★★★★ 少子化対策 ★★★★
今回は、少子化対策の最終稿です。
【はじめに】
比較的簡単に伴侶が見つかって、悩む事無く子供が出来て、楽しい家庭を築いた方が多いいと思います。 然し、世の中には、結婚出来無かったり、子宝に恵まれ無かったカップルも沢山います。 今回はそんな例を幾つか書きます。人は色々ですから、少子化対策は難しい事だと思います。
【避 妊】
セックスを楽しみたいと言うのは、男女を問わず人間の本能です。 「妊娠を心配しないでやりたい」と言う神の意思に反する願望は大昔から有る様です。 コンドームは5,000年前のエジプトが起源だそうです。 『コンドーム』は17世紀のイタリア人の名前だと言う説が有ります。 17世紀のコンドームは牛の腸膜製だった様です。20世紀の初めに、ゴム製が作られる様になりました。
戦後、日本でもコンドームが普及し、その他の避妊具と避妊薬も普及して、少子化が問題になる様になりました。換言すると、人類の長い!長い!歴史の中で、この百年間は「子供を儲けるかどうか?」をカップルの意思で決める時代になったのです。少子化対策とは、カップルの意思を「子供を産もう!」と言う方向に誘導する事です。
(余談) 私は会社の名前の入った大きな独身寮に入りました。そこに二、三年先輩の二人の男性がいて、私と同じ部に所属していました。 彼らはコンドームの通信販売を始めました。 宛先に大手企業の名前が入っていますから、顧客も安心です。段々と注文が増えて来ました。毎日・十通以上、注文の手紙が来る様になりました。 商売は大繫盛になったのです。 (昔は若い奥さんが対面でコンドームを買うのが恥ずかしかったのです。)
寮長が不信に思って、彼等の押し入れを開けたら、溢れる程のコンドームが有ったそうです。アルバイトは社内規定で禁止されており、会社の名前を利用するのは以ての外でしたので、「商売を続けるのなら、会社を辞めろ」と言ったそうです。私は寮長と親しかったのですが、「あいつら、一生コンドームを買う必要が無い!」と笑っていました。
【流 産】
余程・親しい関係で無いと、奥さんが流産した事は分かりません。 40歳・少し前に、高給を得ていた男性と結婚した女性がいました。直ぐに一人目は出来たのですが、その後は流産を繰り返して、結局二人目は授かりませんでした。
彼女は持病の無い、健康な方で今でもお元気です。 女性が40歳を過ぎると、流産する確率が高くなる様です。 出産適齢期(20歳~35歳)に産んで貰える様にするのが、少子化対策のポイントの一つです。
(余談) 男性も加齢と供に異常な精子が混じる様になるそうですが、卵子を我が物にする為に、精子達は過酷な競争をして、正常な/元気な精子が最初に到達出来る事になります。その為に、男性は年をとっても元気な子供が授かるのです。 山本五十六は、お父さんが56歳の時に生まれました。 (私の幼友達に五二君がいます。てっきり父親が52歳の時に生まれたのだと思っていましたが、父親に会ったら若くてビックリしました。名前を考えるのが面倒くさかったので、5月2日生まれだから『五二(ごに)』にしたそうです。)
【薬の為に子供を諦めたカップル】
大規模農家が二軒あって、その一人息子(K氏)と一人娘が結婚しました。K氏は家業を継がずに私が勤務していた会社で働いていました。 二十歳代で結婚したのですが、結婚して直ぐに耳鼻科の病気になって、強い薬を服用する様になってしまいました。 医者から、「この薬を飲んでいる間に子供を儲けると、奇形児になる可能性が有る」と言われたそうです。
K氏は薬を飲み続けていたのですが、45歳頃・奇蹟が起こった様に完治しました。完治祝いの席を設けたのですが、「更年期だから子供は諦めている」と寂しそうに言いました。
(余談) K氏が30歳代の時に、両家の両親が相次いで亡くなりました。大きな二軒の家屋敷と数町歩の田圃を相続し、誰かに委託していた様でした。
【趣味に生きた男性】
結構・魅力的な男性なのに、独身で趣味に生きた方を二人知っています。その一人のF氏は大手優良企業の社員で、私が面識を得たのは彼が定年になる2年程前でした。 何時も、高価そうな趣味の良い服装で、十歳は若くみえました。 F氏の趣味はスキューバダイビングで、年に何回か一週間ほどの休暇を取って、インドネシアに一人で出掛けていました。
もう一人のG氏は、仲間三人で設計会社を設立して、私が勤務していた会社に出向して、同じ機械を担当していました。彼等は正社員よりも担当の機械を熟知していて、会社に取って無くてはならない存在だったので、出向者としては破格の賃金を得ていたと思いました。
二人は結婚して子供さんがいましたが、G氏は独身でした。高校時代からサーフィンに夢中になって、40歳を過ぎても休日には大抵、サーフィンに出掛けていました。多分・一生独身で過ごしたと思います。
【超過保護で育った男性】
私の親戚に一人っ子で超過保護で育った男性(M1氏)がいます。M1氏は40歳を過ぎていて、学校を出てから一度も就職しておらず、家に閉じこもって暮らしている様です。勿論・独身です。M1氏の父親(M2氏)も一人っ子で、彼も超過保護で育った様です。M2氏の父親(祖父=M3氏)は、税務署長で定年を迎えたので、節税対策は得意だったと思われます。 M2氏が私の親戚の女性と結婚して数年後に、沢山の不動産と預貯金を残して亡くなりました。
M2氏は私の親戚の冠婚葬祭には何時も、奥さんとM1氏を連れて参加しました。私は、まだM1氏が幼い頃から話をしようとしましたが、話し始めると直ぐにM2氏か奥さんが飛んできて間に入りました。 その為に何時も短い会話でしたが、M1氏は私とは真面に話が出来ました。
M2氏は定年退職しても、質素な暮らしをして、貸家などの収入をセッセト貯金している様です。M1氏が一人になっても困らない様にと考えているのだと想像します。私には本末転倒の様に思えるのですが!?
【若くして大成功した男性】
若い時に起業して大成功した男性(O氏)がいます。ガムシャラに働いて、結婚したいと考え出した時は、40歳近くになっていました。 バブル崩壊後・数年経っていましたが、彼の所得は羨ましい額でした。
彼は、積極的に婚活を始め、気に入った女性とデートするのですが、「金目当てでは?」と疑ってしまい、別の女性と付き合っても・また疑って・・・。 母親から「結婚相手を探して欲しい」と依頼されました。 私は、「正直に年収を女性に告げたら、普通の女性でも金目当てに変貌してしまう!」とアドバイスしました。 「年収は誤魔化せても、会社名と役職(社長)は正直に書かないと、婚活会社は受け付けてくれません。交際を始めると女性が調べて、年収がバレテしまいます」と言われました。 結局、彼は今でも独身の様です。
【1960年頃に結婚した男性の話し】
大昔の羨ましい二人の男性(N氏とM氏)の話しです。 N氏はダンディで多趣味、話し上手な方でした。 M氏の方は、ブ男では有りませんでしたが、優しいと言う以外に褒め言葉が有りません。極普通の方でした。
共通するのは、大学卒で、結婚した時期(1960年頃)がほぼ同じで、超高収入を得ていた女性の方からプロポーズされた事です。 二人とも結婚して最初の給料を奥さんに渡そうとしたら、「貴方の給料は当てにしていません。小遣いにして下さい」と言われたそうです。 N氏の奥さんはブティックを数店経営されていて、M氏の奥さんは美容院を数店持っていました。
奥さん達は超多忙だった様で、結局子供は儲けられませんでした。今の様に保育園が沢山有って/充実していたら、子供を産んでいたかも知れません。
(余談) N氏は中規模の会社の重役になられ、M氏は大企業の部長になられたので、結構な年収が有ったと想像しますが、定年まで給料は全て小遣いだった様です。 私は、二人に二、三回・洒落た店で御馳走になりました。
【親の介護で結婚が遅れた女性】
娘さんが一人の家が有ったのですが、娘さんが30歳くらいの頃、両親が相次いで癌になって自宅療養をしていました。 娘さんは会社を辞めて、両親の面倒を見ました。 二人を見送った時、35歳を過ぎていたと思います。
近所の人達が結婚相手を探して上げようと努力しました。私の所に、「料理も上手だ・・・」と言う手紙を同封して、ポートレートが届きました。綺麗な優しそうな女性でした。出向していた会社に四、五歳年下の男性がいたのでポートレートを見て貰いましたが、会う所まで行きませんでした。
結局、彼女が40歳になった頃、実家を処分して両親の故郷に帰って行ったそうです。暫くして、「結婚した」と連絡が有った様ですが、子供は授からなかった様です。
【難産だった奥さん】
100所帯以上が入った社宅に住んでいた時の話しです。「YK氏は高級ソープランドに行っている」と言う噂が、社内と社宅で広がりました。 赤ちゃんを抱いたYK氏の奥さんを、私は社宅で時々見掛けました。まだ二十歳代の綺麗な方でした。 「初産が難産で、以来・怖くてセックス出来なくなってしまったので、高級ソープランドに月に一回だけ行って貰っている」と奥さんが言われたそうです。 そんな事を聞き出した人は、鬼ですね!
(余談) 社員の誰かがソープランド街に行って、たまたま見掛けたYK氏の後をつけて、噂を広めたのだと思います。「君もソープランドを利用したのだろう!」と言ってやりたかったです! 『武士の情け』は無くなってしまったのです。
【出産と転勤拒否】
私が勤務していた会社では、理由の如何を問わず・転勤を拒否すると、その時点で昇格がストップしました。この社内ルールは、私が定年退職する時も存続していた様です。最初に配属された部にいた、数年先輩の男性社員二人の話しです。彼等の奥さんが相次いで出産されました。 出産二、三ヶ月後、それぞれに遠隔地への転勤辞令が出ました。彼等の奥さんは”産後の肥立ちが悪く”、二人とも転勤を拒否しました。
その内の一人(KO氏)が、私が出向した会社に一年ほど遅れて出向して来ました。KO氏は仕事に情熱が湧かない、駄目社員になっていました。 KO氏は日本酒が好きで、私をよく呑み屋に誘うので、たまに相手をしました。彼の悲惨な人生を延々と話すので、楽しい酒にはなりませんでした。奥さんは、出産後・重症の鬱病になり、入院して時々自宅に帰り、数日後に入院する様な生活をしていた様でした。数年すると、医者の許可が出ても「病院の外は怖い」と言い出して、以来、病院を出る事が無かったそうです。(KO氏が奥さんと、普通に暮らしたのは3年ほどでした。)
産後・1年程した時、奥さんの御両親が、「子供は私達が育てるから、娘と離婚して、新しい人生を始めなさい」と言われたそうですが、彼は断って息子を一人で育てました。最後にKO氏と会った時、息子さんは30歳程になっていましたが、「仕事にも就かず、僕から毎月小遣いを貰って、年上の女性と同棲している」と嘆いていました。
【子連れの女性と結婚した友人】
入社同期の友人の二人(H氏とS氏)が、女の子を連れた女性と結婚しました。 そして、2組とも結婚して、直ぐに子供が出来ました。 H氏の方は、奥さんが専業主婦になられ、暫くして三人目も誕生して、三人とも立派に育てられました。
S氏の方は、奥さんが優秀な(コンピューターの)プログラマーでした。結婚した時、退職されて専業主婦になっていました。上の子は幼稚園児で、下の子が一歳になった頃、「高給を出すから、復帰して欲しい」と何回も誘われたので再就職しました。S氏は内心、再就職には反対だった様で、私と飲んでいる時、時々「僕より高給だから!」と寂しそうに言いました。
40年ほど前でしたので、学童保育は充実しておらず、上の子は『鍵っ子』になってしまいました。小学校の高学年になった頃から、時々・登校しなくなり、無試験で入れる様な私立の高校に入学しましたが、殆ど登校せずに、中退してしまいました。
【鋭利な刃物が怖い】
三十歳前後の二人の男性が電車の中で話していました。 「美人の○○さんは、まだ独身らしいね!」、「彼女は結婚出来ないよ! 包丁や針の様な鋭利な物が怖いらしい。 料理を作った事が無い」・・・と言うのです。
知り合いの医者に話したら、『先端恐怖症』と言うそうです。「時間が掛かる様だが、治るケースも多々有る様だ」と言いました。 彼女の様な場合は、決して恥ずかしい事では無いですから、家族だけで悩まないで医師の力を借りるべきです。 多分、健康保険の対象になっていると思われます。
【子供がいると嘘ついた男性】
大手重電(ME社)の協力会社に出向した時、ME社が雇った設計の派遣社員(T氏)がいました。 狭い設計室で、T氏と私・二人で仕事をしました。 T氏は楽しそうに、一人息子の話をするのです。
二、三ヶ月後に、経理の女性に「T氏は息子の自慢話しをする」と言うと、「Tさんは、独身で御父さんと二人で暮らしている、子供はいませんよ!」と不思議そうに言いました。その後、私に嘘がバレたと気付いたのか?息子の話しはしなくなりました。 彼は日頃、「息子がいたら、こうして遣ろう!ああして遣ろう!」と想像して、楽しんでいたのだと思います。 だから、実際に有った事の様に話せたのだと思いました。
【不思議な男性の話し】
これも、中小企業に出向した時の話しです。50歳代の男性設計担当者(N氏)を採用しました。 面接の時は、「某大手企業で20年ほど設計をやった」と言っていましたが、仕事を始めるとレベルが非常に低い事が分かりました。
N氏の履歴書には『内縁の妻』との記載がありましたが、三、四ヶ月後に、N氏には正妻さんがいる事がバレテしまいました。N氏の給料は大学卒の新入社員程度しか有りませんでしたが、「その一部を正妻さんに渡して、学校の先生をしている『内縁の妻』の給料で生活している」と話しました。 二人の女性には子供はいませんでした。
N氏は、ブ男では有りませんでしたが、中肉中背の話し上手でもない普通の男性でした。 N氏は、一年も経たない内に辞表を提出して、何所かに行ってしまったのですが、パートの女性達は「二人の女性がN氏を離さないのは何故か?」勝手に類推して、楽しそうに喋っていました。
(余談 :一生独身だった男性の話し)
この話は、1995年頃に親しくしていた同僚から聞きました。 大昔、(多分・大正時代だったと思いますが、)大阪に長男(A氏)と次男(B氏)・二人息子の資産家が有りました。B氏は、勘当されて家を出た切り音信不通になってしまいました。 A氏が若い時に両親が亡くなられ、沢山の遺産を相続したそうです。
遺産には数区画(数番地分)に建つ・賃貸の多数の長屋が含まれていて、第二次世界大戦時にこの長屋群は震災を免れました。 家賃の取り立てや長屋の補修などは、全て弁護士(C氏)に任せていました。 A氏は生涯独身で、古い実家で料理・洗濯・掃除を全て自分でやって、質素な暮らしを続けたそうです。 1990年頃から、年老いたA氏は通いの家政婦を雇って、1997年頃に亡くなられました。
昔は”見合い結婚”が主流でしたが、「金目当ての話しが続いて、A氏は嫌になって、生涯独身だったのでは?」と、私は勝手に想像しました。
A氏が亡くなられた後で、弁護士(C氏)が相続人の次男(B氏)を探したら、関東に住んでいた事が簡単に分かりました。 B氏は既に亡くなっていて、一人息子が生存されていたそうです。 二、三区画分の長屋を解体→整地→現物納付で税金を納める事になりました。
私の同僚は、解体される長屋群に住んでいたので、心配していましたが、予想していたより高額の立ち退き料が出る事になりました。 彼は、その金を基にマンションが購入出来て喜んでいました。
今回は、少子化対策の最終稿です。
【はじめに】
比較的簡単に伴侶が見つかって、悩む事無く子供が出来て、楽しい家庭を築いた方が多いいと思います。 然し、世の中には、結婚出来無かったり、子宝に恵まれ無かったカップルも沢山います。 今回はそんな例を幾つか書きます。人は色々ですから、少子化対策は難しい事だと思います。
【避 妊】
セックスを楽しみたいと言うのは、男女を問わず人間の本能です。 「妊娠を心配しないでやりたい」と言う神の意思に反する願望は大昔から有る様です。 コンドームは5,000年前のエジプトが起源だそうです。 『コンドーム』は17世紀のイタリア人の名前だと言う説が有ります。 17世紀のコンドームは牛の腸膜製だった様です。20世紀の初めに、ゴム製が作られる様になりました。
戦後、日本でもコンドームが普及し、その他の避妊具と避妊薬も普及して、少子化が問題になる様になりました。換言すると、人類の長い!長い!歴史の中で、この百年間は「子供を儲けるかどうか?」をカップルの意思で決める時代になったのです。少子化対策とは、カップルの意思を「子供を産もう!」と言う方向に誘導する事です。
(余談) 私は会社の名前の入った大きな独身寮に入りました。そこに二、三年先輩の二人の男性がいて、私と同じ部に所属していました。 彼らはコンドームの通信販売を始めました。 宛先に大手企業の名前が入っていますから、顧客も安心です。段々と注文が増えて来ました。毎日・十通以上、注文の手紙が来る様になりました。 商売は大繫盛になったのです。 (昔は若い奥さんが対面でコンドームを買うのが恥ずかしかったのです。)
寮長が不信に思って、彼等の押し入れを開けたら、溢れる程のコンドームが有ったそうです。アルバイトは社内規定で禁止されており、会社の名前を利用するのは以ての外でしたので、「商売を続けるのなら、会社を辞めろ」と言ったそうです。私は寮長と親しかったのですが、「あいつら、一生コンドームを買う必要が無い!」と笑っていました。
【流 産】
余程・親しい関係で無いと、奥さんが流産した事は分かりません。 40歳・少し前に、高給を得ていた男性と結婚した女性がいました。直ぐに一人目は出来たのですが、その後は流産を繰り返して、結局二人目は授かりませんでした。
彼女は持病の無い、健康な方で今でもお元気です。 女性が40歳を過ぎると、流産する確率が高くなる様です。 出産適齢期(20歳~35歳)に産んで貰える様にするのが、少子化対策のポイントの一つです。
(余談) 男性も加齢と供に異常な精子が混じる様になるそうですが、卵子を我が物にする為に、精子達は過酷な競争をして、正常な/元気な精子が最初に到達出来る事になります。その為に、男性は年をとっても元気な子供が授かるのです。 山本五十六は、お父さんが56歳の時に生まれました。 (私の幼友達に五二君がいます。てっきり父親が52歳の時に生まれたのだと思っていましたが、父親に会ったら若くてビックリしました。名前を考えるのが面倒くさかったので、5月2日生まれだから『五二(ごに)』にしたそうです。)
【薬の為に子供を諦めたカップル】
大規模農家が二軒あって、その一人息子(K氏)と一人娘が結婚しました。K氏は家業を継がずに私が勤務していた会社で働いていました。 二十歳代で結婚したのですが、結婚して直ぐに耳鼻科の病気になって、強い薬を服用する様になってしまいました。 医者から、「この薬を飲んでいる間に子供を儲けると、奇形児になる可能性が有る」と言われたそうです。
K氏は薬を飲み続けていたのですが、45歳頃・奇蹟が起こった様に完治しました。完治祝いの席を設けたのですが、「更年期だから子供は諦めている」と寂しそうに言いました。
(余談) K氏が30歳代の時に、両家の両親が相次いで亡くなりました。大きな二軒の家屋敷と数町歩の田圃を相続し、誰かに委託していた様でした。
【趣味に生きた男性】
結構・魅力的な男性なのに、独身で趣味に生きた方を二人知っています。その一人のF氏は大手優良企業の社員で、私が面識を得たのは彼が定年になる2年程前でした。 何時も、高価そうな趣味の良い服装で、十歳は若くみえました。 F氏の趣味はスキューバダイビングで、年に何回か一週間ほどの休暇を取って、インドネシアに一人で出掛けていました。
もう一人のG氏は、仲間三人で設計会社を設立して、私が勤務していた会社に出向して、同じ機械を担当していました。彼等は正社員よりも担当の機械を熟知していて、会社に取って無くてはならない存在だったので、出向者としては破格の賃金を得ていたと思いました。
二人は結婚して子供さんがいましたが、G氏は独身でした。高校時代からサーフィンに夢中になって、40歳を過ぎても休日には大抵、サーフィンに出掛けていました。多分・一生独身で過ごしたと思います。
【超過保護で育った男性】
私の親戚に一人っ子で超過保護で育った男性(M1氏)がいます。M1氏は40歳を過ぎていて、学校を出てから一度も就職しておらず、家に閉じこもって暮らしている様です。勿論・独身です。M1氏の父親(M2氏)も一人っ子で、彼も超過保護で育った様です。M2氏の父親(祖父=M3氏)は、税務署長で定年を迎えたので、節税対策は得意だったと思われます。 M2氏が私の親戚の女性と結婚して数年後に、沢山の不動産と預貯金を残して亡くなりました。
M2氏は私の親戚の冠婚葬祭には何時も、奥さんとM1氏を連れて参加しました。私は、まだM1氏が幼い頃から話をしようとしましたが、話し始めると直ぐにM2氏か奥さんが飛んできて間に入りました。 その為に何時も短い会話でしたが、M1氏は私とは真面に話が出来ました。
M2氏は定年退職しても、質素な暮らしをして、貸家などの収入をセッセト貯金している様です。M1氏が一人になっても困らない様にと考えているのだと想像します。私には本末転倒の様に思えるのですが!?
【若くして大成功した男性】
若い時に起業して大成功した男性(O氏)がいます。ガムシャラに働いて、結婚したいと考え出した時は、40歳近くになっていました。 バブル崩壊後・数年経っていましたが、彼の所得は羨ましい額でした。
彼は、積極的に婚活を始め、気に入った女性とデートするのですが、「金目当てでは?」と疑ってしまい、別の女性と付き合っても・また疑って・・・。 母親から「結婚相手を探して欲しい」と依頼されました。 私は、「正直に年収を女性に告げたら、普通の女性でも金目当てに変貌してしまう!」とアドバイスしました。 「年収は誤魔化せても、会社名と役職(社長)は正直に書かないと、婚活会社は受け付けてくれません。交際を始めると女性が調べて、年収がバレテしまいます」と言われました。 結局、彼は今でも独身の様です。
【1960年頃に結婚した男性の話し】
大昔の羨ましい二人の男性(N氏とM氏)の話しです。 N氏はダンディで多趣味、話し上手な方でした。 M氏の方は、ブ男では有りませんでしたが、優しいと言う以外に褒め言葉が有りません。極普通の方でした。
共通するのは、大学卒で、結婚した時期(1960年頃)がほぼ同じで、超高収入を得ていた女性の方からプロポーズされた事です。 二人とも結婚して最初の給料を奥さんに渡そうとしたら、「貴方の給料は当てにしていません。小遣いにして下さい」と言われたそうです。 N氏の奥さんはブティックを数店経営されていて、M氏の奥さんは美容院を数店持っていました。
奥さん達は超多忙だった様で、結局子供は儲けられませんでした。今の様に保育園が沢山有って/充実していたら、子供を産んでいたかも知れません。
(余談) N氏は中規模の会社の重役になられ、M氏は大企業の部長になられたので、結構な年収が有ったと想像しますが、定年まで給料は全て小遣いだった様です。 私は、二人に二、三回・洒落た店で御馳走になりました。
【親の介護で結婚が遅れた女性】
娘さんが一人の家が有ったのですが、娘さんが30歳くらいの頃、両親が相次いで癌になって自宅療養をしていました。 娘さんは会社を辞めて、両親の面倒を見ました。 二人を見送った時、35歳を過ぎていたと思います。
近所の人達が結婚相手を探して上げようと努力しました。私の所に、「料理も上手だ・・・」と言う手紙を同封して、ポートレートが届きました。綺麗な優しそうな女性でした。出向していた会社に四、五歳年下の男性がいたのでポートレートを見て貰いましたが、会う所まで行きませんでした。
結局、彼女が40歳になった頃、実家を処分して両親の故郷に帰って行ったそうです。暫くして、「結婚した」と連絡が有った様ですが、子供は授からなかった様です。
【難産だった奥さん】
100所帯以上が入った社宅に住んでいた時の話しです。「YK氏は高級ソープランドに行っている」と言う噂が、社内と社宅で広がりました。 赤ちゃんを抱いたYK氏の奥さんを、私は社宅で時々見掛けました。まだ二十歳代の綺麗な方でした。 「初産が難産で、以来・怖くてセックス出来なくなってしまったので、高級ソープランドに月に一回だけ行って貰っている」と奥さんが言われたそうです。 そんな事を聞き出した人は、鬼ですね!
(余談) 社員の誰かがソープランド街に行って、たまたま見掛けたYK氏の後をつけて、噂を広めたのだと思います。「君もソープランドを利用したのだろう!」と言ってやりたかったです! 『武士の情け』は無くなってしまったのです。
【出産と転勤拒否】
私が勤務していた会社では、理由の如何を問わず・転勤を拒否すると、その時点で昇格がストップしました。この社内ルールは、私が定年退職する時も存続していた様です。最初に配属された部にいた、数年先輩の男性社員二人の話しです。彼等の奥さんが相次いで出産されました。 出産二、三ヶ月後、それぞれに遠隔地への転勤辞令が出ました。彼等の奥さんは”産後の肥立ちが悪く”、二人とも転勤を拒否しました。
その内の一人(KO氏)が、私が出向した会社に一年ほど遅れて出向して来ました。KO氏は仕事に情熱が湧かない、駄目社員になっていました。 KO氏は日本酒が好きで、私をよく呑み屋に誘うので、たまに相手をしました。彼の悲惨な人生を延々と話すので、楽しい酒にはなりませんでした。奥さんは、出産後・重症の鬱病になり、入院して時々自宅に帰り、数日後に入院する様な生活をしていた様でした。数年すると、医者の許可が出ても「病院の外は怖い」と言い出して、以来、病院を出る事が無かったそうです。(KO氏が奥さんと、普通に暮らしたのは3年ほどでした。)
産後・1年程した時、奥さんの御両親が、「子供は私達が育てるから、娘と離婚して、新しい人生を始めなさい」と言われたそうですが、彼は断って息子を一人で育てました。最後にKO氏と会った時、息子さんは30歳程になっていましたが、「仕事にも就かず、僕から毎月小遣いを貰って、年上の女性と同棲している」と嘆いていました。
【子連れの女性と結婚した友人】
入社同期の友人の二人(H氏とS氏)が、女の子を連れた女性と結婚しました。 そして、2組とも結婚して、直ぐに子供が出来ました。 H氏の方は、奥さんが専業主婦になられ、暫くして三人目も誕生して、三人とも立派に育てられました。
S氏の方は、奥さんが優秀な(コンピューターの)プログラマーでした。結婚した時、退職されて専業主婦になっていました。上の子は幼稚園児で、下の子が一歳になった頃、「高給を出すから、復帰して欲しい」と何回も誘われたので再就職しました。S氏は内心、再就職には反対だった様で、私と飲んでいる時、時々「僕より高給だから!」と寂しそうに言いました。
40年ほど前でしたので、学童保育は充実しておらず、上の子は『鍵っ子』になってしまいました。小学校の高学年になった頃から、時々・登校しなくなり、無試験で入れる様な私立の高校に入学しましたが、殆ど登校せずに、中退してしまいました。
【鋭利な刃物が怖い】
三十歳前後の二人の男性が電車の中で話していました。 「美人の○○さんは、まだ独身らしいね!」、「彼女は結婚出来ないよ! 包丁や針の様な鋭利な物が怖いらしい。 料理を作った事が無い」・・・と言うのです。
知り合いの医者に話したら、『先端恐怖症』と言うそうです。「時間が掛かる様だが、治るケースも多々有る様だ」と言いました。 彼女の様な場合は、決して恥ずかしい事では無いですから、家族だけで悩まないで医師の力を借りるべきです。 多分、健康保険の対象になっていると思われます。
【子供がいると嘘ついた男性】
大手重電(ME社)の協力会社に出向した時、ME社が雇った設計の派遣社員(T氏)がいました。 狭い設計室で、T氏と私・二人で仕事をしました。 T氏は楽しそうに、一人息子の話をするのです。
二、三ヶ月後に、経理の女性に「T氏は息子の自慢話しをする」と言うと、「Tさんは、独身で御父さんと二人で暮らしている、子供はいませんよ!」と不思議そうに言いました。その後、私に嘘がバレたと気付いたのか?息子の話しはしなくなりました。 彼は日頃、「息子がいたら、こうして遣ろう!ああして遣ろう!」と想像して、楽しんでいたのだと思います。 だから、実際に有った事の様に話せたのだと思いました。
【不思議な男性の話し】
これも、中小企業に出向した時の話しです。50歳代の男性設計担当者(N氏)を採用しました。 面接の時は、「某大手企業で20年ほど設計をやった」と言っていましたが、仕事を始めるとレベルが非常に低い事が分かりました。
N氏の履歴書には『内縁の妻』との記載がありましたが、三、四ヶ月後に、N氏には正妻さんがいる事がバレテしまいました。N氏の給料は大学卒の新入社員程度しか有りませんでしたが、「その一部を正妻さんに渡して、学校の先生をしている『内縁の妻』の給料で生活している」と話しました。 二人の女性には子供はいませんでした。
N氏は、ブ男では有りませんでしたが、中肉中背の話し上手でもない普通の男性でした。 N氏は、一年も経たない内に辞表を提出して、何所かに行ってしまったのですが、パートの女性達は「二人の女性がN氏を離さないのは何故か?」勝手に類推して、楽しそうに喋っていました。
(余談 :一生独身だった男性の話し)
この話は、1995年頃に親しくしていた同僚から聞きました。 大昔、(多分・大正時代だったと思いますが、)大阪に長男(A氏)と次男(B氏)・二人息子の資産家が有りました。B氏は、勘当されて家を出た切り音信不通になってしまいました。 A氏が若い時に両親が亡くなられ、沢山の遺産を相続したそうです。
遺産には数区画(数番地分)に建つ・賃貸の多数の長屋が含まれていて、第二次世界大戦時にこの長屋群は震災を免れました。 家賃の取り立てや長屋の補修などは、全て弁護士(C氏)に任せていました。 A氏は生涯独身で、古い実家で料理・洗濯・掃除を全て自分でやって、質素な暮らしを続けたそうです。 1990年頃から、年老いたA氏は通いの家政婦を雇って、1997年頃に亡くなられました。
昔は”見合い結婚”が主流でしたが、「金目当ての話しが続いて、A氏は嫌になって、生涯独身だったのでは?」と、私は勝手に想像しました。
A氏が亡くなられた後で、弁護士(C氏)が相続人の次男(B氏)を探したら、関東に住んでいた事が簡単に分かりました。 B氏は既に亡くなっていて、一人息子が生存されていたそうです。 二、三区画分の長屋を解体→整地→現物納付で税金を納める事になりました。
私の同僚は、解体される長屋群に住んでいたので、心配していましたが、予想していたより高額の立ち退き料が出る事になりました。 彼は、その金を基にマンションが購入出来て喜んでいました。