小さな日記

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淑やか

2008年11月30日 | Weblog
11月だけれども、年末気分が大きくて、大掃除、クリスマスプレゼント、年賀状などの準備に気が入っている。やっつけ仕事にならないように、ただ間に合えばいいということにならないように、ひとつひとつ心を込めて対処していきたい。心を込めるとは、物やひととの関係を大事にすることだ。大事にするとは、真正面から向き合い、丁寧に相手を扱うことだ。だから、若い頃、嫌いだった淑やかさは、とても大切なことだったのだと思う。乱暴者、粗暴なわたしは、今は、男でも女でも淑やかなひとに憧れる。たとえば、八千草薫さんとか、宮本亜門さんとか。

でも、なぜ若い頃淑やかさに拒絶反応を持ったかというと、それは、関係したくなかったからだと思う。関係を意識することは、ひどく重荷だった。正面から向き合えないほど素早く、乱暴に過ぎ去れば、関係を持たずに済むような気がしていた。それは間違いだ。どうしたって、関わるものとの関係は生まれてしまう。

だから、命あるなしに関わらず、どんなものに対しても、大切に対峙しなくては気持ちの良い関係はできないのだ。55歳のテーマは淑やかだなぁ。自信ないけど。

スチームモップ

2008年11月29日 | Weblog
母はあまり歩けなくなってからTVショッピングで買い物欲を満たしている。ジョーバを買って使わないからと500円で古道具屋に持っていってもらったのには驚いた。包装もほどかないまま放ってあるものもある。電気スチームモップがあったので、数週間前にわたしが梱包を解いたがその後使わず終い。きょうは、天気も良いのでお掃除日和。思い切ってわたしが使ってみた。
http://direct-teleshop.jp/tv/pc_cp/H2Omop/index2.html

まず、けっこう重い。(3.1kg)熱いスチームがよく出るので、床にはいつくばって雑巾でゴシゴシよりは楽かも。洗剤不要なのは嬉しい。けれど、動かすには手首と腰に負担がかかり、母には辛いのではないかと思う。わたしでもたった一部屋なのに、汗ばんだ。テレビでは若い女性が軽々と扱っているけれど、中高年には、軽々ではないのだ。ただ、音はそれほどうるさくないから掃除機より気持ちがいい。

つまり、わたしが行ってお掃除するためのお道具ということね。はい。頑張ります!

調べたら、こちらは1.4kgと軽い。これにすればよかったのに。でも、思い立ったらすぐ買いたかったのよねぇ。。。
http://www.rakuten.co.jp/shopjapan/651699/616417/860883/

勢いにのって、我が家のベランダも大掃除。そろそろ、年末にあわてないように掃除計画たてましょう。

午後の陽射し

2008年11月28日 | Weblog
55歳になった。連れ合いは北海道から午前0時にお祝いを歌ってくれた。娘はサプライズに夕方、息子と母と共に、ケーキをご馳走してくれた。国立のカフェロッカ。双子の姉妹の素敵な手作りフルーツケーキのお店。明るい店内に座り心地のよいソファ。特別にハッピーバースデイのデコレーションをしていただいた。

55→ごご→午後 人生の午後が始まると笑った。午後の陽射しはまだまだ続く。一瞬一瞬、ありがたく受け止めていきたい。

ショッピングバッグレディ

2008年11月27日 | Weblog
国立のいつもわたしが座るベンチにショッピングバッグレディがいた。大きな荷物を4個横に置いて、毛糸の帽子をかぶってうなだれていた。寒くなってきていたので、薬局でホッカイロを求めて差し出すと、静かに受け取ってくれた。わたしと同年輩で肌の綺麗な優しそうな女性だ。

息子とカラオケで待ち合わせて1時間。帰りにまだそのベンチに座っていたので、息子にたこやきを持っていってもらった。やはり静かに受け取ってくれた。物腰が気高い女王様のようだった。どこで夜を過ごすのだろう。

オノヨーコさん講演会

2008年11月26日 | Weblog
学習院女子大学にて18時から。抽選に当たらなかったので、モニター室での参加となった。最初にどういう活動をしているかの紹介で、DVD(光への道)を。アイスランドに建てたイマジンピースタワーや、オノコードと称して「I LOVE YOU」をモールス信号のように、ペンライトや懐中電灯などの光で照らす活動。

お話のいくつかを紹介しよう

* 戦争産業はやることが決まっているから統制団結していて、力を持つけれど、平和産業は、お互いに批判しあってまとまらず、力にならない。平和産業に関わるひとは、尊敬の念を持ち合うようにしよう。まずは、自分が本当にしたいことを納得してする自分らしい生活をそれぞれが送ることが、世界平和の基盤。自分が楽しくなることを探しましょう。


* 3本の木の実験。 A 愛してるよ、大好き、綺麗だね、と心を込めて水をやる
B 大嫌い 醜いね いやな奴、と憎しみをぶつけて水をやる C 木のことは考えずにただ水をやる
Aと Bは、同じに健やかに成長して、Cは育たなかったそう。

たとえ、憎しみや嫌悪でも、注意を向けてもらうのは、エネルギーになる。バッシングを受けても、いじめを受けても、自分に向けられたものはないがしろにしないのがいい。いつか、それが自分にとっての贈り物だったと気づく日がくるかもしれない。スルーしてしまったら、気づきや飛躍のチャンスを逃すかもしれない。

* 学生の「愛とはなんですか?」という問いかけに。
愛とは、自分が「これが愛」と思った時に、愛なのだ。それぞれが、自分で確信を持ったときに愛なのだ。

* ジョンが死んだとき、身近なひとたちから理不尽ないやがらせを受けた。身に応えて耐えられなくなってきたときに、寝る前にベッドの中で「bless ~」と、おもいつくままに名前を入れて祝福した。出てくる名前は、自分を苛めるひとたちの名前ばかりなのに驚いた。毎夜、言葉に出してかれらを祝福し続けた。すると、かれらのいやがらせは、なくなったわけではないが、かれら自身に、他の問題が起こって、ヨーコさんに関わるエネルギーが減って楽になった。

*今は、恐れ、不安、憎しみが蔓延する時代。こんなときにこそ、愛を語り、愛を示し、オノコードでも、言葉でも、態度でも、愛を告げよう。

講演の最後は、突然ヨーコさんの音楽が鳴り出して、ヨーコさんは舞台狭しとばかり、踊り始めた。スタッフの誘導で聴衆のほとんどが舞台に上り、ヨーコさんとハグし、手をとりあってダンス! 花束が贈られ、そのままの退場となった。

ヨーコさんの声、語り口が、何処かで聞いた、と気になっていたが、瀬戸内寂聴さんととても似ていたのだった。

お導き

2008年11月25日 | Weblog
母に頼まれて眉マスカラを買いに外に出た。ホ・オポノポノしながら階段を下りて、ふと郵便受けを見る気になった。郵便受けにもホ・オポノポノ。連れ合いに来た封書はきっと、嬉しい言葉が詰まっていることだろう。で、外に出たら、ちょうどバスが行ってしまった。おかしいな。きっと、歩けということなのだなと思い、数歩歩くと、ぬいぐるみのような可愛い犬。

連れていたのは、今春突然天に召された、娘の幼稚園から高校までの先輩のおかあさまだった。言葉もなく、二人で泣いた。彼女は清らかな哀しみに満ちて、美しかった。マリアさまに触れたように、わたしは癒された。

彼女と会うために、バスに乗らないことになっていたのだろうと、国立の町まで歩き、買い物をした。ふと、本屋に呼ばれたような気がしてはいったら、一度も読んだことのない吉本ばななさんの新刊が山積みになっているのが目にとまり、あとがきを読んだら、なんと、ヒューレン博士への謝辞があった。買って読み始めたら、なかなか面白い。

このように、ホ・オポノポノは次から次へと、自分で考えることなく、物事が起こっていく。わたしは、素直に流され、気づかされ、癒され、喜びへと導かれる。


日本舞踊大会

2008年11月24日 | Weblog
母を連れて。花柳、藤間、坂東、若柳、田村、各流派が勢ぞろい。藤間鈴緒さんの三ツ面子守、藤間弥緒さんの菊の栄、釘付けになる素晴らしい踊りがたくさん。藤間玉緒さんの新曲浦島は、惚れ惚れ。11時半から4時半までびっしりの会だったけれど、母はずっと見入っていた。

年月

2008年11月23日 | Weblog
元次官宅襲撃に自首した小泉容疑者の小学校時代の写真が、ニュースの中で一瞬映された。それは格別に明るく可愛いやんちゃな笑顔で、胸を打たれた。この純で無垢な命にどんな40年があったのか。

道や電車で出会うかわいい赤ちゃんたち、それぞれに美しい道が用意されている。けれど、恐れや欲や執着や知識が道を見えなくしてしまうこともある。2000年以上も前に老子は、ただ道を行けばいいと説いた。ホ・オポノポノは、道が見えるためには記憶の再生をクリーニングでやめたら光が道を照らすという。

ただ、老子はこうも言った。道からはずれても、また戻ればいいと。何度でも戻ればいいと。わたしたちは年月を進むしかないのだから。道はいつもある。

みんな 誰か 誰でも 誰も

2008年11月22日 | Weblog
お隣の町、府中では、金属のダストボックスがあっていつでもゴミが入れられる。道にゴミ袋がある風景はいただけないし、動物に荒らされないし、いつでも捨てれるのが羨ましかったが、廃止が決定したそうだ。ダストボックスがあるために、ゴミの減量が難しく、越境廃棄も多いからだそう。なんとも残念なこと。捨てるひとの意識がせっかくの良い制度を存続させない。

ヒューレン博士の提供してくださったこんな物語を思い出しました。
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この物語には、「みんな」「誰か」「誰でも」そして「誰も」の4人が登場します。
必ずやらなくてはならない、ある大切な仕事がありました。
「みんな」は「誰か」がその仕事をやるに違いないと思っていました。
その仕事は「誰でも」出来るものでしたから。ところが「誰も」しませんでした。
「誰か」はこの事態に腹をたてました。
なぜなら、これは「みんな」の仕事だったからです。
「みんな」は「誰でも」出来ることだとは思っていましたが、
「みんな」やろうとしないとは「誰も」考えなかったのです。
「誰でも」出来る仕事を「誰も」やらなかった結果、
「みんな」が「誰か」を責めるだけで終わってしまいました。
                             おしまい

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自分の前に現れてくる問題は、100%自分の責任。隣町のゴミもクリーニングして、どこの町もダストボックスが設置されて、出るゴミも少なくなるといい。


正義

2008年11月21日 | 映画
26代アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトの言葉
「正義と平和、いずれかを選ぶと問われたら、わたしは迷わず正義をとる」

これは、ロバート・レッドフォード監督、主演の「大いなる陰謀」(lions for lambs)http://movies/ooin.foxjapan.comaru/の中で、トム・クルーズ演じる若手共和党議員の部屋に額入りで掲げられていた。

いかにも勇ましく聞こえる言葉だが、そもそも、正義と平和は並列できる概念ではないので、問い自体が愚かだ。こんな言葉に鼓舞されて、戦争は続くのかと、思いにふけっていたら、突然、「恐れがなければ、正義はない」とひらめいた。

つまり、恐れがあるから正義という言い訳がほしくなり、恐れがない平和な状態なら、正義という概念は消滅するということ。だから、正義をふりかざす平和の闘志なんて、うそっぱちもいいとこ。



自分の体

2008年11月20日 | Weblog
医者の娘なのにか、なのでか、不調を病院で治そうという発想がなくて、自分自身は小学校で鎖骨を折ったときとお産以外行ったことがない。40度以上の高熱が出たことも、内臓がうなり声を止められないほど一晩中痛んだこともあったけれど、病院に行かず終いだった。そういえば、大学時代眼科に行って「緑内障」と診断され、その足でヨガの本を買ってあれこれやってみて、薬も捨てて病院にも行かなかったこともあった。いつもそんな調子できてしまった。検査も献血の時のしかしたことがない。

予防医学、早期発見の重要性が叫ばれる昨今、悪いひとかもしれない。片山整体を習ったりするのも、自分で自分の体を手当てしたいのもあって、わたしは、他人に自分を丸預けするのが嫌いなのだ。

筑紫哲也さんの訃報は悲しかった。何度かテレビに出られて「打ち勝つ」とか「撃退」という言葉を使われていらしたので、心配だった。病気や怪我は他者でも敵でもない。体が出してくれるサインだとわたしは思っている。筑紫さんは、平和主義者だったと思うのに、病気に対しては戦闘体勢に入ってしまった。自分を愛することは、自分を肯定することは、体の不調も愛し感謝することだと思う。

こんなブログを見つけました。
http://www.creative.co.jp/top/main3581.html

きょうは、連れ合いが所望して、高齢者3人で八王子の温泉に行った。


花形歌舞伎

2008年11月19日 | Weblog
1.通し狂言 伊勢音頭恋寝刃 (いせおんどこいのねたば) 海老蔵 門之介
2.義経千本桜 吉野山  松禄 菊之介

今月の歌舞伎は、初めて新橋演舞場に行きました。若手がたくさん出て、勢いの良い舞台。最後に「コケコッコー」と鶏が鳴いて「夜が明けた」と海老蔵さんが言った途端、後ろの海から大きくて真っ赤な太陽が昇ったのが可笑しくて大笑い。笑う場面であったのかどうか知らないけれど、舞台の3分の1はあろうかという大きさの太陽の単純明快な登場の仕方って、歌舞伎か幼稚園の舞台でしか見られない。菊の介さんは、美しく可憐で、舞踊とか声とか仕草とかが忘れてしまうほど、存在感が際立って、素敵でした。獅童さんは初めて見ましたが、ワイルドで大きい、迫力ある演技、表情でした。市川右之介さん、坂東亀三郎さん、たくさん笑わせてもらいました。歌舞伎は間が命。間が笑いを引き出してくれます。そうそう、白髪の歌の方が素晴らしかった!

歌舞伎座より、若いひとが少なかったような。。高齢の方が多く、ちらっと周りを見渡すと、あちこちで寝息。母もそうだけれど、それでも、素晴らしい邦楽を聴きながらの贅沢なうたた寝。

ゼロとは、、、

2008年11月18日 | Weblog
クリーニングし続けてゼロになると、自分があれこれしなくても、ものごとがうまく進んでいく。それは、やってみた者がわかる調和のとれた進み方なのだけれど、連れ合いからはなんだかんだとゼロ状態についての質問が多く、ずっとクリーニングしなくてはならなかった。

きょうは、二人で小鳥のえさを買いに行ったら、なんとなく冬のジーンズを買い、スニーカーを買い、、、、連れ合いは必需品を買いに行っても、気に入ったものがなく、さんざん歩き回って収穫なしということが多いひとなのに、次々にサイズもぴったりで気に入る物とめぐり合った。午後も二人で別の場所に用事ででかけたら、引き寄せられるように腕時計に出会い、自転車まで買ってしまった。

それらは、迷うことなく気に入って、価格もリズナブルで、心浮き立つお買い物だった。ゼロって、こういうことなの。けさ、全然着ないコーデュロイや麻のスーツなど、たくさん処分したから、必要な物が引き寄せられてきたと思う。すごいなぁ。

わたしはわたし

2008年11月17日 | Weblog
ヒューレン博士のワークショップの最後に詩の朗読があった。通訳のきくちゆみさんは、「わたしはわたし」と訳した。

きょう、テレビで心理学者がひとの行動の目標は、次の4つに分けられると言った。(1又は又は3又は4たいから~する)
1、ひとに頼られたい。
2、楽をしたい
3、優秀でありたい
4、ひとに好かれたい

1と4は、他人の思惑を気にする生き方になり、2、3はマイペースモードだそう。わたしは、しいて言えば2かもしれない。楽というのは、わたしの判断での楽であって、たとえば、家事を他人に任せるより、自分でするのがわたしには楽だ。他人に家を触られるのは、わたしにとって苦だから。
3は、完璧主義になるというから全然違うし、1と4は、全くない。

周囲を見回すと、1と4のひとが多いこと!
4のひとは、他人の思惑が気になって自主的に行動できなくなることもあるそうだから、要注意という。

行動の目標が、その行動の純粋性を汚すことは多々ある。政治家が好かれたいから金をばらまくのは駄目でしょ?金をばらまきたいからばらまくのならいい。だけど、それなら自分の金にしておくれ、税金ではなく。笑顔も親切も同じ。

行動に目標があるというのは、結局、なにかの見返りがほしいということだ。
1は賞賛と感謝 2は自分が無傷 3は自尊心の満足 4は他人の好意と笑顔

~たいから~する。「~」は、シンプルに同じ行動がはいるようにしたい。
たとえば、掃除したいから掃除する。

そういえば、わたしがなぜ歌うのか、延々と講釈してくれるひとがいたけれど、全てはずれ。わたしは歌いたいから歌う。ひとの喝采がほしいわけでもないし、金を得るためでもないし、自分を見せたいためでも、ひとを感動させたいためでもなく、癒したいためでも、アイデンティティーがほしいためでも、上手くなりたいためでも、歌が好きだからでもない。

行動の全てがシンプルにいきたいものだ。それが無償の愛。自分への愛。完全な自己肯定。「わたしはわたし」でいいのではありませんか? 




不思議なこと

2008年11月16日 | Weblog
息子の友人が四国からゆうパックでお手製のお菓子を送ってくださった。ところが、住所がうろ覚えで適当に書いてしまったと言う。きっと、戻ってしまうだろうと思っていたら、きょう届いた。郵便番号もアパートの名前も間違えていて、番地も電話番号も書いてなかった。市の名前だけ合っていた。どうして届いたのかとても不思議。郵便やさん、ありがとう!

ホ・オポノポノ効果かしら?