小さな日記

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15歳

2008年09月30日 | Weblog
息子が、アンジェラ・アキさんの「手紙」という歌を練習している。拝啓15歳の君へ。15歳の自分にあてた手紙。わたしも15歳の自分を思い返してみた。

わたしにとって14歳が自我をはっきり自覚した年だ。15歳は、自分の人生を行動に移し始めた年だ。そのころのわたしには、親、家庭が、自分のしたいことを妨げる大きな障壁に感じていた。自分が社会で生きていくことに、なんの不安もなかった。すごい自信家だったので、ひとりになったらしたいことはなんでも出来る気でいた。

一人っ子だったので、親の嗜好、親の夢の餌食にされて自分の人生が終わってしまいそうで息苦しかった。15歳、夏休みの宿題に、友人の肖像画を描いた。始業日の前夜遅くまでかかって懸命に仕上げた作品は、朝目覚めたら、母に筆入れされて、背景の色は違う色に、顔も似てもにつかないものになっていた。久しぶりに絵筆を握り、嬉しくて興奮した母が上気した笑顔で「すごくよくなったでしょ!」と言った。

そのとき、食ってかかる気も、怒りもなく、わたしは親を諦めた。もうなにも反論するまい、争いを起こさず、死んだように心を隠して、親と上手く暮らして独立の機会を伺おう。家出しても大捜索されて連れ戻されるだろうから、大学に行くのが一番手っ取り早い。それまでは、自分の生を諦めよう。そう決心した。

そして、本当にそうしたのだ。嘘で固めて流していった4年間。15歳、わたしには転機の年だった。そのころの自分になんと言おう。

よくやったね。あなたのおかげで、今はほしかった自由な暮らしをしているよ。親のしたことも、過去のこととしてなんの感情も残っていないよ。家庭のことだから、誰にも言えず、言わず、15歳から19歳まで、重苦しくもなんとか耐えて、大学入学で上京してから、花火のように爆発したんだね。あなたがえらかったと思うのは、どんなに辛くても自分を貶めず、自分の「いつか」を信じたこと。いつか、自分の好きにやってやる!って思ってたよね。自由が、自分にとってとても大切なことに、あのときあなたが気づいたから、今のわたしがあるの。これからも、あなたがまだわからなかった自由の質を高めていくよ。ありがとう。

なんだか、今の自分より、15歳の自分の方がずっと苦労人で頑張りやさんだったような気がする。

崖っぷちの

2008年09月29日 | 映画
我が家の男二人と「崖の上のぼにょ」を見た。以下、ネタバレ注意!

この映画には、3組の男女が登場する。ぽにょと男の子。男の子の両親。ぽにょの両親。この3組の男女関係がそれぞれ異なる。

男の子の父は船乗りで、ほとんど家に居ない。母も子も彼を慕っているが、生活はほとんど母子家庭。母は、日常、一人で責任を担い、たくましい。父の帰宅に便利な海沿いの家に住み、子どもの保育園に隣接する老人施設で働く。家族に合わせた生活だ。

ぽにょの母は、魔女で、ほとんど海を回遊して家族と離れているようだ。ぽにょと姉妹たちは、父親が世話をしている。魔力を封じるために閉じ込めるので、ぽにょは「大嫌い!」と言う。母親のことは慕っている。けれど、魔力を持ったのは、母親のせいであり、父親は損な役回りをさせられているだけだ。父親は物事を解決するに魔女の助言を必要として頼っている。魔女はぽにょたちを愛しているが、父親をどのように愛しているかは不明。

そして、ぽにょと男の子。お互い大好きになったことで起きたトラブル解決方法として、ぽにょが魔力を失う代わりに人間になるために、男の子がぽにょへの愛を誓わなければならない。男の子は、ぽにょと出会った最初から「ぼくが君を守るよ」と言い続けるのだが、いざという時に物事を解決するのは、ぽにょの魔法だった。その事実認識があるのかないのか、結局、ぽにょは魔法を放棄して、人間になって男の子と生活することにする。

この3組から以下のようなメッセージをわたしは受け取った。

女の子は、魔力を持っていると広い世界に自由に行けて、動じない処理能力があって悩みなく装飾品をたくさんつけて美人でいられる。(魔女)
女の子は、愛のためには狭い世界で不自由に苦労して受身で暮らすことも楽しくできる度量がある。(男の子の母)
男の子は、愛の気持ちはあっても、現実世界で女の子を守ることはできない。(男の子の父、ぽにょの父、男の子)

帰り道、男二人と、ぽにょと男の子のその後の行く末がどうなるか想像しておもしろかった。

なんといっても、ぽにょの元気が一番のメッセージ。宮崎監督、子どもたちに元気であってくれー!と切なる願いなんだろう。自分が好きなこと、したいことを、はっきりわかってるぽにょ。親の顔色見ながら好きなこと、したいことを決めようとする子が多いからね。女の子、この世界をなんとかしてくれー、君たちにはその力があるだろう!って叫びが聞こえてきた。わかるけど、でも、それ、虫がよすぎると思いますけど? 

突然寒くて

2008年09月28日 | Weblog
涼しくなってきたので、シチュー。アサリの剥き身缶と豆乳、4種のきのこ、たまねぎ、にんじん、じゃがいもを入れた。個人ができる地球温暖化を防ぐ一番効果のあることは、肉食(特に牛)を減らすことだ。我が家は、肉も魚も、どんどん減らしてきているけれど、時々、デミグラソースがたまらなく食べたくなることがある。でも、アサリと豆乳のシチューは大満足、大好評。

ひとの都合ひとの呼吸

2008年09月27日 | Weblog
歌舞伎座の玄関をはいると、階段がある。きのう、母はそこで転んだ。歌舞伎座の受付にはたくさんスタッフがいて、出迎えてくれるのだが、その中の一人が、老齢の母を見て、急に触ったからだ。

もちろん、親切な気持ちで手助けしてくれるつもりだったのだけれど。「あらぁ、大丈夫ですか」とか大声で言いながら、わたしが止める暇もなく、あっというまに手を出した。母は、いつも一歩一歩、慎重に集中して歩いている。片手間に気楽に歩けるほどの能力がもうないのだ。だから他人から見れば手を貸してあげたくなるのはわかる。けれど、一段一段自分のリズムで登っていくのを、全く呼吸を読まずに突然触れるのは暴力であることがわかるひとは、少ない。まず、行動している最中に話しかけること自体が迷惑だ。集中が妨げられる。リズムを乱され、聞こえない言葉を聞き取ろうとして、母はバランスを崩した。

帰り道、「やっぱり自分の親切心を満たそうというエゴなんだよねぇ」とブツクサ。手を貸してあげたいと思わせる見てくれになってから、母は、そういう悪気の無い暴力に応戦するのにげっそりしているのだ。ありがたくもないのに、ありがとうと言わせたい相手を満足させてあげなくては、自分が意地悪ばあさんになったようで気色悪いから「ありがとう」と言う。すると、相手は喜ばれたと思うから同じことを繰り返す。

わたしは、母にはっきり断ればいいと進言するのだが、それはいやなのだ。遠回りに「ご迷惑でしょうからけっこうです」と言っても、相手は「迷惑じゃありません。大丈夫です」と、言うに決まってる。母は「迷惑ですからけっこうです」と、言えない。福祉や介護の現場って、そういうことが多いのかもしれない。

他人に手助けしようとするなら、よーく観察して、相手の呼吸をわかる自信を持ったときに、適切なタイミングで適切な言動をしなくてはね。呼吸も読めないで自分の呼吸を相手に押し付けようとするのは、暴力です。自分と相手を同じに思うのは大間違い。「自分がしてほしいことを相手にしましょう」というのは諸悪の根源。
自分が相手だったら、と、想像するのは、本当に難しい。技がいる。だから、「こうしてもらいたい。ああしてほしくない」と、当事者が言うのが一番良いと思うのだけれど、図々しいと思われるのがいやらしい。

歩くのも階段も、わたしは母がつかまることができる近くにいて、けれど、手をひいたり、触ったりしないのが、今の母には一番よいようだ。わたしは、自分がこれこれをしてあげたい、とは、決して言わないようにしている。しようと思えばこれができる、あれもできる、しないこともできる、という0ゼロの状態を母に示し、どうしてほしいか尋ねる。なにもしないでほしいと相手に言うことが負担でない関係にしたいと思っている。

草花の水遣りも加減が大切だものね。相手に沿うということ。誰の言葉だっけ、誠意をもって放っておく。。。

秀山祭9月大歌舞伎

2008年09月26日 | Weblog
歌舞伎行脚第3回。中央線の人身事故で30分も電車が止まり、10分ほど遅れて到着。残念。
今回も期待以上に新鮮で、興奮して帰ってきた。歌舞伎ってすごいね。役者さんも裏方さんも、お囃子さんも本当にすごい。日本の誇りだわ。

今回は、義太夫狂言と義太夫舞踊。感情表現の抑制がない義太夫。歌の方は真っ赤になって青筋たてて、ひっくりかえるんじゃないかと心配になるほど。激しい生音は、ヘヴィメタを凌ぐ迫力。

逆櫂は、吉右衛門が貫禄。見得きりの妙。海に浮かぶ船が3重の波を横にすべらすことで、進んでいるように見せる大道具の楽しさ。緞帳をバサリバサリと落として舞台転換する面白さ。戦いの場面も、全く体も武器も触れ合わず、呼吸で戦いと見せる技。歌舞伎って、「これをやってるんだよ」「あぁ、わかった。これをやってるんだね」と、舞台と客が了承しあって進むのがまた一体感を生むのだと思う。学芸会。科学とテクニックを駆使してリアルに表現する昨今の映画と真逆だ。

玉三郎のおろちの隈取は、おどろおどろしいのだけれど、よく見ると(オペラグラスで)かわいいの。生き物のいじらしさが損なわれてない。歌舞伎の隈取を真似てロックのひともお化粧したけれど、けっこう、滑稽、愉快。化粧まで心が表れるものだと驚いた。すさまじくこわい化粧なのだけれど、こわい生き物に生まれた性の悲哀を感じさせられた。
衣装は金と黒の三角うろこに、裏は赤。踊りの素晴らしさは、ことばにならない。
玉三郎は、テレビで見て気に入って踊りのDVDを数本買ったけれど、生は格段良い。同時代に生まれて見ることができた幸福。

行く、見る、帰るという行為だけで、母は疲労困憊するけれど、それでも行こうと思わせる、行ってよかったと思わせるものは、今のところ他にない。

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2008/09/post_30-Highlight.html

ケンミン気質

2008年09月25日 | Weblog
友人の音楽家、田中宏さんが編曲した「夢に会いに行こう」という宮崎銀行のCMソングが、うわさのケンミンショーという番組で、オンエアーされた。
http://www.miyagin.co.jp/stream_cm/index.html宮崎県民なら誰もが知っているという歌。それもそのはず、明るい歌詞と覚え易いメロディー、宮崎銀行という言葉がはいっていないのもいい。田中さんのアレンジも素敵。

田中宏さんは、合唱指導、声楽家とご活躍で、日本の歌をみんなで歌う会も主催なさっている。わたしも数回八王子の会で歌わせていただいた。

http://www.officefon.com/
本拠地は、山形県鶴岡市。ケンミンショーでは、山形県では普通という鞘付枝豆や、とうもろこしの味噌汁を紹介していた。まるごと入れて、最初に汁だけ飲み、あとで、枝豆やとうもろこしを食べる。とうもろこしもぶつ切り芯ごと。とても合理的でエコだなぁと感心した。ゆでるのにお湯がいらないし、ゆで汁も飲むので栄養の損失がない。けれど、保守的なひとは、手抜き料理のように思うだろう。

これが市民権を得ている山形県は、女性に「こうあるべき」と押し付けることが少ないのではないかと思った。自由だ。そういえば、わたしの知っている山形の男性は、全員、わたしは男である!といばることがない。明るくてユーモアがあって、生活を楽しむひとばかりだ。

田中さんは、我が子とこんなことしてるおとうさん♪
http://www.voiceblog.jp/pierrot/

企業の取り組み

2008年09月24日 | Weblog
昔、ユニクロだったか、フリースを持っていくと引き取ってくれたような..わたしはフリースは着ないからよく覚えていないが。割れた陶器を引き取ってくれて再生陶器を作っていたデパートもあった。それは、いつもではなく、年に一回だったか。

今度はちょっと利用したくなる試みだ。北陸アルミが同社の「エコプラウド」というフライパンを販売する際、着払い宅配便の送付状をつけてあって、廃棄処分するときに送ると、同社が再生地金にして売却するそうだ。消費者にメリットはないけれど、「燃えないゴミ」として市に回収してもらって、その後どうなるのかうやむやよりよいかもしれない。いろんなことが表向きと違うから、よい「かも」しれないと言いますけど。他者のフライパンもアルミなら同梱できる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080924-00000015-nkn-ind

http://www.hokua.com/ecoproud/function.html

http://www.hokua.com/ecoproud/recycle.html

素敵なお客様

2008年09月23日 | Weblog
連れ合いのコンサートが国立で。小さなホールで30人入ったら満杯。こじんまりして楽しいね。いつもコンサートに来てくれる亀のサタちゃん。きょうは、くぅちゃんも初めて来てくれた。亀さんが2匹も来てくれるミュージシャンは、なかなかいないでしょう!と、得意げな連れ合いでした。

1部は親子コンサート。2部はおとなコンサート。1部で、初めて「崖の上のぽにょ」を演奏。連れ合いはつい先日この映画の舞台となった鞆の浦(トモの浦)(広島県福山市)に行き、不要な橋を作り自然を荒らす計画を知った。小さいひとたちもそういうお話を熱心に聞いてくれた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080923-00000932-san-soci

瀬戸内海に

2008年09月22日 | Weblog
友人に誘われて娘と3人で、谷保のかけこみ亭の「長島の自然を守る会の写真展」に行った。長島は山口県瀬戸内海にあり、そのすぐ近くに、中国電力の上関原原子力発電所建設予定地がある。埋め立てをして建設するのだが、その埋め立てをストップさせようと、立ち上がったひとたちが写真展を巡回展示している。

画像は、その一枚で、日本の天然記念生物、カンムリウミスズメ。このほかにも稀少な生き物の美しい写真がたくさん。不要な発電所を作って生態系を破壊し、核汚染のリスクを背負う日本。この付近の海は、原発をつくるかどうかの様々な調査で、既に自然が荒らされ、多数の生き物が死滅したそうだ。

見たことも無い、不思議な海の生き物たちを見て、住む地にどれだけ多種の生物がいるかで、人間の命の力が決まってくるのかもしれないと感じた。こんな都会に住んでいても、土の下には、見えないような小さな生き物がうじゃうじゃいる。だから、まだ、わたしも生きていられるのかもしれない。

埋め立てをやめてもらう署名のサイトです。第一次締め切りは9月26日です。
http://www.shomei.tv/project-116.html
上関原原子力発電所についてのサイト
http://stop-kaminoseki.net/

移り行く季節

2008年09月21日 | ハンドメイド
この夏は、まず、クーラーはなるべく使うまいと努めた。打ち水が思いのほか効果があった。断水騒ぎがあって、節水はずいぶん上手くなった。水道のメーター、特に下水道が大幅に減った。今でも、お風呂の残り湯をペットボトル10本、トイレに床置きしてタンクに入れるようにしている。ただ、これは、冬場もできるか自信がない。湯は冷たいし、廊下は寒いから。

雷雨が多かったので、自分の体が気圧に敏感に反応していることがわかった。きょうも、体調不良で雷雨。あす会う友人にマフラーを作った。気に入ってくれるかな?手を動かすといつもしあわせ。マダム・マフラーの季節到来!

兵士を見送る

2008年09月20日 | Weblog
息子が見ようと言うので、なでしこ隊(特攻隊を見送った15歳の少女たち)のテレビを見た。最初から最後まで涙が出っ放しで、そうなることはわかっているから見たくなかったのだが。

わたしの母は、特攻隊員と同じ年頃で、なでしこ隊と同じようなことをしていた。小樽港から出る戦艦に乗る兵士をもてなし見送っていたのだ。祖父が持っていたホテルが軍に接収されて、兵士たちが使っていた。食事や宴を共にし、港で見送って一週間もたたないうちに、その船の撃沈の報が届く日常。わたしは、幼いころからずっとその話、その思いを聞いて育った。

父は大学を休学して、海軍の大佐軍医となり、戦後はロシアの収容所に捕虜となって数年間過ごした。特攻隊の遺文集が出ると必ず読み、広島の平和祈念式典に参列していた。生き残った者という感覚がいつもあったのだと思う。

テレビでは、特攻隊の行く食堂のおかみさんが、敗戦を知り、「わたしは一度も兵隊さんが行くのを止めなかった。止めなくてはいけなかったんだ」と号泣した。
止めて逃亡兵を支援、保護する組織に送れたらよかったろうに。でも、そんな組織、あったのだろうか?

台風13号の前に

2008年09月19日 | ハンドメイド
日帰りで京都に友人の展覧会を見に行った。久しぶりの一人旅。朝6時に出発、10時に展覧会、玉置半兵衛麩で昼食、4時に帰途に着き、8時に帰宅。と、書くはずだったのだが、目覚めたら左目が真っ赤。留守にするので、数日張り切って掃除したせいか、ばい菌が入った模様。寝たら治るかと7時まで寝てみたけれど、治らないので諦めた。残念!

休むが一番と、夕方寝をしたら、5年ほど全くみていなかった夢を見た。
キムタクがうち(なぜか、一軒家、古い洋館)の2階に勝手に住んでいて「キムタク、あなた、子どもも家庭もあるのに、こんなとこにいていいの?」と聞いたら、「ボクはキムタクではなくて、詐欺師なんですから、信用しないでください」と言う。散歩のあと、一緒に満員のバスに座って爆睡して、家の前で彼と別れ、2階に行ってみると、住んでいた形跡が。しかも、磨きぬかれたガラス窓は、隣家と繋がっていたので、隣家に苦情を言うと「設計ミスで昔からこうで、もうひとつ隣とも繋がっていた」とのこと。見取り図を見ると、隠し部屋があちこちにあって、3軒が通り抜けるようになっている。明治の総裁の家のようだ。困ったもんだ、キムタク詐欺師はなぜうちに住んでたのか?と、ミステリーサスペンスの中にいるようで、会話のテンポもすごくよくて、なかなかおもしろい。これからどんなことが起きるのかしら?と思って目が覚めたら、息子がテレビアニメのテンポのよいのを見ていた。音に反応したのだろう。

旅に行けなかったから、わたしがかわいそうで、久しぶりに映画のようにおもしろい夢を見せてくれたのかしら?誰が!?キムタクが特別に好きではないけれど、あとでコマーシャルに出てるのを見たら、妙に親近感。

めがねと眼帯で昨日の友人のお母様に、コースターとポットマットを作った。3枚ともリバーシブル。使ってくださるといいな。

鬱病さん、いらっしゃい!

2008年09月18日 | Weblog
生協で、久しぶりの友人にばったり。お母様が鬱病になって、遠距離介護しているとのこと。母に言わせれば老人で鬱でないひとなんていなくて、そうじゃないふりができるかどうかだと。そうじゃないふりができているうちは鬱病と扱われないということか。

母の口癖は「めんどくさい」と「疲れた」で、なにかをしようとすると、する前にこれが出る。何年前からだろう、いや、40代から少ないけれど言っていたように思う。東京に来て一緒の時間が増えて、聞くたびにこちらもげんなりしていた時期もあったけれど、その言葉の意味をその時沸き起こった心情と解釈しないことにした。つまり、母は、一日24時間疲れていて、生きることがめんどくさいのである。だから、なにかをやめれば元気になってめんどくさくなくなるというわけではないのだ。BGMのようにその言葉を聞き流しながら、一緒に時間を過ごしていれば、ときには大笑いすることにもでくわすのだから、それでいいのだ。

アレキサンダー・テクニック、片山整体、ホ・オポノポノと、出会った技術を学んできて、共通しているのは、相手を好きにさせておくこと、自由を奪わないこと、プッシュしないこと、そして、自分を調えていくこと。めんどくさくて、疲れて生きるのはいけないことだ、と、ジャッジしないことが肝心だ。なにより大切なのは、わたし自身がリラックスしていること。そう努力してきた。

友人の話を聞いていて、「誰だって鬱病になる権利がある!」と思いついた。そうだ、病気になるのも本人の自由なのだから、その自由を尊重することが大切なのだと思う。本人も、病気を後ろめたく恥じたり、周囲に迷惑をかけると、病気を敵に思ってはいけないのじゃないかしら? 鬱病さん、いらっしゃいませ、ちょうどよい時にいらっしゃいましたね、いつまでも、ご自由にいてけっこうですよ。と、扱ったら、必要以上に滞在しないのではないかと思う。

友人には、五感を刺激してあげるといいよ、と、アドバイスして別れた。好きな色を身近に置くとか、良い香りをさせるとか、大昔を思い出す音楽、映画、子ども時代に食べた料理、、、わたしの母には、効果的だ。目の覚めるような鮮やかな色も、薄くなってきている目には、心地よいようなので、真っ赤なクッションやピンクのランチョンマットを使う。大昔の映画を探して見せてあげると興奮してたくさん話す。なんでもいい、本人が興味を持つきっかけを探して。

フルコースランチ

2008年09月17日 | Weblog
娘が母の誕生日と敬老の日記念に、勤め先のホテルのレストランに招待してくれた。母は晴れ女。歌舞伎の時と同じく、きょう限りという晴天のおでかけでよかった。ホームページには駅から3分とあったが、母は途中、腰掛けたりして15分。35階建ての20階にあるレストランは眺望も素晴らしく、新宿御苑や代々木公園を一望にする。

なかなか美味しくて、デザートにはチョコメッセージまでつけてくれて。娘曰く「初任給でプレゼントなんて何年も先になりそうだから、バイト中に招待したかった」と。
母は、娘を、幼稚園時代、よくホテルのレストランに連れて行ってくれた。娘はおすましして食事するのが好きだった。「孫にフルコースをご馳走になるとは、長生きするものね」、と、母も感慨深げ。ありがとう!

台風、リーマン、AIG、汚染米、、、地上日常全てとかけ離れた至福のひとときでした。

嫌われ松子の一生

2008年09月16日 | 映画
べてるの家には、自称「嫌われ松子症候群」を名乗る女性が大勢いた。だから、どうしても、この映画を見なくてはと思っていた。大好きな「下妻物語」と同じ、中島哲也監督なので、映像が楽しく美しい。ストーリー、というより、松子さんの生涯は、波乱万丈だけれど、わたしのちょっと上の世代なので、ファンタジーに作られた映画なのに、現実味があって生々しく迫ってきた。そうそう、同じ歌手だし。
好きな映画がひとつ増えた。でも、山田宗樹さんの原作もぜひ読みたい。

http://kiraware.goo.ne.jp/