2/25朝、兄から電話。
今度は父じゃなくて母のこと。
前夜、母がめまいを起こし、兄が呼ばれて行くと、母が吐いていたと言う。
徹夜で看病の末、私にヘルプ。
久しく見ないような青空で、天気予報も3日間ほど晴れマークが出ていたので、自家用車で出発。
道路脇の雪の壁、上富良野を越えると低くなっている。
同じ北海道でも違う雪の量です。
狩勝峠を越え、快適な道路状況のため、順調に帯広到着。
実家に入ると、パジャマ姿のまま徹夜した兄が居ました。
めまいで起き上がれない母は、超ネガティブ(^^;;
このまま死んだらどうしようとか…
状況を聞き、手足を触ってみたけれど、めまい以外なんとも無い。
兄は、すぐ栄養が摂れるような食品を買いに出かける。
うちから持って行ったたんかんを食べるも、半分でやめる。
病名は分からないけれど、現状では動かさず様子を見ることにしました。
何かあったら、救急車を呼ぶことも視野に入れながら…
夜になっても食欲は無いというけれど、お粥は食べられそうだということで、たまご粥を作ったら、少量だけど自力で食べました。
兄が父の入院先に行く時、母は「心配かけるから言わないで」と懇願する。
でも、いつも母と兄が一緒にお見舞いに行くのに、母が来ないことに何かを感じた父は、兄に色々聞き、兄はめまいの事だけ話して来たようです。
まだ、病名が分からないだけに兄としても説明のしようがなかったのです。
疲れている兄を家に帰し、夜中は母がお手洗いに起きても直ぐ付き添えるように、リビングで寝ました。
発作なども起こらずに無事夜が明けました。
朝、お粥とヨーグルトを食べて、「今日は午後から病院に行くから」と伝えると、母はゆっくり着替えました。ずーっとじゃ無いけれど、時折めまいも治まる時間があるみたいで、その間に歯を磨いたりも出来るようになりました。
午後、兄と2人で付き添い病院へ。
耳鼻科と脳神経外科と迷ったけれど、脳神経外科へ行きました。
MRIで検査。
脳の異常は無し。
元気になって胃腸が良くなる漢方薬を処方しますよ〜!と医師。
処方された漢方薬、めまいなのになぜ胃腸薬?
「半夏白朮天麻湯」を調べてみました。
ふむふむ。
今までこういう大きな病院で、漢方薬を処方された事が無かったので興味津々。
家に帰って、さっそく服用してもらいました。
そうしたら、めまいが止まりました。
すごい、そんなに早く?
しかも、食欲も少し戻り、お粥の他に焼き魚やお味噌汁、野菜炒めも食べられました。
父が入院しているので、心的な要因もあったのでしょうか?
貧血などのめまいは経験はあるけれど、こういうのは初めて。
こんなに早くめまいが止まって本当に良かったです。
翌日、父の透析は無い日なので、私が洗濯物を届けるために出かける準備をしていた時、
母が「家に居ても退屈だから、まこと一緒に出掛けようかな?」と言い出します。
!!
いくらめまいがおさまったからと言って、昨日の今日ですよ。
でも、大丈夫というので、まぁ、父も母の顔を見たら安心するだろうと思い、一緒に行きました。
病室に入り、父を見たら、とっても険しい顔をしていた。
2日前に兄が来た時から、母に何かあったら、と心配で心配でいたたまれなく過ごしていたそう。
その安堵した姿、めったに涙など見せたことのない父が、下を向いて大きなため息をついた。
その姿を見て、60年以上連れ添った夫婦の、深い愛情に胸を打たれ、母と共に大泣きしました。
今でもその状況を思い出すと、涙が出ます。
30分くらい居て(父が話を止めない(^^;)二人とも笑顔で話せるくらいになり、帰ろうとすると、母が「何か食べて行こう」といいます。
病院が街に近いところなので、どこに行こうかなぁ~と考えていたら、「カレーは土曜日に食べた」ということで却下。
物忘れが激しい母なのに、カレーを食べたことは覚えているのね。
「親子丼が食べたい」とリクエストされたので、駅前の老舗食堂「ふじもり」に向かっていたら、途中の「はげ天」の看板を見て、ここに行こうという(^^;)
はげ天には親子丼は無いと思うと言ったら、天丼でも豚丼でもいいというし。
昨日まで物を食べられない状態だったのに、大丈夫?
メニューを見て、懐石風のランチが美味しそうだったので、丼却下です。
ほぼ全部食べ切り、途中買い物をして家に帰りました。
不安なことがあると、何度も何度も聞き返し、いい加減に呆れてしまうこともあるのですが、そういう事もなく、穏やかに母に見送られ美瑛に戻って来ました。
良かった、本当に良かった。
いつも美瑛に戻るときは、やり残したことが有る様な気がして、何日も気持ちを引きずっているのですが、温かい思いを抱いて帰ってきました。
こんな素敵な夫婦である両親に感謝してます。
これからも介護に帰ることも多いと思うけれど、きちんと向き合って後悔しないようにしていきたいと思います。