小さな日記

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ひとの都合ひとの呼吸

2008年09月27日 | Weblog
歌舞伎座の玄関をはいると、階段がある。きのう、母はそこで転んだ。歌舞伎座の受付にはたくさんスタッフがいて、出迎えてくれるのだが、その中の一人が、老齢の母を見て、急に触ったからだ。

もちろん、親切な気持ちで手助けしてくれるつもりだったのだけれど。「あらぁ、大丈夫ですか」とか大声で言いながら、わたしが止める暇もなく、あっというまに手を出した。母は、いつも一歩一歩、慎重に集中して歩いている。片手間に気楽に歩けるほどの能力がもうないのだ。だから他人から見れば手を貸してあげたくなるのはわかる。けれど、一段一段自分のリズムで登っていくのを、全く呼吸を読まずに突然触れるのは暴力であることがわかるひとは、少ない。まず、行動している最中に話しかけること自体が迷惑だ。集中が妨げられる。リズムを乱され、聞こえない言葉を聞き取ろうとして、母はバランスを崩した。

帰り道、「やっぱり自分の親切心を満たそうというエゴなんだよねぇ」とブツクサ。手を貸してあげたいと思わせる見てくれになってから、母は、そういう悪気の無い暴力に応戦するのにげっそりしているのだ。ありがたくもないのに、ありがとうと言わせたい相手を満足させてあげなくては、自分が意地悪ばあさんになったようで気色悪いから「ありがとう」と言う。すると、相手は喜ばれたと思うから同じことを繰り返す。

わたしは、母にはっきり断ればいいと進言するのだが、それはいやなのだ。遠回りに「ご迷惑でしょうからけっこうです」と言っても、相手は「迷惑じゃありません。大丈夫です」と、言うに決まってる。母は「迷惑ですからけっこうです」と、言えない。福祉や介護の現場って、そういうことが多いのかもしれない。

他人に手助けしようとするなら、よーく観察して、相手の呼吸をわかる自信を持ったときに、適切なタイミングで適切な言動をしなくてはね。呼吸も読めないで自分の呼吸を相手に押し付けようとするのは、暴力です。自分と相手を同じに思うのは大間違い。「自分がしてほしいことを相手にしましょう」というのは諸悪の根源。
自分が相手だったら、と、想像するのは、本当に難しい。技がいる。だから、「こうしてもらいたい。ああしてほしくない」と、当事者が言うのが一番良いと思うのだけれど、図々しいと思われるのがいやらしい。

歩くのも階段も、わたしは母がつかまることができる近くにいて、けれど、手をひいたり、触ったりしないのが、今の母には一番よいようだ。わたしは、自分がこれこれをしてあげたい、とは、決して言わないようにしている。しようと思えばこれができる、あれもできる、しないこともできる、という0ゼロの状態を母に示し、どうしてほしいか尋ねる。なにもしないでほしいと相手に言うことが負担でない関係にしたいと思っている。

草花の水遣りも加減が大切だものね。相手に沿うということ。誰の言葉だっけ、誠意をもって放っておく。。。