goo blog サービス終了のお知らせ 

まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

3月のカレンダー

2024-03-03 09:03:46 | くらし

今朝は寒かった。
寒かったけれど7時過ぎの空はこんな。下弦の月一歩手前。
私の安コンデジではこれが限界。どこに月がいるか分かりません、ね。

カレンダーを1枚めくっただけなのに3月に入った途端なんだかちょい憂鬱。
1月2月と私にしては比較的穏やかな気持ちで過ごせていたのよ。
これ以上人間ができてどうなる、というくらい寛容になって、こうなるのが歳を取る
っていうことかしらと悦に入ってたのに。もやもやしてきた。

そういえば、毎年お米を送ってもらっている従兄のお嫁さんに地震見舞いの電話を
したとき言ってたものね。
寒くて嫌になるがと言うから「あったかくなってくればまた気持ちも変わるわよ」
と励ましたつもりが、
「そん時はまたおかしうなるが」って。えっ?
「ほら季節が変わるときは気持ちもおかしうなるねかや」だって。
そうよね、大いにありうる。このところ空が変わってきて季節の変化を感じる。
私のなんとはなしはそのせいかしらね。まま。

部屋のカレンダーは歳時記カレンダーと自作カレンダーを交互に。
大きなカレンダーをぶら下げるのは好きじゃないから1枚だけ。だから交互に。


 教室で作った自作カレンダー

恥ずかしげもなく披露。我ながら頑張ったなと思って、少しは自分を褒めるわけ。
3月にチューリップはいかがとは思ったけれど、4月5月はサクラとバラなので3月で。
イラストをお借りしてワード内で編集(大げさ、それほどでもない)
チューリップのイラストは3枚コピーして、それぞれアート効果や図の効果の助けを
借りて変化をつける。背景をつけて、3月の周りにもイラスト拝借。そんな作業で完成。

 

完成してしまえばそれで満足して、実際はあまり見ない。
で、歳時記カレンダー、今日3月3日。

ひなの日や 蔵から都 遷しけり 也有

桃の花ならぬバス停のおかめ桜の写真を添えて。

始まったばかりの3月、グダグダ言ってなんてもったいないわ。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確定申告をした

2024-02-16 08:29:18 | くらし

備忘録ね。

昨年実家売却して、ほんの僅か軽中古車の値段くらいの所得があった。
それだって、業者に荷物の処分をお願いしたら残り手元に残るのはさらにわずか。
それでもなあ、いちおう臨時の収入はあったから確定申告しなくてはと。
いや、ほんとのこと言えば知らん顔していようかと思ったのよ。
面倒なことはしたくない、そんなわずかの金額見つからないだろうからほっとこうと。
はい、右に左に揺れました。ちょっとの期間迷いました。
でもそこは小市民、どこぞのお大臣と厚かましさ図々しさの桁が違う。
ま、気が小さいともいうわね。揺れるよりはやっちゃおと決めて。年上友も
「そのくらいのお金で心配しながら時期が過ぎるのを待っているっていやじゃない」
とアドバイスくれる。

まず国税庁に電話して必要書類を聞いた。
案外にすぐに電話がつながってよかったわ。
〇源泉徴収票2種類(ある) 
〇売買契約書(横浜友ご主人に言われていたから用意しておいた)
〇領収書(ないので最後まで不備を指摘されるかドキドキした。結局売買契約書に
金額が書いてあったから必要なかった)
〇マイナンバーカード(ある)

いちおう揃ったから次に税務署のQRコードから、指示の通りに進んでいって
相談日を予約した。2月13日、12:45~1:15。よし、準備ok。

当日、少し早めに受付に行ってスマホを係りの人に見せて予約完了確認してもらう。
時間通りに案内のアナウンスがあって、必要書類をもらって記入後順番を待つ。
ここからが長い。座って待っている椅子の背に貼り紙。
複雑な相談内容があるため時間がかかりますが、ご了承ください、ってな内容。
そういうこともあるのかとひたすら待つ。

でもま、こんなもんかというくらいの時間に呼ばれて、係りの人から
色々聞かれて書類作成をさくさくと。その間に、その方に私、言ったの。
「こんなに少なくても確定申告しなくちゃいけないのねえ」って。
係りの人、申し訳なさそうに「不動産売却は申告が必要なんですよ」ですと。
で、生命保険とかの保険関係、医療費等々、控除するものが1つもないから
15%の税率がしっかりかかった。計算後の税額に驚き、またもや嫌味を一つ。
「たったあれだけで、こんなに税金が取られるのね、ひどいわね」
不動産で確定申告しなくていいのは20万円までですから、なんて言われて。
困ったばあさんだなと舌打ちしたことでしょうね。まあいいや。

次に、その書類をもとに「令和5年度分の申告内容確認票」作成手続きの順番を待つ。
いやあこの順番待ちが長いのよ。係りの人が二人しかいないの、一人はアルバイトらしき人で。
私その人に当たったから分かったけど、やはり慣れていないからパソコン入力に時間がかかるの。
お隣で指導している人に指示を仰ぐの、文字入力なんか私の方が早いんじゃないの(えらそう)
というくらい。住所の読み方は分からないから仕方にわね、変換候補が出ると「7番です」
とか私が教えるくらい。
ま、でも終わりが見えているから、せっかちな私でもイライラせずに済んだわ。
印刷してもらって、あとは税金を納めるため銀行引き落としの葉書を出せばいいだけだ。
全部終わったのが2時30分くらいだったから、待ち時間入れて約2時間かかった。
作成正味は30分から45分くらいだった、1時間はかかっていない。

それにしても、今どきは選挙の投票のように立っていろいろ記入していくのね。
係りの人は対面だったり横にだったり。
会議は立って、の心理作戦と同じだ。椅子に座ってじっくり相談されてははかが行かない。
うまいこと考えたものだなと感心しきりよ。

確定申告なんて退職したとき以来したことがなかった。しなくてもよかった。
いい勉強になったと思うことにしたわ。って今後もしなくていけない時が来るかしらね。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

助けられて

2024-02-11 09:08:03 | くらし

今朝も気持ちのいい天気。
きっぱりの空ではなく東の空にはかたまりの雲、午後は曇るかな。

昨日、夫は出身集落の会出席のため東京へと出かけて行った。
3時集合の会だから、どんなに遅くとも7時ころには終わり9時ごろには
帰宅するだろと踏んで。私はセブンで買ってきたドリアをチンして。
「おっ、これって美味いじゃないの」とのんびりブラタモリを観ていた。

ところがどっこい、こまわりくん最終の9時を過ぎても帰ってこない。
あちゃあ、やったかな。飲みすぎてどこかへ行ったかなとそろそろ気が揉めてきた。
前歴があるのよ、多々。あっちの方まで行ったり、遠くからのタクシー帰還だったり。
本を読んでも数独やっても上の空。
9時過ぎなんてよその家では宵の口だろうが、夜が早い夫にとっては真夜中。
私も気分は真夜中。気が揉めてもスマホがない夫とでは連絡の取りようがない。
テレビつけて気を紛らす。ちょうど島津亜矢さんがバイオリン演奏とギター演奏で
♪帰らんちゃよかをしみじみと歌ってくれて、切なくなって。いいなあ、なんて。

と、10時を回ったころ外で車の音が。ん、あれは、でもタクシーの音じゃないから
違う家か、と思ったら「ただいま」って酔っ払った声。第一声が、
「おれ方向音痴だと思ってたけど、こんなだったか、駅からも帰れんなった」

電車は、会場居酒屋から一緒に帰った女性が降車駅で声をかけてくれて降りたんですって。
もう偶然とはいえ一緒になった女性に感謝よ。そうでなきゃ寝たまま終点まで行っちゃうわ。
まあともかく最寄り駅には降りることができた。
で、こまわりくん乗り場に行ってもバスがないことに気が付いて、駅行きのもう一つのバス
に乗って、適当にここだなというバス停で降りたそうだ。さあて分からない、家の方向が。
どの道を行ったらいいのか分からなくなったそうだ。酔っ払っているおまけに夜だからね。
ましてや名うての方向音痴だ、その辺うろうろしてたんだそうだ。
ここまでの経緯だって曖昧なのに、ここからは全く覚えてないと言うから
切れ切れの記憶をたどってのふたりしての推察ね。


ともかく、うろうろしていた夫は、その男性に声をかけたのかかけられたのか。
覚えてないけど、ここに行きたいとその人に住所を言ったんですって。自分の
住所は覚えていたんだ、それだけは忘れてなかったんだからまだよかったじゃないの、なんて。
そしたら、その男性が「そこなら近くだから」ってんで車で送ってくれたんですって。
男性が車に乗っていたのかどうかも覚えてないと言うけれど、乗ってたら声なんて
かけられないわよね。わざわざ車を出してくれたのよね、きっと、と親切な男性に感謝する。
で、夫が教えたわけでもないのに、分かりにくい自宅の前に何の迷いもなく止めて
降ろしてくれたと言うからGPS入れて分かったのかしら、と。あくまでも推察。
なにしろ何もかも覚えてないと言うんだから、どこぞの国の大臣みたいだ。
まあ10時過ぎに無事に帰ってきた夫。
「おれもこれからは人に親切にする、ばかだなんだって喚かない」
なんてやけに神妙になっているのよ。いつまで続くかしらね。そんな昨夜の出来事。

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

整形外科で

2024-02-10 09:07:29 | くらし

月に一度、骨粗しょう症の薬を処方してもらうために整形外科を受診している。
いやあ、待合室内に貼ってある骨密度測定のポスターを見て、うかうかと診断して
もらおうと思ったのが運の尽き。いつもなら無視しているのになあ、
暇に任せて読んでいたのね。

それが1年ちょいくらい前。
結果、腰椎の骨密度は合格だけれど、肝心の大腿骨の骨密度が少し足りない、
破骨細胞が多いから骨を壊している、ということで2種類の薬を処方された。
1種類は半年に一度の注射でもう1種類はビタミンDを月に一度処方ですって。
うーん、月一整形通いか、いやんなるなあ、ま、その時いっしょに膝に
ヒアルロン酸注射打ってもらえばいいやと都合よく考えて決めた。

で、1月も半ば整形受診。
通っている整形のいいところ、なんたって待たない。待たずにすぐに名前を呼ばれる。
医師の前に座ると「お薬ね、はい」とかなんとか。
「ヒアルロン酸注射もお願いしたのですけど」とごり押し。すると医師は、
「ありていに言えば」としばらくためらっている。ん?
「ありていに言ってください」と催促する。
「打ってくれと言われれば打つけど、効かないんだよね」なんてことを!
「軟骨はヒアルロン酸を栄養にして取り入れるけど、その軟骨がなければ入らないでしょ」
というようなことを。再びなんてことを!と内心叫ぶ。
軟骨が残っていれば効果ありで、なければ効果なしということか!うん、納得、そうか。
「だったら、これからは注射はしません」と宣言。はい。
「ところで、手術はどの程度でするのですか」と再度の質問。
「それはあなたが日常生活で不自由になったら決めることで、医者が決めることじゃないの」
ですって。
「あなたが決める」眼科でも言われたな。腑に落ちるような落ちないような。もやもやよ。

「町の整形は下駄の歯を入れることができればできるんだ」はマサちゃんママご主人のセリフ。
その言葉を思い出したのよ。ごめんなさいねドクター、でもほんとだわ、と留飲を下げたわけ。
あああ、薬のための月に一度の整形通いだけが残ったのかと、検査を受けたことを悔やんだり
して。数値が悪いのにね、そんくらいいいやなんて思ったわけよ。
ところが先日、Eテレで「圧迫骨折」の回を見ていたら、予防には「骨粗しょう症」
の薬を服薬することが大事と言っていたから、おーそうか、じゃ嫌がらず飲むかと気が晴れた。
再度、ごめんなさいねドクター、信頼してなくて。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歯科に行った

2024-02-08 09:01:24 | くらし

あああ、ついに歯医者に行って来た、いや歯科か。
どうも歯は歯医者で、目は眼医者と言いたくなる。ま、いっか。

自慢の歯の不具合に気が付いたのは1月の末。
なんたって70後半のこの歳まで歯はきちんと揃っている、虫歯は1,2本あるけれど
困っていない。それが・・・
物を食べると奥歯に詰まるのよ、舌で触ってみると大きな穴が開いていて、もう
びっくり仰天、なんでこんなになるまで気が付かなかったんだ、とわが身を責める。
いやだいやだ、毎食後物が歯に詰まるなんて、耐えられない。速攻で予約を取る。

「3、4年ぶりだね」って歯医者さん。そんなに経つのね。
レントゲン撮ろうと、もう何でもやってくださいの心境。で、出来上がった写真を
見せてくれながらの説明。虫歯があって、その上の歯が少しずつ欠けていったんだって。
「欠けていった歯はどこへ行ったんでしょうね」と聞いたけど、はははってなものよ。
歯をちょろっと削って「詰めるからね」と何やら押し込んでいる。
「どう?」と聞くから「違和感があります」と答える。
「詰めたばかりだからね、30分は食べないでね。終わりです」と言うから拍子抜けして。
私、この後本格的に詰めると思ったから「詰めないんですか」と聞くと、
「今詰めたよ」ですって、なんだそうか。「これで終わりですか」とさらに念押し。
終わりだよと言われても、えっ?!と。
歯科って何回か通院するものと思い込んでいたからね。さらに拍子抜け。
物足りない気さえしてきたわ。
でもでも、これからは歯医者さんにもお世話になるんだろうなあ。
毎月定期的に通ってお手入れしている人に追い抜かれて、歯医者通いになるんだろうな。
と、歯をろくに磨かない私は覚悟を決める。

それにしてもなあ、これで首から上の各部位は全て不具合ありになってしまった。
頭ね ピーマン頭街道まっしぐら
目  白内障進行中 視力が落ちていること自覚
鼻  後鼻漏の不快感絶頂 こいつを叩きのめしてやりたい
耳  左耳 耳鳴り進行中 ときにお休みすることもある
口  歯 虫歯がじわじわ
いやあ、お見事だ。頭以外大事にならないけど不快感はすごいのよ。

こんないやなお友達とお付き合いしているのよ。よく耐えているわ。

内臓関係の不具合は?って、知りません。
持病で半年に一度の血液検査するだけで、人間ドッグや健康診断なんて
しないから分からないの、知らぬが花。いいのか、とは思うけどいいのよ。
まあそのときはそのとき。
しょうがないから、取り敢えず今の不具合と付き合っていくことにしているの。


 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月5日 雪が降った

2024-02-06 09:02:30 | くらし

白い朝。
室内温度はどの部屋も6℃前後、血圧を測ったら150にもなったからさもありなんと。
敏感なものね。

天気予報通り雨から雪変わって、午後は本格的になってきた。
記憶にあるところでは、チュッパが生まれて娘のところに手伝いに行くその日、
前日に降った雪が道路にずいぶんと残っていたのが最後、それ以来かしら。
なんだか懐かしいような気がする、なんて言ったら怒られるわね。

12:42

それが13:00には

そして15:00には

 

後は布団に湯たんぽ入れてもぐりこんでいたから分からない。
それにしても、佐渡での子供のころの暖房といえば、炭を入れたこたつと火鉢しかなかった。
今よりずっと寒かった冬をそれで過ごしていたから、よくぞと思ってしまう。
風邪ひいて寝込んだ、ってな記憶もないものね。単に記憶にないだけかしら、いや、ないな。
そのかわり、もこもこと服を着ていた記憶がある。綿入りの半纏やちゃんちゃんこなどね。
新品の父の半纏を持ってきたから、今はそれを愛用している。

16:00の庭

夜になると、庭のそこここから雪の落ちる大きな音がする。
何か壊れたんじゃないかと思うくらいの大きな音だ。家は瓦屋根だから滑り落ちるんだな、
とは分かっているけれど、気持ちのいいものではない。
その音は、11時ころベッドにもぐりこんでも時折どたっと聞こえてきて眠れたものじゃなかった。

朝の様子。落ちた雪の塊。ありゃありゃ。

屋根はといえば

これじゃなあ

庭。
*ストックは心配しなかったが、*アグロステンマと*グラスペディアは折れただろうな、
と覚悟していた(左奥の草)が無事でやれやれよ。
今日は雪が解けそうもないから、*パンジーと*カレンデュラはどうなっているか分からない。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月2日

2024-02-03 08:58:34 | くらし

久しぶりに見た気がする朝の月。
そうね、ここのところ朝は曇り空の日が多かったからね。
前の家2軒分東の空に見える、下弦の月。

今日3日はチュッパの誕生日、10歳になった。正月に会ったきりで近ごろはご無沙汰よ。
10歳は、チュッパなんて呼べないな、なんて。
ということは、母が亡くなって10年が経つということだ。早いものだ。
母が亡くなったのは2014年2月2日、実家の町では亡くなって24時間経つとすぐに火葬する。
で、お通夜は3日夜。
その通夜振る舞いの最中に婿さんから「娘が誕生した」とのメールが入った。
もう、なんて言ったらいいのかの感情が込みあげてきて。皆さんにもすぐに報告した。
そりゃあ、どよめいた。いちばんの反応が口々にの「母さんの生まれ変わりだね」の言葉。
こんなことってあるのね。

父とは晩年の5年間を一緒に過ごすことができたが、母とは叶わなかった。
何しろ倒れて7年間、回復することなくただひたすら寝ていただけだった。
それでも、ああいよいよだな、との兆候はしっかり私に知らせた。
1週間くらい前から、繋いでいた管が全部外されて身体が楽になっていた。
手が少しむくんで紫がかってきた。
母の妹が見舞いに来たときは、それまで開けることのなかった目をぱっちり開けて、
誰かを探すように天井をしっかりと眺めまわしていた。それはそれは不思議だった。

2月に入り、ああ、今日あたり逝くな、との気配がなんとなく伝わってきて。
(看護師さんは、お世話をしていた人が私らより一番分かるって言ってたけどほんとだ)
私は寝具を借りて母のベッドの横に敷いた。
夜になったら母のいびきがすごくなって。それはまだ生きているよとの証のようでもありで。
横の布団で一緒に夜を過ごしていた私は、旅館でお泊りしているような気分になったものだ。
翌朝2日、3時過ぎに母は逝った。
不詳の娘だったけれど、最期には母の想いに沿うことができてよかったと思っている。
きれい好きだった母は、今日も雑巾を手にあちらでお掃除していることだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

儚い佇まいのシラがそこに 『シラの恋文』観劇

2024-01-24 08:27:38 | くらし

22日、日本青年館ホール『シラの恋文』マチネ観劇。

去年チケット取ってようやく観劇できた。
それが変、今までなら待ち遠しくて体調崩してはいけないとそれなりに
気を遣ってその日を心待ちにしてたのに。今回の舞台はそれがない、
淡々とその日を迎えたってな感じなの。
どうしようかな、とどこか躊躇するものがあったりして。
それがフライヤーの草彅シラの表情にやられて「ま、観てこようか」のなんとも
ファンとしてはあるまじき心がけで、熱烈さが足りない、ってそんな調子だった。

  パンフレット

それが、ああごめんなさい、草彅さん初めの役者さんたち。すっかり感激してしまった。
初演再演の2回観劇した『アルトゥロ・ウイの興隆』が、動の興奮冷めやらぬといった態なら、
今回の『シラの恋文』は静かにひたひたと感動が押し寄せてくる静の興奮といった感じ。
どんな話だったのと聞かれても困る。そうねえ分からないわ、訳わかんないのよ、としか
私のぼんくら頭じゃ答えられない。
ましてや、どんなテーマだったのかなんて小難しいことはなおさら説明のしようがない。

前に海が広がり後ろに山がそびえるサナトリウム。
そこへ一人の青年鐘谷志羅がテンガロンハットを被り現れる。このテンガロンハットには
大きな意味がある。
時はグレゴリオ歴2035年、サナトリウムには院長、医師で牧師の副院長、他の療養者たちが。
その中に野浦小夜がいた。ここで出会った志羅と小夜二人は「輪廻の恋」に陥るのか。
舞台は、突如間狂言が入りかと思うと草彅さんはギターを弾きながら歌う。
はたまた剣技があって、落語があって、コロナ、地球温暖化、戦争というテーマが盛り込まれていたり
何が何だかの世界。いったいどうなっているんだ、なんて。

 

(web拝借)

 

でもでもそんなことはどっちでもいいわ、サナトリウム、死と向き合っている毎日、そんな中にも
伝わる永遠の命、輪廻の恋といったものがひしひしと迫ってくるのよ。ゴーストライターになって
書いた志羅の恋文の美しいこと。
演出の寺十(じつなし)悟さんはパンフレットの中で書いている。
ー志羅の選択した道はごくシンプルなものでした。「どう死ぬべきか」は「どう生きるか」
に通じます。生きていると難しいことはたくさんあるけれど、自分の中にシンプルで確かな
ものがあれば、きっと生きていけるんじゃないか」ー
観終わった後、その時は言葉にできなかったが、感じられる何かがあって(それが寺十さんの
書いたことだったかも)ちょっと胸に迫ってきてこみあげるものがあったのよ。
その余韻は2日経った今でも蘇ってくる。

サナトリウムに来た志羅の佇まいは、今にも消えそうな儚さがあり、それでいながら強い
意志を秘めているようでもありで、草彅さんは舞台の上にいるだけでそれを表現していて。

段田安則さん鈴木浩介さんなどの根っからの舞台役者さんたちの達者なこと上手いこと、
もう目が釘付けになる、お見事。
間狂言で生き生きと演じる鈴木さん、段田さんが拍子木でリズムを討つと客席もそれに合わせて
思わず手拍子するといった具合ね。
それに比べれば、活舌の良くない剛君のセリフはいかにも物足りない、どこか不安げだ。
が、それがシラという役にぴったりと合って、儚げな佇まいが剛君の全身と重なって
剛君いうところの浮遊感があって、劇を深く盛り上げていくこれまたお見事、感激。
1時間45分がぐっと凝縮されて少しも退屈しなかった。もう一度見たいなと思わせる舞台だったわ。

3回くらい続いたカーテンコールのお客さんたちの拍手はあたたかい、(観劇後の拍手
にもいろいろある感じられる)また剛君の礼が丁寧なこと。彼の人柄がにじみ出ているわけよ。
私だって惜しみない拍手を送ったわ。舞台上に置かれたテンガロンハットにもスポットライトが
当てられたのにはやられたわ。
それにしてもなあ席運がない、志羅の表情をしっかりと見たいのにまたオペラグラス使用の席で。

【シラの恋文】公演ダイジェスト

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太るわけだわ

2024-01-21 08:50:15 | くらし

今朝は冷たい雨、暗い灰色の空で1日中降り続きそうな雨。
しかたないな、おとなしくしよう。

本郷ふじやま公園古民家入り口の生け花を撮ろうとしていたら、ボランティアと
思しき方が「お写真撮りますよ」って、遠慮してもどうぞどうぞって。
パソコンに取り込んでみたら・・・・ああだから嫌だって言ったのに。
もこもこに膨れた自分が写っているじゃないの、我ながらびっくりしたわ。
ふだん鏡なんて見ないからね、見ても横目でチラリだからね。がっくり。
体重増加の許容値がどんどん上がっているから、際限なく太っていくのよ。

いつぞや、Eテレ今日の料理でプロの八宝菜料理を見ていた。
材料ね、大根が入っていたのにもびっくりしたけれど、白菜が4分の1外側
一枚なのよ、鶏手羽先1本なのよ。えっ!?それが2人前の材料か、と
驚いたのなんの。少なくて。ニンジンやネギあとエビとかもあったとはいえ、
そんだけかとわが家の分量の多さに愕然としたわけ。はああ。

先日、教室仲間からお土産に群馬のひもかわうどんをいただいた。おいしそう。
見れば230g、どうしよう、この量は何人分だ?2人前?3人前?
パスタは減らしていって2人分160gにしているからな、それをもとに考えると、
と迷ったけれど、余らせてもなんだから、えい!全部茹るわ。具をのせて
あったかいうどんを作った。

さすがに少し取り除いたけれどどんぶりいっぱいになって、それでも完食。
多かったねと言いながらお腹さするほどでも食べた。そんなお昼ご飯。

ある日の昼食は、もう10年以上は食べたこともないクリームシチューを作った。
あのシチュー味は好きじゃない、でも急に食べたくなって栗原はるみの
クリームシチューを買ってきた。久しぶりだから、箱のレシピをもとに忠実に。
いやあ、材料見てびっくり。こんなんで4皿分か?!いいのか。
でも決めたんだからその通りに。さすがにじゃがいもだけは2個投入。

水だって牛乳だって分量忠実よ。さてと。おいしく出来上がり、お皿に取り分ける。
もちろん夫婦二人分。
これで4皿だなんて、そんなケチっぽい少ない量、食べた気がしないじゃないの、って
夫婦して完食。

よそさまよりはるかに多い分量を食べているから太るんだな、と改めて実感して。
おまけに食卓の残りの物を征伐して、これじゃ太るわけだわ。
で、毎日のように「明日からもっと少なく作る」と宣言する。が、守られた試しがない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

總持寺百間廊下と 鶴見線の思い出

2024-01-06 08:35:41 | くらし

今朝も、そっくりそのまま、北陸地方に押しやってあげたいような晴れ渡った青空。

鶴見 總持寺

大きなクスノキ そばに巨大な石組み

曹洞宗信徒です、という顔つきと佇まいの参拝客の中で観光気分の自分が落ち着かなくて。
広い境内は混雑もなく露店もないからすがすがしいのに。
花を手にされた方3、4人、年配の方の車いすを押してお参りする方、老いも若きも。
落ち着かなさはあってもこちらはしっかりと見学。

外から

總持寺を後にしての帰り道、突き当りに高架が、そして電車が通過していった。
あれ、車体は京浜東北線じゃないしって、そうか鶴見線か。

一気に、月一度利用していた40年以上前のことが浮かんできた。
持病治療が始まったのが鶴見線、鶴見小野にある病院。見つけてくれた医師が夜間勤務していたのよ。
仕事を持っていた私に「ここなら来られるか」って。
若かった私は、月に一度年休を取るって考えられなかったの。それで考えてくれて。
当時保育園児だった子供二人を連れて、毎月一度月曜日の夜、鶴見小野の駅から病院まで歩いた。
いい医師だったの。子連れだから一緒に診察室に入ると必ず子供にも声をかけてくれて。
「せんせい、一生のお付き合いになりますから長生きしてくださいね」と言うと、
「僕の方が先に逝っちゃうよ、今飲んでいる薬はガンにはならないんだよ」なんて。
肩にできていた粉瘤のことをちらっと話すと、いち早く切ってくれて、
検査に回したけどなんともなかったよ、と、えっ?とぼんやりしていた私が驚いてしまった。

居住区に基幹病院ができて副院長になり、そこに私も通うようになったが診察医師は代わった。
院長先生になり、しばらくしてお亡くなりになったことを知る。言葉通りになってしまった。
まだ働き盛りのお年だったのに。今でも温厚なお顔が浮かんでくる。
夜しか知らなかった鶴見線、鶴見小野駅の思い出。薄暗い乱雑だった診察室まで浮かんでくる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする