MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

あと 10日だった

2009-07-07 00:00:56 | インポート

07/07      あと 10日だった




 今日は七夕ですね。



 私事で恐縮ですが、実は先日、私の妹が亡くなりました。
夫と、二人の息子を残して。



 生きていれば、今日が 56歳の誕生日でした。 明け方に
生まれたので "暁子" と名付けられ、死亡時は東京都杉並
区桃井に在住し、"海野" という姓でした。

 病死で、S字結腸ガン。 発見、そして直ちに入院したのが
ひと月ほど前ですが、すでに手術が不可能な状態でした。




 話を聞いてみると、だいぶ前からその兆候はあったとの
ことです。 「なぜ報告しなかったんだ!」と、医師や家族
から責められたそうです。



 中学生時代は、泥にまみれてバレー・ボールに打ち込んで
いました。 昔からガンバリ屋さんでしたが、今回も一人で
耐えていたのでしょうか。 それとも、周囲に伝えて甘える
ことの出来ない性格、状況だったのでしょうか。

 今となっては何も解らないのですが。




 亡くなるほんの四日前のことです。 私が病室に行くと、
ベッドに腰掛けてテレビを観ているところでした。

 「病状が良くない」と聞いて慌てて出かけたのですが、
それをほとんど感じさせない快活さでした。 一時間も
話すことが出来ました。



 その折に、「周囲から責められた」という、先ほどの話を
聞かされました。 しかしそう言われてしまうと、私としては
何とも言葉がありません。 そこで、

 「話しやすい状況のときと、そうでないときがあるよね…?」
と言い、慰めるのが精一杯でした。 そして、ベッドに腰掛けた
妹の肩を、半身になって抱き締めてあげました。 妹も体重を
かけてきました。



 考えてみれば、兄として、そのようにして思いを受け止めて
あげたことが、今まであったでしょうか…?



 あとから話を聞くと、容態が急変したのは、そのすぐ後の
ことで、今思えばそれが最後の機会でした。




 亡くなったのが、午後の一時前。 自宅に連れ帰ると、
さっそく様子を心配して夕方、ご近所の奥様方が三名、
弔問に訪れてくださいました。



 家の外までお見送りして、そのまま思わず30分ほど
一緒に話し込んでしまいましたが、話題は女性のガン
のことになりました。

 それも、検診についてです。



 S字結腸ガンは女性に限りませんが、乳ガン、そして特に
子宮ガン検診は、やはり女性にとって「抵抗が大きい」と
聞かされました。 その三名の方々のうち、検診を受けた
ことのあるのはお一人だけ。 それも一度だけで、以後は
見合わせているそうです。



 それを聞くと、どうすれば検診が少しでも受けやすくなるのか、
そのことを考えずにはいられません。 「女医さんが増えれば
問題が片付く」などと、単純に考えはしませんが、やはり女性
の身体は女性にしか解らない、そのような面もあるのでは
ないかと、勝手に想像しています。

 ちなみに私は、妻を子宮ガンで亡くしています。 かれこれ
11年前になりますが。




 以上は医療体制に関すること。 そして、兆候、自覚症状を、
少しでも理解してあげられるような雰囲気を、家庭や職場で
絶やさないこと。 

 何もガンの発見に限りませんが…。 反省ともども。




 妹は三人兄弟姉妹の真ん中。 私は上で、下に弟がいます。
両親は年老いていますが、何とか存命しています。

 (父親はこの後一か月ほどして亡くなりました。)



 
           maru の妹、弟と、チャコ




 その弟が言っていました。

 「親を亡くすのも辛いが、兄弟姉妹を失うのは辛い…」と。

 日が経つにつれ、それが私にも大きな実感となってきました。




 話は変わりますが、ハイデッガーという哲学者は、

 「死してのち、(死者との) 対話が始まる」という主旨の
言葉を残しています。



 一見、逆説めいていますが、私にも何となく自分なりに、
何がしかの意味が感じられます。 折に触れて。




 それに思いを致し、自分に残された日々を生きていきたい
と思っています。




 この七夕、息子さんのお一人の誕生日でもあります。




           

               暁子  17歳