小さな日記

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日本が誇る!

2009年04月30日 | Weblog
わたしが日本を自慢したいものはいろいろあるけれど、この小さくてカラフルなお菓子もそのひとつ。可愛いだけでなく、お味もいい。金平糖とお花の金太郎飴。

金平糖は、ポルトガル語のconfeitoに由来するらしいが、その意味は砂糖菓子で、この星形のお菓子がポルトガルにあるのかどうか、わたしは知らない。飴ではなくて、ケシ粒に氷砂糖の蜜をかけながら回転させてできる。飴は高温で溶けるが、金平糖は溶けないので非常食にもよいらしい。皇室の引き出物に使われているそうだから、和物と考えてもよいのではないかしら?このパステルな色合いが、サンリオのキキとララを生んだんじゃないですか?

さくらんぼやぶどう、マーガレットなどが描かれている半透明のつやつやした飴は、直径1cmにも満たない。ちかごろ流行りのスタンプのようだ。色によってフレーバーが異なって、それぞれおいしい。これも、中国などでありそうなものだけれど、きっと日本のとは、色や模様が微妙に違うかと思う。昔の東宝映画の時代劇のお姫様のかんざしの雰囲気がお気に入りのゆえん。

よその国のひとにみせびらかしたいもののひとつである。
「わたしの国にもあるよ!」と笑われるかもしれないけど。。。

子育て

2009年04月29日 | Weblog
親バカと言われようが、わたしは我家の子どもたちは心まっすぐな立派なひとたちだと思う。強くもなく、有能でもなく、稼ぎもない。けれど、生き物として大切なことは身についているから、信頼している。

わたしと連れ合いは、ろくでもない親だった。思い返すと、訂正したい言動が多々あるし、バカで世間知らずなのは今も変わらない。親として何を伝えればよいかを明確にわかってもいない。その場その場で、オロオロと対処してきただけだと思う。ただ、「輝け 育て 幸福になれ」と呪文をとなえていたようなものだ。醜い大人からちゃんと守ってあげられなかったこともある。親が愚かなせいで、子どもたちは心に傷を負うはめにもなった。
それなのに、時間をかけて自分で傷を癒し、光に向って堂々と伸びていくひとに育ってくれた。ありがたいことだ。

子育てってなんだろう。衣食住は与えたけれど、一緒にほがらかに暮らそうと努めたけれど、ほかになにがあったろう?

わたしの感覚では、育てたのではなく、オロオロ悩みウロウロつきまといイライラあたる親の傍で、子どもはスクスク育っていったのだ。スクスクが見えず、ジグザグガキゴキに見えていても、あとになると、スクスク育っていたことがよくわかる。そして、子どもからは、親はオロオロウロウロイライラではなく、泰然自若に見えていることもあったらしい。




最後の晩餐

2009年04月28日 | Weblog
以前、久米宏さんの番組でゲストに最後の晩餐の献立を尋ねていた。それ以来、自分はなにがいいだろうと、ずっと考えていたけれど、やっと決まった。

ゆず入り白菜の漬物に醤油をちょっとたらす
白米(北海道ほしのゆめ)
豆腐と長ねぎの味噌汁(麦味噌)




グラン・トリノ

2009年04月27日 | 映画
きのうとはうってかわって、強風で寒かった東京。立川郵便局に用事があって仕事を終えた連れ合いと待ち合わせたら、映画に誘われた。時間がちょうどよいクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を見た。
http://wwws.warnerbros.co.jp/grantorino/mainsite/index.html

連れ合いは「こんな結末びっくりした」と言うが、わたしは中盤から予想していた。「ミリオンダラーベイビー」でも感じたが、イーストウッド作品は、トラブルの対処の仕方にアメリカを感じる。「自分で」

この作品では、メジャーな映画で初めてモン族がとりあげられている。モン族は、タイ、ラオスなどの山岳地帯の少数民族で、美しい刺繍(画像)や織物はわたしも知っていた。小さな刺繍のポーチを持っている。けれど、モン族がベトナム戦争でアメリカを支援して戦い多くの犠牲を出し、戦後は共産主義者から迫害され、アメリカに避難民として大勢が渡っていたことは全く知らなかった。

この映画では、モン族の役は、イーストウッドとスタッフの意向で、全員モン族のひとが演じている。演技経験のないひとがほとんどだ。みんな、自分の先祖の歴史を背負い、世界に知らしめようと、素晴らしい演技を見せている。役が自分自身に重なり演技する必要もなかったひともいるようだ。

わたしは、ストーリーの面白さというより、モン族やアメリカのプアーホワイト、フォードで栄えた町の実態として、この映画に感銘を受けた。

市民オーケストラ

2009年04月26日 | Weblog
家族と娘の友達と、国立市民オーケストラを一ツ橋大学兼松講堂(画像)で聴いた。シベリウスのフィンランディア、ビゼーのアルルの女、ベートーベンの運命とポピュラーなナンバーに、ふるさとをみんなで歌い、アンコールはラデツキー行進曲というファミリーコンサート。会場は、赤ちゃんから幼児、おじいさん、おばあさんまで、のんびりと楽しいコンサート。兼松講堂は、由緒ある素敵なホール、、、だったが、改装後木彫りの椅子や手すりが現代風になってちょっと残念。ただ、トイレなどは、改装してほっとした。市民オーケストラには、娘の幼馴染の女の子が、大きなコントラバスを優雅に弾きこなしていた。

帰りに母が、娘の帰国祝いにと、モランボンで焼肉をごちそうしてくれて、ありがたい一日。

祝福の言葉

2009年04月25日 | Weblog
「気をつけてね」「お疲れさま」「風邪ひかないでね」「無理しないでね」「頑張って」「けがしないで」、、、

なにげなく、ひとを気遣うつもりで放っている言葉。でも。こうして並べてみると、どうもひとに「良くない状態」を思い起こさせる言葉ばかり。

「良い状態」を喚起させる言葉を贈りたい。英語だと、エンジョイとかブレスとかグッドラックとか、テイクイットイージーとか思い浮かぶのだけれど。日本語だと、どうかな?
「楽しんでね」「いい日だったね」「元気でね」「うまくいくよ」

一人で走りに行く息子にはたいてい「いいことしておいで!」と声をかけている。ついでにゴミ拾いでもしてきなさい、という意味なのだけれど。
祝福の言葉を、放ちたい。花を手向けるように。


問う陶器

2009年04月24日 | Weblog
高さ10cmほどのこの陶器、表裏10種の生き物がいる。連れ合いと覗いた雑貨やさんで出会い、二人ともどうしても欲しくなって我が家に来た。ただの飾り物かと思いきや、下の金属部分が開き、小物入れとなっている。

実はこれ、ノアの箱舟。世界のあまりの惨状に業を煮やした神様が、実直な男ノアに全ての生き物をつがいで乗せる船を作らせ、大嵐を起こして舟に乗ったもの以外の生き物を殺してしまうという聖書のお話。

小物入れにはなにも入れていない。「人間は入れますか?」見るたびに問いかけられる。「わたしが決めることではないわ」と答える。

香港

2009年04月23日 | Weblog
2月から単身南アフリカ共和国内をウロウロして論文作成データをとっていた(らしい)娘は、最後の一週間を従姉妹の暮らす香港に寄り、中国内陸も旅した。食べ物が全ておいしくて満喫したそうだ。

従姉妹(わたしの姪)はおもしろいブログを書いている。
http://hongkong.cbco9.com/

海外旅行もしたことがなかった姪が、結婚を機に、言葉もままならぬまま、果敢に香港生活に飛び込み、楽しみ、「ずっと暮らしたい!」と夢語るようになっている。ガッツに乾杯!

お土産の香港の蓮の実の月餅はとてもおいしかった。わたしも香港行こう!

ボランティア降臨

2009年04月22日 | テレビ
息子が録画していた「世にも奇妙な物語」を見た。
「ボランティア降臨」が面白かった。

高島礼子さんの主婦の家に突然「ボランティアです」と手伝いに来た大竹しのぶさん。終始にこやかに優秀に家事をこなし、家族の信頼を得ていくボランティアに主婦は苛立つ。パートで忙しく家事や家族との会話がおろそかになりがちな主婦を非難されているように感じるからだ。住み込みのボランティアは、夫、姑、子どもに感謝され信頼を勝ち取り親しげで、主婦は自分の存在意義を見失っていく。
夜、夫がボランティアの寝室から出てきたのを見た主婦は、翌朝とうとうボランティアと対決する。↓その後の会話
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4840396.html

結局、主婦は、「ありがたい」と感謝され評価されるボランティアに転向し、幸福になろうとするという皮肉なお話。そこかしこに、ボランティアのエプロンをつけた女性が大勢いるというのも恐ろしい。みんな、どこかの家庭の主婦だったのだ。

これは、日本のあちこちでわたしも見てきた現象だ。家庭ではぞんざいな主婦が、外では細やかでにこやかにボランティアしている。でも、主婦だけだろうか?夫もそんなひとがたくさんいた。ようするに、そとづらはよく、うちづらは悪い。
評価や感謝も、他人と思うからちやほやして、家族と思うから照れも手伝い感謝を表現しない。そんなこと、わかりきったことなのに、それでも外でちやほやされたいのは、なぜだろう。

主婦が家事をするのも、夫が金を稼いでくるのも、ボランティアではないし、自己実現でもない。自分の家庭を築こうとしているからだ。家族であろうとするからだ。善意や利他性という次元とは別の意志だ。生き物として生き死んで行くという根っこの部分で互いに寄り添おうというのが家族のベースではないだろうか。その根っこの部分の意識の欠落が、「ボランティア降臨」を招いているとわたしは思う。つまり、家庭の中でも生き物としての生はないから、ボランティアとしての家事も家族としての家事も変わりないのだ。

社会性を要求する社会が、家庭にまで社会性を浸透させ、ひとは、生き物として生きることを押し込めてきている。社会の評価だけが自分の評価と思い込んできている。生き物として生きることを、家庭から発信していって、社会自体をもう少々「生き物の社会」仕様にしていくことが、これからの人間の課題だと思う。生き物に、社会の評価など意味はない。いのち優先とは、そういうことではないだろうか。

死刑

2009年04月21日 | Weblog
カレー砒素事件の林真須美被告に、最高裁の死刑判決。本人は一貫して否認しているし、動機も不明とのこと。来月からの裁判員制度導入。わたしのような死刑反対のひとが裁判員になったらどうなるのだろう。でも、日本には死刑反対のひとはそう多くないし、遺族のことを慮る傾向が強いから、重い判決になりがちなのだろうか。

「悪いことをしたら殺す」という考えは、「悪い国だからつぶす」という戦争と同じ考えだと思う。

冤罪がなくなりますように。

星いろのクレヨン

2009年04月20日 | Weblog
アースデイのジムネットのブースで、「星いろのクレヨン」という素敵な絵本を買いました。
JIM-NET http://www.jim-net.net/contents.html

目が見えない7歳のイラク人、アリ・アルカンくんの絵とお話です。本の中には2つもポケットがついていて、そこには、アリくんと会ったひとが書いたアリくんのエピソードや、星いろのクレヨンの歌など、たくさんの小さな本がはいっています。表紙は真っ赤な布で、黒いリボンの手さげがついていて、このデザインはアリくんがおかあさんと一緒に考えたものです。最後のページには、なんと、アリくんの自筆の絵が貼ってあります。こんなかわいらしい絵本ができて、アリくん、どんなにうれしいことでしょう!

この細やかな手作り絵本を製作したのは、「アファーク」です。
「アファーク」は、イラクの隣国ヨルダンで治療を受けているイラクのガンの子どもを支えるプロジェクトで、患者や家族がヨルダンで手作りした製品を日本で販売し、その収益で生活費などの支援をしています。この絵本の収益は、アリ・アルカンくんの教育費(通学の交通費など)として使われるそうです。

このほかに、ガン治療を受けている子どもが描いた絵を、そのおかあさんがその通りに刺繍した巾着袋も売っていました。これもとてもかわいかったので、娘と共に帰国した友人にプレゼントしました。世界にひとつの手作りの品です。出会えたご縁が心をホクホクさせてくれます。ひとつひとつ、作者の子どもの写真やプロフィール付なのが嬉しいです。

webでは、かわいいアラブのお人形のついた手作りのカレンダーが買えますよ!
http://www.jim-net.net/afaq/goods/09calender.html

アースデイ2

2009年04月19日 | Weblog
きょうはきのう以上の人出で、歩くのもままならない。きのうの食べ物を買う行列の長さに恐れ入ったので、お弁当を持って行ったからよかった。

アウトドア用のチタンのコップやカトラリー、ガスバーナーはとても軽い。
新聞紙で作ったショッピングバッグは、200円で作り方つき。(前にブログで紹介した四万十川バッグより簡単なタイプ)
タイシルクの服のハギレを利用したテディベアキット。(画像)
サーフィンボードの再利用で、ペンダントトップやキーホルダーにリメイク。
シートベルトの再利用で、バッグ、キーホルダー、ネームタグなど。
さまざまな意欲とアイデアが見えて刺激を受けた。

夕方帰宅して、夜、3ヶ月の旅を終えた娘をみんなで迎えて新宿で食事した。
彩色屋隠居邸
 http://www.inkyotei.jp/

気に入った。

アースデイ

2009年04月18日 | Weblog
http://www.earthday-tokyo.org/

山口県「長島の自然を守る会」のブースをちょっとお手伝いに行った。
お客様の呼び込みはできるのだけれど、山口県生まれでもなく、長島にも行ったこともないので、おはなしは他の方におまかせ。なんとも頼りないお手伝い。上関原発はいらない、という祈りと思いは、アースデイに来るひとはみんな共感している。
署名がたくさん集まってよかった。カンパもしていただいた。

http://www2.ocn.ne.jp/~haguman/nagasima.htm


大きなステージは、てんぷらなどの使い古しの油を使った発電。
小さなステージは、水素タンクを持ってきて水素発電。
服を作ったはぎれでエコバッグ(500円)を縫うミシンの電気は、その場に置いた自転車をこいで作る。(画像)
ブラジャーのレースを利用して素敵な小袋やくるみボタンを製作。
カンボジアシルクの製品を作ったはぎれをテディベアキットに。
日本の麻で作ったふんどし(男女用)
洗剤を使わなくても汚れがおちる布の生理用ナプキン

ものすごい店やブース、イベントの数。ありがたく暖かくなったので人出の多いこと! 外国のひとも多く、一体何十カ国のひとが代々木公園に来ていたことだろう。わたしはスペインの若者とちょっと話して楽しかった。赤ちゃんから高齢の方までロリータやゴス、エスニックなどの若者と集うのが素敵。アースデイがお祭り形式になっているのは日本だけだと、ステージの出演者が言っていた。5月にも11月にも東京ではあるらしい。ジャンルを越えた集いはたくさんあったらいいと思う。

自転車のようにこぐ人力車も出ていた。食べ物は、マイ箸、マイ皿、マイカップ持参でなければ、100円保証金を出して借り、洗って返すと100円戻る。数え切れないほど、署名した。数え切れないほどたくさんの問題があって、それぞれのひとが心を込めて真剣に取り組んでいる。そして、それらの問題の根っこは同じだということが、多くのひとが気づき始めている。

それを、オノヨーコさんは、タワーレコードのポスターで語っている。「今はね、実にいい時代だと思っています。世界中の90%のひとが世界平和を望んでいる時代だからです。後略」素敵な文だから、ポスター読んでみてね。



調整

2009年04月17日 | Weblog
ずーっと暖かかったのが、小雨降りそぼり急に寒くなって体がびっくりしている。こういうときは、眠くなってだるく、やる気が出ない。それを責めるのではなく、当然と受け止め生姜紅茶を飲んだり、ちょっとした体操をしたりして、体をいたわってあげることだ。「いつもすっきり」は健康体なのではなく、もしかしたら、鈍感なだけかもしれない。「いつもすっきり」に近づくように、調整して生活することが大切なのだろう。体の声に耳をすます。

ガラクタ

2009年04月16日 | Weblog
我が座右の書、カレン・キングストンさんの「ガラクタ捨てれば自分が見える」を読んだ連れ合いも、どんどんガラクタ捨てにはまってきた。彼の捨てる物は、紙類が多く、わたしのは布類が多い。とはいえ、「もったいない」心も人一倍のわたしは、彼が捨てるファイルの中紙を全部集めてコピー用紙にすることを提案。後生大事に10年以上取って置いたさまざまな印刷物から生き残ったのが、まっさらなブルーの紙束10cmとは感慨深い。

わたしは、きょうは、冬物と夏物の入れ替え。Tシャツ数枚を使い捨て雑巾にして、メラメラの絹のパジャマはノクシカタ刺繍を施して二重のベストにしようと思いついた。

処分するときは、「今までありがとう」と、ホ・オポノポノのクリーニングをする。そして、夜。連れ合いの顔色がよく、明るい表情になっているのを見て、つくづくカレンさん効果に感服した。