小さな日記

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2008年03月31日 | Weblog
本は、できるだけ、処分して手元に置かないようにしているのだけれど、決して再会はしないだろうものは、なかなか手放せない。そうやって何十回もの選抜に生き残ったものに、フェミニストという雑誌がある。1977年創刊で、創刊号の表紙はオノヨーコ。わたしはこの写真が好きで、特大版のポスターを部屋に貼っていた。この雑誌は、高い志で勇んで作られた昂揚にあふれていて、何回読んでも新しい発見がある。新しい女たちの「青鞜」というサブタイトル。覚えているひと、いるかしら?というわけで、今回こそ、売ってしまおうとパラパラ読み始めたら止まらなくて、やっぱりとっておくことにした。

三寒四温

2008年03月30日 | Weblog
肌寒くなってしまった。ルームシューズを脱ぎ、薄着になったから、冬よりかえって暖房がほしくなったりして。今冬は、暖房なく過ごし、風邪もひかなかったのだからえらいぞ。こんな時期に風邪をひくから、注意しなくては。しょうが紅茶を飲んで、ルームシューズを履くことにした。

南アフリカの長期滞在を終え、タイに移った娘は、暑い暑いと電話してくる。タイのムシムシは頭がぼーっとしてしまう。

わたしは暑いより寒いほうがありがたい。

春準備

2008年03月29日 | Weblog
もういいだろうと、コートやダウンを洗ってしまった。糸遊びも、冬糸をしまい、春糸の引き揃えに忙しい。10色ほど組み合わせて玉巻きにする作業は、食卓を使い、床面を覆うので、この一週間、母を招くことができないでいる。毎晩、お弁当を作って届けていたが、きょうは、お向かいの和み亭で外食。

濡れ桜

2008年03月28日 | Weblog
友人たちとお花見がてら国立ランチ。初めてのロシア料理のお店。小説で読んでどんなだろうと思っていた「サモアール」を初めて見た。雨にそぼ濡れた桜もまた、風情がある。気候のせいか、老化なのか、国立の桜は年々色が薄くなっている。それでも、大学通りの両側が見えない先までずっとまっすぐ薄紅色なのは、壮観。街が明るくなる。

春はあけぼの、ぼけはじめ

2008年03月27日 | Weblog
国立の桜は、満開! ちらほら舞い落ちている木も。ちょっときょうは、風が冷たくて、暖かい日には、母を連れてきて、見せてあげたいのだが。
長期留守中の娘のアパートに風を通してちょっと模様替えでもしてあげようかと、息子に掃除機を運ばせて出向いたのだが、鍵を間違えて入れなかった。きのう、近所の方が「あっちでもこっちでも友達が痴呆症になっちゃってさびしいの」とおっしゃってたけど、わたしも?ただの春ぼけと思おう。

責任

2008年03月26日 | Weblog
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ハワイの旧い風習では、村の子どもが盗みをすると、カフナ(深い古代の叡智を供えた人)によって村人全員が集められて、「あなたの欲しかったものを、与えてあげられなくてごめんね」とその子どもに言います。
貧しい村人には、「与えてあげられなくて、ごめんなさい」と言うのです。村人全員が、この子どもや貧しい村人に「責任がある」と考えるのです。
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http://peaceltd.com/special.htm

レン博士のことを検索していたらこんな文章をみつけました。わたしは、世界中がこうあればいいと思います。

ホ・オポノポノでは、世界の全てが100%自分の責任。自分の中のことだから。

戦争や虐待、差別、自殺、殺人、強盗、そういった悪いことを、自分を不幸にする敵とみなして、忌み嫌ったり、怖れたりしているのは、戦争をしていることだと思います。反戦運動と銘打って、戦争をしていることになってしまうのです。

自分を不幸にできるのは、自分しかいません。自分の恐れを消せるのも、自分しかいません。

責任を果たすことと、責任を感じて不幸でいるのは、全く違うことです。

「平和とは、敵がいない状態」~イマニュエル・カント




I love you

2008年03月25日 | Weblog
レン博士は、日本に来るにあたって、「i love you」の日本語を調べ考えたそうだ。そして、日本語には、「I love you」にぴったり合う言葉が、概念が、ないと判断された。近いのが「大事にするよ」だそう。

ご自身、常にクリーニングし続け、心の中で「I love you」を繰り返されているレン博士は、自足して、そこに居た。ニコニコして、「みなさん、愛してますよ~」「みなさ~ん、なにか困ったことはありませんか~」と、両手を広げてひとと関わろうとしてなくって、本当に嬉しかった。

「愛をあげます」と、ひとに迫る奉仕のひとは、わたしには、愛の欠落を、他人に埋めてもらおうとしているようにしか見えなかった。「愛をください」という悲鳴が聞こえた。

レン博士は、「愛をください」にどう答えたか。「わたしはどうすればいいでしょう?」にどう答えたか。「あなたがゼロに戻りなさい」だった。さらっと。

「君子の交わりは淡きこと水の如し」
東洋も西洋も、常に光の中にいるひとは、そういうことだとはっきりして、わたしは安堵したのだった。

けれど、「愛をあげます」「愛をください」というひとたちが見えたのは、わたしのクリーニングが至らないからだとわかった。すごい。

わたしの文では、4時間のお話をうまく伝えられません。とても素晴らしい通訳をしてくださったきくちゆみさんのブログで概要が読めます。
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2008/03/blog-post_24.html

レン博士のメッセージ

2008年03月24日 | Weblog
日本人は、良い食糧を作る才覚を持っているから、車ばかり作ってないで、食糧を作ってください。

ひとりひとりが、「ごめんなさい、ありがとう、大事にします」と、自分自身を調和させることによって、迫り来る大地震を回避できる。

地球はレイプされている。重油や金属などを、地中から奪ったことで、地球の重さのバランスが崩れ、ゆるやかな自転をぎくしゃくしたものにしている。

紅葉は肺や呼吸器、銀杏は肝臓、柿は怒りに効力があるから、はっぱを家の中に置いたり、持っているのがよい。

世界の悪いことの90%は男性への女性の憎しみが原因だ。なぜなら、長い年月、女性は不当に扱われ、虐待されてきたので、その想念が連鎖し、増大している。

物にもそれを使ったひとの想念が残っているから、部屋にはいる前、椅子に座る前、ペンを使う前、他と関わるときは、その前に、自分をクリーニングするように。テレビのスイッチなど、無防備につけるものではないようだ。潜在意識(innner child)は、情報メモリーを即座に膨大に吸収する。顕在意識(mother)が15受け付けたとき、潜在意識は1100万受けている。だから「ごめんなさい、ありがとう、大事にします」と、潜在意識をいたわり、メモリーをゼロの状態にしなくてはいけないのだ。自分がゼロになったとき、はじめて、デヴァインクリエイターからのインスピレーションを受けることができる。考えるのではなく、インスピレーションを受けることが大切。

ホ・オポノポノとは、記憶が(意識、潜在意識の中で)問題を再演するひとのエラー(間違い)を正すこと。

4時間の講義、単純だけれど、深遠で、このくらいしか書けません。

思うに、自分で考えたと思っていることも、インスピレーションであったかもしれない。考えて考えて考えて、そして、ある日ふと、「これだ!」と納得のいく答えが得られるというパターンがわたしは多いのだ。その考えて考えて考えての部分で、雑多な情報が消去されていくということかもしれないし、その部分がまったく不要だったのかもしれない。






イハレアカラ・ヒュー・レン博士

2008年03月23日 | Weblog
ハワイのヒーラー、レン博士の津田ホールでのお話会に行った。「つまり、外なんかないんだよ」という文章を読んで感服したのは、ずいぶん前のこと。
http://www.occn.zaq.ne.jp/aoisora/Ihaleakala.html
お会いできるというので、ウキウキ。静かな声でユーモアたっぷりの語り口。シュワーっとそこにいらっしゃる佇まい。至福の4時間だった。
菊池ゆみさんと、玄さんの通訳が、また、素晴らしかった。
向谷地さんと同じ。ありがとうから始まる平和。自分を調和させ続ける、ただそれだけ。ゼロに戻る。言うは易く行うは難し。
THE NEW TIMESのインタビュー記事
http://moritagen.blogspot.com/2007/11/blog-post.html

戦争をしない国日本

2008年03月22日 | 映画
東京マイコープ国分寺平和班主催の映画会に行きました。
「戦争をしない国日本」
http://www.filmkenpo.net/

電車の車両全部を占領して座っている迷彩服姿の大勢の自衛隊員や、富士山の麓で行われている、日米共同の軍事演習の映像。
アパルトヘイトのように、隔絶されていて、日常見えていない日本の「軍隊」





ありがとうございます2

2008年03月21日 | Weblog
べてるでは、自分がお願いしても去ってくれない幻聴さんを友達が追っ払ってくれることもある。電話でも有効らしい。「どうしても帰ってくれないの」と友達に訴えると、友達が「○○さんを心配して来ていただいてると思いますが、○○さんは、わたしやみんなと楽しくやってますので、大丈夫なので、どうぞ、安心してお引取りください」とかなんとか、言ってくれて、いやな幻聴さんは去っていくこともあるようだ。

そして、幻聴さん自身が成長して、悪口やこわい命令をしなくなって、楽しいお誘いや明るい提案を言い出すこともあるのが、べてるのすごいとこ。

8年前にべてるを知ってから、わたしも、まだ会っていないべてるのひとたちに思いを馳せながら、同じことを日々試みてきた。根気のいることだ。

ありがとうございます

2008年03月20日 | Weblog
べてるの家では、統合失調症のひとが「幻聴」さんに困らせられることが少なからずあって、どうやって、お引取り願うか、その技が、当事者たちによって、実験、研究されている。まずは、丁重に「お気にかけて来ていただいてありがとうございます。でも、わたしはきょうは大丈夫ですので、お帰りください」と頼むそうだ。

これは、使える技で、わたしも、自分がいやな思い、考えにとりつかれそうになると、丁重に「ありがとうございます。でも、きょうのところは間に合ってます」と頼むようにしている。これは、「こんな考えはいけない」とか「こんなふうに思うのはわたしっていやな奴」と叱咤するよりずっと効果がある。

「ありがとうございます」は、おまじないのように、心をゆるめてくれるのだ。

領収書

2008年03月19日 | Weblog
ちかごろ、でかけるとちょっとの時間でも本屋で立ち読みして、おもしろいことばと出会おうとしている。

きょうは、クリスチャンの渡辺和子さんの本。彼女は昔、こう言われたそうだ。「請求書ばかりでなく、領収書のお祈りをしなさい」つまり、ああしてください、これをお願いします、とばかり祈るのではなく、これをありがとうございました、あれをいただきましたという報告と感謝の祈り。

おねだりばかりが目に付く世の中。平和、安全、年金、値下げ、安心、、、、
ささやかでも、日々の暮らしの中に、平和、安全、安心の一こまを探して、毎晩言葉にしてみる習慣を持つといいな。そう思ったことでした。

100点満点

2008年03月18日 | Weblog
カレン・キングストンさんの「ガラクタ捨てれば自分が見える」に「私が崇高な道を選べば、必要なものは全て与えられる」という言葉がある。

自分に点数をつけるとしたら何点かという問いに、「10点か20点、せめて80点は取りたいですね」と言ったひとに、向谷地さんはこう答えた。

「実はとても残念なことですが、あなたはすでに100点満点なんです。あなたにとっては不十分で不満足なままでも、残念ながらもうすでに100点満点なんです。何か人生の目標を失わせたようで申し訳ないですね、、、、」
「べてるの家」から吹く風(いのちのことば社刊 101頁より)


すでに、ひとはみな、崇高なのだ。

べてるの家、向谷地さんのお話

2008年03月17日 | Weblog
北海道浦河町の「べてるの家」から、向谷地生良さんが、府中「カフェスロー」に
いらしてお話会。べてるの家の本を何冊も読み、なにか凄いものをつかんだ気がしては言葉にできない苦しさに胸かきむしるわたしと、やはり本を読んで感服した友人と、実際べてるでコンサートをした連れ合い、3人でいそいそと出向いた。

向谷地さんは、演壇にあるがままに座っていて、話がトンチンカンでずれても、ただ座ってらした。その佇まいが素晴らしかった。べてるのことは、本質が伝わり辛いものと思う。「それも、順調」と、導きに任せる心が、姿に表れていた。放出しない。ただ受けている。凄い。本を読んだら「凄い本を読んでしまった」と思い、ひとを見たら「凄いひとを見てしまった」と思う。

向谷地さんの息子さんはべてるの家の本を、英訳したいとおっしゃっていた。ぜひぜひ、そうしなくては。べてるのことは、人類の羅針盤になる。

向谷地さんの奥様は、「男のロマン、女のフマン」と笑ってらした。これは納得。実に共感。

「苦労を取り戻す」「弱さの絆」「降りていく人生」「当事者研究」さまざまなべてるのキーワード。そこには、にっちもさっちもいかない地点だからこそ湧いてきた豊かな笑いがある。

向谷地さん、べてるのみなさん、本、ビデオ、講演会と発信してくださってありがとうございます。分かち合うことを教えてくださってありがとうございます。

http://bethel-net.jp/noho9.html