6時前、二階の雨戸を開けたら輝く金星と西の空で冴え冴えとした青白い満月。
夜明けの月はいい、しみじみとした。
年を取ると、こんなふうにしみじみできるからまあいいかと。
従妹に携帯の電話番号を聞かなくてはと電話した。
番号だけ聞いて最後に「変わりないよね」と切ろうとしたら、急に涙声になって
「ヒサオが死んだのよ」と言う。えっいつなの、10月18日だと。
その前に従妹と電話で話して、またそのうち電話かけるわで終わったから気になって
かけたらそんなことになってるなんて。
バタバタしていたから夜かけ直した。安定剤飲んでいるから今は大丈夫だって。
泣声ながらも経緯を長々と。
翌日ライン電話がかかってきて、話し足りないからと繰り返しの話を長々と。
3年とちょっとの闘病生活。71歳だなんて早すぎる。
家での共同の仕事で、朝から晩まで二人一緒の生活を49年も送ってきたから、
夫の不在は従妹にとってそうとう応えるはず。
不在感、そばにいた人がいない。息子一家と同居してても埋めるのは難しい。
バス停で、整体に行くというオオキサンと一緒になった。
近所なのに全然会わない、家の前を通るのに会わない。ほんとの偶然。
バスを待つ間整体やお姉さんの話をし、乗り込んで後ろの席に座って続きを。
山登りをするほど健康でひとり暮らしをしていたお姉さんが、フォークが持てない
ことから始まって、あれよあれよという間に寝たきり生活になったそうな。
全然気が付かなかったけど脳梗塞だったのねって。おいくつだったの、73歳よ。若い。
1年の間に義父母と実の親を送ったことがあると言うので、私もばかだが
つい訊いてしまった。どっちがつらかったの。
「そりゃあ姉ね。ついにひとりになってしまったと思ったわ」って。
私はひとりっ子で、もともとひとりだからそんなものだと思っているが、
いた人がいないことの不在感て、何とも言い難いだろうひしひしと感じるだろう、
埋めがたいだろうと。それは容易に想像できる。
私たちの年って(彼女は5歳も若いが)周りが減っていくばかりで増えないよね、
としみじみ。バスの中のたった10分の短い会話はそれなりに。
佐野洋子さん『神も仏もありませぬ』「今日でなくていい」から。
いつ死ぬか分からぬが、今は生きている。
生きているうちは、生きている外はない。(略)
いつ死んでもいい。でも今日でなくてもいいと思って生きるのかなあ。
そうだわ、生きてる人は生きていくんだわ。ほんと。