小さな日記

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鬱病さん、いらっしゃい!

2008年09月18日 | Weblog
生協で、久しぶりの友人にばったり。お母様が鬱病になって、遠距離介護しているとのこと。母に言わせれば老人で鬱でないひとなんていなくて、そうじゃないふりができるかどうかだと。そうじゃないふりができているうちは鬱病と扱われないということか。

母の口癖は「めんどくさい」と「疲れた」で、なにかをしようとすると、する前にこれが出る。何年前からだろう、いや、40代から少ないけれど言っていたように思う。東京に来て一緒の時間が増えて、聞くたびにこちらもげんなりしていた時期もあったけれど、その言葉の意味をその時沸き起こった心情と解釈しないことにした。つまり、母は、一日24時間疲れていて、生きることがめんどくさいのである。だから、なにかをやめれば元気になってめんどくさくなくなるというわけではないのだ。BGMのようにその言葉を聞き流しながら、一緒に時間を過ごしていれば、ときには大笑いすることにもでくわすのだから、それでいいのだ。

アレキサンダー・テクニック、片山整体、ホ・オポノポノと、出会った技術を学んできて、共通しているのは、相手を好きにさせておくこと、自由を奪わないこと、プッシュしないこと、そして、自分を調えていくこと。めんどくさくて、疲れて生きるのはいけないことだ、と、ジャッジしないことが肝心だ。なにより大切なのは、わたし自身がリラックスしていること。そう努力してきた。

友人の話を聞いていて、「誰だって鬱病になる権利がある!」と思いついた。そうだ、病気になるのも本人の自由なのだから、その自由を尊重することが大切なのだと思う。本人も、病気を後ろめたく恥じたり、周囲に迷惑をかけると、病気を敵に思ってはいけないのじゃないかしら? 鬱病さん、いらっしゃいませ、ちょうどよい時にいらっしゃいましたね、いつまでも、ご自由にいてけっこうですよ。と、扱ったら、必要以上に滞在しないのではないかと思う。

友人には、五感を刺激してあげるといいよ、と、アドバイスして別れた。好きな色を身近に置くとか、良い香りをさせるとか、大昔を思い出す音楽、映画、子ども時代に食べた料理、、、わたしの母には、効果的だ。目の覚めるような鮮やかな色も、薄くなってきている目には、心地よいようなので、真っ赤なクッションやピンクのランチョンマットを使う。大昔の映画を探して見せてあげると興奮してたくさん話す。なんでもいい、本人が興味を持つきっかけを探して。