小さな日記

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年金

2007年05月31日 | Weblog
母は、その昔数年だが大手企業で高給を取っていた。その時の同僚が年金を貰っていて、母にも貰えるはずだと聞いて、申請に行ったら、手帳がないと貰えないと言われたそうだ。そんなものかと諦めたと言う。もし、もらえていたら、83歳まで1000万円近い額。そんなひとが数限りなくいるはずだ。

自由

2007年05月29日 | Weblog
朝起きたら、突然閃いた。いつでも心をからっぽにできることが自由なんだ!善意であろうが悪意であろうが、思いはふわふわ浮いてそれに引きづられていく。思いは、単なる反応であって、意志でも考えでも信念でもない。意志は行動であり、考えは論理であり、信念は死んでから他人が判断することだ。だから、思いで繋がった気になっているひとたちは、分断する。原爆反対の団体然り、PTA然り。繋がることができるのは、からっぽの心同志なんだ。愛が思いであると思い込むのが間違いの元だ。思いであるうちは執念だ。意志であるとは言えるけれど。からっぽの心を尊重しあうのがいいんだなぁ。と、一人納得してルンルン♪一日、心をからっぽにすることに腐心していたら、家族と笑いの絶えない日になった。興味深いこと。

ここ数年全く夢を見なくなったけれど、こうやって、朝起きたら、なにかのアイデアが閃くようになった。不思議。

誕生日のプレゼント

2007年05月28日 | Weblog
いつもは目で挨拶するだけのご近所の方が立ち止まって、言葉を尽くして息子のことを誉めてくださった。
きのうの夜遅く、以前わたしをインタビューして書いた論文が教授に気に入られて本になったと息子の友人の大学生が持ってきた。彼の目から見たわたしが実名で書かれているのは気恥ずかしいけれど、小学校時代から知っている彼の成長をうれしく思う。就職活動中でずっと気落ちしていたのが、昨夜突然来る気になったというのだから玄関クリアリングの即効だ。

息子には「ゆず」のDVDをプレゼントしたけれど、生んだわたしが祝ってもらったような誕生日。

クリアリング

2007年05月27日 | ハンドメイド
「ガラクタ捨てれば自分が見える」カレン・キングストンさんの本と数年前に出会ってから、物、心、身体、空気のクリアリングをやってきた。すると連動して、人間関係もすっきりクリアリングされ、新しい素敵な出会いがたくさんやってきた。

「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴(あまざけ)の如し」荘子とカレンさんは、共通点がたくさんある。

きょうは、玄関のクリアリング。金具が当たって血が出るミュールの下敷きを麻布で取替え、麻糸を編んでリメイク! ひと夏履けるね♪

原動力

2007年05月26日 | Weblog
以前から、平和、非暴力、正義を訴えるひとの原動力に怒りが見えるのが気になっていた。原動力が怒りなら、何を言ってもしても、結局怒りの結果が出る。アルボムッレ・スマナサーラ氏は、「ありのままの自分」で、非暴力運動を推進したガンジーすら、原動力は怒りだったので、暗殺という怒りの結果を導いたと解明している。では、腐った乳粥で下痢して死んでいった釈迦さんの因はなんだったのだろう?わたしは、釈迦さんが乳粥で悟りを得て乳粥で死んでいったことの意味をずっと考えている。peace is the way の難しさを思う。

寒い一日

2007年05月25日 | Weblog
きのうから一転。朝から雨。寒くて何を着ればいいのかわからない。久しぶりに休みの娘と買い物に出たけれど、麻や綿の半そでなど、到底買う気になれない。こんなにコロコロ気候が変わって、農作物はどうだろう?と思っていたら、作物どころか、人間への影響大で、わけのわからない殺人や麻疹、百日咳と、続いている。不安定な気候は、不安定な身体にして、不安定な身体は不安定な気持ちにする。自分をしっかりお手入れしよう。

クローバー

2007年05月24日 | Weblog
家から徒歩30分ほどの武蔵国分寺公園で、息子と四葉のクローバーを探した。みつからなかったけど、久しぶりに大地に素足をくっつけて土と緑の匂いを満喫した。この公園、我が子たちが子どものころは、国鉄鉄道学園だった。

タオのプーさん

2007年05月23日 | Weblog
A.Aミルンのくまのプーさんと一緒に、中国の道教を解いてくれるベンジャミン・ホフの本。プーさんののんびりおっとりの物言いからして、確かにタオ。ほんわか読んでいるうちに、イスガシ・スギカエル協会を脱会できます。プーさんのはちみつは、わたしの何だろう?
http://www.just-pooh.com/tao.html

人生

2007年05月22日 | Weblog
春というか、初夏というか、すがすがしく眩しい陽射しを浴びて、一人道を歩くと、ネイティブ・アメリカンの言葉を思い出した。「人生とは出来事をつなげたものではなく、出来事と出来事の間が人生だ」

本音のお手入れ

2007年05月21日 | Weblog
ひとは、幼児から本音を隠し、建前を出さなくては社会に受け入れられないと躾けられる。本音だけで生きると社会不適応だからだ。躾けがうまくいくと、建前が自分であると信じ込んでしまうひともいて、そういうひとは、本音が突然謀反を起こす。自分の本音は、自分がお手入れをしてきれいにしておかなくてはいけない。ひとは、建前をきれいにしようとするが、本音をきれいにしていくことが大切だ。その方法を説いているのが、仏教だ。

手慰み

2007年05月20日 | Weblog
手編み、手縫い、手織り、、家にいる時は、なにかしら、毎日作ってきた。手慰みと思ってきた。けれど、島良枝さんの刺繍絵に出会って、意識が変わってきた自分にこのごろ気づいた。命のこもった作品を作りたいと思っていることに気づいた。思っているけれど、ただのやっつけ仕事になっていることもある。
きょうは、息子のジーンズの破れた膝に当て布をして刺繍糸で刺し子をしたけれど、やっつけてしまった。命のこもった繕いをしたジーンズは、息子には重荷だろうから。

パーティー

2007年05月19日 | Weblog
きょうは、同じアパートの方が、母のためにとパーティーを開いてくださった。近所の家族が15人も集まって、楽しく食べたり歌ったり。老若男女が揃ってそれぞれの世代の歌を歌うのは面白い。特にいつもは歌わないおとうさんたちが大きな声を出してくれたのが楽しかった。

聖ヨゼフホーム

2007年05月18日 | Weblog
子ども用のボンゴと小さいギター。楽器として立派なものではないけれど、小さい子が遊ぶにはよいかしら?と取ってあった。あるコミュで子どもの施設でもらってくれないかと提案したら、縁あって西東京の聖ヨゼフ・ホームに送ることができた。カトリックのホームで、わたしは幼稚園がカトリックだからご縁ができてとても嬉しい。いつか訪ねたいものだ。ネットのありがたいとこ。

魔女の系譜

2007年05月17日 | Weblog
学生時代、友人に打ち明けられた。「わたしが許せない!って思うと同時にそのひとの眼鏡が割れたり、怪我をしたりするの」その能力は彼女を怯えさせ、今は熱心に宗教に頼っている。母も「わたしに不快な思いをさせたひとは必ず不幸になっちゃうの」と言う。わたしもそれは感じる。だから、不快にさせられた相手の幸福をより熱心に祈ることにしている。呪われるよりも呪うほうが恐ろしい。けれど、呪いをかけられたという子に言ったように、呪いを選択したのはその子なのだ。