毎年、静岡の友人がたけのこをたくさん送ってくれる。これは、自分で皮付きをゆでたのよりもおいしい。土鍋にいっぱい薄味で煮てもすぐになくなって、継ぎ足していく。ありがたいこと♪
生ピーナツをときどきいただく。青臭いのがなんともおいしい。塩茹でしてもやめられない旨さ。千葉物産展でよく出ている甘納豆も、今度作ってみたい。生アーモンドはどんな味かしら?生コーヒーは?
藤間藤子さん生誕100年記念の会。生の演奏が素晴らしく、心踊る思い。大道具の鮮やかさにも感激。衣装の色使いは一生懸命記憶しておこうと頑張った。日本の色合いは斬新で細やかだ。日本に昔からショルダーバッグがあったことを発見。組みひもの巾着は金襴緞子で素敵。それもこれも、素晴らしい芸があってこそ。すごかった。
テレビで山下清画伯の製作模様を見た。指だけで、細かい作業を目にも止まらぬ速さでこなしていく。小学生が使う色紙と糊だけで、時には裏側を、時には切手を使って思う色味をだしていく。描きたいという情熱。その番組では、そのあと、シベリア収容所でも絵を描いていた画家の紹介があった。彼は、絵の具がないので、石炭の灰に廃油を混ぜて真っ黒に塗り、ひっかいて絵を描いたそうだ。
リリー・フランキーの「東京タワー」で、主人公が美大にはいってすぐ、おそろしく高価な絵の具を買ったことを思い出した。そして彼は大学に通うことも絵を描くこともしばらくやめてしまうのだ。
リリー・フランキーの「東京タワー」で、主人公が美大にはいってすぐ、おそろしく高価な絵の具を買ったことを思い出した。そして彼は大学に通うことも絵を描くこともしばらくやめてしまうのだ。
1971年シドニー・ポワチェ初監督作品。シドニー・ポワチェとハリー・ベラフォンテが、南北戦争で開放された黒人奴隷が新天地での土地取得を目指して西部へと移動するのを手伝う黒人の西部劇。音楽の使われ方も映像もわたしには興味深かった。西部劇といったら、白人とインディアンの戦いだけれど、これは、元の奴隷状態に戻そうとする白人と黒人の戦いだ。それにしても、白人、黒人、ネイティブ・アメリカン、みんなが銃に依存する。銃がなかったら、世界の歴史はどう変わっていたのかと、虚しく思った。
アート・アンサンブル・オブ・シカゴは、わたしをジャズ歌手になろうと決心させた「ラジオのように」の演奏グループだ。娘の大学院の教授が、南アのアパルトヘイト時代のソエトのコーラスグループ,アマブトとかれらがコラボしたCDを貸してくださった。日本のDIWレコードが製作している。アマブトとはズールー語で戦士たちを意味するそうだが、歌声はちっとも戦闘的ではなく、おおらかでのびやかでまさしく南アだ。アート・アンサンブル・オブ・シカゴの音はいつものように挑発的でとんがっているのが面白い。
本屋で立ち読みしていたら、「マルチタスキングはやめよう」と書いてあった。つまり、効率が良いだろうとなにかをしながらなにかをしていたら、見逃すこと、気づく機会を逃すことになると。それは、「心をこめる」キャンペーンをしていて、本当に実感することだ。なにかをしながらだと、そのどちらにも心がこもらない。パラパラめくって、終わりのほうを読むと、「音楽をかけながら掃除をしましょう」とか書いてあって??? 本のタイトルは忘れたけれど。
町を歩くと、通りすがりやお店の人たちが、母や息子や娘に出会ったこと、話したことを伝えてくれる。母も着実にこの町に知り合いが増えていって、わたしの知らないひとたちにもずいぶんお世話になっているようだ。お店にはいると、お茶やらお菓子やら、ごちそうになり、階段を歩くと荷物を持ってくれるひともいる。「おうちまで送ります」と、見知らぬ方が申し出てくださることも。良い町だ。感謝。
今回国分寺市は29人立候補。落ちるのは5人。知り合いが10人近くいて、みんなに頑張ってね、とは言ったものの、一番当選が怪しいひとに入れてあげたいけれど、それが誰だかわからない。
細い細い糸がたくさんあるので、糸巻き器でひきそろえている。20本でようやくかぎ針5号で編めるほど。色や材質が気に入らない糸も、組み合わせでえもいわれぬ美しい糸になる。ハーモニーだ。けれど、これは時間と細かい神経のいる作業で、一玉つくるのに5時間もかかることもある。けれどもちっとも飽きないし楽しいのだから、よっぽど糸や布に触っているのが、わたしの体が好きなのだろうと呆れる。情熱とか本気とかは、こういうふうに体が向かうことだと思う。
春キャベツを千切りにして、えごま油でトス。ほうれんそうやらかぶのはっぱやら、松の実なども一緒に、塩とバルサミコ酢であえるのが気に入っている。きょうは、新たまねぎをまるごとじっくり煮てトロトロのひよこ豆入りスープと、めかじきのバターソテーと一緒に。ほろ苦いふき味噌も。
写真の顔を見てひとを判断するなんてできない。テレビのニュースで、凶悪事件の犯人が写るたびに思う。暴力をふるうひとがどうかさえ、ちっともわからない。漫画のように、悪いひとはいかにも悪そうな顔をしていた時代は、確かにあったのだと思う。今はそうはいかない。でも、疑心暗鬼で、不安を抱えて生きていくことはいけない。騙されたら、その時はその時と、腹をくくって、おおらかに生きたい。
銃の事件が3つもニュースで流れた。長崎市長、ヴァージニア工科大学、親戚の遺産争い。殺すのが簡単な銃という道具が普及したことで、人間の歴史は大きく変わった。殺したいという思いを、即、行為にできる簡便さ。それは、欲しいという思いを、即、所有に変えられるお金と似ている。
思いを形に変えようとしている最中に出会うひと、事件、自分の思いの変容、それを味わう時間を、銃やお金は奪っている。
思いを形に変えようとしている最中に出会うひと、事件、自分の思いの変容、それを味わう時間を、銃やお金は奪っている。
某超有名大学に通う若者が「僕は一生をかけて環境問題を解決する」と、メールしてきた。「どうやって?」と、聞いたら「世界一の大企業を作って、権力者となって、地球全ての環境を整える」そうだ。この発想、自分が神になって目的を果たそうという発想を、わたしに向かって恥ずかしげもなく堂々と言える幼稚な頭脳を振り落とせなかった難関大学。日本の大学受験はもっともっと難関にするべきだ。
リメイク、リフォームは、昔から好きで、穴やかぎざき、しみのついたものはリフォーム材料にしていたけれど、近頃は、純粋に繕うのも面白くなった。ベースのリチャード・デイビスが、白いシャツのボタンを2個だけ赤い糸でとめていてとてもかわいかったけれど、そんなふうに、繕ったことがわかるのが面白い。そもそも、わたしはグランジ好きで、ベティーブルーのトレーナーなど、あちこちに繕いや穴ぼこがあって、見たひとは、わたしの創作かどうか聞いてくる始末。息子の靴下の底がすぐ破けるから、今度は刺繍糸でなにかしてあげよう。