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うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

秋の入道雲 ~やっと書けた記録 (追記あり)

2022年01月29日 | うんこの事

あの日は、空が低かった。

 

おはようございます。

10月11日、私はうんこを段ボールに寝かせ、

花柄のタオルを体に掛けてやった。

脇には、うんこが大事にしていたネズミのぬいぐるみも入れてやった。

これは、生前からの約束だ。

「お前が死んだ時は、必ずネズミさんを持たせてやるからな。

そのほうが、淋しくないだろう?」

うんこがまだうんと若い頃から、

私は、まるで自分に言い聞かせるように、幾度となくそう伝えていた。

次は、こんな時、私なら、

普段はケチなくせに、ここぞとばかりに沢山の花を買って遺体を飾るはずだ。

うんこなら、そうだなぁ。大輪のバラが似合うかもしれない。

『ベルサイユのばら』の世界観。

けれど今回は、どういう訳かそんな気持ちになれなかった。

それでも、段ボールは、6キロを超えていた。

「持てるだろうか?」

慎重に抱えてみたが、思いのほか軽く感じた。

「あれ?うんこ、痩せたんか?」

段ボールの中のうんこは、相変わらず二重顎で眠っている。

痩せたように思えないし、死んでいるとも思えなかった。

 

私は、そのまま家を出て、車へ向かった。

助手席に段ボールを運び入れ、霊園への道をカーナビにセットした。

山の上の静かな動物霊園、ここは我が家の猫達が全頭眠っている大切な場所だ。

そのくせ、一度も迷わずに行けた試しがない。

私にとってはもっとも苦手な場所でもあった。

 

静かな住宅街を抜けると、賑やかな市街地へ入る。

そこを抜けると、一気に、嘘みたいにド田舎だ。

さっきまでビルが立ち並んでいたのに、一瞬で山々と田園の風景が広がった。

道は田園を切り分ける役割を果たすようにまっすぐだ。

その先は、左右の山々をも切り分けているみたいに続いている。

その水平線から、大きな入道雲が湯気みたいに立ち上っていた。

「うんこぉ、秋なのに入道雲なんて、おかしいな?」

私は入道雲に見入られたまま、うんこに話し掛けた。

たしかにこの年は、10月なのに、まだ真夏みたいな日が続いてた。

車のエアコンからも冷風が強く唸っている。

その時、カーナビが冷静な声を発した。

「300メートル先を左へ・・・」

液晶に目をやると、左折したら、すぐ霊園だ。

どういう訳か、私は初めて霊園への道を迷わず来られていたと知った。

このまま進めば、3分で着く。

3分で霊園に着く・・・着いてしまう。

私は、まだ300メートル手前なのに、

急にハンドルを左へ切り、道の左端へ車を寄せブレーキを踏んだ。

前を見れば、左折すべき道は見えない。

その代わりに見えたのは、

まっすぐ登って行く道と、真っ青な空を繋ぐ入道雲だ。

ここからは、それしか見えない。

「うんこぉ、行ってみないか?」

今なら、あの雲へ登って行ける気がした。

うんことなら、出来る気がしたのだ。

うんこと私なら、永遠にドライブをし続けられる。

終わる事のない私達のドライブだ。

「うんこぉ、きっと楽しいよね?」

うんことなら、どこへ行っても楽しいのだ。

 

窓の開かないボロアパートだって楽しかった。

獣医さんに「期待しないで」って言われた時、うんこは死ぬと思った。

でも、哺乳瓶の乳首だけは死んでも離さないって顔で必死にしがみ付いてた。

シリアスな時なのに、私は笑っちゃったんだ。

ベランダ付きの部屋へ引っ越してからも楽しかった。

さっそく、そのベランダから生きたセミを咥えてきた時のうんこの自慢気な顔ったら、

本当に楽しかった。

私は、うぎゃーっと叫んだ後、卒倒したから一瞬しか見てないけどさ。

あやを拾って来た時も、私は不安だった。

うんこは子猫なんか受け入れないじゃないかって、すごい心配したけど、

うんこったら、凄かったもんな。

「母さんのお手伝い、買って出るわ」て顔で、あやの面倒を痩せるくらい見てくれた。

あれ以来だ。

いつでも、子猫がやってくると

「はいはい、あら~可愛い子ちゃんね」って慣れた風に迎え入れて、

ほんと、お節介な家政婦さんみたいで楽しかった。

「一週間ももたない。」

そう宣告された時も、うんこは小鳥みたいな声で鳴いた。

「うんちゃん、早く帰りたいのぉ」って意味だろうけど、

プンプン怒ってるくせに小鳥のさえずりだなんて、面白くって笑ってしまった。

うんこが死ぬなんて、思えなかった。

うんこが、私から離れる日が来るなんて、あり得ない。

 

「うんこ、行こう。あの入道雲に乗って行こう。」

きっと、私達なら出来るんだ。

私は、本気でそう思った。

そして、助手席の段ボールに手を伸ばした。

うんこに触れるのは、段ボールに入れて以来だ。

まだ、日が昇らない時刻から、うんこは眠り続けていた。

あまりにも気持ちよさそうに眠っているから、

起こさないようにそっとしておいた。

けれど、数時間ぶり、うんこに触れた瞬間、私は咄嗟に手を引いた。

「硬い。」

つやつやだったはずの被毛は、バサバサした安っぽいフェイクファーみたいだ。

 

うんこは、もう、この体の中にはいない。

 

私は、パンパンになった水風船がはじけるように、爆発的に泣いた。

大声で叫びながら泣いた。

叫びながら、縋りつくように、もう一度うんこに触れた。

まん丸なうんこの体は、どこもかしこも冷たくて硬い。

そのくせ、脇に置いたネズミは、うんこより遥かに暖かった。

「こんなはず、ない・・・」

うんこを手放すなんてそんなはずない。

私は、まだ抜け殻を手放せない。

「こんなことになるつもりはなかったのに。」

 

どうしても手放せない自分に戸惑った。

こんなことになるなんて、そう思ったら、突如父の言葉が脳裏に浮かんだ。

母の認知症は、ますます進行している。

変わりゆく母を、受け入れられない父は、ある日

「もう、どこか、預かってもらえんか?

俺は、こうなるつもりなんか、無かったんだ。

もっと穏やかな老後になるもんだと思っていたのに、

ばあさんがあれじゃ、もう要らん。」

私は、かっとなって、母に言った。

「母さん、私とどこか、旅にでも行こうか?」

すると母は、

「おぉぉ、ええな。わし、温泉行きたい。」

と喜んだ。

 

母さんも、連れて行くか?

このまま、入道雲へ向かい、途中で温泉寄っていこう。

かずこと私とうんこの楽しい旅をしよう。

私は、ネズミを手に取り膝に置いて、アクセルを踏んだ。

けれど、私は道を左折した。

 

母は、連れてはいけない。

あんなじゃじゃ馬、車で大人しくしてるわけないし、

きっと、何度説明したって、

「じじは連れて行かんのか?」って何度でも聞くに違いない。

入院させた時も、そうだった。

あの二人を、最期の最後まで限界まで、一緒にいさせてやりたい。

私には、まだやりたいことが、あの家に沢山ある。

あやのことも、おたまのことも、たれ蔵のこともだし、

のん太のことなんて、問題山済みだ。

 

私はまだ、まっすぐ入道雲を上ってはいけない。

私は、入道雲を背に、あの愉快な家へ帰って行くんだ。

「その時が来るまで、ネズミは貸しておいてね、うんこぉ。」

 

うんこ「さっき、ネズミを踏んでたくせに。母さんめ!」

そそ、うっかり、ぶちゅって踏んじゃったもんな~。

我が家の、まだまだ続く愉快な日々を、雲の上から見ていろよぉ!


四十九日の回

2021年11月28日 | うんこの事

明日で、49日になるのだと

思うのだけれど。

 

おはようございます。

うんこが極楽へ行って、49日なはずだ。

私は信仰心が薄い方だから、法要などしない。

ただ、以前、我が家のおじさんのご両親を見送った時は、

坊さんに聞きながら、49日までの供養をした。

 

おじさんのお父さんが亡くなった時、

私はお嫁さんじゃないし、

「なんで、私がやるんだよ!」って面倒に思った。

数度しか会ったことのない、おじさんのお父さんには、

正直、後ろめたい気持ちもあった。

結婚もしないでダラダラと息子と同居している、訳アリ女。

そんな風に思われているのじゃないか、

私は勝手に、そう勘ぐっていた。

 

だから私は、お父さんが位牌になっても、

正面に座るのは居心地が悪かったが、

毎週日曜日、おじさんの実家へ、お供えとお花を選んで通った。

「今週は、どんなお供えにしようか」

そんなことを考えてるのが、あろうことか楽しくなっていった。

四十九日を迎えた頃、

私はお父さんの正面にドカンと座って、

まっすぐ手を合わせられるようになっていた。

 

死に別れた日から、どれほど経つかを

指折り数える日々は、生き残った者への癒しにもなると知った。

仏教の教え、すげーな!

 

そんなわけで、

今回は、うんこさんの四十九日ということで、

うんこのエピソードを一つ、ご紹介します。

この時、取れたのは、おそらく鼻ではなく、カサブタだったのね。

カラスに突かれたのだろう。

 

でも、ほんと驚いたよね~、うんこ!

うんこさんってば!

 

うんこ「はぁぁ、やんなっちゃう」

どうしたの?

 

うんこ「うんちゃん、あんな顔してなかったわ!引くほど可愛かったはずよ!!」

うん、引くほど可愛かったよ。

赤ちゃんなのに、親方の風格あったもん。


花に囲まれた11月

2021年11月02日 | うんこの事

いつも通りに、

日々を過ごしていたら、月が替わっていた。

 

おはようございます。

11月は、あやらしい、あやの顔だ。

いつも、大体、こんな顔でいる、あやだ。

 

この部屋は、いつもは殺風景だが、

うんこが逝ってから、少し華やいでいる。

うんこのために、お花がいくつか届いたからだ。

ポンままさん、かずさん、桜吹雪さん、

ありがとうございます。

 

そして、私は床の拭き掃除をしなくなった。

うんこが慢性鼻炎だったものだから、

年中、鼻水を飛ばしていて、床は乾いた鼻水だらけだった。

 

それなのに、うんこが逝く3か月前から、

どういうわけか、うんこの鼻水がピタッと止まった。

掃除が楽になったはずなのに、私は嫌な予感がよぎった。

 

うんこは、親孝行だからな。

もしかして・・・

 

そんな不安をかき消しながら過ごしていたが、

拭いてもこびり付いていた、頑固な鼻水跡は日に日に剥がれていき、

うんこが逝った日には、

ついに我が家の床は、すっかりピカピカになっていた。

 

床がピカピカになった部屋には、

うんこのネズミと、うんこのための花が飾られている。

 

そして私は、ピカピカの床に座り込んで、

うんこのネズミを手に、棚の上に飾られた花を見上げて、

「うんこ、綺麗なお花だね」と話し掛けている。

 

もう11月だ。

うんこが居た10月は過ぎた。

私はようやく、

カメラに残されていた10月のうんこの画像をUSBに移した。

 

もう、11月なのだから。

1か月前の朝の風景。


ヘロー!

2021年10月11日 | うんこの事

10月11日、午前3時

うんこが、極楽へ旅立ちました。

 

うんこを見守ってくださった皆様、

誠にありがとうございました。

 

うんこは、最後の最期まで、すごく頑張ってくれました。

日曜日、偶然おじさんもお休みだったから、

ずーっと一日中、うんこを囲って、私とおじさんで、

いろんな話をして、笑ったり泣いたりした。

あんまりにもずーっと囲っていたから、

夜になって、私もおじさんも眠くなってしまい、うたた寝していたら、

うんこが、午前1時頃「グーグー」ってイビキみたいな呼吸をし出した。

私達は、飛び起きた。

それから2時間、私達ったら、再びうたた寝しちゃったんだ。

そしたら、また、うんこが「グーグー」起こしてくれた。

 

そして、大きなため息を何度か繰り返し、

長い沈黙の後、大きく息を吐いて、止まった。

「うんこ?うんこ・・・」

 

と、終わってしまったかと思いきや、

前足をちょこっと動かして、止まった。

「うんちゃん、うんちゃん」

 

と、ついにお別れなんだと思いきや、

後ろ足をちょこっと動かして、ついに止まった。

「うんちゃん、ありがっ」

 

と、さすがに終わったと思いお礼を言いかけた時、

最期はピーンと、まるで背伸びするみたいに伸びて、

そのまま止まった。

私は思わず、「うんちゃん、かっこいいよ」と言った。

 

亡骸は、眠っているみたいだ。

コロンとして、被毛も肉球も、つやつやのままだ。

お腹の赤い炎症も、すっかり綺麗になっていて、

うんこは、ピカピカのまま、私の横に居る。

気付けば、私は、この1か月で、うんこ1匹分、痩せていた。

それくらい、苦しくて特別で、尊くて、有難くて、愛しい1か月だった。

 

うんこ、15年間、楽しかったな。

ありがとう!

ヘロー、うんちゃんよ。またね、バイバイ!


止めて見つけて、諦めない

2021年10月09日 | うんこの事

今朝、

薬を飲ませることを、やめた。

 

おはようございます。

強制給餌は、昨日からやめた。

もう、ご飯も薬も、うんこの喉には通らない。

けれど、お水は美味しそうに飲む。

ちゃんと顔を上に向けて、シリンジから上手に飲むのだ。

蒸しタオルで拭いてやるのも、好きだ。

顔を蒸してから、体をふき、

もう一度タオルを温め直して、お腹、手足、最後は尻を拭いてやる。

そして、うんこのおでこに、

口を付けて、温かい息を静かに吹きかけてやると、

うんこは、小さくゴロゴロと喉を鳴らした。

うんこは、もう首を上げることが、ほとんど無くなったが、

それでも、「うんこ」と呼ぶと、

うんこは必ず、尻尾を動かす。

 

昨日は、往診獣医さんの日だった。

獣医さんが、

「私も、自分の猫の時、最後まであがいて、ぐったりしてる猫に、

必死で薬を口の中に押し込んじゃったりしてました。」

とおっしゃって、

「私も今、口ではもう何時でも逝っていいよっとか言ってるくせに、

うんこの尻尾を必死に掴んで離さない状態です。」

なんて、泣き笑いしながら話していた。

うんこは、どんな気持ちで聞いていただろうか。

「まったくもう!」って思っていたかもしれないが、

「でも、それもこれも、全部受け入れてくれてますよ。

動物は、みんな、飼い主さんのこと、ちゃんと分かってくれる。」

獣医さんは、そう言って、

「じゃ、一応、お薬出しましょうかね」と笑って、

私も、

「はい、じゃんじゃん下さい。」と笑った。

もう飲ませられないかもしれないと、私も獣医さんも分かっていたし、

次の往診の予約の話も、敢えてしなかった。

 

だけど、諦めてはいない。

ご飯や薬が飲めなくても、うんこの好きなことを探し続ける。

うんこが生きている限り、うんこも私も止まらないんだ。

時は止まらない。

うんこも私も、滞ることなく、進んでいきます。

 

でも、おたま?

君はいつまで、そんなハレンチな恰好で止まっている気なのだ?

 

※コメントは閉じております。

近況だけのご報告で、恐縮です。

我が家、愉快な仲間達、みんな相変わらずですよ~