marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(328回目)復活後イエスが話した言葉 「聖霊を受けよ」

2017-04-24 18:24:59 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 復活後イエスが弟子たちに話したことについて少し考えてみたい。数回、肉と霊のことについて短く述べてきました。そもそもの発端は、イエスがイスラエルの教師であるニコデモに、地上で実際に起こっている霊のこと(パウロに言わせれば、肉の人もあれば霊の人もあると手紙で書いている)を話されたことについて(ヨハネによる福音書第3章)僕らがあれやこれやを詮索する前に実際にそうなのだと説明されれば、確認しようがないのでそうだと思う以外に無いことについて。
◆イエスの有名な言葉「あらたに生まれなければ神の国を見ることはできない」についてのニコデモの問いから始まる会話です。イエスは地上のことが分からなければ、天上のことはもっと分からないだろうと言われたのだが、すこし地上のことを考えて見た。
◆生き物に命を与えられ、生きている僕らがその霊の中にうごめいてあるということになるとする、想像たくましくすればそれらの霊は、生きている今の僕らにも何らか影響を与えていることになろう。生まれたときにその人に入った地上の霊が肉体と一体となって生きつつあるのが「魂」と呼ばれるもの、その霊が抜ければ人は死んで、抜けた霊は仏教で言えば49日は地上に留まり、その後、どこかへ消えていく。執念深くなると地上にそのまま留まり誰かに入り込み悪さをする。自分が死んでいないと思えば、時折、可視化する(幽霊、怖いものではなく霊の休まり所がなく居所をさがす)、あるいは、誕生のとき、地上にある霊は赤子の誕生の時にその肉体に入りいわば生まれ変わりをするのではないだろうか。悪霊が入ると神のもっとも愛される人間を殺害するという悲惨なことが実際に起こっていると考える。あるいは自傷する。それは、福音書の中でもイエスが墓場に繋がれ、自傷する男から悪霊を抜き豚に霊が乗り移るなどの話がある。
◆キリストの霊は、こういうことからも聖霊というものは信ずるというより無くてはならないものだと思われてくる。聖霊を送ってくれる、それに繋がっているということは大変誇らしいすばらしいことだと思います。イエスは復活後、弟子たちに「聖霊を受けなさい」と言われたのです。神からのイエスの霊、真理の霊、潔い霊、つまり聖霊が信ずる者には与えられていることになります。悪魔の霊は浮遊する霊、また悪霊も人の命を奪おうとうろうろ飲むべき者を訪ね歩いているとあります。だから、身を正して過ごさねばなりませんということになる。先に書いたけれど使徒の手紙は、霊と肉について書いていることに注目し是非、読んで欲しいと思います。
◆コリント人への第一の手紙から霊についていくつか拾って見ます。(口語訳)************************
(2:4) そして、わたしの言葉もわたしの宣教も巧みな知恵のことばによらないで霊と力との証明によったのである。
(2:10)そして、それを神は御霊によって私たちに啓示してくださったのである。御霊はすべてのものを極め、神の深みまでもきわめるのだからである。
(2:11)いったい、人間の思いはその内にある人間の霊以外にだれが知っていようか。それと同じように神の思いも神の霊以外には知るものはない。
(2:12)ところが私たちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜った恵みを悟るのである。
(2:13)この賜物について語るにも私たちは、人間の知恵が教える言葉を用いないで御霊の教える言葉を用い霊によって霊のことを解釈するのである。
(2:14)生まれながらの人は神の御霊の賜物を受け入れない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
(2:15)しかし、霊の人はすべてのものを判断するが、自分自身は誰からも判断されることはない。
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世界のベストセラーを読む(327回目再) ああ、物わかりの悪いガラテヤ人よ!

2017-04-24 07:42:23 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 ごめんなさい。表題のみ変更して再配信です。何故か、投稿前にまだ残っておりましたので・・・
 
 キリスト教が宗教の一つであろうと考えられる方に、実際の世界情勢において欧米に何らか政治的な事件が起こっていれば、裏情報はあろうけれども、そして実情は異なっていようとも聖書の預言(予言ではなく)など読み解けば、必ず何らかの宗教基盤の出来事での理由を解明推測ができそうな昨今になって来たようだ。
◆先の回に書いたが、パウロが「ああ、物わかりが悪いガラテヤ人よ(3:1)」と叱責している人々(そこに住む人々が少なくとも先祖代々生活しているならば)は、生殖細胞は必然的に受け継いでいる訳だから(遺伝的にパウロが叱責している人々の遺伝子は何らか引き継いでいる訳だから)現在も物わかりが悪いな・・・ということは、(そうなのだろうけれど)間違っても言ってはいけない。そのガラテヤとはどこかといえば、聖書の後ろについている地図を見るとそこは今のトルコで中央部でしっかりその名前が書かれている。だから今、戦争だ!
◆ところで、表題の「霊の実と肉の働き」について先の回にも書いたが、具体的にその実についてぱうろは詳細に書いている。まさにこの辺から、初めての方は聖書中の聖書らしい内容だなと思うかも・・・です。しかし、すべての手紙について言えることですが、第一にはその内容は、初めから普遍性をもってかかれたのではなく、まず第一には読む人に分かるように書かれたという事です。とうことは、諸々書かれた具体的な内容は当時の状況を反映していると言える訳です。(つまりここにかかれた肉の実のこと柄が行われてなんとも思われない世界であった、それだけひどかったということです。)
    ******************************************
(5:19)肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、(5:20)偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派 (5:21)ねたみ、泥酔、宴楽、およびその類いである。わたしは以前もいったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことはない。
(5:22)しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、(5:23)柔和、自制であって、これらを否定する法律はない。
    ******************************************
◆この辺のパウロの並べては、パウロさんの真骨頂。つまり、肉の実とは、人間の形はしているが自然の動物的な要求のままに生きている姿はこういう状況という警告。現代も確かにそういう人間がいる。
◆しかし、パウロが伝え、イエスを信じた人々は自分の肉をその情と共に十字架につけてしまったのである。だから、もし私たちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか(5:25)
◆互いにいどみ合い、互いに妬み合って、虚栄に生きてはならない(5:26)
 → 現在、殺し合っているいるわけだから、パウロは怒っているなぁ 「ああ、物わかりが悪いガラテヤ人よ(3:1)」・・・Ω 
 


世界のベストセラーを読む(327回目)(聖)霊の実と肉の働きについて<ガラテヤ人への手紙>Ⅲ

2017-04-23 22:37:27 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 キリスト教が宗教の一つであろうと考えられる方に、実際の世界情勢において欧米に何らか政治的な事件が起こっていれば、裏情報はあろうけれども、そして実情は異なっていようとも聖書の預言(予言ではなく)など読み解けば、必ず何らかの宗教基盤の出来事での理由を解明推測ができそうな昨今になって来たようだ。
◆先の回に書いたが、パウロが「ああ、物わかりが悪いガラテヤ人よ(3:1)」と叱責している人々(そこに住む人々が少なくとも先祖代々生活しているならば)は、生殖細胞は必然的に受け継いでいる訳だから(遺伝的にパウロが叱責している人々の遺伝子は何らか引き継いでいる訳だから)現在も物わかりが悪いな・・・ということは、(そうなのだろうけれど)間違っても言ってはいけない。そのガラテヤとはどこかといえば、聖書の後ろについている地図を見るとそこは今のトルコで中央部でしっかりその名前が書かれている。だから今、戦争だ!
◆ところで、表題の「霊の実と肉の働き」について先の回にも書いたが、具体的にその実についてぱうろは詳細に書いている。まさにこの辺から、初めての方は聖書中の聖書らしい内容だなと思うかも・・・です。しかし、すべての手紙について言えることですが、第一にはその内容は、初めから普遍性をもってかかれたのではなく、まず第一には読む人に分かるように書かれたという事です。とうことは、諸々書かれた具体的な内容は当時の状況を反映していると言える訳です。(つまりここにかかれた肉の実のこと柄が行われてなんとも思われない世界であった、それだけひどかったということです。)
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(5:19)肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、(5:20)偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派 (5:21)ねたみ、泥酔、宴楽、およびその類いである。わたしは以前もいったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことはない。
(5:22)しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、(5:23)柔和、自制であって、これらを否定する法律はない。
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◆この辺のパウロの並べては、パウロさんの真骨頂。つまり、肉の実とは、人間の形はしているが自然の動物的な要求のままに生きている姿はこういう状況という警告。現代も確かにそういう人間がいる。
◆しかし、パウロが伝え、イエスを信じた人々は自分の肉をその情と共に十字架につけてしまったのである。だから、もし私たちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか(5:25)
◆互いにいどみ合い、互いに妬み合って、虚栄に生きてはならない(5:26)
 → 現在、殺し合っているいるわけだから、パウロは怒っているなぁ 「ああ、物わかりが悪いガラテヤ人よ(3:1)」・・・Ω 
 


世界のベストセラーを読む(326回目)(聖)霊の実と肉の働きについて<ガラテヤ人への手紙>Ⅱ

2017-04-22 19:43:55 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
◇ところでガラテヤとはどこかと言えば、今のトルコという国。戦争をしてますよね。破壊は一つも何もうみださない。ガラテヤの人々にパウロは悲痛な思いで手紙を書いたのだ。すべてのしがらみを断ち切ってパウロのガラテヤ人への手紙を読みなさい。どうして戦争などは一つもいいこと無いと気がつかないのだろう、無論、背後で政府側ロシア、対する反政府アメリカの画策があったとしてもです。
ガラテヤはパウロが早くからキリストを宣教していたところではなかったか・・・それなのに今も
◆カルヴァン曰く原罪に遺伝的罪があるとするなら、その地に住む人々の多くはパウロの宣べ伝えたキリストの焼き印を心にしていればと思う。・・・ パウロの手紙の悲痛は今の争いにも及んで見越していたのだろうなぁ。
◆パウロはその手紙の初めに述べる。(ガラテヤ人への手紙)
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(1:6)あんたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになった方から離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。
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◇ルターは万物を創造された神の”いのちのことば”、直接、ひとりひとりに与えられたのだと宗教改革を行った。(1517年10月31)
彼曰く、福音書はヨハネによる福音書を読みなさい。手紙はパウロの手紙、特にローマ人への手紙、そしてガラテヤ人への手紙を挙げている。パウロのガラテヤ人の手紙には、かれのローマ人の手紙の中でルターが開眼した言葉”義人は信仰によって生きる”が披露されてもいるからである。
◆キリスト者の自由(ガラテヤ人への手紙)
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(5:5)わたしたちは御霊(みたま)の助けにより、信仰によって義とされる望美を強くいだいている。
(5:6)キリスト・イエスにあっては割礼があってもなくても、もんだいではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。
 〔・・・・〕
(5:14)律法の全体は「自分を愛するように、あなたの人を愛せよ」というこの一句につきるからである。
(5:15)気をつけるがよい。もし、互いにかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互いに滅ぼされてしまうだろう。
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◆御霊の実と肉の働き(ガラテヤ人への手紙)
(5:16)わたしは命じる、御霊(みたま)によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
(5:17)なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊のよくするところは肉に反するからである。〔・・・・〕
(5:18)もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下(もと)にはいない。〔・・・・〕
(5:24)キリスト・イエスに属する者は、自分の肉をその情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
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世界のベストセラーを読む(325回目)(聖)霊の実と肉の働きについての僕なりの考え<Ⅰ>

2017-04-21 23:30:51 | プロテスタント
 今回の表題の”僕なりの考え”というのは、禁じ手のような表現だ・・・だって、”ブログというのはすべてにおいてそうだろうよ”というような意見が聞こえてきそうだから。
◆今年はマルチン・ルターの宗教改革から500年、彼の著作を丁寧に読むことによってもプロテスタントの方は多くの実になることを学ぶと僕は思っているのですが、そのプロテスタントでもあまり、ルターのこと(実際に聖書の言葉をひとりひとりのものにしようと後半の人生生涯をそれに賭けて生きたこと)を学ぶ時があまりもたれていないように思われるのは何故なのだろうと思っています。エキュメニカル(キリスト教会一致運動)で、カトリックに遠慮しているのだろうかなぁ。
◆しかし、ここにおいても、僕らは精緻に神の声なるを聖書の言葉を自分の言葉で聞いてみることです。偉そうに聞こえるが”自分の言葉”だからね。分かるでしょ! とすれば、”みんな仲良くね”とう言葉は、決してここで聞こえてこないことが分かるはずだと思う。万人祭司からすれば・・・というよりイエスその方の声かけは、ヒエラルキーのある人間の組織体からは決して生まれて来ないことが分かるはずだと思うから。(組織があれば人という生き物は依存してしまうものなのよ。からだなるキリストの教会ということを今一度よく理解せよです。)
◆彼(ルター)の生きた時代は、当然、欧米では今に続く人々の先祖様が活躍していた時代なのであるから、ただの文字だけの知識としてだけではなく(人間というものは、上から目線で総括的に何らか理解してしまうとそこに腰を落ち着けて満足してしまうものだ)彼がどのような事柄に関して、どのように考え、どのように対処したのかを今の僕らはよく耕して考えて見ることだと思います。
◆これは聖書も同じ、イエスを宣教しようとする人々は、例え、キリスト教の国になったとしても、その欧米のキリスト教国をがどのような歴史をあゆんで、現在どのようになっているかを考えて見るならば、それらは同じ地上の上に生きてきた神の被創造物たる人間の歴史でもあるのだからその時代に生きる人々が、具体的に当時の目線でどのような環境状況の中でどのように対処してきたかは想像できるはずであると思う。無論すべてというわけにはいかないだろうけれど。その適応は人間学というのだろうか・・・無論、自分も含めてだ。
◆今、キリスト教国で問題になっている難民過剰問題・・・人道主義はキリスト教から来ている?? どうですこの問題。何か違っているのではないですか、よく考えてください。人間という動物の種の先理解に後から身につけたキリスト教をふっつけただけではありませんか。「知性は情念の奴隷である」・・・これはヒュームという哲学者のことばだったか、人という動物の種の持つ心情(情念)に知性をふっつけて何かいいことをしていると勘違いしやすいものだからね。よく考えよだ!
◆少し堅い食べ物(これはパウロがまだ弱い信仰者に対して、信仰により困難を乗り切れるような信仰者を食べ物に例えて宣べている)を食べられる人にとっては、こういう状況人はいつの時代も規模は異なるとは言え、同様の考えを持ち行動するものだ・・・というような考察はできうるのではないだろうか。
◆それで、ルターもその時代そのような体験をしている訳です。宗教という権威、ヒューマニストとの戦い、改革の中での農民戦争(自由も箍(タガ)が外れるといずこの時代の人間もこうなるだろうよという例)などなど。いずれの体験も僕らも同じ人間の種(生物学的に)としてどうして、そうなるのかは、原罪(これはカルヴァンさんの前に書いた定義)に該当する諸々の一面なのかもしれない。
◆とすれば、堅い食物を食べつつある僕らにとっては、聖書というのは抹香臭い宗教の一つの書物というのでは決してなく、まさにすべてのすべてを創造されし神の業(現象すべて)を考えることができ、その中で神の似姿に創造されし人間が神の元に安らうための、つまり元の懐に戻り安心するための秘密(人間にとってはさっぱり分からないかもしれないが)そのプログラムが書かれていると言えばいいか。
・・・内容が散乱してきてしまったが、肉と霊について考えつつ、聖書の使徒の手紙を読まれてはどうかと書いたのは、目では確認できないイエスは、今後(つまり今もですが)あなたがたに助け主”聖霊”を送ると言われて、このときも語られているということになるわけだから、そのことを考えつつ、今何を語られ、我々は何を知るかが大切なこととなるのですね。なぜなら、信者、未信者関係なく霊で生きている僕ら人類すべてに対してということになるのですから。
◆その父なる神の摂理(プログラムがあって)、その中にうごめきし、生きは死に、死んでは生きての生命の繰り返しがあって、そのOS(オペレーション・システム)に乗るに対し、神の最愛の人間はそれに載れないシステムの肉の欠点があって、それにイエスという方のパッチを組み込むこと、つまりそれには信仰というパスワードは必要で、それを手に入れればウイルスにも感染せずいずれ永遠のシステムの回路に繋がって次の世界に入って(帰って)行けるということになるのです。・・・・続く