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☆★今日のショット★☆

綺麗なお花や美味しいたべものなどあれこれあれこれ載せて行きたいと思います。

帰省していました

2018-11-12 07:01:08 | 旅・観光
11/3で営業が終了したので、実家の帯広に帰って来ました。

シーズン中は帰ってもゆっくりできなかったので、今回は少し長めに母と過ごしました。

父が亡くなってから2度目の帰省。
まだ色んな手続きは終わっていなく、兄も大変です。
喪中ハガキ印刷しないと、と思っていたら、兄が既に終わらせていて、
宛名書きをして投函するだけで済みました。


帰省中はお天気が悪くて、いつものドライブもしませんでした。
母とスーパーに買い物に行ったり、一度だけ回転寿しで昼食を摂りました。


ネガティブ母は、生まれつきの性格。
少しネガティブな方が、元気な母なのだと気付きました(^^;;

良く食べるし、良く寝る。
認知の薬とグルコサミンのサプリメントは飲んでいるけれど、特に病気もしていないし。

冗談言って笑い合えるくらいになりました。
穏やかで、楽しい時間でした。

時々軽く困った行動もするんだけれどね、慣れました(^^ゞ

今回は演研の芝居を観て、劇団の友人達にも会えました。


さぁ、今日から札幌の個展準備。時間が足りない!
生活習慣病検診や、医大にも行かなくちゃ行けないし、来月からのバイトの研修が入っている。
営業が終わったのに、映画も観れない。
観たい映画、たくさんあるのになぁ……

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糠平湖

2018-10-06 05:57:54 | 旅・観光
父が亡くなっても、月1の帯広帰省は続けようと思っていますが、
9月は色々と予定が入り10月に突入です。

今回はお天気も良く、少し遠出して糠平湖に行ってみる事にしました。

士幌を過ぎて山間部を走ると、色付き始めた紅葉が綺麗だったけれど、まだ少し早かったかな?と思う。

糠平温泉街の並木や公園の楓がちょうど見頃を迎えていました。







お昼少し前だけどお腹が空いたので、レストラン「針葉樹」でシーフードカレーを食べました。
母は、カレーを食べた記憶力が良く(^^;; 他のものを食べた時は忘れます。

そこのレストランで、タウシュベツ橋のリサーチしました。
現在は、水没していて上部が少し見えるだけ、の事。
なので諦めました。

本当は三国峠まで行きたかったけれど、母の体力が心配だったので、ここから引き返す事にしました。

でも、湖を見て帰らないと物足りないし。
糠平ダムに寄ってみました。


ダム内は通行禁止になっていて、手前でストップ。残念。
紅葉はまだ早かったです。

でも、家に篭っている母の気分転換には良かったかな。
士幌の道の駅に寄って、南瓜と巨大ナメコを購入し、帰宅です。


実家で寛いでいるところに、姉からメールが来ました。

「父さんが夢に出て来て、『紅葉見に連れて行ってくれ』と言ったので望岳台まで行って来た」そうです。父さん、やるな。
葬儀には出られなかった姉に、望岳台の紅葉を見せてあげたんだな。
姉は涙が止まらなかったそうです。

同じ日に母も私と紅葉を見てるなんて。偶然かも知れないけれど、不思議な感じです。

いろんな諸手続きが未だ終わらず、兄は大変です。
印鑑登録証とか、印鑑とか、色々持って行きました。
人が亡くなるって、大変ね。

今回の帰省で、母や兄に見せたかった物がありました。

私のiPadに、父の短い動画が残っていて、私も父が亡くなってから暫くぶりで見てほっこりしたので、母さん喜ぶかな?と思い見せてみました。

5年くらい前の豊頃町に住んでいた時、iPadで簡単に動画が撮れるのが面白くて撮りました。
私が「何か喋ってみて」と父に言い、父は「お母さん、お元気ですか?」と言う、たった10秒間の動画です。

普通にリラックスしている姿は、紛れもなく普段の父です。
でも、今見ると、天国からビデオレターでも届いたかのような感動です。
母は泣いていました。
兄も喜んでいました。

私も、撮ってから今まで殆ど見ていなかったけれど、父が亡くなってからは、貴重な動画になりました。
これ、消さないように何かに記録しておこう。


父が亡くなる時も、不思議な事がたくさん起こったけれど…何だろう…小さな奇跡って起こるものだなと思います。
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帰省していました

2018-07-28 06:24:16 | 旅・観光
ひと月に1回帰省をすると決めていたけれど、7月は忙しくてなかなか時間を取れなくて、やっと今週行けました。

山部でメロンをお土産に購入。
トウモロコシは茹でたのしか無かったのですが、「生は無いですか?」と聞いたら売ってくれたので、それを持って西帯広へ。

父が緩和病棟に移ってから、母の様子が心配だったけど、帰ったら裁縫をしていました。
父が使うタオルケットの襟布を縫い付けて居ました。

裁縫する気力があるんだったら元気だよね、良かった。

早速トウモロコシを茹でて食べてみる。
採れたてトウモロコシは、甘くて超美味しい!
3本買ったので、兄と3人分、と思ったけれど、母が2本食べてしまいました(^^;;
ま、良いか、食欲も有って良いことだ。

実家には現在、母1人で暮らしているけれど、すぐ近くに兄夫婦が住んでいて、ちょくちょく様子を見てくれる。
そして、週に2回、ヘルパーさんが食事を作りに来てくれます。
同じ人が来てくれるので、母の様子も詳しく見てくれるし、会話もしてくれるし、助かってます。

翌日、午前中に真鍋庭園に一緒に行き、何十年ぶりかに散策してみたけれど、久しぶり過ぎて記憶が無い(^^;;










さすが十勝だなぁ。
ダイナミックに植えている感じがする。

帰りに花苗コーナーを見たら、エキナセアが可愛くて、買って母にプレゼントしました。

グーグルマップでオムライスの食べられるcafeを探し、幕別町札内まで行く。
明るくて良いお店でした(=^・^=)

信用金庫で一件用を済ませ、父の入院している病院へ行きました。

夢と現実が混沌としている感じでしたが、ちゃんと認識してくれて、会話もできました。
久しぶりに私が目の前に居て、びっくりしてたみたい。
食事はまぁまぁ出来てるようです。
でもね、大分弱ってきているなぁ、と感じます。
淋しいけど、仕方ないよね。
帰り際、「また来るからね」と言ったら「期待してないけどな」と憎まれ口(^^;;
父らしい…

兄が4.5日前に行った時、「僕、分かる?」と聞いたら「もうすぐ分からなくなる」と答えたそう(^^;;
ちゃんと分かってるじゃない。

母と家に帰っても、あまりマイナスになる様な淋しい話はせず、淡々と普通に過ごしました。
人生の終末期を迎えた父をちゃんと受け入れて、私たちもしっかり過ごしていかなければ、と感じます。

母も軽い認知症が合って、物忘れが酷くなって来たけれど、何回繰り返して同じことを言っても、怒らず対応しています。
同じことを何回も言う時は、そのことに対して心配したり気になったりしている時だから、心配を解消してあげることが大事なんだな、と感じます。

近くに住んでいたら、もっとしてあげられる事があるんだけどね。

昨日の早朝に美瑛に戻りました。
毎回重い現実を受け止め帰って来ます。

帰って来たら美瑛が暑すぎて、考える余裕が無くなりました(^^;;

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帰省していました

2018-06-16 04:58:38 | 旅・観光
水曜日、実家に帰るため帯広に向かいました。
母と兄は、医師と今後の話し合いをするため、夕方まで留守。
帯広に帰って来て少し時間ができたので、UNIQLOに寄ったり友人のカフェに行ったりしていました。

先月来た時は、在宅で介護できる様にリハビリを始めるという事だったので、多少の期待をしていましたが……

高齢の父の体力は、簡単に戻る訳でもなく、このまま入院する事になり、
緩和ケアの病棟に転床する事になりました。

手足が動かなくなる、という事は、いわゆる老衰です。
このまま、最期の時まで病院が面倒を見てくれるという事です。

在宅での介護は不要になり、ホッとした部分もあります。
でも、もう家には帰れないのだなぁ…と思うと寂しくなります。
覚悟しなきゃね。

翌日は、1人でお見舞いに行きました。

散髪してもらってすっきりな父は、先月の歪んだ表情とは違い、穏やかでした。
失くしたと思っていた長年愛用した腕時計も見つかっていました。

父の顔を見ると、泣きたくなる。
でも、父の前では泣いちゃいけない、と、明るい顔で居ました。
昔、徴用で軍需工場で働いた事のある父と横須賀の話をしました。
戦艦「三笠」は今も在る事、とか。
徴用は紙切れ一枚で指示され、秋田から横須賀まで行ったのでした。

小一時間、おしゃべり。
頭のしっかりしている父は、いろんな事を喋りたがるけれど、喋っているうちに口の中が渇いて話づらくなる…

あまり長居しても、他の患者さんの迷惑になるので、病室を出ました。
あと、何回父とおしゃべりできるかな?と思ったら泣けて来て、うつむきながら病院を出ました。

今月で91歳になりました。
世間一般に「長生き」と言われる年齢です。
今年のお正月を過ぎてから、もう、歩くのも困難になって来て居ました。
介護サービスを使い、少しの間在宅で介護していましたが、頑張って手配してくれた兄の努力も、1ヶ月半しか持たなかった。

でも、もう、在宅では無理。
体調が戻れば家に戻されるのかな、って思っていたところの転床です。
転んだり、ぶつけたりの心配は無くなりました。

これで良かったのだ、と思う気持ちと、最期を受け入れなくちゃ、という気持ちで複雑です。
でも、80歳過ぎまで大きな病気もせず、釣りやパークゴルフにドライブを謳歌した父は、幸せな人生を送ったんだと思います。

最期の時まで、自然に、静かに寄り添えたら、と思います。

実家までの帰り道。
少し頭がぼーっとしていて、直ぐに帰りたくなくなり、guuguu cafeに寄りました。
久しぶりにshuと話しをして、気分転換です。
帰り際、彼のお父さんも父と同じ様な状況という事を知りました。
「こればかりは仕方ないよね〜〜」「時間できたら、顔見せに行こうね〜〜」と言ってお店を出ました。
そうそう、モリンガラテを始めて頂きました。


実家に帰るという事は、重たい現実と向き合うことです。
逃げずに向き合って行きたいと思います。

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十勝ヒルズ

2018-05-12 05:15:35 | 旅・観光
父がGW中にまた入院。
急性腸炎だそうで、今回は帯広第一病院に入院したそうです。
緊急性はないらしく、今回帰省した時にお見舞いに行く予定で実家に帰りました。

透析日なので、午後2時過ぎじゃないと父に会えないので、その前に昼食兼ねて十勝ヒルズに行って来ました。
お花の少ない今の時期、入口で母が入ろうかどうしようか迷っていたけれど、この時期無料入園と知って入ってみる(5/12までだそうです)



チューリップが可愛い!

エゾヤマザクラは咲き終わっていたけれど、八重桜が咲いていて母も嬉しそう。



ムスカリやクリスマスローズなど、お馴染みの春の花も可愛らしい。

母はいつもこんなに歩かないけれど、春の花に誘われて、疲れたとも言わずに嬉しそうに歩きます。


シャクナゲや


梅の花。


ユキヤナギも満開でした。


新緑も綺麗です。

ゆっくり回って戻り、売店で豆菓子を買い、駐車場の横にある「四分分度」と言うお蕎麦やさんに入りました。

私はとろろ蕎麦、母はミニ豚丼を美味しく頂きました(^^)

あれは…

帯広演研の公演ポスター発見(^^)

その後、父のお見舞いです。
父はお腹の調子も戻って、その日からご飯も食べているという事でしたが、入院で筋力が落ち、足も手も不自由になっていました(T ^ T)

「お腹は治って来ていて、良くなったら入院はできません。でも、このままでは自宅で生活できないので、リハビリしましょう!」と看護師さんから話がありました。
え、リハビリしてくれるの?
そんな事予想もしていなかったので、ビックリ、そして嬉しい。

父はスプーンも持てなくなった自分にショックを受けて落ち込んでいたので、その提案に表情の明るさが少し戻って来ました。
透析と、運動不足でだんだん体が動かなくなってきた父。
リハビリ出来るなら、もっと前からやりたかった。

それでも、生きる希望を捨てない父を尊敬します。
スタスタ、とは行かないけれど、ゆっくりでも歩いたり掴まったりできるようになると良いね。

実家に戻って来て、買い物ついでに公園を散策(帯広三条高校の裏)
するとびっくり。

オオバナノエンレイソウがすごく咲いている。

歩き進むと、

森中がオオバナノエンレイソウとニリンソウで埋め尽くされています。


ウワミズザクラ、風でブレる(^^;;
野草の季節は、水色、ピンクから白に変わったね。

帰省は色々と感じる事も多く、精神的にはかなり疲れるけれど、来月、父はもっと元気になっていると信じて、美瑛に戻りました。


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月1回帯広に帰省

2018-04-15 06:00:12 | 旅・観光
今年から、月一回帯広に帰省する事に決めました。
高齢の両親の様子を見に。
それは全然苦じゃ無いです。帯広に帰れるので。
あと、実家の近くに住む兄の負担を減らしたい、と思うからです。
その為に、札幌のフルートレッスンも辞め、旭川の教室に変わりました。
両親には長生きしてもらいたい、と、ずーっと願って来ていて、神様がそれを叶えてくれたから、最後まで目を逸らさず介護しようと思っています。
父の身体は、ますます動かなくなって来ているけれど、それでも父なりに工夫して頑張っている。
生きることの尊厳を、父から学んでいます。

4/11に帰ったら、その日は介護保険適用のお食事サービスの日。
担当の方が2人いらして、私も含めて3人分の夕食を作ってくれました。
美味しい晩御飯を作ろうと、張り切って帰ったんだけどね、残念!
でも楽させて貰いました。

4/12は父の透析の日。
福祉タクシーで父を送り出してから、母とドライブ。


十勝平野の秋まき小麦は、もうこんなに緑色。
土も黒くて、十勝の土だなぁと感じます。

行き先はいつものように、芽室新嵐山スキー場。

春早いクロッカスが満開!

でも、散策するにはまだ雪融け間もなくて、ぬかるみ状態でした。
なるべくそういうところを避けて歩きました。
運動不足の母も、楽しそうに歩いていました。

福寿草もたくさん咲いてました。

外歩きには、まだ少し早い時期かなぁ。

あと、どこに行こうかな?
グーグル先生、よろしく。スマホで探して取り敢えず、芽室の街方向に車を走らせました。

カフェやレストラン、食堂等も探してみました。
ん?このお蕎麦やさん、以前行った事がある!

どうやって行ったのか全く覚えていなかったので、スマホでナビしてもらい
畑の中のポツンと一軒「びばいろ」に到着しました。


2001年、ニフティのコミュニティフォーラムの十勝オフで行ったお蕎麦屋さん。
十勝出身の私は知らなくて、東京のS様が連れて行ってくれたんです。

今は、知る人ぞ知る有名店なんだとか…
開店時間11:30に入店したので、1番乗りでした。
親戚の家にでも遊びに来たような店内。


更科系の白い麺。
かしわせいろ?だったかな。
温かい蕎麦汁につけて食べる。あっという間に食べ終わりました(^^;;

家に帰って来てから、父を待つ。
透析から帰って来た父は、顔色が悪かった。血圧が下がっていたんだと思う。
お昼ご飯を食べたら、元気になりました。

病院に、先月の支払いがあると言うので、病院に行き、ついでにミントカフェに寄ってコーヒー飲んで来ました。
その後、あちこち頼まれた買い物して帰ると(途中でk村さんに偶然会ってびっくり)、姉がいる!
結構多いんだよね〜!連絡無しで帯広に来ても、会っちゃう。

姉は近所の有名ジンギスカン屋さん「有楽町」からラム肉を買って来ていて、肉!肉!と言って晩御飯を作っていました(^^;;

母が写真を出してきて、何故アルバムから外して出しているのか不明だったが(^^;;、その中に私の写真もあった。

父とツーショット!
忘れていた記憶が蘇りました。
厚岸のコンキリエに牡蠣料理を食べに行った事。

日帰りでドライブが好きな親子でして(^◇^;)、いっぱい思い出作ってきたんだなぁと思う。
父も「よく行ったなぁ」って言ってた。
道東は根室、浜中、尾岱沼、別海等、網走、置戸、生田原、北見。
特に母が生まれ育った足寄や陸別、阿寒方面はよく行きました。

父はもう行けないけれど、母を連れて来月はどこにドライブしようかな?

来月は花の季節だから、ドライブも楽しいと思う。



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父が退院

2018-03-17 06:09:45 | 旅・観光
めまいで体調不良だった母の様子を見に、帯広に帰る予定で兄にメールをしたら、明日父が退院するとの返事です。

おっと、それはグッドタイミング!

でも、帰って来ても大丈夫かな?
父は足も手も動き辛く、もう普通の生活は出来ません。

前回帰って来た時に、聞いた事。
父の身体が動かないのに要支援2だったから、入院中に介護申請したら「要介護3」になり、介護施設にも入れるし、様々な介護サービスを受けられるとの事です。

でも、透析な必要な父が介護施設に入居するとなると、入居料が高く、簡単には行きません。
色々な介護サービスを受け、在宅介護をする事になりました。

実家に帰ると、居間のサイドボードが和室に移動され、介護ベッドが鎮座してます。
トイレ、お風呂には手すりが増えています。
またお風呂には、滑り止め防止?の枠みたいなのが取り付けられています。
玄関には車椅子、これらのすべてはレンタルなのだそうです。

父が退院する瞬間から、この介護サービスが一斉に始まりました。
まず、介護タクシーです。
車椅子のまま乗れて、乗降の時も介助してくれます。
実家の玄関は、階段が4段ほどあり、その上に簡易スロープを置いて車椅子で家の中に。
運転手は女性でしたが、体力の要る仕事だなぁと感じます。

そして父を支えてベッドに連れて行き、兄が歩行器を持って帰って来ました。

そして、バタバタと色んな人が家に入って来てびっくり。
それは、これからお世話になる介護関係の方たちでした。
色んな説明を受けて、契約書にサイン押印。
こんなにあるの?
来た人たちは、全部違う事業所の人達です。
こういう風に連携して進んで行くんだなぁ。

介護サービスは、週2回の入浴と、週一回の夕食です。
1時間強の説明が終わり、帰って行く事業所の人達。

兄も一生懸命手配してくれて、本当にありがとう。
今までの手配が大変だったせいか、疲れた顔の兄もホッとしていました。

さて、これからが大変です。
この日は私が居るけれど、2人だけの時は老老介護。
兄が様子を見に来てくれるけれど、母は不安がいっぱい。
それでも、父はうちに帰って来た嬉しさが表情に溢れていて、そんな顔を見るのはとても幸せだなと思います。


夕方、買い忘れた物があったので、買い物に出かける時、父に、「何か食べたい物ある?」って聞いたら、「刺身!」と即答です。入院中にナマモノ出さないからね。

そして、夕食の支度をして、お盆に父の分をベッドの横に置いたら、「向こう(いつも食事しているテーブル)で食べる」と言い出します。
介護ベッドから降りるの?こりゃ大変です(^^;;
支えて座椅子を用意して、座らせ、嬉しそうにお刺身を食べる父です。
入院中の事、よく喋る喋る(^^;;

食事が終わって、座椅子で寛ぐ父。
みんなでお喋りしながらテレビを見ている普通の風景。
でもね〜、私も眠いの。
トイレと洗面台での歯磨き、ちゃんと出来るように見届けてベッドに入るまで、私寝れないの〜。
心の中で、(早くしてくれないかなぁ)と、少しイライラ気味になりそうな気持ちをグッと我慢です。

歩行器を使って歩くのは問題無し。
けれど、扉の部分で引っ掛かる。
これは事業所の方で直してくれるそうです。

歩行器からトイレに移動する時は、手摺につかまり、自力何とかなりました。
洗面所も歩行器を使って行くには、何とかなります。

やっとベッドに入ってくれたのが、午後10時近く。
夜中のトイレはほぼ無いので(透析の人はおしっこ出ないので)、私もゆっくり寝る事が出来そうです。

翌日の朝ごはんや歯磨き等、移動する時に、どこに掴まりどこに手を置くか学習した父。
歩行器の場所も、使わない時どこに置くか決め、前日よりスムーズな動きで驚かせます。
頭はしっかりしているからね〜。すごいなぁ生きる力!

在宅介護は大変だけど、介護される側が意思を伝えることが出来る、考えることが出来るってありがたいことだと思います。


帯広に帰ることが増えそうかな?
家に帰ると父が居るのが、幸せだと感じた時間でした。


美瑛に戻って来たら、融雪剤の丘にまた雪が積もっていました。
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またまた帰省

2018-03-01 07:00:03 | 旅・観光

2/25朝、兄から電話。

今度は父じゃなくて母のこと。
前夜、母がめまいを起こし、兄が呼ばれて行くと、母が吐いていたと言う。
徹夜で看病の末、私にヘルプ。

久しく見ないような青空で、天気予報も3日間ほど晴れマークが出ていたので、自家用車で出発。
道路脇の雪の壁、上富良野を越えると低くなっている。
同じ北海道でも違う雪の量です。

狩勝峠を越え、快適な道路状況のため、順調に帯広到着。

実家に入ると、パジャマ姿のまま徹夜した兄が居ました。
めまいで起き上がれない母は、超ネガティブ(^^;;
このまま死んだらどうしようとか…

状況を聞き、手足を触ってみたけれど、めまい以外なんとも無い。

兄は、すぐ栄養が摂れるような食品を買いに出かける。
うちから持って行ったたんかんを食べるも、半分でやめる。

病名は分からないけれど、現状では動かさず様子を見ることにしました。
何かあったら、救急車を呼ぶことも視野に入れながら…

夜になっても食欲は無いというけれど、お粥は食べられそうだということで、たまご粥を作ったら、少量だけど自力で食べました。

兄が父の入院先に行く時、母は「心配かけるから言わないで」と懇願する。
でも、いつも母と兄が一緒にお見舞いに行くのに、母が来ないことに何かを感じた父は、兄に色々聞き、兄はめまいの事だけ話して来たようです。
まだ、病名が分からないだけに兄としても説明のしようがなかったのです。

疲れている兄を家に帰し、夜中は母がお手洗いに起きても直ぐ付き添えるように、リビングで寝ました。

発作なども起こらずに無事夜が明けました。

朝、お粥とヨーグルトを食べて、「今日は午後から病院に行くから」と伝えると、母はゆっくり着替えました。ずーっとじゃ無いけれど、時折めまいも治まる時間があるみたいで、その間に歯を磨いたりも出来るようになりました。

午後、兄と2人で付き添い病院へ。
耳鼻科と脳神経外科と迷ったけれど、脳神経外科へ行きました。
MRIで検査。
脳の異常は無し。
元気になって胃腸が良くなる漢方薬を処方しますよ〜!と医師。

処方された漢方薬、めまいなのになぜ胃腸薬?

「半夏白朮天麻湯」を調べてみました。

半夏白朮天麻湯

ふむふむ。

今までこういう大きな病院で、漢方薬を処方された事が無かったので興味津々。

家に帰って、さっそく服用してもらいました。

そうしたら、めまいが止まりました。

すごい、そんなに早く?

しかも、食欲も少し戻り、お粥の他に焼き魚やお味噌汁、野菜炒めも食べられました。

父が入院しているので、心的な要因もあったのでしょうか?

貧血などのめまいは経験はあるけれど、こういうのは初めて。

こんなに早くめまいが止まって本当に良かったです。

翌日、父の透析は無い日なので、私が洗濯物を届けるために出かける準備をしていた時、

母が「家に居ても退屈だから、まこと一緒に出掛けようかな?」と言い出します。

!!

いくらめまいがおさまったからと言って、昨日の今日ですよ。

でも、大丈夫というので、まぁ、父も母の顔を見たら安心するだろうと思い、一緒に行きました。

病室に入り、父を見たら、とっても険しい顔をしていた。

2日前に兄が来た時から、母に何かあったら、と心配で心配でいたたまれなく過ごしていたそう。

その安堵した姿、めったに涙など見せたことのない父が、下を向いて大きなため息をついた。

その姿を見て、60年以上連れ添った夫婦の、深い愛情に胸を打たれ、母と共に大泣きしました。

今でもその状況を思い出すと、涙が出ます。

30分くらい居て(父が話を止めない(^^;)二人とも笑顔で話せるくらいになり、帰ろうとすると、母が「何か食べて行こう」といいます。

病院が街に近いところなので、どこに行こうかなぁ~と考えていたら、「カレーは土曜日に食べた」ということで却下。

物忘れが激しい母なのに、カレーを食べたことは覚えているのね。

「親子丼が食べたい」とリクエストされたので、駅前の老舗食堂「ふじもり」に向かっていたら、途中の「はげ天」の看板を見て、ここに行こうという(^^;)

はげ天には親子丼は無いと思うと言ったら、天丼でも豚丼でもいいというし。

昨日まで物を食べられない状態だったのに、大丈夫?

メニューを見て、懐石風のランチが美味しそうだったので、丼却下です。

ほぼ全部食べ切り、途中買い物をして家に帰りました。

不安なことがあると、何度も何度も聞き返し、いい加減に呆れてしまうこともあるのですが、そういう事もなく、穏やかに母に見送られ美瑛に戻って来ました。

良かった、本当に良かった。

いつも美瑛に戻るときは、やり残したことが有る様な気がして、何日も気持ちを引きずっているのですが、温かい思いを抱いて帰ってきました。

こんな素敵な夫婦である両親に感謝してます。

これからも介護に帰ることも多いと思うけれど、きちんと向き合って後悔しないようにしていきたいと思います。


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父の入院

2018-01-15 05:54:05 | 旅・観光
11日、兄から電話が入って、父が入院したというので、帯広に帰りました。
2、3日はお天気良さそうだったので、自家用車で帰りました。
(乗り継ぎを考えると、本当に不便なJR)

実家に帰ると、母はびっくり。
何も連絡無しで行ったからね。
そして、岩見沢から来る姉を、帯広駅で拾い病院に行きました。

熱も下がり、落ち着いた顔の父です。
ご飯は、半分しか食べられなかったけれど。

事の経緯は……
6日の夜中、40度の高熱を出し、母が救急車を呼んだそうです。
(誤嚥性肺炎の疑い ← 後から聞きました)

運ばれた病院は、協会病院。
でも、ここに入院しても透析ができないので、今透析に通っている病院に転院。

少し様子を見て、11日に、兄が姉と私に連絡したという事。

年末年始に帰省した時、今のままでは、もう家では生活できないほど足と手が動かない父を見て、今後の事、考えなくちゃ、と思っていたところでした。

病室で見た父の顔は、家に居る時より落ち着いていて、何かあったら看護士さんを呼べる安心感が表情に出ていました。
身体の機能は弱っていても、脳にはどこも問題が無く、家族と意思の疎通ができるのもありがたいです。

母は、心配性に戻ってしまったけど。
それでも、家の事はできるので、1人でも大丈夫かな。
兄も近くに居るしね。

翌日、着替えのパジャマと下着と新聞を持って病室に行き、透析が終わったばかりの父と面会。
血が止まらなくて時間が掛かったと言う。
でも、その後昼食をペロッと食べ、笑顔を見せていました。
透析を始めて、9年が経ちました。
その間に何度も入院している父ですが、入院慣れ?してるし(^^;;
何が必要とか、的確に指示(^^;;


私たちきょうだいも、姉と私、とか、姉と兄とか、兄と私とか、結構マメに会っているのだけれど、3人が揃ったのが久しぶりで、3人揃って話し合いが出来ました。

1番大変なのは、近くに住む兄なんだけれど。
週明けてから、市役所行ったり、病院に行ったりしてくれるそうです。
ありがとう。

親が長生きする事って、子供にとって嬉しい事だけれど、その前の世代(祖母)がこんなに長生きじゃなかったせいか、初めての経験で戸惑うばかりです。
でも、やっぱり後悔はしたくないから、帰れる時、帰ろうと思います。

今年は、いろいろと見直しする事が多いかな。


昨日、朝、霧氷が美しい十勝を後に、美瑛に戻って来ました。
今日からまた、お掃除のバイトです。
気持ちを切り替えて、頑張らなくちゃね。
いや、頑張り過ぎるのは良くないかσ(^_^;)
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明けましておめでとうございます。

2018-01-04 06:46:38 | 旅・観光
本年もどうぞよろしくお願い致します。

年末12/29〜年明け1/3まで帰省していました。
公共交通、大変でした。

美瑛から帯広まではノースライナー。
雪のため遅れました。
しかも、実家の近くを通るのにバス停が遠くて、結局帯広駅まで行かなくちゃいけない(T ^ T)
でも、乗り継ぎの空いた時間を利用して、友達のカフェに寄れたから、良しとするか〜。

1/1元旦に雪。
5cmも降ってないと思うけれど、湿った重たい雪でした。
母が凍ったところで転び、心臓が止まるくらいビックリ、
骨密度高い母なので、何事も無かった、良かった〜〜。

でね、車の雪を下ろそうとスノーブラシ探したけど、無い!
何で無いの?
父が教えてくれた場所に行くと、そこにあったのは、洗車ブラシ!
今思えば、笑い話なんだけど、カッカカッカして熱くなっている私がいました。
いつも実家の車を使うのは、姉なんです。
冬タイヤに交換する時、普通車に積むでしょう!
買えば安いものだけど、無いと困る雪国アイティム。
しかも元旦にお店空いてないでしょ。
と、元旦からテンション高く…

除雪したら落ち着いた(^^;;

父の身体は、だんだん動かなくなってきて、家に居ても座椅子に座って1日を過ごしています。
30日の朝、ご飯を食べると具合が悪くなって心配になったけれど、透析が終わって帰ってきたら元気になっていた。

その原因は、肩凝りだった。
いつも座椅子に座っていると、同じ姿勢でいるから凝るのも当然だよね。
それが分かってから毎日、マッサージしました。

昔はこんな風に肩揉みすること無かったな。
年老いた父だけど、背中を揉んであげると、久しぶりにスキンシップが出来て、何と無く幸せな気持ちになる。

1/2、いつも送迎をお願いしているハイヤーが来ないので、送る事になった。
病院の入口から透析の部屋まで、結構遠い。
父は毎回ここを歩いているんだな。
足がおぼつかない、ここで倒れたらどうしよう、と不安になった。
もう高齢だから仕方が無いけれど、できるだけ快適に過ごして欲しいと思うのは、家族の思いです。

これから色々してあげなければならないだろうな。
姉兄と相談しながら、最良の事をしてあげたいと思っています。

父を迎えに行く前に、母とカレーショップインディアンまちなか店に行って、久しぶりに食べました。
十勝っ子のソウルフード。安いのに美味しい。
子供の頃、姉が連れて行ってくれた時、ジャズが流れているオシャレな店だったインディアン。
今でも値段を覚えている。100円だったよ。
だんだん支店が増えて、十勝中で食べられるようになったね。

2日の夜は、兄夫婦と団欒です。
子供の頃のスケートの話や、水泳の話で盛り上がりました。
やっぱり兄妹は原風景が一緒だわ〜〜。
でも、時代が少し違ってくるんだよね。

1/3、高齢の両親に見送られ、根室本線西帯広駅から新得→代行バスで東鹿越→根室本線富良野→富良野線で美馬牛、と乗り継いで来ました。4時間以上掛かりました。疲れた〜〜。

でも、狩勝峠の美しい景色が見られたので、嬉しかったです。



コメント (2)
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