まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

生きること

2012-06-18 15:15:19 | くらし

6歳未満児の脳死に伴う移植手術のニュースに接して、まだ若いであろうご両親の決断に深い尊敬の念を抱く。
特に、医師や移植コーディネーターの繰り返しの意思確認に「揺らぐことはなかった」というその強くて深い意志にただただ頭が下がるのみで、言葉が見つからない。

そして。
ちょうど佐渡で、知り合いの娘さんの最後について、お母さんから聞いたばかりだったから、よけいに死を前にしての生きるということ死ぬということに考えが及ぶ。

性質の悪いガンで余命を宣告されてからほぼ2年、27歳で旅立ったお嬢さん。
「これくらい自分の自由にさせてね。反対しないでね」の言葉にお嬢さんの望みは全部適えてあげたそうな。

  

「私が先祖になるんだから待ってるね。でも急いでこなくていいよ」って。
「死んだら携帯に残しておいた友達にだけ連絡してほしい」って。
親戚の法事にはどうしても出たいって、電車や船を乗り継いで出席し、「私が会いに来たんだからお見舞いには来なくていいからね」って。

自分で、最後はどうなるか調べ、そのときが来たと悟ると、主治医のせんせいを呼んでほしいと懇願し、来ていただくと、
「ありがとうございました」と挨拶し、もう旅立たせて欲しいと申し出たそう。
そして、娘さんは亡くなるまで、幼い頃からの楽しかった思い出話をずっとずっと長い時間話し続けたそうだ。

  

娘さんは臓器移植を申し出たが、もう全身転移をしていて駄目なことが分ると、献体をと願ったという。
症例が100いくつしかない病気だったから、医師に大変感謝されたとお母さんは話していた。

死にゆく覚悟を行動に移していった娘さん、全てを受け入れ叶えてあげたご両親。どんなにか葛藤があったことだろうと、切ない思いをしたことだろうと、何度涙を流したことだろうと。
どちらもの心のうちを思いやると、人間の強さ美しさを改めて感じ、話を聞きながら胸が詰まって、声が震えた。

軟弱な私にはとても出来そうにない。

 

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