これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

日本の活性化➍-3 :生産性、GDP、給与

2022-07-30 08:52:08 | 会社の活性化
【はじめに】
 今回は、生産性に関連する具体的な例を幾つか書きます。正常な状態で企業が競争して生産性向上に努力する事は極めて重要ですが、国家間の力関係で努力が報われない場合が有り、絶大な力を持った狂人によって、多くの努力が水泡に帰したケースも有りました。

【タイヤ製造装置と特許戦争】
 製造/販売している製品に関連する特許権を取得する事は、(先週投稿した『日本の活性化➍-2 :生産性、GDP、給与』に書きました)『付加価値生産性』をアップする事です。 販売数量が増えれば『物的生産性』もアップした事になります。

 日本にはタイヤ製造装置を手掛ける企業が2社有ります。 KS社はアメリカの会社から技術導入して始めました。MH社は独自に研究開発を進めて来ました。KS社の設計に私の友人がいたのですが、MH社と凄まじい特許戦争をしていました。(彼から私は特許の重要性を教えてもらいました。)

 KS社の本社の隣に、大手タイヤメーカー(B社)の本社工場が有り、ブロック塀で隔てられていましたが、自由に出入りの出来る小さな木戸が有りました。KS社のタイヤ製造装置の設計部隊は本社で勤務していました。B社のタイヤ製造装置は全てKS社製でした。

 KS社の設計担当者は、B社の操業状態を何時でも観察出来たので、改善すべき点を把握する事が出来、特許のアイディアが次から次へと湧いて来たのです。アメリカの技術提携先を当てにする様な状況では無くなっていました。ロイヤリティーは払い続けていたのですが、1975年頃に知人がアメリカに出張した時、技術提携先を訪問したら社員が数名しかいなかったそうです。既納機のメンテナンスとKS社からのロイヤリティーで細々と存続していたのです。(暫くして、KS社は技術提携を解除しました。)

 KS社とMH社は価格競争もしていたので、タイヤ製造装置では余り儲からなかった様です。然し、日本のタイヤメーカーが海外に工場を建設する様になったので、KS社とMH社はこの分野では世界的な会社になりました。

【アメリカの重電・重機械メーカー】
 「一つの分野で3社以上が競合するのが好ましい」と私は考えています。1社が50%以上のシェアを握ったら→→価格決定権を得る事が出来て→→会社の経営は楽になりそうです。 然し、会社が天国にいる様な状態になったら、製品の改良/コストダウン/コンプライアンス(法令遵守)/人材育成・・・何の努力もしなくなってしまいます。 会社は人間の集まりですから、生産性向上が要求される厳しい環境で生きていれば→→社員は逞しくなり→→会社は優良企業の一員になれます。

 戦後、アメリカには大型の電気機械と大型の機械を手掛ける会社が3社有りました。《ジェネラル・エレクトリック(GE社)、ウエスティングハウス、アリスチャーマー》

 業界一位のGE社と二位のウエスティングハウスが結託して(現在では違法な手段で)アリスチャーマーを潰しました。ウエスティングハウスは、「アリスチャーマーのシェアーを取り込もう」と目論んでいましたが、シェアーの多くはGE社が取ってしまったのです。存続の危機に陥ったウエスティングハウスは、原子力発電の研究開発に社運を掛けました。 その成功を見て、GE社も原子力発電を手掛ける様になりました。

 その後、ウエスティングハウスはジリ貧になって、1998年に原子力部門を売却し、1999年には全て売却してしまいました。 結局、巨大なGE社だけが生き残りましたが、近年・GE社の財務状況は芳しく無い様です。

 アメリカ人は(日本人とは真逆に)、日進月歩で技術開発が進む分野でベンチャー企業を興したり/発展させるのは得意ですが、技術が成熟した分野を複数抱える巨大企業を経営をするのは不得意の様に思います。 将来、GE社は軍需分野以外の部署を売却して、兵器廠になると予想しています。

(注記) アメリカは日本に次いで長寿企業の多いい国です。有名な長寿巨大企業に、USスチール(創業=1901年)、ザ コカ・コーラ カンパニー(1892年)、JPモルガン・チェース(1799年)、シティグループ(1812年)、ステート・ストリート(1792年)、デュポン(1802年)、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)(1837年)、ティファニー(1837年)、ファイザー(1849年)、アメリカン・エキスプレス(1850年)、エクソン・モービル(1863年)、シェブロン(1879年)・・・

【半導体の問題】
 1971年に入社して直ぐに、面識が無い、直属の上司でも無い重役から、「半導体の情報を集めて、定期的に報告書を提出しなさい」と指示されました。文献や資料を集めるだけで無く、テキサスインスツルメンツの商談会などにも参加しました。当時、半導体の価格が信じられないスピードで低下していました。

 1970年代、半導体産業はアメリカのお家芸の様になっていましたが、NEC、東芝、日立製作所が手掛ける様になって、急激に発展しました。1985年に半導体業界は不況になり、アメリカのメーカーの一部が撤退する状況になりました。1986年時点では、日本の上記3社は世界シェアの50%以上を握っていました。

 ロナルド・レーガン大統領が中曾根康弘総理大臣に強力な圧力を加えて、日本の半導体産業を潰しにかかりました。 そして、1986年9月に極めて不合理で不平等な『日米半導体協定書』を押し付けました。→→日本の半導体産業は殆ど消えてしまったのです。 この時、私は次の様な”悟り”を開きました。

教訓❶ :出る杭は打たれる!
教訓❷ :アメリカは独善的な国で、自国に都合の良い国際ルールを押し付ける。
教訓❸ :個人や企業が一生懸命頑張っても、国と国の力関係で努力が水泡に帰す事が有る。

 近年、半導体産業を復興させるべきだと考えた自民党政権は、台湾のTSMC社に懇願して、日本(熊本県)に工場を建設して欲しいと要請しました。ソニーグループ、デンソー、国が8,000億円用意して、工場が建設される様です。

(余談 :半導体の周辺技術と産業) 日米半導体協定書によって、日本で半導体を製造する事は難しくなりましたが、製造装置、検査機器、材料などの製造企業は生き残りました。 私が注目してきたのは『(株)SCREENホールディングス ;旧社名=大日本スクリーン製造』です。2021年時点の連結従業員≒5,900名、連結売上≒3,200億円もの企業に成長しています。

【鉄鋼産業の衰退原因】
 国賊と呼べる様な稲山嘉寛( よしひろ)氏の独断的な行動によって、多くの先人たちの苦労が水泡に帰し→→鉄鋼産業は停滞してしまいました。 鉄鋼産業に関連した企業の従業員・数十万人の給与は、その後殆どアップしませんでした。(私も犠牲者の一人です。)

 戦後、八幡製鐵と富士製鐵が中心になって、高炉の大型化に取り組みました。そして、重機械メーカーの協力で世界最高の一貫製鉄技術を確立しました。 60年代の後半には世界に誇れる超大規模な生産性の高い製鉄所が稼働する様になっていました。

 韓国政府(朴正煕大統領)は本格的な製鉄所の建設を目論みましたが、世界銀行等から資金が調達出来なかったので、65年の日韓基本条約で日本から手に入れた金の一部を流用し、日本輸出入銀行からの商業借款で浦項総合製鉄(現在のポスコ)を建設しました。

 製鉄所は機械が揃ってもノウハウが無ければ操業出来ません。ボンボンとして育った稲山氏は各種技術資料、(製作図を含んだ)設計図の重要性/価値を理解していなかったと思われます。新日本製鐵社内だけでなく協力していた会社の反対を押し切って、それらの図書を、無償で浦項総合製鉄に渡してしまいました。それらの図書は、(現在だったら)『1兆円以上』の価値が有ると思われます。(一貫製鉄所を一式建設する以上の価値が有ったと思います。)

 稲山氏は更に、中国の上海宝山鋼鉄総廠向けでも同様の愚行をしてしまいました。その後、中国は日本から入手した図書で沢山製鉄所を建設し、鉄鋼製品を安価に輸出する様になって→→日本の鉄鋼産業は停滞する事になってしまったのです。

★ 65年 :日韓基本条約
★ 68年 :韓国・浦項総合製鉄(株)設立・・・現在・ポスコ
★ 70年 :新日本製鐵発足・・・初代社長=稲山嘉寛→→会長(73年~81年)
★ 71年 :私は大学を卒業して→→鉄鋼会社に入社して→→機械部門に配属されました。
★ 73年 :浦項総合製鉄竣工
★ 77年 :中国・宝鋼集団の大型一貫製鉄所建設工事開始(上海宝山鋼鉄総廠)

(余談 :圧延設備の組立図) 74年頃に私の席の近くで、大ベテランの製図工が上海宝山鋼鉄総廠向け圧延設備の組立図を描いていました。圧延設備の長さは数百メートルにもなるので、A0のロール紙(幅914mm✕長さ30m)を使用していました。時々見学させてもらいましたが、完成まで1年程掛かった様に記憶しています。描いている時は一切話し掛けてはいけませんでした。一般に顧客に渡すのは組立図ですが、稲葉氏は部品の製作図も無償で渡してしまったのです。(渡した図書の量は、大型コンテナーで何台分も有ったと思います。)

【談合と生産性】
 100億円が適正価格のビルを談合して110億円で受注したとします。 GDPがアップします→→受注した企業の生産性もアップした事になります→→企業の利益もアップして→→社員の給与も上げて貰えるかも知れません。 昔は、土木・建築関係の会社が国や地方公共団体の仕事を受注する時には談合していました。(「現在もやっているのか?」は知りません。)

 談合を拒否する会社を皆が協力して→→叩き潰して→→政治家と結託して→→外国企業を入札に参加させない様に出来れば→→永遠に談合する事が可能です。

 談合は、生産性アップと同じ効果が得られますが、談合で成り立つ業界では、切磋琢磨して技術を磨いたり、コストダウン方法を考え出したりする必要が有りません。従って、国際競争力を高める事が難しく、世界的な企業に成長するチャンスを自ら放棄している様に思います。

(余談 :談合の対象) 談合の対象は国や地方公共団体だけでは有りません。 昔からの慣例で大手民間企業の一部も対象になっているケースが有ります。 私が勤務していた会社は、燃料、電気機器、電気工事、土木建築工事・・・等はそれぞれの業界が談合するので発注先を自由に選べませんでした。

(余談 :上水の談合) ダム建設を伴う上水工事は、談合がやむを得ないケースです。 ダムは計画開始から完成までに10年以上掛かるのが一般的で、20年掛かるケースも有った様です。 その間、毎年の様に計画が変更され、図面の修正が必要になります。私は昔、某ダムの非常用発電装置の担当をしていましたが、毎年!毎年!打合せをして、配置図を大幅に修正させられました。見積の段階で馬鹿に出来ない費用が発生するするので、メーカー側は談合して、1社が対応する事にするのです。

(余談 :談合の刑罰) 業者間(企業間)の談合は、刑法第96条(公契約関係競売等妨害)で「3年以下の懲役か250万円以下の罰金、またはその両方」が課せられます。 官製談合は、『入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律(官製談合防止法)』第8条で、関わった職員に対して「5年以下の懲役か、250万円以下の罰金」が課せられます。

 私がまだ若かった頃の話です。「某業界の大手3社に談合担当部長がいて、定期的に集まって全国の案件を、3社のどの会社が受注するか決めている」と何故か?教えてくれる方がいました。次回集まる日、3社の談合担当部長の氏名と電話番号も教えてくれました。飲み友達3人で手分けして、正否を確認する事にしました。2人がドラマに登場する探偵の様に担当部長を尾行し、私は3人に電話を掛ける役をやりました。尾行された二人の部長は、同じ時間に同じホテルに入りました。電話すると、3人とも「ただいま外出中です!」との事でした。

 日本は有期懲役や禁錮の場合は、加重主義を採用しています。同様の犯罪を沢山犯しても大した刑は課せられません。談合は殆どの場合『確信犯』ですから、私は「アメリカの様に『加算方式』を採用すべき!」だと考えています。

 前述の談合担当部長達は、年間数百件以上の談合に関わっていたと思われるので、『加算方式』にしたら刑期は数百年になります。 談合担当部長に任命されそうになったら→→辞表を提出して→→サッサト退職する様になると予想します。 談合罪に『加算方式』を採用したら、談合は劇的に無くなるでしょう!