寒中見舞いのはがきが届いた。
毎年貰っているのに、律儀な彼なのに、変だなと思っていると12月の7日に母上が亡くなったとある。
喪中葉書を書こう時間があるはずがない。
それで思い出す。
母は12月の3日に倒れた。容体がどうなるか分からないままの暮れ。
15日も過ぎるころになると年賀状をどうしようかと父と相談した。
考えていても分からないことだから、いいから出そうということになって。
新潟の母の弟からも「年賀状出してもいいかやどうしたらいいかや」と電話があり、
「私らも出すからおじさんも出してね」って。そういうことがあった。
母への年賀状はそれから1,2年は届いた。
(よそのお家)
喪中葉書の中に元職場上司の方から、妻が86歳で亡くなった旨が書いてあった。
確かお二人暮らしだったはず、ご自身もお身体が不自由だったのに。
切ない年越しだったろうと胸が詰まる想いがして。
(よそのお家)
数少ない年賀状だけれど・・・
毎月会っているのに、の人の年賀状、ふふふである。
20年近く年賀状だけの彼女。
日光でB&Bをご主人と経営していて。嫌だいやだと言っていたけれど続いているのね。
毎年日光の山々の風景をスケッチした年賀はがき。
趣味の俳句を続けていると、月に1回句会に東京に出てきていると。
細く長くの彼女らしいととても懐かしくなる。
(私の家)
膝を複雑骨折した同級生のヒロミチャン。
オーバーワーク気味でダウンしてますですって。らしいわ。
世のため人のため動き回らないと生きてる気がしないのよ、なんていつも言ってるからな。
私の友人関係ではめずらしい生き方の人。
(上と同じ 私の家)
後輩たちは皆まだ苗字が変わっていない。ま、いっか。人それぞれだからなと。
がんばって働いている彼女たちに先輩面してエールを送る。
(違う角度 私の家)
極めつけはマサチャンママから。
やけに渋い絵柄の年賀状にひと言。
『私達と佐渡の自然が待っています』
くうーっ!泣ける、ありがと。
待ってて待っててよ、3月の彼岸には行くからね。
ライブカメラで見る今日の佐渡、雪は積り大荒れだ。厳しい。