日記のブログ

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宮城県北部で震度5弱・マグニチュード7.3の地震

2011年03月10日 23時18分27秒 | Weblog
地震:宮城で震度5弱 北海道・えりも町など、津波20センチ
 9日午前11時45分ごろ、東北地方で強い地震があり、宮城県栗原市などで震度5弱を観測したほか、北海道から近畿地方の広い範囲で震度4~1の揺れを記録した。気象庁によると、震源地は三陸沖で震源の深さは約8キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は7・3と推定される。

 気象庁は東北地方の太平洋沿岸に津波注意報を発表。津波は▽岩手・大船渡港60センチ▽宮城・石巻港、岩手・久慈港50センチ▽岩手・釜石港40センチ▽宮城・仙台港、岩手・宮古港30センチ--を観測したが、約3時間後に解除された。【福永方人、比嘉洋、狩野智彦】

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 また、道内でも広範な地域で揺れを感じたほか、えりも町や浦河町など太平洋側の地域では20センチ程度の津波を観測した。

 主な震度は以下の通り。震度3=函館市、千歳市、帯広市▽震度2=札幌市、石狩市、江別市

【以上のニュース記事は毎日新聞より】



昨日11:45に上述の強い地震がありました。当地大阪府は北区でも学校の4限作業・訓練中に弱い揺れを感じました。もともと、僕は地震に弱い体質で震度3未満の弱い揺れでもすぐに気付いてしまいます。しかも、津波注意報発表にまで至ったので如何にもひどい地震だったということでしょう。岩手県大船渡港では60cmの津波を観測、宮城県仙台港や岩手県宮古港では30㎝の津波を観測したが、3時間後の14時に津波注意報は解除されました。高さ約60cmの津波でもかなりの威力があり、簡単に押し流されてしまうので津波は大変危険です。

坂上次郎さん(76)脳梗塞で死去

2011年03月10日 18時42分51秒 | Weblog
坂上次郎さん(76)は本日9時過ぎに自宅から心肺停止状態で病院に搬送されましたが、9:40に脳梗塞で亡くなりました。お笑いコンビ「コント55号」を結成し、お茶の間で人気になり、とぼけた味わいのキャラクターで親しまれたコメディアンで俳優。

坂上さんは1934年(昭和9)4月16日鹿児島県生まれ。中学校卒業後は鹿児島市内で商店を営んだ。1953年(昭和28)の「NHKのど自慢コンクール」で鹿児島県代表で選ばれ、優勝したのを機に上京し、66年(昭和41)には萩本欽一とお笑いコンビ「コント55号」を結成しました。
その後、2003年9月に脳梗塞で倒れましたが、2004年にはリハビリ後本格的に仕事復帰。ただし、復帰後も右半身に麻痺が残りました。
2009年9月には萩本欽一さん(69)と「コメディ栄誉賞」を受賞しました。

ボケ担当で「飛びます、飛びます」のギャグで一世を風靡し、お笑い会の一時代を気付きました。
今日は突然の不法を受け、芸能界から悲しみの声を受けました。関根勤さん、風見しんごさん、小堺一機さん、相川欽也さん、藤村俊二さんなどが追悼談話を寄せました。また、歌手の水前寺清子さん、研ナオコさん、野口五郎さんも訃報を受けて追悼談話を寄せました
天国でもコント55号のギャグで楽しませてくださいね。


なお、通夜および告別式は執り行われず、近親者のみで行われる予定です。坂上次郎さんのご冥福をお祈りいたします。



コント55号の坂上二郎さん脳梗塞で死去

 「コント55号」で一世を風靡(ふうび)し、とぼけた味わいのキャラクターで親しまれたコメディアンで俳優の坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが、10日午前9時40分、脳梗塞のため亡くなった。

 76歳だった。告別式は行わず、近親者で密葬を行う。

 鹿児島市生まれ。中学卒業後、間もなくして歌手を目指して上京。歌謡ショーの司会者として、浅草フランス座や日劇ミュージックホールの舞台に立つ。1966年、萩本欽一さんと「コント55号」を結成すると、一躍人気者となった。

 従来の漫才の枠を飛び出し、ステージ狭しと駆け回り、跳びはねるアクションあふれるギャグは、テレビを通して全国に浸透。フジテレビ系「コント55号の世界は笑う」や日本テレビ系「裏番組をぶっとばせ!」などに出演し、斬新な笑いで人気が爆発した。「飛びます、飛びます」などの流行語も生んだ。

(2011年3月10日15時11分 読売新聞より)