MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

気苦労の多い労減人

2014-08-23 00:00:00 | その他の音楽記事

08/23       気苦労の多い労減人



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 音源は、ある市民オーケストラの練習風景です。
何の曲でしょうね…。 

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  曲は、シューマン交響曲 第4番 ニ短調 から、
第Ⅰ楽章の一部でした。

 

 何度も聞こえるのは、4小節単位の美しいメロディーです。
Violin と木管楽器の間で、何回もやり取りされていますね。

 この展開部初めて登場したものですが、上記の解説
ページには “流麗な旋律” と書かれています。

 

 [譜例]は Vn.Ⅰのパート譜です。 [音源]は、一段目の
から始まっていました。

                

 

 

 歌といえばレガート。 ここでも “スラー” 記号が幾つか見られ
ます。 さてそれは、どういうふうに書かれているでしょうか?
三箇所ありますが、微妙な違いがあります。

 では、1小節ずつ。 は〔1+1+2〕。 は1小節ずつ。

 ②は木管で、ガイドの小さな音符です。 ここだけ違いますね。


 こういう微妙な差を見ると、色々考え込んでしまいます。

 「同じ楽想なのに、なぜ違うのか?」


 まず考えられるのは、楽器の差でしょう。 根本的なアイディア
そのまま記されているのではない。 どうも弦楽器、管楽器の
奏法を考慮に入れた上で、記してあるようです。

 …というのは、[スラー記号の切れ目ごとに、弓を返す]という
のが、弦楽器奏者の慣習だからです。 ここでは、スラー本来
の、[滑らかに]、また[フレーズ全体を表わす]…という意味は、
それほどありません。


 シューマンは、[1小節ごとに弓を返すのが現実的だ]
判断したようです。 それは大正解! 弦楽器奏者十人
いれば、おそらく十人とも、この方法を選ぶでしょう。 「これ
以外に無い」…と言えるほど、自然な弓使いです。

 でもそれは、作曲者の “根本的なアイディア” を伝える
ものではありませんね。 1小節ごとに弓を返すとはいえ、
それがフレーズを “ブツ切り” するようでは困ります。


 シューマンは “妥協” したのかもしれません。 本来は、
どのようなフレーズ感で演奏してほしかったのでしょうか?

 



 それを探る前に、他の作曲家の書き方をご覧ください。

“ブツ切り” を恐れた」…と考えられる実例で、いずれも
既出のものです。

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 ブラームス、第1交響曲の冒頭です。 “タイ” 記号も含めて、
スラーは延々7~8小節間も続く。 書き込んである弓順は私
です。

 

 

 次は、ヴァーグナの『リエンツィ』序曲。 赤で書き込んだ
スラーは、Eulenburg版のスコアに印刷されたものです。

 数えると、これ8小節以上あります。 一弓で弾ける
人間は、誰もいないでしょう。


 

 

 ちなみに、もし私が弓順を付けるとすれば、基本的にダウン
アップをすべて逆にします。 フレーズ内の抑揚を考えた上
でのことです。 


 

 さて、シューマンに戻りましょう。 問題は、まだ解決ていま
せん。 今度は、木管楽器を検討する必要があるようです。


 シューマンは、初版と2つの改訂版 (1841~1853)残して
います。 しかし木管楽器のスラーの位置は、版ごとに内容
異なり、どれが 根本的なアイディア” なのか、即断できま
ませんでした。


 問題の4小節は、次のように書かれています。

(1) (1841年) 3+1

(2) (1851年) 2+2

(3) (1853年) 2+2]、[1+1+2]の混在


 通常見かける印刷譜は (2) です。 また (3) は手稿
なので、おそらく出版されていないでしょう。

 弦楽器に関しては、[1+1+1+1]で一致していました。
先ほど触れた “弓使い” の事情があるので、迷う必要
が無かったのでしょう。


 では木管楽器は? どれも一理ありますが、一体何に
悩んだのでしょう。 息継ぎ? タンギング?

 (シューマンは、楽器ごとの特性に配慮しすぎている。)

 そう感じた私は、ここで行き詰ってしまいました…。


 今日 “シューマンのオーケストレーション” が話題になる
ときは、肯定的な評価が与えられることは、まずありません。
また指揮者としてもステージに立ったシューマンは、指揮の
稚拙さを酷評されたと言われます。


 彼は、オーケストラの演奏者たちに気を遣わねばならな
かったのでしょう。 自分の作品を受け入れてもらうために。

 上記の4小節のスラーの書き方が異なるのも、そのため
ではないでしょうか? これは私の想像にすぎませんが。

 



 そうこうするうちに気付いたのは、作曲者自身が “2台ピアノ
編曲版” 残していることでした。 (そうか! ピアノ譜なら、
シューマンの純粋なアイディアが見られないかな…?)

 そこで細かく見てみたところ、結果は、1+1+2” でした!
弦も木管も。 バラつきは、一切ありません。

 

 なぜ、もっと早く気が付かなかったのだろう。 このピアノ版は 
1870年に出版されています。 編曲年代は判りません。 作曲
者は1856年に亡くなっています。

 しかし、気を遣ったり悩んだりする必要の無い “ピアノ版” です
から、これが本来のアイディアであると考えていいでしょう。

 

 

 「[1+1+1+1]でも、[1+1+でも、大して変わらないだろう。」

 そういう考えもあるでしょう。 しかし、細かい波が4回打ち寄せる
のと、最後に長い波が来るのとでは、やはり大きな違いがあります。


 そこで先ほどの[譜例]に、2小節のスラーを書き足してみました。

                           

 


 もちろん弓使いには変わりなく、[4回]弓を返します。 ただし、
3、4小節目が一つの言葉になるように弾く。

 こうすれば “ブツ切り” の印象を受けることはありません。
[< >]の記号を使い、模式的に書けば上のようになります。


 そうなると、木管も1+1+2]…と感じたほうがいいのでしょうか?
+2]のままでも捨て難い味があるので、何とも言えませんが。



 さて、先ほどの市民オケの皆さんには、一つお願いをして
みました。 この4小節間についてです。


 (1) 最初の3小節は、後半の八分音符を丁寧に。 時間的に
  は1小節の 1/4 だが、それ以上に弓を走らせるつもりで。
  木管の息の送り方も同じ。 ただし、共に重さが加わっては
  いけない。

 (2) 最後の小節の “八分音符4つ” は、うんと弾き込む。


 木管も弦も、一つになって歌い交わせるといいですね。

 先ほどの[譜例]と、新しい音源です。


                  ↑  ↑  ↑


          このリズム、[音源]の後半で登場する

         トロンボーンの動きとも関係がありそうです。

 



         音源ページ   [音源ページ




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