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小さな日記

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高木仁三郎さん

2011年07月04日 | テレビ

松本復興大臣の態度と発言は、ニュースを見たひとたちを、政治、日本、男性、そういったものへの幻滅感を引き起こしたことと思う。もう本当にこの国は、滅亡してしまうのではないか、と情けなくなった。新聞社を脅迫するのも、もしかしたら、この方には日常茶飯事かもしれない。

ニュースを見てない方へhttp://www.youtube.com/watch?v=3QJ0XVj6xcA

言葉遣いや態度を、松本大臣は、九州人だから、B型だから、と、言い訳した。そのことにますます駄目感が募った。彼は、なぜ批判を浴びたのかわかっていないのだ。不遜な言葉遣いと横柄な態度は、確かに不愉快極まりないが、それより、地方に対して「甘えるときは甘えろ」とか、「助けてやる」とか、認識が誤っている。

地方があっての国家だ。原発はそもそも国策であって、自民党政権が推し進めてきたことだった。原発抜きに天災のみであっても、国が天災にあったのであって、国がその地域を助けるのではなく、直さなくてはならない。自分の体のどこかを怪我したときに、「あ、指助けなくちゃ」なんて、言わないよねぇ。「指、甘えていいぞ」なんて、おかしいよねぇ。指が修復しなくちゃ、困るのは自分なのだもの。「指よ、頼むから頑張っておくれ、協力するから頑張っていこう」と寄り添いお願いするのが筋でしょう。

こういうひとを、議員にした福岡一区のひとたちは、どう思ってるのかしら。今度は絶対落としてくださいますようお願いします。あ、ちょっと調べたら、この松本龍議員って、2008年度の国会議員所得番付1位、8億4366万円ですって。解放の父と呼ばれた松本政一郎の養孫。実家は養祖父の代からのゼネコン、松本組。自身も顧問を務めるそうです。落とすのが難しそうなひとですが、これからの日本、変わっていきましょう。

地震、津波、原発事故、大雨洪水、猛暑と、次から次へと、困難が来て、心身共に疲れてきている日本国民全員に対して、こういうげっそりさせる、復興大臣がこういう人だからお先真っ暗だと思わせるようなことをして、つまり、この言動は日本の志気を萎えさせた。

でも、こんなひとばかりじゃない。日本には素晴らしいひとがたくさんいる。その一人、高木仁三郎さんがテレビで特集。これを観て志気を高めましょう!

「実験科学者である私は自らの社会生活を実験室として 農民や漁民の不安を共有するところから出発するしかないだろう」

7月3日サンデイフロントライン「 高木仁三郎~市民科学者が貫いたもの」


3ヶ月たって

2011年06月11日 | テレビ

3ヶ月目の黙祷。

日本テレビの「アクションー未来への復興会議」をなにげなく見ていた。震災前から、全国各地、ものすごい勢いでエネルギー問題に明るい提言をなさっている田中優氏が出演していた。わたしは、彼が普通のテレビに出るのを初めて見た。

原発推進派、脱原発派が向き合った形のセット。けれど、討論までいかず、ただ、それぞれが持論を述べ合うにすぎない番組だった。これだけのメンバーが集まっていて、もったいない。司会にも問題があったけれど、初めから丁々発止にする気は番組サイドになかったのか。

それでも、推進派の方が「浜岡原発を停止しても、なんの意味もなかった。津波がきたら、停止していようがいまいが、全く被害は変わらない」と、わけがわからないことを、にこやかに噛んで含めるように述べた後、田中優氏が、「停止したら、温度は確実に下がっているのだからメルトダウンの危険性は減るのに、何を根拠に全く意味がないとおっしゃるのか、お聞きしたい」と、おっしゃって、「そうだ、聞きたい!」と、わたしも思った。その途端、司会者は、「それではここでコマーシャル」と言って、コマーシャルの後は、違う話題に移った。唖然、呆然。嫌いではない司会者さんだったので、残念だ。ばかばかしくて、テレビを消した。

今朝、初めてゴーヤくんが、小さい花を咲かせた。4枚花びらだったんだね。午後、雨が降って、その時は、四角い紙風船のように、花びらを閉じていた。そうやって、守っているのかと思ったら、夕方には、花だけ、下に落ちてしまっていた。風が強かったからかしら? それでも、一枚だけ写真を撮っておいて、よかった。

ゴーヤくんは、1m以上伸びたので、摘心をしたら、横に大きく張り出してきた。元気だね!


ジャパニーズアメリカン2

2010年11月17日 | テレビ
全部見た。松山ケンイチという俳優さんの演技が良かった。
けれども、演技が良いと思った松山さんやイモトさんは、セリフが少ないことに思い至った。他の大物俳優さんたちも、演技が変なのではなく、セリフがおかしいのだろうと思う。
話し方、言葉の使い方、また内容も、1人の人物の中で整合性がないのが、説得力がない因だった。

状況の演出も、突っ込みどころ満載で、たとえば、原爆投下後の広島の病院で大きな部屋で姉妹が会話する場面。学校の寮のように整然とベッドが並び、二人以外は全く動かず静かに眠っている様子。そんなこと、あるわけがない。ベッドは足りずに、地べたに寝かせられ、うめいている方たちが大勢だったろうと思う。そういうところが、漫画のように感じたのだ。

一週間続けて長い時間、しかも、アメリカで実際の収容所にロケをしたドラマというのに、情けないことだ。物語の論旨も、ステレオタイプの成功物で、なんだか悲しくなった。

日系人がアメリカ軍として戦場で活躍したことで「アメリカに認められた」ことが、後の日系人を社会的成功に導いたように描かれているのも疑問だった。



ジャパニーズアメリカン

2010年11月16日 | テレビ
大寝坊してしまった。というのは、先日5夜連続録っていた「ジャパニーズアメリカン」という日本のドラマを夜中に見たから。それでもまだ、2話しか見ていないけれど。

これが、、、ひどくわざとらしい会話で、戦前の日系移民についての解説を、登場人物の会話でさせる。また、俳優の演技もわざとらしくて、辟易した。なんといったらいいのだろう? 漫画をパラパラ見ているような気分にさせられるのだ。げっそりしながらも、たまには日本のドラマを見ようと、全編見るつもりでいる。つれは、途中でギブアップ。草薙さん、仲間さんが18歳には全く見えない!とか、展開の不自然さにケラケラ笑い出す始末。わたしも同感ですけどね。

リアリティーがない演技の中、唯一、不自然でなかったのが、イモトちゃん。役者の中に1人、ド素人のはずなのに、なぜなのだろう。正直、わたしはそう感じた。イモトちゃんが「仕事好きですから!」と言ったら涙出ちゃったもんね。

大戦前後の日系移民を描いて印象的だったのは、工藤夕貴、イーサン・ホーク主演の1999年アメリカ映画「ヒマラヤ杉に降る雪」工藤夕貴さんの家族は、中国人が演じていて残念だったが、誠実に作られた心に残る良い映画だった。まだの方はぜひ!

Snow Falling On Cedars Trailer


善と悪

2010年11月03日 | テレビ
池上彰さんの番組でレアアースの説明を聞いた。レアアースは、希土類17種類の総称で、たとえば鉄をステンレスにするのもレアアースの力だそう。埋蔵国は多数あるが、採掘しても抽出する際、放射性廃棄物が出るので、処理にコストがかかるので、中国に依存してきたという。

中国は、放射性廃棄物を適正に処理しているのだろうか?適正な処理をしていたら、安価なわけがない。

調べてみたら、たとえば、ハイブリッドカーには、酸化イットリウムが必要で、それを抽出すると、トリウムという放射性廃棄物が濃縮されて出てくる。トリウムは、ウランやプルトニウムと同じく、核燃料で、気が遠くなるほど長い期間140億年、何世代にも渡って有害、危険な放射能を出し続ける物質だ。

こんな公害があった。マレーシアのブキメラ事件だ。1980年代、日本の三菱化成も35%資金を出していたARE社の工場が、レアアース抽出になんの手はずもなく放射性廃棄物を放置していたために、近隣の住民が、白血病、ガン、先天性障害、流産、死産という健康被害にあった。被爆だ。
http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/japan/tokio16.htm

http://www.jca.apc.org/unicefclub/research/92_kougai/kougai_2.htm

レアアースは、携帯電話、テレビ、カメラなど、日常使う物にも使われていて、悪い事をしいるつもりはなくても、どこかの国のだれかの命を脅かしていることをまざまざと気づかせてくれる。普通に暮らしていても悪に加担してしまっていることを、いつも忘れないでおこう。ハイブリッドカーはエコと思っていても、こうなのだから。コマーシャルではこういう情報は絶対教えてくれない。

日本でも、昔はレアアースを採掘していたこともあったようだ。公害を懸念してなくなったのだ。中国だったらいいというのか。いいわけない。被爆者は増え続けている。ヒバク公害は世界中にあるのだ。


進化

2010年09月30日 | テレビ
テレビの「教科書にのせたい」に、人間の胎児の話があった。受精してから出産まで、胎児の姿は、生物の進化の形跡を顕す。画像は4週目の胎児の模型。ちょっとしっぽがあって、爬虫類のようだ。

高校の生物の授業で習ったことだったから、教科書にのせたいというのがびっくり。教科書には載っていなかったのかもしれないが、生物の先生は、詳細に説明してくださった。確か、たとえば、一時期、指の間には水かきが出来るが、次の段階では消える、また、一時期えらができるが、それも次の段階で消える、なぜ、はしょって次の段階にいかないかがわかっていない、と。

進化してきたなら、今も、人間は進化の最中ということか。1000年後の人間はどんな姿になっているのだろう? というより、どんな姿であるのが、人間にとっても、他の生物にとっても、健やかに共存できる姿なのだろう?そして、そんな姿であるための、環境や生活習慣はどうだろう?
人間の姿、性能は、こうあったらいい、という観点で、生活習慣を見直すのも一考を要することだろう。

お笑い

2010年09月23日 | テレビ
子どもの頃から、お笑い番組を見ることはなかった。きょうは、「キング・オブ・コント」という番組を見た。先日は去年の分を見て興味がわいたから。笑えるネタと笑えないネタ、それと、笑ってしまうネタがある。

わたしは、容姿のことや、女性の体をモノ扱いすることや、教養がないことを笑わせようとされると笑えない。その系統が多かったから、お笑い番組は見たくなかった。でも、先日の去年のを見て、そういうものが昔より少ないことに気づいた。

きょう優勝したひとたちのは、「笑ってしまう」コントだった。ひねたことを言う子どもに、おとなが「おとなをなんだと思ってるんだ!」と怒ると、「さびしがりや」と子どもが答えたのには、吹いてしまった。

つれと息子は、こどもが中年女性に「オバハン」を連呼するのに笑い転げていた。

もう一組、一味違う可笑しさだったのは、猫カフェの風景を描いた作品。
店員と客のやりとりが、自分も経験しているさまざまな場面を彷彿させて、面白かった。
都会的なお笑い。

大きな声でどなるお笑いが少なくなってきたようにも思う。
社会を反映しているものなのだなぁ。

クマムシ

2010年08月25日 | テレビ
クマムシ Tardigrada


夕方のニュースで珍しい虫の特集があった。中でもすごいのは、クマムシ。番組の実験で、電子レンジかけても、冷凍しても、時間が経つと復活した。乾眠という技で、自分の体を乾燥させ、冬眠のようにして復活の時期を待つらしい。この虫、日本全国、建物の外壁の苔の中になどウヨウヨいるそうだ。

他にもシカクナマコという海のなまこは、魚につつかれたり、もみくちゃにされると、溶けてしまって、でも、海水の中で、10日位で再生復活するそう。

そういう自然界の再生能力の素晴らしい生き物を研究して、人間世界に役立てようとしている。不老長寿、若返りも、そう遠いことではないようだ。

この地球には、人間の頭で考えうる全ての夢の材料が全部揃っていると思う。
幸福の青い鳥が、自分のすぐ傍にいたように。

人類の未来

2010年08月24日 | テレビ
テレビで、恐竜時代からの哺乳類の進化の番組をやっていた。
2億2千年前の最初の哺乳類は、小さくて、形態はねずみのようだった。それが、今では人類として地球上に大多数でのさばっている。

卵ではなく赤ちゃんを産むようになって、有袋類と有胎類に分かれた。有袋類は、妊娠期間が短く、小さく赤ちゃんを産み、赤ちゃんは袋の中で乳首をくわえて乳を飲まなくてはならない。それで、その周辺の成長が融通が利かなくなるというようなことを言っていた。このあたり、わたしはよくわからなかったのだが、要するに、有袋類の脳は、有胎盤類の脳より小さいのだ。

そして、脳の大きい有胎盤類が、利口だったので生存競争の勝者となったそうだ。

妊娠期間が短い方が、母親の危険は小さい。妊娠中に襲われたら身重で逃げづらい。有袋類の方が有利に見えて、実は有胎盤類が勝つというのが、進化の興味深いところだ。

恐竜は、その体の大きさのゆえに滅亡したとも言われている。食物が大量に必要とするから、気象の大きな変化(隕石落下?)で食物が少なくなると生き延びられない。体の大きさと強さゆえに、君臨した時代もあったというのに。

今、人類は、脳を大きくして、世界に君臨している。この脳の大きさゆえに、考えることができるゆえに、滅びる日がくるかもしれない。
わたしは、この番組を見ていて、人間が自分の脳を手に持っているような気がしてきた。

電卓で計算し、辞書で漢字を調べ、PCで情報を得て、脳を自分の頭の中に入れておく必要がない時代がくるのかもしれない。実際、わたし自身、情報を調べて探し出しみつけると、覚えておきたいものと、覚えなくてもいい、どこで情報を得ればいいのかわかればいいものに仕分けしている。たとえば、電話番号や住所、子どもの頃は、たくさん覚えていた。今は、覚えようともしていない。調べればすむことは忘れて、脳で何をしようとしているのかといえば、覚えておこうとしたはずのことを思い出せないでいつも困っている。体のてっぺんについている脳はからっぽで、手に持った脳代わりのツールに見入る人間。人間同士、目をみつめあうこともできなくなったりして?

病気に対処できるようになったので、寿命は延びているかもしれないけれど、都会人の体は弱っていると思う。体力、筋力がなくても生き延びれるようになったから。元々、他の生き物より体力、筋力がなかった人間が、それなくても生きられる世界を作ったのだもの。どんな生き物も、生存競争で弱いものは死んでいく。人間だけが、体が弱くても生きられる世界を望んだのは、素晴らしい革命的なことではないだろうか。

人類はどの方向に進もうとしているのだろう? 

平和な世界。生き物全てが平和に暮らす地球。ああだからできない、こうだから無理だと反論する前に、まず、自分が平和な世界を想像することから始まっていく。全体像でなくても、朝日を仰いで、「おはよう」と笑いあう人々とか、冷たい川の水を飲んでいたら、あちらの岸にリスが走っていくのが見えたとか。
世界中のひとたちの、たくさんの平和の世界のイメージが集まって、人類の未来は決まっていく。


http://www.nhk-ep.com/shop/commodity_param/ctc/+/shc/0/cmc/14848AA/?cid=lio047495

恐竜絶滅は真菌による?
http://news.livedoor.com/article/detail/4018552/

恐竜はなぜ絶滅したか?
http://m.webry.info/at/sammy-p/201007/article_31.htm?i=1&p=&c=m&guid=on

歸國

2010年08月14日 | テレビ
倉本聰さんのテレビドラマを見た。わたしは、「北の国から」も見ていないので、倉本さんについてなにも知らない。終戦記念日が近づくとやたら戦争関係のドラマが多いがほとんど見たこともなかった。けれど、今回は、65年ぶりの日本を見た英霊が何を思うかに興味をひかれて見た。

見始めてすぐ、舞台劇のようだと思った。セリフがテレビドラマでなくて、舞台劇。でも、テレビだから、俳優の表情のアップもあるし、服や小物、背景の細かい部分まで、現実的に見えてしまう。舞台は、照明の魔術があるから、非日常なセリフも違和感がない。セリフまわしの舞台っぽさ(わざとらしさ?)が気になったが、ファンタジーとして慣れようと、努力して見続けた。

倉本さんが想像する英霊の思うことは、わたしの想像する英霊の思うこととひどく違った。
英霊と簡単に一言で言うけれど、兵士だけで230万人もの死者を出した戦争。いろんなひとがいるだろうから、それはいい。倉本さんが描いたように、今の日本を見て、「恥」とか「怒り」とか、「情けなさ」を感じるひともいるかもしれない。

でも、わたしは、少なくとも、赤紙が配達されない日本を喜んでくれるひとが大勢いらっしゃると思う。町中で、権力者に殴打されるひとがいないことを「よかった」と思うひともいらっしゃると思う。自殺者年間3万人とか、交通事故死者の多いことには、びっくりなさるだろうけれど。

それでも、お国のために、家族のために、と、死んでいった方々は、この国が、今も存続し、遊んだり、働いたり、ぐれたり、学んだり、それぞれが、自分の責任で人生をまっとうできる自由が、少なくともあの戦争当時よりはあることに、命をかけたことを喜んでくれると思う。「よかったね、頑張って生きてね」と、いつも言われてるとわたしは感じる。

それよりも、同盟国アメリカが、アフガン、イラクと戦争しているのに協力、加担していることをどう思うか、気になるところだし、朝鮮半島、中国に対しての侵略賠償問題がいまだにくすぶっていることを、残念に思われるのではないかと思う。

物ばかり豊かになって心が貧しくなった、、というのにも、異議がある。親捨て、子捨ては、昔の日本にもあった。ニュースにもならずにひっそりとそういうことは行われていたように思う。いじめや差別も今より公然とあった。今は、そういうことが良くないという世間の規範が浸透したから、ニュースになるように思う。わたしは近頃の「3丁目の夕日」人気など、「昔はよかった」という感覚に理解がない。

ドラマは、小栗旬さんと、八千草薫さんのラブシーンが美しく、特に八千草さんの迫真の演技は胸を打った。

このドラマは、倉本さんが棟田博氏の短編小説「サイパンから来た列車」に感銘を受け50年以上温めてきた作品だそうだ。「サイパンから来た列車」の英霊たちは、戦後10年の日本を見て、安心して南の島に帰っていくらしい。

「今、空襲警報がなくて、町には食べ物が売っていて、それだけで、本当にありがたい」
母は、いつも言っている。わたしもそう思う。正直言って、倉本さんの描いた英霊は、まるで彼の描く今の日本人のように、欲深だと思った。

日本は、良くなろうとしてきたし、良くなってきたこともたくさんある。
介護ひとつにしても、昔の田舎では、蛆がわくまま、座敷に寝ている老人の話、閉じ込められて何年もの話、ほったらかしでもしようがないとされてきたこともたくさんあるとわたしは聞いている。

良くなろうとしてきて、困ったことが出てきたら、軌道修正すればいい。
もう少し、もう少しで、わたしたちは、大切なことを大切にできるシステムを作っていくことができるのではないかと、わたしは感じている。年金、密約、さまざまなことが明るみに出てくるけれど、げっそりすることはない。明るみに出なければ、解消の始まりもないのだから。もう少し、もう少し。思いも寄らない解決が、きっとやってくる。

わたしたち日本人は、ほとんどが、生き残りの子孫だ。あの戦争と全く関係なかった日本人はほとんどいないだろう。まず、生きること。健やかに生きることに集中しよう。






出自

2010年08月10日 | テレビ
テレビで「真実のシンドラー」を見た。ナチのクラクフ・プワシュフ強制収容所のユダヤ人を自分の工場で働かせて殺害を逃れさせたオスカー・シンドラーの軌跡を追ったドキュメンタリー。わたしは昔「シンドラーのリスト」という本を読んで、その後、スピルバーグ監督の映画を見た。映画は、助けられたユダヤ人の観点から描かれていて、本とはずいぶん違った。本では、シンドラーは、上手な実業家で、わたしには「怪物」の印象だったから。

この番組で印象深かったのは、サディストとして悪名高いクラクフ収容所所長、アーモン・ゲート親衛隊大尉の娘さん、モニカさんのことだ。幼くして父親は戦犯として処刑され、母親は、その後テレビのインタビューを受けた翌日自殺した。母の死の理由は、「モニカさんたち子どもに父の真実を話さないため」だったのではないかと、後になって彼女は思っているそうだ。

ゲート所長は、クラクフ収容所が、アウシュビッツのような絶滅収容所ではないのに、囚人を無意味に処刑した。毎朝自宅のバルコニーから鉄砲で狙っては撃ち、その遺体を飼っている二匹の犬に食いちぎらせた。(伝説ではない。番組でもそれを見たという方が証言していた)

モニカさんは、映画「シンドラーズリスト」を見た後、ひどい頭痛に襲われ何日間も寝込んだそうだ。医者に相談したら「理由はあなたにはわかっているはず」と言われた。
彼女は真実を知りたいと動き出し、イスラエルで語り部として活動しているヤンさんをみつけた。ヤンさんと初めて会ったときは、お互いに激しく動揺し、あまり話ができなかったそうだ。けれど、ヤンさんにも彼女の知りたいという熱意は伝わった。何度も会って、ヤンさんは知ることの全てをモニカさんに伝えた。二人は今も親交を深めている。

モニカさんは、父親のあらゆるおぞましい行為を受け容れた今、こうおっしゃった。
「わたしには、デビッドという幼い孫がいて、とても可愛がっています。父は、幼い頃、両親が共稼ぎで寂しく愛に飢えていた。その飢えを満たそうと今、わたしがデビッドを愛しているような気がします。ひとにはわからない感覚でしょうが」

モニカさんは、2002年にマティアス・ケスラーに2日間のインタビューを受け、マティアスは、「それでも私は父を愛さざるをえないのです―『シンドラーのリスト』に出てくる強制収容所司令官の娘、モニカ・ゲートの人生 」同学社 という本に公表している。

モニカさんの勇気、そして、心意気に感服した。
モニカさんの娘さんは、ヘロイン中毒で入退院を繰り返しているから、孫のデビッドちゃんはモニカさんが育てているそうだ。ありがとうございます。お幸せに。

画像は近所のお寺の玄関に咲く蓮。


すいか

2009年09月11日 | テレビ
「かもめ食堂」、「めがね」のファンになったので、その原型とも言われるテレビドラマ、「すいか」を見たくなって借りてきた。2003年7月から9月に放送されたもの。でも、全6巻のうち、第2巻しか借りられなかった。いまだに人気があるのかな。放送3回分で一巻。

これもまた、楽しくて、リアルタイムで見られたらよかったのに。舞台の三軒茶屋は、1990年代、ダンスレッスンで毎週通っていたから、懐かしさもひとしお。

一連のこれらがわたしを魅了するのは、人間関係の距離の心地よさもあると思う。思いやりながら土足で踏み込まない優しさと、登場人物の仕草、たたずまい、言葉遣いが大好きなのだ。ふと思ったけれど、これは、大阪ではどんな評価を受けるのだろう。もどかしい?他人行儀?冷たい?

好きなものを味わえるのは楽しい。残りを借りて見られると思うとウキウキ!
http://www.ntv.co.jp/suika/

原爆乙女の手紙

2009年08月15日 | テレビ
広島、長崎への原爆投下によってケロイドを負った若い女性たち25人をノーマンカズン氏らがアメリカに招いて整形手術をしたことは知っていた。きょうのテレビで、その原爆乙女が、原爆投下したパイロットたちに手紙を出していたことを初めて知った。

あなたは上司の命令によって爆弾を投下したのでしょう。わたしはそれによって被爆しましたが、あなたを敵とは思っておりません。どうか、爆弾を投下したことで苦しまないでください。

といったような内容だった。その手紙を受け取った米軍パイロットのひとりは、戦時中核実験に参加して被爆し、59歳で癌で亡くなった。戦後、原爆投下を非難していた彼の墓石には「広島原爆投下の被害者のひとり」と明記されているそうだ。

戦争は始めてはいけない。ちょっとだけやってやめようという考えで終えることができなくなった戦争がたくさんある。ベトナムもイラクもアフガンも。絶対始めてはいけない。どんな犠牲を払っても戦争よりましだ。

スロージョギング

2009年06月10日 | テレビ
テレビの「ためしてガッテン」で、速筋(白筋)を使わないスロージョギングが健康によいと言っていた。さっそく、連れ合いと夜中のジョギング。ほとんど歩く速さで走ると、遅筋(赤筋)だけが使われて乳酸がたまらないそうだ。なるほど、息も心拍数も上がらず、それでも、血行がよくなる感じで心地よい。話しながら走れるスピードということだ。

一日30分というので、一橋大学まで走った。大体20分。大学の門の前を駆け抜けるハクビシン発見! 帰りもそこそこ走って、モスでウーロン茶を飲んで、小雨に濡れて帰宅してすぐお風呂。なんとも爽快で速歩より疲れない。いや、全然疲れないのにびっくり。とっても元気になる運動だと思うので、毎日したい。歩くより疲れず、気持ちがよいというのは、ホント、不思議。歩いて汗が出ると不快だけれど、この走りで汗が出ると気持ちよいのは、汗の質が違うからかと思う。

http://cgi2.nhk.or.jp/gatten/archive/program.cgi?p_id=P20090610

ボランティア降臨

2009年04月22日 | テレビ
息子が録画していた「世にも奇妙な物語」を見た。
「ボランティア降臨」が面白かった。

高島礼子さんの主婦の家に突然「ボランティアです」と手伝いに来た大竹しのぶさん。終始にこやかに優秀に家事をこなし、家族の信頼を得ていくボランティアに主婦は苛立つ。パートで忙しく家事や家族との会話がおろそかになりがちな主婦を非難されているように感じるからだ。住み込みのボランティアは、夫、姑、子どもに感謝され信頼を勝ち取り親しげで、主婦は自分の存在意義を見失っていく。
夜、夫がボランティアの寝室から出てきたのを見た主婦は、翌朝とうとうボランティアと対決する。↓その後の会話
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4840396.html

結局、主婦は、「ありがたい」と感謝され評価されるボランティアに転向し、幸福になろうとするという皮肉なお話。そこかしこに、ボランティアのエプロンをつけた女性が大勢いるというのも恐ろしい。みんな、どこかの家庭の主婦だったのだ。

これは、日本のあちこちでわたしも見てきた現象だ。家庭ではぞんざいな主婦が、外では細やかでにこやかにボランティアしている。でも、主婦だけだろうか?夫もそんなひとがたくさんいた。ようするに、そとづらはよく、うちづらは悪い。
評価や感謝も、他人と思うからちやほやして、家族と思うから照れも手伝い感謝を表現しない。そんなこと、わかりきったことなのに、それでも外でちやほやされたいのは、なぜだろう。

主婦が家事をするのも、夫が金を稼いでくるのも、ボランティアではないし、自己実現でもない。自分の家庭を築こうとしているからだ。家族であろうとするからだ。善意や利他性という次元とは別の意志だ。生き物として生き死んで行くという根っこの部分で互いに寄り添おうというのが家族のベースではないだろうか。その根っこの部分の意識の欠落が、「ボランティア降臨」を招いているとわたしは思う。つまり、家庭の中でも生き物としての生はないから、ボランティアとしての家事も家族としての家事も変わりないのだ。

社会性を要求する社会が、家庭にまで社会性を浸透させ、ひとは、生き物として生きることを押し込めてきている。社会の評価だけが自分の評価と思い込んできている。生き物として生きることを、家庭から発信していって、社会自体をもう少々「生き物の社会」仕様にしていくことが、これからの人間の課題だと思う。生き物に、社会の評価など意味はない。いのち優先とは、そういうことではないだろうか。