把握する事から始める必要が有ります。素材費、加工外注費、社内加工費、塗装費、組立費、検査/試運転日、出荷/梱包費・・・等をそれぞれ把握する必要が有るのです。一見簡単な様に見えますが、結構難しいです。 特に社内の作業時間を、「どの仕事に何時間掛かったのか?」分析するのは難しいです。(細部に拘わらないで、ザックと集計するのがポイントだと私は考え、実践しました。)

 私は中小企業に出向しても設計と開発の仕事をしたのですが、時間を作って生産コストを算出する為のデータを集め、見積積算プログラムを作成しました。 問題点が沢山見つかって、加工外注先を変えたり、購入ルートを変えたりしました。 私が別の会社に移った後、多分・私が作成した資料やプログラムは使ってくれなかったと思います。(「生産コストを把握する事が重要だ!」と言う意識を、中小企業で定着させるのは難しく、時間が掛かります。)

 某社では、その会社でしか製造できない(昔から製造していた)機械を生産コスト以下(大幅な赤字)で売っていました。 顧客にとっては必要不可欠な機械でしたから、値上げを受け入れてくれると思ったのですが、社長は反対しました。 何とか社長を説得して、取引の少ない会社に価格アップの交渉をして見たら、すんなりと受け入れてくれました。

 私は東京勤務の時、(小遣いで)定時後に中小企業診断士の教室に通って勉強しました。最初から資格試験を受けるつもりは有りませんでした。 入社以来、中小企業の社長達と付き合っていたのですが、アドバイスを受け付ける様な社長は殆どいませんでした。 社員の提案を殆ど受け付けない社長が、金を出して中小企業診断士を雇うとは思えなかったので、私は資格を取らなかったのです。 勉強にはなりました。

 「どんなにしたら、より多くの中小企業が自社製品の生産コストを把握出来る様になるか?」色々考えているのですが、妙案は浮かびません。 思い付きですが、「工業高校で生産コストの集計方法と重要性を教える」案はどうでしょうか?! 「中小企業診断士を国の金で派遣する」案には賛成出来ません。

【中小企業は大切な存在です!】
 日本には中小企業庁が有り、中小企業基本法も有って、税制優遇などで中小企業を保護しています。 然し、私の目から見ると、「現場に足を踏み入れた事の無い、政治家と官僚達が昔ながらの経営をしている会社を支援/保護している」様に思えるのです。素晴らしい技術を持っていたり、種々工夫して頑張っている会社が沢山有ります。 官僚諸君!、机に”へばりつかない”で、そんな会社を見つけ出して、重点的に支援して下さい。

 20世紀の末頃から、日本では大手企業が需要の少ない分野(ニッチ)から撤退する様になって来ました。 中小企業は大企業の下請けのイメージが強いですが、大企業が抜けたニッチで活躍している会社も多々有ります。 こう言う会社は、小規模でも大企業並みの給料が出せます。

 私は中小企業に出向して、求人の仕事もしました。 求人倍率が『0.9』以上になると、中小企業に応募する人は少なくなります。 特に、機械工(工作機械のオペレーター)の求人は難しかったです。 機械工になりたい若者が少なく、経験豊富な機械工は自宅から遠いい職場に移るのを嫌がる傾向が有る様に思います。

 中小企業の税制優遇なども必要でしょうが、”金”以外にも「人が集まらない!」等々、中小企業の悩みを官僚諸君は聞いて回る必要が有ると思います。

【廃業してしまっていた!】
 日本の悪い慣例の一つに、適正価格では無く『叩いて!叩いて!買う』が有ります。某大手企業が大金を投入して生産ラインを大改造する計画を進めていました。私の勤めていた会社の機械を買ってくれる事になったのですが、そのラインに不可欠な装置を製造していた会社が全て撤退している事が分かりました。

 その装置の設計/製造には経験とノーハウが必要でしたが、修理は町工場でも出来ました。安いい価格を要求されて、メンテナンスもさせて貰えないので十年程の間に全ての会社が撤退していたのです。 私の会社の社長が安請け合いして、私が製造して貰える会社を探す事になりました。八方手を尽くして、関東の田舎に大昔に製造していた会社が現存している事が分かりました。

 電話では、「来て頂いても、期待には沿えない」と言われたのですが、他に当てが無いので出掛けました。 結構大きな工場でしたが、古い!古い!建物でした。社長は45歳ほどでしたが、社員は10名ほどしかいなくて55歳~70歳程に見えました。 全く別の分野の仕事をしていました。 社長は、「社員が全て60歳以上になったら会社を閉める計画だ」と言われました。 「今の仕事は少し儲かっているが、東京に近いから求人を出しても応募が殆ど無い。」様な話をされました。

 更に調査しましたが、見付からないので再度説得に行きました。 「顧客の計画を聞いても良い」と言ってくれたので、帰りに途中下車して顧客を訪問して、「次回、資料を持って私に同行して欲しい」と話したら、「資料は渡すが、出張は出来ない」と言い出しました。

 結局・私一人で三回目の出張をしました。工場長が顧客の計画資料を見て、「こんな現象が起こるので、この計画は成り立たない」と明言されました。帰社後、シミュレーションプログラムを作成して検討したら、工場長の予想通りの結果になりました。この装置が無いと顧客の大改造計画が成立しないのです。

 この改造計画には顧客担当者の課長昇格が掛かっていて、工場の偉い方から「君の会社には損はさせないから、君の会社経由で受けてくれ」と言われました。 それで、種々の工夫を加えた構造にして、シミュレーションプログラムを修正して、何とか成りたちそうな所まで持っていきました。 結局、現地で少し改造が必要になりましたが、何とか完成させる事が出来ました。

(余談) 普通・改造工事をする場合は、改造前の機械や装置を切断したりしてスクラップにしますが、この時は人手を掛けて再組立出来る様にして取り外しました。万一私の担当した装置が旨く出来なかったら、元に戻す事まで顧客は考えてくれていたのです。

 別の工場から、別の装置で同様の依頼が有りました。 別の会社に出向した時も、メーカーが撤退してしまった機械の製造依頼が来ました。 「昔は出来たのに、今は作れない」のは、正倉院の御物の話しだけでは有りません。


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