小さな日記

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チェルノブイリの事故は地震が原因だった?!

2011年05月30日 | 

おつきあいのあるサンタポストさんから、小冊子が届いた。

「命のバトン」青山玲子著  サブタイトルは、私の「まだ、まにあうのなら」-福島原発の事故を受けて

著者の青山さんは、各国の平和女性団体と交流する新日本婦人の会立川支部常任委員。福島の事故を受けて、長年訴えてきた原発の危険を、早急に伝えたいと、今までの執筆分も含めて、緊急出版なさった。

その中で、チェルイノブイリの事故は地震が原因で、それが隠蔽されたのは、原発を地震大国日本に売ることができなくなるというIAEAの思惑があったからだというくだりには驚いた。「巨大事故が原発を襲う」(船瀬俊介著 地湧社)によるものだ。

1957年アイゼンハウワー大統領の提唱で、国連専門機関のひとつとして原子力の平和利用のために設立されたIAEA。今、日本では政府よりIAEAの調査を歓迎する傾向すらあるが、そのIAEAは、原発推進の国際原子力機関なのだ。

チェルノブイリの事故が地震が原因というのは、本当だろうか?調べたらこんなのが出てきた。

 

チェルノブイリ原発 隠されていた事実1

 

チェルノブイリ原発 隠されていた事実2

 

チェルノブイリ原発 隠されていた事実3

 

 

「命のバトン」は、1冊300円で、売り上げは、放射能で汚染された農地の土壌を改良するための資金にしたいとおっしゃる青山さん。47ページの薄い小冊子で、読みやすく、原発や放射能、歴史について書かれています。

購入方法

e-mail my_way_rei@yahoo.co.jp

Fax  042-5369744

住所 〒190-0031 立川市砂川町2-36-8 香田方

上記に連絡すると、1冊300円(送料込み400円)10冊以上注文で送料無料で購入できます。

電子書籍(アプリブック)合同会社SNH 

 https://market.android.com/details?id=jp.nobel.baton_of_life&feature=search_result

目次  ・六ヶ所村のこと  ・浜岡原発の危険性と原発作業員 ・海へ流される放射能 ・自然エネルギーの拡がり ・チェルノブイリの事故は地震が原因だった! ・プルトニウムを消滅できる技術 ・原発なしでも日本の電気は大丈夫 ・著名人のブログから ・おわりに ・Q & A ・放射性物質から身を守るために


自分で疲れをとる!日々の整体

2010年12月19日 | 
片山洋次郎さんの新しい本が出た。
自分で「疲れ」をとる!日々の整体 静山社刊

今まで季節、骨盤、体癖などの観点で本が出ていたが、これは、日常生活で、特に不調がなくともなにげなく体調を整える仕草が紹介されていて、誰にでもお奨めしたい。
1人でできるのも有り難い。

電車の中で、仕事中に、ほんのちょっと体をケアしてあげる、目を向けてあげることで、上手に気候やストレスをかわしていけることが載っている。
疲れは溜め込まず、すぐに対処すると大きな不調にならないものね。
掃除と同じだね。

「仏陀語録」オリジナル

2010年10月08日 | 
島田裕巳編著 野町 和嘉写真  三五館 2009年11月初版

中村元先生の訳で、岩波文庫で出ているスッタニパータ「ブッダのことば」は、大学時代からの座右の書で、とても面白い。日本に伝わって長い年月で変遷してきた仏教ではなく、原始仏教というのか、仏陀自身がどう人々に接したのか、語ったのかがわかる。
でも、初版が1958年なので、言葉遣いが古い。

この本は、現代語で、島田氏の解釈もいれたとてもわかりやすい作りになっていて、野町氏の写真がまた、幻想的で美しい。字も大きいので読みやすい。スッタニパータの中から、100の文を抜粋してある。

たとえば、中村元氏の訳では
「一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起すことがない」894

島田氏は
「自ら判断し、自分を自分で評価することで、この世で繰り広げられる論争のなかに深くはまりこんでいくことになる。すべての判断を退ければ、この世で争いごとを引き起こしたりはしない」

と、こうなる。初めてゴータマ・ブッダの人となりを知りたいひとにはお奨めする。

非暴力で生きるにはどうすればいいか、仏陀は、いろんな角度から示唆してくれている。
すごいことだ。2600年も前に!
ジャッジを断つのは、ホ・オポノポノと一緒。


http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8F%E9%99%80%E8%AA%9E%E9%8C%B2-%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB-%E5%B3%B6%E7%94%B0-%E8%A3%95%E5%B7%B3/dp/4883204774/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1286645757&sr=8-1#noop

泣いた赤鬼

2010年09月24日 | 
「泣いた赤鬼」は、小さいころのわたしの鬼門だった。内容を思い出すだけで号泣してしまう話だった。絵本を持っていたわけではない。たくさんの子どもたちと一緒に紙芝居か絵本を読み聞かせてもらったように思う。たった一回の経験なのに、これほど辛い思いをずっともち続けるとは。

ふと思い出したので検索してみた。浜田 廣介氏が、1933年に発表され、1965年12月に偕成社から出版している。物語はこうだ。
http://www.kca.co.jp/~nuts/tanoshi/akaoni.htm

人間ではない赤鬼が、人間と仲良くなりたいと切望するのに泣き、青鬼が去ってしまった後に、青鬼と仲良くしていたい自分に気づくのに泣いた小さいわたし。

青鬼は、自分の心がわかっていて、自分の意思で行動した。だから、小さいわたしには、それでいいのだった。けれど、赤鬼は、青鬼との楽しい交友関係がありながら、人間という異質の未知のものに憧れ、青鬼を失う。青鬼を失うことがわかっていたら、赤鬼は計画をとりやめていたかもしれない。つまり、赤鬼は、なにがなんだかわからないまま、欲望にふりまわされ、そこにあった幸福をとりあげられてしまう。それがせつなかった。自分の愛をまっとうした青鬼、自分の愛が見えなかった赤鬼。

赤鬼の「こんなに人間が好きなのにどうして友達になってもらえないの?」と愛を求める気持ち。「青鬼と別れるつもりなんてなかったのに、ぼくのせいでこんなことになってしまった」という愛を失った気持ち。
そして、なにより、青鬼は遠くに行ってしまい、とり返しがつかない、もう手の打ちようがないという事実に深く傷ついた。

あとの祭り、、、そういうどうしようもないことがある、と、知ったのが、「泣いた赤鬼」の経験だった。だから、思い出すたび、苦しかったのだ。そして、それが、わたしの恐れの始まりだったように思う。

興味深いのは、青鬼に同情しなかったこと。青鬼は、自分がしたいこと(大好きな赤鬼の夢を叶えてあげたい)をして、それが叶ったととらえたこと。小さいわたしには、それが辛いことでも、目的が達成されたからいいと判断した。
赤鬼は、「人間と友達になりたい」夢を叶えたのに、今度は青鬼を求めて泣く。欲深い。
でも、その欲深さと、自分の本当にしたいことがよくわかってないという愚かさが、無明というか、普通なのだ。

フェリーニの「道」という映画も、わたしを号泣させた。これは、ジェルソミーナという少女が大道芸人ザンパノに売られて、大道芸の手伝いをしながら、そのうち手篭めにされ、虐待ともとれる仕打ちを受けながらも、女性としてザンパノを愛し、病気になると捨てられ、死んでしまうという話。その後、ザンパノは1人大道芸を続けるが、高齢で体も弱くなってから、ふと、ジェルソミーナを思い出し、海に向かって号泣するのだ。

考えてみれば、これも、「泣いた赤鬼」に似ている。愛されていることに気づかず、相手を利用して、後に、その愛に気づき、号泣するのだもの。
「道」でも、わたしは、ジェルソミーナに対してではなくて、ザンパノに泣いた。
とりかえしのつかないことをしてしまった側に同情してしまうのだ。


人間の愚かしさが切なくて、小さいわたしは泣いたのだろうか。これからの自分の人生のとりかえしのつかないことをしていくだろうことに泣いたのだろうか。

ホ・オポノポノを知って、自分の潜在意識ウニヒピリと頻繁に話すようになったので、この物語を思い出したのではないかと思う。確かにそれまで、わたしの記憶では「母がいなくなる」こと以外、恐れはなかった。そこに、「とり返しのつかないことがある」という恐れが加わったのだ。もしかしたら、以前、死ぬたびに、わたしはそう思って悔やんだのだろうか?

クリーニングして、恐れを取り除いていこうと思う。

ジャズカントリー

2010年09月05日 | 
「ジャズカントリー」ナット・ヘントフ著 木島始訳 晶文社

この本は、大学時代に購入したのだけれど、ジャズ研に入っていたわたしには、少し読むとあまりに周囲の友人たちと近い内容に辟易して読まず仕舞いだった。その後、結局処分してしまったのだが、2004年、翻訳者の木島氏の訃報を、英語翻訳塾の先生から知らされ、名訳だからぜひ読むようにと薦められ、再購入となった。

ヘントフが若者向けに書いた青春小説なのだが、恋愛は出てこない。いわば、ジャズに恋した16歳の白人少年が、、母国アメリカの未知の黒人社会に踏み入り、ミュージシャンになるか、大学生になるかと悩む様子を描いている。ジャズ好きには、実在のミュージシャンが実像として描かれるのも楽しめる。ジャズを知らなくても、好きなことを仕事にしていくかどうか迷う若者の真摯な姿は、爽やかだ。

ジャズミュージシャンになりたい白人青年と、哲学者になりたい黒人青年のアイデンティティーの葛藤の対比は、1960年代ならではのステレオタイプに思える。現代では、アイデンティティーへの逡巡は、もっと複雑で、切り口が多重化している。けれど自分が自分である自由を失わずに生きていこうという若者の情熱は、決して衰えることはないとわたしは信じている。

この本で使われるジャズという言葉は、わたしの思うジャズと完全に一致するのが、とても嬉しかった。今日、ジャズと呼ばれるものが、わたしにはジャズには聞こえないことがほとんどだ。だから、もう、ジャズが好きとは言えないと思っている。

選択肢があることを普通自由という。けれど、選択肢がないところから勝ち得る自由の豊かさを、選択肢がある者はなかなか獲得できない。1960年代のジャズは、同じ曲を演奏しても、もうないのだ。

ヘントフは、911事件以降のアメリカに「消えゆく自由」(集英社刊)で警鐘を鳴らしている。

アメリカだけじゃない。フランスもこうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100905-00000015-maip-int

サウスポイント~よしもとばなな

2010年08月11日 | 
本屋でパラッと立ち読みして、キルト作家、ハワイ、にひっかかり、古本で手に入れた。読み終わって知ったのだが、「ハチ公の最後の恋人」の続編とのこと。わたしは読んでいなかった。この物語の女主人公テトラの恋人の両親の青春時代が「ハチ公の最後の恋人」で描かれているらしい。

サウスポイントでわたしの興味を引いたのは、テトラの母。娘が自分の恋人から強姦寸前になったのに、「最近のテトラはむちむちして色っぽいからなあ、ママでもむらっとくるよ、言っておくから、ゆるしてあげて」と平然としている。テトラは自分の部屋の鍵をホームセンターで買って自分でつけかえるのだ。

読み進んでもずっと、この母の人物像がわたしの中で明確になっていかない。光り輝く美しさと寛容な自由さが讃えられているし、無神経なのか無垢なのか、自己中心なのかよくわからなかった。それが、テトラの恋人の母親が息子(テトラの恋人)を「バカで、鈍感で、、」と評し、その後「テトラも少し似ているのかもしれない」と言う場面でハタと思い当たった。テトラの母は、テトラの感覚で、目線で描写されているから伝わってこなかったのだ、と。

テトラは、母に反抗するわけでなく、憎んだり恨んだりもしていない。母への憧憬を抱きながら、少し距離を置いたり、近づいたりして、母の愛を求めている。
憎んでしまうと自分が辛いから、自己防衛で相手をあるがままに受け入れている感がある。
つまり、鈍になることで、自分の身を守っているのがテトラなのだ。それをテトラの恋人の母親は、優しいと言う。テトラは、こう答える。「お母さんは強いひとです。私はそんなふうに自覚して進んでいくなんてできない」

その姿は、受身にも見え、寛容にも見え、ボーっと静かなたたずまいだ。

テトラの母は、テトラの父が破産し夜逃げするのだが、夜逃げ前後の尻拭いの仕方や、事業が失敗したことの言い訳の仕方や態度がぜんぶ気に入らなかったと言って、父とすぐ別れた。
それをテトラは残酷と評する。そして、どんなに酔っても決してスケベにはならなかった父親を見限った母を、女としてバカだと思ったのだ。

だから、テトラは決して本当の鈍ではなく、自己防衛の鈍であり、繊細なゆえに、無意識に鈍感であらねば生きていけないのだろう。無自覚というバリア。よしもとばななさんが人気なのは、感じやすくて生きるのが辛いと感じているひとが、登場人物に自分との共通点を感じ、しかも、登場人物があるがままでなにかしら生きる道をみつけていく健やかさが嬉しいのかもしれないと思った。

レイモンド・チャンドラーのあの有名な言葉
「If I wasn't hard,I wouldn't be alive.If I couldn't ever be gentle,
I wouldn't deserve to be alive  強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」

テトラちゃんは、「優しくしていなければ、生きていけない」のかもしれない。

ハリスおばさんパリに行く

2010年07月25日 | 
本屋で立ち読みしていたら、「ハリスおばさんのようにディオールのドレスに邁進するならよい」とかなんとかいう言葉をみつけた。ハリスおばさんって、誰だろう? わたしは、こういうとき、インターネットに感謝する。検索したらすぐにわかった。ガリコというひとの書いた「ハリスおばさん、パリに行く」という本が、クリスチャン・ディオールのドレスに憧れパリに買いに行くロンドンの掃除婦、ハリスおばさんが主人公だった。

どうもその本は、絶版になっていたのが、復刻版が数年前に出たらしい。ガリコが誰なのか調べたら、英語翻訳塾で読んだ「雪のひとひら」の作者、ポール・ギャリコと同一人物。「雪のひとひら」は、雪のひとひらを1人の女性にみたてた美しい寓話で、翻訳も秀逸で、心に残る素敵な本だった。それで、復刻版は高価なので、古本を探して取り寄せた。

さて、読んでみたら、、、
ストーリーは、なかなか味のあるじんわりしたものでわたしは好き。ちょっぴり泣いちゃった。

おばさんといっても、ミセス・ハリスは、50代前半なのだ。黒木瞳さんくらい?
お金持ちの家を掃除するといっても、気に入ったひと、家以外、掃除しないプライド高き掃除婦だ。ミセス・ハリスは、一度も外国に行ったことも、飛行機に乗ったこともなく、フランス人についてはいろいろな恐ろしい噂を聞いていた。だから、ある日、突然心を奪われたディオールのドレスを買いにパリに行くのは大冒険だった。しかも、ドレスは高価だから、毎週の映画館通いも止め、お茶も控え、タバコもやめて、3年近くお金を貯めるのだ。

それは、彼女自身、恋のようだと思った情熱だった。手に入れても着ていく機会もありそうにないドレス。ただ、こんな美しいものが、自分の物だと思うだけで、幸福になれるドレス。汚い部屋をクタクタになって磨き上げて、でも、我が家に帰ったらあのドレスが待っていると思うと元気になれる。。。そのためなら、節約して働きづくめになってもかまわないと思ったのだ。

パリのディオールでドレスを獲得するまでの人間模様、ロンドンに帰ってからのドレスの顛末。ネタバレになるので書くのは控えるが、これが、ギャリコの真骨頂。

きょう、テレビで、茂木健一郎さんが言っていた。「悔しいと地団太踏む思いがわきあがるのが若さなのです。赤ちゃんはとっても悔しがるでしょう」
悔しさが湧き起こるのもまた、情熱があるからだ。

情熱は、習慣を突き破る。習慣を破った領域に新しい地平が広がる。うーむ、アレキサンダー・テクニックも、片山整体も、ホ・オポノポノも、習慣や癖から解放されるためのツールとも言えるからなぁ。情熱もまた、自分が進むためのひとつのツールかもしれない。
この暑い夏、暑さに負けない情熱を、みなさま、何に向けてますか?

古代ハワイアンの教え フナ:三つの自己に秘められたギフト―癒しと祝福のホ・オポノポノ

2010年07月09日 | 
アーリン・J・マクドナルド著
春秋社

ヒューレン博士とお会いしてから、ホ・オポノポノ関係の本を全部買って読んできたが、先日、物の処分をしていた時に、ふと思い立って、「ウニヒピリ」以外全部売り払った。今では、ホ・オポノポノのクリーニングはわたしの生活にずっと流れ続けている。だから、ホ・オポノポノの本は大切だと思ってきたけれど、その時、大切なのはクリーニングであって、読み終わった本ではないと思ったのだ。

すると、すぐに、この本と出会った。わたしは、よしもとばななさんの「アナザーワールド」を読み終わったばかりだった。本屋でみつけて、パラパラ立ち読みしたら、「キノ」が、身体を表す言葉と知った。「アナザーワールド」には、キノという名前の男性が出てくる。「どうしても読みなさい」と言われた気がした。

読んでみたら、今までの本と違って、簡単に読み通せなかった。ヒューレン博士から習ったのは、カフナのモナさんの、セルフ・アイデンティティー、ホ・オポノポノだった。この本は、モナさんが熟知していた、古代ハワイアンの伝統、ホ・オポノポノについても詳しかった。モナさんは、それを発展させて、セルフ・アイデンティティー、ホ・オポノポノを確立したのだ。

3つの自己、ウハネ(顕在意識)、ウニヒピリ(潜在意識)、マウアクア(内なる神聖さ)
が、バランスよく調和して成長していくにはどうすればよいかが書いてある本。

わたしの場合、小学校4年生ころからウハネが支配的になって、ウニヒピリは人前には顔を出さないようにしてきたと思う。それが、1人暮らしを始めた19歳から、爆発するようにウニヒピリ主体の暮らしになって、育児にどう向き合えばよいのか混乱した。

カトリックの幼稚園だったので、守護の天使さまという概念が染み付いていて、アウマクアの存在は常に感じている。失くし物をしても、守護の天使さまにお願いすれば必ず出てきた。

そうやって、自分のしてきたことを、3つの自己という観点で振り返ってみると、どうバランスを欠いたのか、よく見えてくる。今、わたしは、ウニヒピリをケアしながら、ウハネの傲慢さを戒めながら、クリーニングしていくことが、楽しい。クリーニングすると、いかに自分が恵まれているか、祝福されているか、簡単に言えば超ラッキーなことがはっきりわかる。

生きているだけでもすごいのに、あれもこれもすごいラッキーだとわかる。
ウニヒピリに名前を問うたことはない。告げたくなったら教えてくれるだろうと思うから。

イメージ力

2010年07月02日 | 
天井の掃除は、椅子やテーブルに立って、頭を上に向けるので、首が痛くなる。
そんな時、タイトルが気に入って買ったこの本が役にたつ。

イメージだけで「らくな体」をつくる本 さかもとはるゆき著 サンマーク出版

首、肩の緊張をほぐすには、たとえばこんなの。
「もし、あなたが海の底に根を下ろし、ユラユラと漂う海草だったとしたら、、、?」
「もし、指や手のひらの中に、きめ細かい砂がサラサラ、ザワーッと詰まっていたとしたら、、、?」
「もし、あなたの首がバネだったとしたら、、、?」
なかなか効くのだ。

「もし、セミの子になって、脱皮できるとしたら?」というのは、どんな不調を解消するイメージだと思う?
肩甲骨の間の詰まり、固い背中のこわばりを取るイメージだそう。



アナザーワールド

2010年06月14日 | 
よしもとばななさんの「アナザーワールド」を読み終わった。
読み終わるのがもったいなくて、チビリチビリと読んだ。

「人は人を欲望のままに扱い、そのあとは殺して、解体する、そんなことが起こっているこの世界で」

「だれもだれかを裏切ったり背いたりしないよ。だれも悪くはない。時間が流れてるだけだ。そして自然にその人の思う方向に変わっていくだけだよ」

ばななさん、このシリーズ、もっともっと続けてください。ありがとう!

王国

2010年06月10日 | 
友人の忠告に従い、汗ばむ午後、母の本を買いに街に出た。オレンジのチュニックとサンダルで夏仕様。PCの横に置くゴミ箱用に、アフリカの籠を選んでいたら、雨。近くの外カフェに席を取り、ベランダの梅を取り込むよう、家に電話した。雨がおさまるまで本を読むことにした。

本は、吉本ばななさんの「王国」シリーズの第4弾「アナザーワールド」
3巻までは、雫石さんの物語だったが、これは、娘さんのノニさんの物語。ミコノス島が舞台だ。

ノニさんは、母から植物との交流を、父から石との交流を受け継いだ。
わたしは、母から美しいもの、生き生きしたものへの感性を受け継いだ。

父からは、何を受け継いだのだろう? 父は、山、植物を愛した。若いころは農業を志していた。

わたしは、怠け者だから、山に登ったり、しゃがんで土をいじるのは苦手だ。というより、なにかの世話をするのが好きではないのだ。土をいじるのは好きだもの。山にいるのも好きだもの。父も、薔薇園やら作ったけれど、けっこう大雑把で、世話が上手だったわけではないように思う。父の資質とはなんだろう?

よくわからないのが、申し訳ない気持ちになった。
ずっと考えていて、父が医者だったことを思い出した。
そうね、今わたしは片山整体を学んで、体に目を向けている。それが受け継いでいることかもしれない。

「王国」シリーズは、とても平易な言葉で語られる短い本だけれど、ふわっと、わたしの中に思いの種をまいてくれる箇所が多くて、なかなか読み応えがある。

ヨーガン レールと ババグーリを探しにいく

2010年05月31日 | 
http://www.amazon.co.jp/gp/product/456970932X/ref=sib_rdr_dp

ヨーガン・レールさんは、1971年に日本に来て、ヨーガン・レール社を設立したポーランド生まれのドイツ人だ。彼の名前と服には、流行と一線を隔した毅然とした思想が表れていて、上京したばかりのわたしには、いかにも「東京!」と印象的だった。

そのヨーガン・レールさんが、2006年に新ブランド、ババグーリを立ち上げた。ババグーリとは、インドのグジャラート地方ラタンプールで採れる瑪瑙のことで、彼は長年その美しさに魅せられ石拾いに行っているそうだ。

そして、「自然がこのように美しいものを用意しているのだから、私は飾りもののような不要なものは作りたくない、自然への尊敬の念を込めて、環境を汚さない、土に還る素材で、ていねいな手仕事をされた服や暮らしの道具など、自分にとって必要不可欠なものを作りたい」という思いで、このブランドができたそうだ。

世界各地で消えそうになっている土着の染めや織り、布を、旅して探しながら、職人さんたちと交流し、自社ブランドと契約を交わしていく様子など書かれている。環境に対する徹底した思いは、いつも最優先であることに心打たれる。

読み進むうち、わたしもせめて自分の衣類は手洗い(洗濯機は電気)して、手縫い(ミシンは電気を使うから)で必要なもを作っていきたい、と思った。みんなが少しずつでも電気の消費量を減らせば、原発も要らなくなると思う。

http://www.jurgenlehl.jp/jp/babaghuri/index.html


雲ひとつない!~ウニヒピリ

2010年04月25日 | 
母が不要になったテーブルと椅子を、娘に届けに行った。大きさがぴったりで良かった。3人で行ったので、往復の電車賃は、新品のテーブルと椅子を買えるほどだったかもしれないけれど、捨てないですんだし、みんなで楽しい時間を過ごせたのだからいいのだ。

日吉公園という見晴らしのよい大きな公園に行った。あちこちに頭虫(?)の群れがいた。坂道の多い住宅街を歩いて、隣町の商店街まで行った。昭和のような商店街で、「らんぷ」という木造の古いタイプの喫茶店にはいったら、サイフォンでコーヒーを出してくれた。シャンデリアが、コーヒー樽のミニチュアみたいで、なんだか、タイムスリップした気分。

おしゃべりがはずんで、帰宅したら、11時近く。

ホ・オポノポノのヒューレン博士の新刊を読んだ。今回は、ウニヒピリ(インナーチャイルド)について、詳しく書かれていて、今までの本より、深い理解が得られる。ただ、ありがとう、ごめんなさい、と唱えていても、ウニヒピリと交流がもてなければ意味がないということを、説明してある。ホ・オポノポノを、念仏と同じく思っていては、光の道は見えて来ない。

「ウニヒピリ」イハレアカラ・ヒューレン KR 共著  サンマーク出版

うー 寒い!

2010年04月16日 | 
起きた時から寒くて体が温まらなかった。仕方なくずいぶん前にしまったウールのカーディガンを出した。バス停で先に待っていたおばあさんが「寒いですね」と声をかけてきた。「本当に。でも、桜も寒い中、健気に咲きましたね」と答えたら「人間だって健気ですよ」とおっしゃった。

帰りに本屋で「高峰秀子」という本をみつけた。映画関係で写真がたくさん。母は高峰秀子さんと同い年で、先日も「高峰秀子の流儀」という本をむさぼるように読んでいたので、お土産。

わたしは、高峰秀子さんといえば、「名もなく、貧しく、美しく」という小林桂樹さんとろうの夫婦の人生を描いた映画を小学校1年生(?)で見て、子どもなりにすごいショックを受けたものだ。

次から次へと苦労が押しかけてきて、最後に事故で亡くなってしまう美しい女性が高峰さん。耳が聞こえないために赤ちゃんの泣き声に気づかず赤ちゃんが死んでしまう。すると次に生んだ赤ちゃんが眠るときは、自分と紐で結び付けておいて、泣いたら気づくように工夫する。よく覚えていないけれど、それでも赤ちゃんは死んでしまったのじゃなかったかしら?それとも、「あぁ、そんなことしたってまた事故がおきてしまう」と、ハラハラしたからそう覚えているのかしら?

 とにかく、まわりのひとが意地悪で助けてあげないのが不思議だった。そう、子どもだったわたしは、それを腹立たしいというより不思議に思ったのだ。「どうして主人公たちだけが善いひとたちで、まわりのひとは意地悪ばっかりなのかしら?」「こんなに次から次へといやなことが続くものかしら?」「なのに、この女の人、どうしてこんなに綺麗でいるのかしら?」

今見たら、どんな感想を持つものか、今度見てみよう。

さて、午後3時ころ、母に本を渡して、9時にのぞきに行ったら、夢中で読んでいて、もう読み終わりそう。(厚い本なのに)
「次は村上春樹の1Q84 の第3巻を買ってきてね」。 好きじゃないと言ってたのにどうして?「いや、2回読んだらそれなりに面白くなった。ストーリーはどうってことないんだけどね」だそう。。。



内藤ルネ自伝  すべてを失くして

2010年04月07日 | 
ひょんなことから、内藤ルネさんが自伝を出されていることを知り、読んだ。2005年に出たものだ。

ルネさんは、中原淳一さんの絵に憧れ、手紙と絵を送り続けて、中原さんの会社に就職し、イラストレーターとしての人生が始まる。それからは波乱万丈。売れっ子でお金のことなど考えず、ひたすら、絵描きに全力投球されていた。が、60代で騙されて全財産を失う。けれど、その後若い人たちの人気が復興して、修善寺に人形博物館を建てその裏の部屋で暮らしていらっしゃる。

本を読んで、わたしは小学校に上がる前から、ルネ作品と親しんできたことがわかった。
まず、「りぼん」「少女」「なかよし」といった少女雑誌の付録は、多くルネ作品だった。
ずっと忘れていたが、本で思い出した幼稚園のころ持っていた黒いコッカスパニエルのバッグは、きっとルネさんのだ。それから、セーターのおなかに、チェックの服を着たコッカスパニエルのポケットがついていた。あれもルネさんだ。小学校3年の夏に着ていた、犬を散歩する少女と足長少年のコットンプリントのデザインもルネさんだ。。。

わたしの、色やデザインへのウキウキは、ルネさんに育まれていたと感じた。娘の世代が、サンリオのキティちゃんやメロディちゃんに包まれていたように。

ぜひ、修善寺に行きたい!  と思っていたら、ブログを書くのに検索して、2007年10月に、ルネさんは修善寺のお部屋で天に召されていた。

ありがとうございます。ご冥福を祈ります。

画像、本の上の陶器の小物入れは、中学時代、三愛でお小遣いで買った。200円しなかったと思う。とても丁寧に作られていて、感動もの。ルネさんは、どんなものも一切の妥協なく、愛情込めて仕事なさった。