小さな日記

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進化

2010年09月30日 | テレビ
テレビの「教科書にのせたい」に、人間の胎児の話があった。受精してから出産まで、胎児の姿は、生物の進化の形跡を顕す。画像は4週目の胎児の模型。ちょっとしっぽがあって、爬虫類のようだ。

高校の生物の授業で習ったことだったから、教科書にのせたいというのがびっくり。教科書には載っていなかったのかもしれないが、生物の先生は、詳細に説明してくださった。確か、たとえば、一時期、指の間には水かきが出来るが、次の段階では消える、また、一時期えらができるが、それも次の段階で消える、なぜ、はしょって次の段階にいかないかがわかっていない、と。

進化してきたなら、今も、人間は進化の最中ということか。1000年後の人間はどんな姿になっているのだろう? というより、どんな姿であるのが、人間にとっても、他の生物にとっても、健やかに共存できる姿なのだろう?そして、そんな姿であるための、環境や生活習慣はどうだろう?
人間の姿、性能は、こうあったらいい、という観点で、生活習慣を見直すのも一考を要することだろう。

断捨離

2010年09月29日 | Weblog
断捨離という本が流行っていて、元はヨガの行らしいが、まぁ、結局、カレン・キングストンさんの「ガラクタ捨てれば自分が見える」のようなものだろう、と読んではいない。
雑誌にちらほら載っているのを読んだら、また、家の積荷減らし欲がムラムラと湧いてきて、きょうは、一日中、よく働いた。

本を処分した。特に語学系。
台所の引き出しに溜めていたガラス瓶を大量に処分。ときどき、ジャムや保存食を作ると、大量に必要になるのだが、まあ、その時はその時。かさばるから始末が悪い。
サラダの水切り器と、手動のみじん切り器も、処分。子どもの学校があった時期は、時間に追われて重宝していたが、今は料理を焦って作らないから。
よくおろせないセラミックのおろし器も処分。永久に性能が変わらないと言われて買ったけれど、10年も経つと駄目みたい。

衣替えもそろそろだし、今秋こそ模様替えができるほど物を少なくしたいものだ。

いい日だったねぇ

2010年09月28日 | Weblog
息子は、毎日のように、夜、寝る頃になると、「きょうはいい日だったねぇ」と言う。
食器を洗ったり、し残した家事をあわただしく片付けながら、早く床につきたいと思っているわたしは、面食らう。「きょう、なにがあったっけ!?」

特になにかがあったわけでなくとも、「いい日」なのだろう。おでかけしたり、お客様があったりの日は、「楽しかったねぇ」に変わる。

初めは、のんびりテレビを見て、こちらのバタバタを手伝いもしない息子の言い草に、ノーテンキだなぁと、呆れたが、このごろは、いい日だったことを気づかせてもらってありがたいと思うようになった。

「いい日だったなぁ」と思って振り返ると、よかったことが次々と浮かんでくるものだ。
大好きな友人と道でばったり会ったとか、時間を調べないで出たのにバスがすぐ来たとか、お料理が美味しくできたとか、雨に濡れずに帰ったとか、、、
「いい日だったねぇ」と、言い合う相手がいることが、また、すごくありがたいと思う。

きょうのお買い物
マトリョーシカのマイクロファイバーダスター。下から手をはめて使います。PCとかテレビとか額とか、ガラスや家具をなでていくだけで埃がよく取れて重宝です。

尖閣諸島~ IMAGINE

2010年09月27日 | 音楽
尖閣諸島は、1895年に日本に編入された、と、外務省は記している。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html

1895年は、日清戦争の只中。その前から日本政府は領土宣言しようとしたけれど、外務省や沖縄の反対にあい、逡巡していたのが、戦争になったからか一気に編入した。しかし、対外的に宣言も公表もしなかった。そして、その当時、この島々には日本語の名前もなかった。

明治になる前、この島々を知るのは、中国と琉球王国(今の沖縄)の交流にかかわる人々だけだった。当時琉球王国は、中国の属国という建前をとっていた。18世紀末の日本の思想家林子平も、著書に付けた地図の中で、尖閣諸島を中国領のように色を付けている。なお、この林子平の本は、日本人が史上初めて尖閣諸島に触れた本だ。

さて、名前をつけようということになって、英国の海図に、この島々のことが「pinacle islands」(塔のように先のとがった島々)という名で出ているのを見て、「尖閣諸島」という名を付けたのが、1905年である。 イギリスの命名を翻訳して、尖閣諸島となったのだ。

1970年頃、尖閣諸島付近に海底油田のある可能性が取りざたされるようになって、初めて中国は、領有を主張し始める。それまでは、なんの抗議もなかった。

以上、友人に教えてもらった尖閣諸島の概要。友人は、最後をこうしめくくっておりました。

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「知識は力」という言葉があります。批判的精神でものごとすべてを見る姿勢は大切です。ただ、「世の中、何も信用できない」とつぶやいているだけでは、力にはなりません。
 大学で、読書で、事実をたくさん知り、国家権力とメディアの世論操作に乗せられない、「力を持った自立した市民」になりましょう。
 日本でも、中国でも、普通の人々が必要な事実を知れば、「やっかいな問題だけど、まあ、平和的に解決しましょうや」ということになるでしょう。無人島と海底油田のために戦争するなんて、あほらしくて、話になりません。そもそも、石油使い放題の大量消費社会が、地球を滅亡させる温暖化を引き起こしたのです。それなのに、まだ、石油を掘削する話ばかりしているのですか。もういい加減、石油はけっこうです・・。
 海底油田といえば、今もアメリカのニューオリンズ沖では、大量の石油を噴出し続けている史上最大の油田事故の処理が成功していません。海底油田は、とくに、もうけっこう。中国でも日本でも、市民が互いの政府に「油田開発も、馬鹿な領土紛争もやめろ」と言えればいいんですけどね。
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IMAGINE THERE'S NO COUNTRY   IT ISN'T HARD TO DO

想像してごらん IMAGINE 王様


王様直訳バージョン (1996年)

想像してごらん、天国はないと 簡単でしょう 地面の下に地獄もない 私達の上に空があるだけ
想像してごらん、全ての人間を、今日を生きている

想像してごらん、国境のない世界を そんなに難しくないさ 命を奪う武器もなくて 宗教の違いもない
想像してごらん、全ての人間を、平和に生きている

僕は夢見人かもしれないけれど 一人ぼっちじゃないよ
いつの日か仲間になって 世界がひとつになる

想像してごらん、財産のない世界を あなたにできるだろうか?
欲張りや飢餓の心配もない 人類の兄弟愛
想像してごらん、全ての人間を、世界を分かち合う

僕は夢見人かもしれないけれど 一人ぼっちじゃないよ
いつの日か仲間になって 世界がひとつになる

収録CD:想像してごらん

こころとこころのハーモニー

2010年09月26日 | 音楽
チャリティコンサートINアクティブやない


わたしが作詞した「こころとこころのハーモニー」(we are the world)を、マウンテンマウスという素敵な兄妹ユニットが歌ってくださいました。とても嬉しいです。つれが出演した山口県柳井市のコンサートです。
自分が歌うのと全然雰囲気が違うのがとてもいいです。
いろんな方が歌ってくださるといいなぁ。

マウンテンマウスホームページ
http://mau2.hp.infoseek.co.jp/

悲しき雨音

2010年09月25日 | 音楽
午後、涼しくて、しかも晴天で風はないという、待ちに待ったおでかけ気候。母を連れて国立の南口に出たら、秋祭りだった。暑さから大雨、寒さと、ずっと母が外出できなかったので、本当によかった。ギャラリーを廻って、書店で本を買い、息子を呼び出し食事した。

ところで、我が家の方は、先日まとまった雨が突然降って、その雨音の心地よさにずっとベランダで感謝の祈りを捧げたわたしだった。小、中学時代、ラジオで洋楽のベストヒットを聴いていた頃のこの曲を思い出していた。雷の音から始まって、対照的な甘い男声だった。
なんと、今でもご活躍のカスケーズ。お腹は出て、髪はなくなったけど、音楽も雰囲気も素敵ではありませんか!?

2 2悲しき雨音カスケーズRhythm of the Rain


こんなのも
シルヴィ・バルタン En Ecoutant La Pluie 悲しき雨音 1963


日本語のもなかなかいいですね。
麻丘めぐみ「悲しき雨音」

泣いた赤鬼

2010年09月24日 | 
「泣いた赤鬼」は、小さいころのわたしの鬼門だった。内容を思い出すだけで号泣してしまう話だった。絵本を持っていたわけではない。たくさんの子どもたちと一緒に紙芝居か絵本を読み聞かせてもらったように思う。たった一回の経験なのに、これほど辛い思いをずっともち続けるとは。

ふと思い出したので検索してみた。浜田 廣介氏が、1933年に発表され、1965年12月に偕成社から出版している。物語はこうだ。
http://www.kca.co.jp/~nuts/tanoshi/akaoni.htm

人間ではない赤鬼が、人間と仲良くなりたいと切望するのに泣き、青鬼が去ってしまった後に、青鬼と仲良くしていたい自分に気づくのに泣いた小さいわたし。

青鬼は、自分の心がわかっていて、自分の意思で行動した。だから、小さいわたしには、それでいいのだった。けれど、赤鬼は、青鬼との楽しい交友関係がありながら、人間という異質の未知のものに憧れ、青鬼を失う。青鬼を失うことがわかっていたら、赤鬼は計画をとりやめていたかもしれない。つまり、赤鬼は、なにがなんだかわからないまま、欲望にふりまわされ、そこにあった幸福をとりあげられてしまう。それがせつなかった。自分の愛をまっとうした青鬼、自分の愛が見えなかった赤鬼。

赤鬼の「こんなに人間が好きなのにどうして友達になってもらえないの?」と愛を求める気持ち。「青鬼と別れるつもりなんてなかったのに、ぼくのせいでこんなことになってしまった」という愛を失った気持ち。
そして、なにより、青鬼は遠くに行ってしまい、とり返しがつかない、もう手の打ちようがないという事実に深く傷ついた。

あとの祭り、、、そういうどうしようもないことがある、と、知ったのが、「泣いた赤鬼」の経験だった。だから、思い出すたび、苦しかったのだ。そして、それが、わたしの恐れの始まりだったように思う。

興味深いのは、青鬼に同情しなかったこと。青鬼は、自分がしたいこと(大好きな赤鬼の夢を叶えてあげたい)をして、それが叶ったととらえたこと。小さいわたしには、それが辛いことでも、目的が達成されたからいいと判断した。
赤鬼は、「人間と友達になりたい」夢を叶えたのに、今度は青鬼を求めて泣く。欲深い。
でも、その欲深さと、自分の本当にしたいことがよくわかってないという愚かさが、無明というか、普通なのだ。

フェリーニの「道」という映画も、わたしを号泣させた。これは、ジェルソミーナという少女が大道芸人ザンパノに売られて、大道芸の手伝いをしながら、そのうち手篭めにされ、虐待ともとれる仕打ちを受けながらも、女性としてザンパノを愛し、病気になると捨てられ、死んでしまうという話。その後、ザンパノは1人大道芸を続けるが、高齢で体も弱くなってから、ふと、ジェルソミーナを思い出し、海に向かって号泣するのだ。

考えてみれば、これも、「泣いた赤鬼」に似ている。愛されていることに気づかず、相手を利用して、後に、その愛に気づき、号泣するのだもの。
「道」でも、わたしは、ジェルソミーナに対してではなくて、ザンパノに泣いた。
とりかえしのつかないことをしてしまった側に同情してしまうのだ。


人間の愚かしさが切なくて、小さいわたしは泣いたのだろうか。これからの自分の人生のとりかえしのつかないことをしていくだろうことに泣いたのだろうか。

ホ・オポノポノを知って、自分の潜在意識ウニヒピリと頻繁に話すようになったので、この物語を思い出したのではないかと思う。確かにそれまで、わたしの記憶では「母がいなくなる」こと以外、恐れはなかった。そこに、「とり返しのつかないことがある」という恐れが加わったのだ。もしかしたら、以前、死ぬたびに、わたしはそう思って悔やんだのだろうか?

クリーニングして、恐れを取り除いていこうと思う。

お笑い

2010年09月23日 | テレビ
子どもの頃から、お笑い番組を見ることはなかった。きょうは、「キング・オブ・コント」という番組を見た。先日は去年の分を見て興味がわいたから。笑えるネタと笑えないネタ、それと、笑ってしまうネタがある。

わたしは、容姿のことや、女性の体をモノ扱いすることや、教養がないことを笑わせようとされると笑えない。その系統が多かったから、お笑い番組は見たくなかった。でも、先日の去年のを見て、そういうものが昔より少ないことに気づいた。

きょう優勝したひとたちのは、「笑ってしまう」コントだった。ひねたことを言う子どもに、おとなが「おとなをなんだと思ってるんだ!」と怒ると、「さびしがりや」と子どもが答えたのには、吹いてしまった。

つれと息子は、こどもが中年女性に「オバハン」を連呼するのに笑い転げていた。

もう一組、一味違う可笑しさだったのは、猫カフェの風景を描いた作品。
店員と客のやりとりが、自分も経験しているさまざまな場面を彷彿させて、面白かった。
都会的なお笑い。

大きな声でどなるお笑いが少なくなってきたようにも思う。
社会を反映しているものなのだなぁ。

裂き織りのコインケース

2010年09月21日 | ハンドメイド
以前、裂き織りをしたくて、とても小さいおもちゃの織り機で何枚か織った。古着パジャマの赤白ギンガムチェックを裂いて横糸、赤い毛糸を縦糸にというのがこれ。あまりに小さくファスナーをつけて横長のコインケースにしてみたら、見やすくてけっこう重宝。

我が家に帰って、針を持つとほっとするなぁ。

敬老の日

2010年09月20日 | Weblog
昔、敬老の日は、おじいちゃんやおばあちゃんに手紙を送ったものだ。それが、我が子ができてからは、母を祝う日に変わった。きょうも87歳の母の好物、コロッケをたくさん作ってささやかなパーティー。なしのコンポートをデザートに作った。辛口ワインとレモン汁、てんさい糖で柔らかく煮た。大好評。プレゼントは息子からクリオネの根付、わたしとつれから、こぶりのマグカップ。

「あなたたちも、そろそろ老なんだから、もう敬老しなくていいわよ」と言われた!

では、来年から老老相労わる日、老労の日にしましょうか。

画像は函館の夕焼け。

我が家へ

2010年09月19日 | Weblog
チェックアウトが12時とゆったりしていて嬉しかった。曇り空の湯の川からバスで空港へ。空港では娘や母にお土産。塩ラーメンとか鮭トバとか。おもしろいところで、函館塩ラーメン味のドロップも。自分には、北見名物のはっかの結晶を買った。ペパーミントティーは常備しおているから欲しかったけれど、紅茶混じりで、高かった。北見のペパーミントティーが発売されればいいのに。

羽田についたら、飛行機の中から暑くなった。着いてしまえば、行ったことが夢のよう。
西国分寺で娘と待ち合わせ、お互い無事を祝い、積もる留守話にふけった。
帰宅したら、いつもの生活。夕飯を作り、母に届けた。
みんな無事でなによりありがたい。留守番のいちごちゃんも元気だった。

画像は函館から八雲に行く途中の電車の窓から撮った大沼。


湯の川温泉

2010年09月18日 | Weblog
八雲を後に、函館空港と函館駅の間にある湯の川へ。空港からバスで8分なのできょうの宿泊。おぼこ荘とはうって変わって、いわゆる温泉ホテル乱立の地。わたしは、カラオケ、屋台、卓球台、囲碁、将棋、ダンスルームなど完備したこういうリゾートホテルって初めてなので、びっくりきょときょと。何棟もある大きさで、ひとつの娯楽の町のよう。

部屋からすぐに海が見える。(画像)温泉はかなり塩っ辛いナトリウム泉。匂いも、なんとなく磯のような?
夕食は、食べ放題、飲み放題。ズワイ蟹がこれでもか!というほど山盛りで、わたしも、米やパスタは遠慮して、これでもか!というほど蟹を食べた。と言っても、ズワイは身が少ないからね。函館はなんといってもイカ。イカの刺身も美味しいし、イカ飯も。さすが北海道と思うのは、グラタン類。バターと牛乳が美味しいからか、格別香りがよい。たけのこやいんげんの天麩羅も好き。

家族連れが多く、小さい子どもを大切にする若い夫婦がたくさんいて、見ていてとても嬉しい。

朝市~八雲コンサート

2010年09月17日 | Weblog
チェックアウト後、近くの朝市に行ったが、思いの外、高価。朝市といっても、観光用朝市なのだろう。戦後の闇市からずっと続いているそうで、びっしりと、店がひしめいている。
でも、やっぱり静か。色白のおばあさんとか、優しい顔したおじさんが、「お姉さん、何探してるの?」と、そっと近づいて囁きかけてくる。「売らんかな!」と、面白いパフォーマンスを見慣れているわたしは拍子抜け。ごり押ししないし、買わずに去るとさびしそ~うな顔で見送られるのは、けっこう辛い。試食だけで満腹になりそうだ。

朝市ではなく、駅前のビルで、「夢八」という若いひとが、町の活性化と農業を結ぼうという青果物やさん。意気に感じて、九州の友人に野菜を送った。つれは、若者たちが好きになって、CDをプレゼントしてた。
http://ameblo.jp/daturi-man/
http://www.hakodate150plus.com/mtos/mt-search.cgi?IncludeBlogs=9&tag=%E5%85%AB%E7%99%BE%E5%B1%8B&limit=20

特急で1時間ほどで、八雲。「若人の集い」主催でコンサート。実行委員長のハンサムくんは、20歳。若いけれど、落ち着いていて頼もしい。会場前の駐車場に降りて、感激。その静けさたるや、シーンと耳鳴りが聞こえてきそうだ。車も人も通っていない、虫や鳥の声もない。テレビや音楽、クーラーの排気音ももちろんないから、静寂そのもの。その心地よさといったら、アスファルトの上なのに、「わたしは地球の上に立っています!」って感じ。

八雲の名前の由来は、一週間に8日雲っているからだそうだが、きょうは晴天で、陽射しが強く、わたしは汗びっしょり。牧場のしぼりたての牛乳をいただき大満足。しぼりたての牛乳はくどくなく、あっさりしてさわやかで、しかもコクがあるのだ。

八雲は、北海道の木彫り熊発祥の地としても名高いそうだ。永井製菓の「八雲の木彫熊」というおせんべいの説明によれば、旧尾張藩主 徳川義親候が、農閑期の副業として、スイスから持ち帰った木彫り熊の製作を勧め、大正13年に八雲の農民伊藤政雄が北海道木彫り熊第一号を製作し、八雲の活動が全道に普及したそうだ。

http://www.yappe.net/yakumo/kuma/index.htm

http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem2012.pdf#search='北海道 アイヌ 木彫熊'



リハーサル前に一眠りさせていただき、元気百倍。宿泊先は山奥の温泉で、荷物を置きに行ったけれど、素晴らしい景色のドライブ。鮭が上ってくる川では、先発隊を数匹みつけたし、赤トンボの大群も。暑いけれど、確かに秋が。民家の庭先には、コスモスが揺れていた。

若人の集いのご尽力で、予定数をはるかに超えるお客様でコンサート終了。お客様の中に、今年の2月の「村に住もうキャンペーンツアー」に参加して、我が家のお隣町、府中市から八雲に7月から移住してきたという方もいらしてびっくり。海あり、山あり、牧場あり、畑あり、人情ありの八雲に、わたしも住みたくなった。北海道の中でも、道南は暖かいし。
なんせ、八雲町は、日本海と太平洋どちらにも面していて、日の出も日の入りも海で見られる日本唯一の町なのだ。

打ち上げは、鮭のちゃんちゃん焼き。この料理は、北海道の名物になっているが、わたしがいた頃はなかった。聞くと、ここ10年ほどで広まったそうだ。新鮮な鮭でなくては生臭くて食べられない料理。とても美味しかった。障害者の就労団体を立ち上げる準備が進んでいるお話を伺って、嬉しくなった。若人の集いは、昔の青年団から続いてきたそうで、今ではその息子、娘が引き継いで、と、何代にも渡って続いているらしい。良い町だ。

宿泊は、「おぼこ荘」 http://www.h-ffs.com/oboko/index.shtml
温泉は金属臭のある濁り湯で、これぞ温泉!という由緒ある岩風呂。その昔は銅鉱山が近くにあって、賑わっていたそうだ。露天風呂は、前を川が流れ、星空の下、貸切状態で、ときどき、ガサゴソ、ギャッギャッと、近くで生き物の気配が。後で聞いたら、たぶんキツネだそう!秋の虫も耳に心地よい。
町中の駐車場の方が、山奥よりも静謐なのがおもしろく思う。


北海道へ!

2010年09月16日 | Weblog
きょうからつれと息子と3人で北海道へ。コンサートは1本だけど、連休とあって飛行機が取れず、3泊4日の旅になる。東京はびっくりするほどの涼しさ。北海道は寒いかしら?と服も秋物に。

函館に飛行機で行くのは初めてだ。函館空港で外に出たら、なんと爽やかで涼しいおおらかな空気!嬉しくなって札幌の友人に電話した。札幌には行かないけれど。
空港から駅に行くのがバスで約30分と近いのが嬉しい。この夏初めて海を見る。

函館駅近くのホテルに入り、町を散策。函館に来るのはわたしは、37年ぶりで、思い出とは全然違っていた。プエリトリコの少年と歩いた海岸、ジャズ喫茶をみつけた山の道、手芸店があった商店街、なにもかも、どこだったかさえわからない。今はビルだらけだけれど、あのころは、大きなホテルが一軒だけだった。

東京で好きになった函館塩ラーメンを食べよう。ラーメンやがありすぎて選べない。一番人気というとこは避けて、明るい店内の「尤敏」(ゆーみん)を選ぶ。とーってもあっさりしていて、わたしは好きだ。息子はちょっと物足りない様子。チャーハンもまたあっさり。
戦後すぐの創業とのこと、店名の由来を尋ねたら、店主が好きだった香港の女優さんの名前だそうです。

函館は静かな町。ひとも静かで、帰りに入ったドトゥールも、満席なのに、ひっそりと静か。おしゃべりが静かなの。自己顕示欲旺盛なひとがいないのだなぁと、心地よく感じた。