10月29日

逗子池子弾薬庫あとの資料館である、月曜は休みといっても、このようにまるでアメリカ、道路が鉄のゲートで閉ざされ、ネズミ一匹通さないのであった、そこで、駅名の神武寺に行こうと思った、時間は3時半である、
道はこのトンネルを通って、しばらく行くと、お寺と東逗子駅に分かれる道があるとのことだった、

トンネルを出るとさらに次のトンネルの入り口もあった、このトンネルには入らずまっすぐ行く、

しばらくいくと神武寺にいく階段があった、時計は15:45、間に合うと思っていた、ところが、この階段を昇ったら、お寺に出ると思ったら、道はまだ続く、このような道が、延々と続くのであった、あたりは林の中、人家は全くない、

少し急いだので、息が上がる、まだつかない、やっと、門らしいものが見えてきた、

良かった、門を閉めるという寺ではないだろう、時計を見ると16:05、20分も歩いたのだった、
さらに上り、やっとやっとお寺が見えてきた、


ところが、意地の悪いことに道にとうせん坊がしてあり、本堂の近くに行けないのだった、




ここの梵鐘は神奈川では有名なものだったらしい、
かえりは別の路を通った、ところが、ここの下りは、沢下りみたいなもので、道が悪く、何かにつかまらないと降りられない、しかも、行程30分ぐらいで、途中人にお会わず、死ぬかと思った、足をくじいて歩けなくなったら、曇り空でなに一つ見えず遭難しかねない、三浦の山で遭難という見出しが躍る、

人家が見えてきたときはほんとに生きた気がしたのだった、
大変なハイキングをしたものだ、
遭難にならなくてよかった。

逗子池子弾薬庫あとの資料館である、月曜は休みといっても、このようにまるでアメリカ、道路が鉄のゲートで閉ざされ、ネズミ一匹通さないのであった、そこで、駅名の神武寺に行こうと思った、時間は3時半である、
道はこのトンネルを通って、しばらく行くと、お寺と東逗子駅に分かれる道があるとのことだった、

トンネルを出るとさらに次のトンネルの入り口もあった、このトンネルには入らずまっすぐ行く、

しばらくいくと神武寺にいく階段があった、時計は15:45、間に合うと思っていた、ところが、この階段を昇ったら、お寺に出ると思ったら、道はまだ続く、このような道が、延々と続くのであった、あたりは林の中、人家は全くない、

少し急いだので、息が上がる、まだつかない、やっと、門らしいものが見えてきた、

良かった、門を閉めるという寺ではないだろう、時計を見ると16:05、20分も歩いたのだった、
さらに上り、やっとやっとお寺が見えてきた、


ところが、意地の悪いことに道にとうせん坊がしてあり、本堂の近くに行けないのだった、




ここの梵鐘は神奈川では有名なものだったらしい、
かえりは別の路を通った、ところが、ここの下りは、沢下りみたいなもので、道が悪く、何かにつかまらないと降りられない、しかも、行程30分ぐらいで、途中人にお会わず、死ぬかと思った、足をくじいて歩けなくなったら、曇り空でなに一つ見えず遭難しかねない、三浦の山で遭難という見出しが躍る、

人家が見えてきたときはほんとに生きた気がしたのだった、
大変なハイキングをしたものだ、
遭難にならなくてよかった。