Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

私の乳房再建手術法

2011年01月30日 21時00分04秒 | 乳房再建
さてさて、私の腹部をドナーとする乳房再建の手術法。
これを簡単に書きのこしておきましょうか

病院や医師によって、もしかしたら若干の違いはあるかもしれませんが、
これはあくまで私の場合ね。

素人的に言えば、お腹のお臍あたりを真横の切って、そこから下腹部まで「笑い顔」の形、
そぅポケットみたいな感じね これを、
皮膚と脂肪をくりぬく?
う~~ん、胸を作る裁断みたいなイメージ

その際、腹直筋についている細い血管も同時に採取して、
取り出した脂肪と皮膚に血流が行くようにして壊死させないように、胸の近くでつなぐ。
そして、胸の形を整えるというもの。

まっ、私の言葉で書いても分かりにくいと思うので、自分の整理のためにも、
病院からもらった、説明書の絵でみていきましょう





縦に赤く画かれているのが腹直筋。「笑い顔」のラインの中にしっかりお臍も含まれて
いるでしょ~きゃ~~ 



ここが、大切な胸の部分になるのね。
ちょっと凹みの部分がお臍。




なるほど~、お臍の部分が今度は逆に下向きになるってことかな。
胸の谷間の下になるあたりが、お臍の辺りの皮膚が来るってことね 
首をぐるっとひねりながら見なくっちゃ!



そして、お腹はこうやって縫いあわされる。これが、素人的には不思議なのよね~
パチンと折り曲げられてホチキスで留められてというに、身体が曲がってしまわないのかなぁ~と思うのだけど・・・・ 先生いわく、少しはツル感じは有りますが、最初の
2週間くらいですよ~と まぁ、そうじゃなきゃ、こういう手術がされるわけないよね~~

腹直筋はきちんとその場に残ったままでしょ!!

ちなみに、お臍!!あとから付けるんですって!!
私は縦型を希望しましたよん 



で、キズがおちついたら、数か月後に乳輪と乳頭を作り、完成

この方法はタトゥーとかいくつかの方法があるそうな。まっ、それはまた
次の機会にね。
私もまだちゃんと先生と検討してないの~~


楽しや形成外科

2011年01月29日 19時18分50秒 | 乳房再建
さて、私の乳房再建の初受診は昨年末の12月22日に予定通り無事終わった。

初めての形成外科。

一言、楽しかった~~

これまでの生活でそれなりに、色んな医師を見てきたけど、(脳外科、脳神経内科、循環器内科、心臓血管外科、乳腺外科・・・・・などなど・・・)

だけど、形成外科の先生はどこか違う感じ

そりゃ~、医師たるもの、皆、夢と希望をあたえる正義の人ってのが正しいでしょう。
でも、中には命とぎりぎりの厳しいところで向き合っていることも現実だし、
なにより、病気というマイナスから治すというゼロにもっていく、もしくはマイナスをそれ以上大きくしないという希望をつなぐまでの夢先案内人が、普通のドクター。

でも、形成外科は、ゼロからプラスへの夢先案内人。
人は病気前は少なくともゼロではなくプラスであったのだろうからね。
少しでもそのプラスを取り戻したい願いに寄り添う医療だなぁ~と思った。

そんな違いをイメージしながら、その時間を楽しんだ。

そして、

再建の具体的な希望の根底にあるものをけっこう細やかに、多角的に聞いてきたのにはちょっと感激。
例えば、もし、健側より小さいものしか出来ないとしたら、それでもいいのか?
いいとしたら、どれくらいが許容範囲か?
そこには、
胸のふくらみを取り戻したい気持ちの境目、変な言い方だけど費用対効果をどれくらいまで許容するか?みたいな感じで、心理面にも配慮してくれていたと思う。

まったくの、板状態の胸より、少しでも柔らかな膨らみでもいいと思っているのか?
完璧に近い状態しか描いてなく、それ以下だったら今のままでもいいと思っているのか?

みたいな、どの程度の意思確認っていうのかな。
形成みたいな作りだす医療は、医学的な失敗はまぁ、別として、仕上がりのイメージの差というのが、けっこう失敗と評価され患者の心に新たな「負」を残してしまうこともある。
そんな事をじっくり話もできた。

多分、私の場合はかなりギリギリで作る感じだからよけいなのだろう。
一応、同じ大きさの胸は出来るとの事です! 



診察時間もたっぷり1時間はとってくれ、あっちむいたり、こっちむいたり、色々身体のサイズを測ったりするのは、オーダーードレスを作るよう

後半くらいには看護婦さんも教授であろうが、先生であろうが関係無く、あーだこうだと会話に入り、診察って感じは微塵も無いといっても過言でない感じ。
正にチーム!!

写真も沢山とり、ここまでたどり着いた日々を皆が分かっていてくれて、患者と同じ目線で喜びを共有していてくれているのが、ここち良かった。

そして、物作りの職人ぽいこだわりも、世界で一つだけの私の身体にのみ向けられたエネルギーで、何だかお姫様気分の時間だった。

脂肪がどうの、下垂がどうの・・・・と一見、嫌~~な場面でも楽しや、形成外科!!

って感じ~~

で、具体的に私の再建手術はどんな感じなのか?というのは、
また、別でね

ちょっと、怖いよ~~






36歳の私

2011年01月28日 22時44分22秒 | 着物コレクション10年史
引き続き、はまってます!じゃんじゃんアップで、今度は36歳の私です。


こちらは、夏の京都、南禅寺かな。この頃、まず、夏に着物で
京都を歩くってだけで凄い体力だったわ。
きものは、能登上布。上布の中では以外と厚手・・・ってか、しっかりしている。
私的には、やっぱ上布の宝石っていうくらいの宮古上布が好きだぁ~




う~~ん、横顔のラインがちゃうわ~
うつ向いていても上がってるええのぅ~
きものは、白の生紬、なんと!!長襦袢に大胆に日本の赤を合わせて
チラ見せ 
こんな着方、30代ならではのギリギリの見せ方ねと今では、もう
無理~~と思いつつ、この頃のバランス感覚はなかなか。
こういうの、まだ若さが残るお顔でするのがやっぱ正解かなぁ~~



雨の日のよそおい。
ホント、雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも・・・ってのが、
36歳の私。元気でした!

45歳の今は体力ここまでで、続きはまた今度・・・・

これ以上パソコンの前にいると、目がチカチカするさ~
老眼だからね。

35歳の私

2011年01月28日 20時51分21秒 | 着物コレクション10年史
「着物コレクション10年史」
なんてカテゴリーを作ってしまった

先日、乳がんフレンド、パルミさんとお茶してる時、もっぱら話題になったのが、
乳がん治療以来、老けた・・・・

ってこと。

私は43歳から、現在45歳までの2年間、乳がん治療に費やしている。
この2年間は、普通でも頑張りどころの大きな転換期だと思うのよね~
普通に健康でも、「老い」を感じる頃。
なのに、そこで抗がん剤という猛攻撃を受けた私達って・・・・

やっぱ、違うわ・・・・

それまでの10年はよく頑張っていたわ~~ってのが共に交わした、ため息交じりの
小自慢 

しかし!!ここでそんなことを理由にどんどん老けてはいけない!!と思いも新たに、
頑張ろうっていうのが私達の誓い!ってか、パルミさんをむりやり引きずりこんだぁ~

まぁ、若く見られたいとか、そういうことよりは、年齢は相応でいいのだけど、
やはり、こ綺麗でいたいな~~

って、ことで、せっかくブログをまた記念に残すのだから、
がんばった10年の変遷(変遷を食い止めていた!?)を大好きな着物コレクションとともに残しておこうかなぁ~~なんて考えちゃった

再建までの間にポツポツアップしようかなぁ~~

では、先ずは10年前。35歳の私。


う~ん、まだ、目や顔が上がってハリがあったのぅ~
着物は、濃紺に亀甲で柄を配した結城に大好きな掬いの帯。柄は無病を願い六瓢箪


夏の日傘はいいのぅ~


無双の着物。多分お茶に行く時かな。


秋の京都高台寺のライトアップを見にいった時かな?
着物はこちらは明るめの黄緑の結城。帯は自然布のもの。
なんで笑わないんだろ・・・・


これは、華やかな訪問着なので、パーティーでしょうね。
この黒地の訪問着は20代で作ったのに、40歳過ぎても良くきるなぁ~
元とってます!って感じ。

この頃、デジカメってのが無かったから、プリントされた写真を改めてデジカメで
撮ってみましたよん

これ、いろいろ振り返りながら、冬の夜長にはけっこう楽しい作業だわ~~



風邪かいな?

2011年01月27日 17時59分28秒 | 日々の事
やばいやばい

何か、体調わる~~。
さすがに、この寒さに身体が疲れてきたのか・・・

お正月明けに測った白血球は2800しかなかった。
私の年齢だったら、4000以上ほしいけど、どうやら抗がん剤以降、
良い時でも3000くらいしかないのだぁ。

まぁ、好中球ってのはもう少しいいみたい(44とある)だからそれで
バランスをとっているのかもしれないけど。

それにしても、ちょっと喉が痛いと思うとテキメン。
乾燥も酷いしな~

今夜は「うーメン」で温まって、アイクリーム多めにグルリとつけて、
ゆっくりしてよう。

これからオペまで、厳戒態勢で体調ととのえなきゃ

乳がんの手術前の頃を思いだした~~。風邪ひいたら手術出来ないものね。
基本健康でないと、医療は受けられないのだ!!

嬉しかったこと

2011年01月26日 20時47分19秒 | 乳がん
凄くシンプルな題をつけてしまったけど、この2年、一番嬉しかったことって何?
と、自分に問うてみたら、
それは

「乳がん再発・転移なし」

という、術後1年検診のペット検査の報告書の文字を「あらためて見た時」かなぁ。

乳がんになってから、沢山の優しさ、思い、言葉、愛をもらったけど、その全てが喜びだし嬉しかったけど、だからこそ、そんな思いの全てに答える結果が、
この

「乳がん再発・転移なし」
という勝利の文字だった。

抗がん剤の頃、癌を叩きのめしたとは言えない状態が現実だった。
手術を終え「見える癌は全てとりましたよ」
といわれても、どこかで信じていなかった。

きっと、主治医とダンナッチがグルになって嘘をついているんだとさえ思ったりもした。
まるで、昔のドラマのヒロイン気どりさ~

でも、現実にそんな懐疑的な自分がふと顔を出したりした。

それだけ自分が打ちのめされていたんだなぁ~って事を、術後に実感したのが私の場合。

きっと、告知から、術前抗がん剤の頃は、ただただ肉体的に闘うのに必死で、
ともすれば、
自分の病名さえ忘れるくらい副作用のオンパレードに追われていたからかなぁ。

それが、術後、現実に胸をみて、これが乳がんなんだと知った。

癌って、こういう事?って初めてリアルな恐怖の正体を見た感じ。

だから・・・

沢山の励ましも、エールも、応援も、優しさも、みんなみんな、
嬉しかったからこそ、それに応えられる自分が欲しかったのかも。
それが、がんを1度は無くしたという勝利!
この勝利を報告することだと、密かに思っていたのかもしれない。

子供が、密かに親に捧げる「合格」を祈願するように。


そして、何より自分が欲する願い、本能の切なる願いだった。

その待ちに待った術後1年目検診の「合格通知」は、皮肉なことに、

「乳がんの再発・転移なし」
という、文字以外に、よけいなもの、「中咽頭癌」

な~~んていう文字がいっしょに入っていたから、なんだか混乱・波乱になってしまったけど・・・・・

まっ、
その咽頭癌の疑いもすっきり晴れて、

全ての検査から、まさに「乳がんの再発・転移なし」
と知らされ、あらためてこの言葉を見た時、

そりゃ~~嬉しかったぁ~~

やっぱね~~、これからもこの病気とは長く付き合わなければいけないわけだしぃ~
1度くらい、ガツンと完全勝利しておかなきゃね、この後の展開として、
有利にコヤツとは付き合っていかなきゃ!! 



そしてそして
この言葉と引き換えにね、初めて再建の予約の現実となったわけ。
それが昨年12月の出来事。

まさに、<乱気>の年。

最後まで、波乱の展開だったさ~~

この前の細木さんの<乱気>でそんな事を思いめぐらせた。

さて、この有難き今の幸せを大切に大切にしよう。
大切に、丁寧に生きなきゃね



目!

2011年01月26日 18時25分14秒 | 日々の事
いや~、昨日も遅くまでサッカーで興奮してしまったなぁ~

目がいいね。川島選手は目がいい。
前の川口選手もそうだけど、キーパーは目がいいな~

目っていうけど、目って、形じゃないなぁ~って、最近特に思うのよね。
一重、二重なんか無くなりつつあるようなメイクや整形の発展で、今や、
目はみんな大きいというか、まぁ、デカイ!
って感じかしらん。

でもね、大きさ形じゃないね。輝きだね。
女優、俳優、もってる人は輝きがちがうわ。
キラッとしてゆらゆら波のように光を放つ瞳は惹きつけられる。

ダイヤのカットや大きさよりも、カラー、クラリティと同じかな。

と、話はそれたけど、(とくに行きつくあてもないけど・・・・

目。
私悪くなってきたな~~

老眼ってこんなに早く進行するのだろうか?あ~~、まいった、まいった。
これも、乳がん治療の後遺症だね。きっと。
完全に更年期を作られてるわ。
ホルモン治療している人達の話題のホットフラッシュってのも、
ちら~~と出てるし、軽いめまいやのぼせもあるしね。


そんなんで、3月に入院するから申告のほうも早めにすませなあかんしなぁ~、
1月も月末だし、サッカー見てお目目チカチカするし、老眼鏡の度が合わずクラクラするしで、頭、カーッと暑くなってはボーっとするし、
何だか、気ばかり焦る1月の末であった。

目薬さそ~~

ここだけは、キラキラさせとかないと・・・


マイブームその1

2011年01月25日 23時13分34秒 | 日々の事
今年に入って、ちょっと凝ってることがある。

それは節約生活!!

まぁ、外食とか、レジャーとか、特別な買い物とかは別計算なんだけどね

どこが節約じゃ!!といわれそうだけど、普段のスーパーでの自炊の買い物代とか
細かな雑費ってどんのくらいかかるものなのだろう?
ってことをちょっと探求してみたい気持ちと、きっとその部分が何よりの
「実質的無駄」←(その他は豊かに生きる必要経費の範疇とも思うのよん

なのではないかと思って、ちょっと買い物とか気にして冷蔵庫の中とかと上手く付き合う
生活に凝ってしまった。

その甲斐あって、スーパーでのお会計が以前とはかなり違いが出てる
この前のサクララでもビックリされたけど、待ち合わせ場所まで地下鉄にのり、
サッとのれるカード(名前が出てこない)もつかいこなしてる


なのに・・・・

今日はビックリしたな~~

何と!!単4の乾電池8個パックって高いのね~~~

コンビニで、小さなスナック菓子(この辺は節約というよりダイエットね)と、小さな
わんこそばみたいなの(ちょいと食べたいのよね~)と、件の乾電池を買った。

レジで1284円といわれて、思わず、「ひょっ

私のおぼろげな計算では3点まとめて700円くらいの感覚だったんだけど・・
まさかの1000円越えに思わずうろたえたさ~~

店員さんも、なにかを感じたのか、乾電池840円シマスネ・・・・と。

ほ~~~

知らなかったぁ。

ついでに、これは思わぬ副産物なのだけど、今、整形外科に通っている。

せっせ、せっせと、けっこう熱心に通っている。

昨年、大みそかに急に朝、健側の手の甲と薬指の関節が腫れ、痛くなった。

原因は不明?ってか複合的なものでしょうということ。
つまり、抗がん剤で弱った血管が寒さ等で炎症をおこし、
その負担が指の関節にきたのではないか?との診断。
(リュウマチの検査も一応しましたが大丈夫でした)
ということで、真まで温める電気療法に通っている。
この薬指、太いままでは指輪もはめられず それこそ無駄だからねん

でもって、ついでに背中が凝るとか、まぁいろいろ全身不調を訴えたところ、
ウォーターベットマッサージってのも受けさせてもらっている。これが、またけっこういいのよ~~ 

このセットで何と!!

320円

これぞ、究極の節約になってる今月の蒔絵家。

マッサージにまだ1度も行ってません!だけどまぁ、早く手の甲が良くなって欲しいってのがホントの願い。

また、点滴針、沢山刺さなきゃ~ならないからね。




都合のいい性格

2011年01月24日 22時49分40秒 | 日々の事
年も明けて随分たち、1月ももうあと1週間になって、なんだか家の便利が悪いな~と
思って、よく考えると・・・・

あ~~、トイレと自分の部屋の机の前にカレンダーが無い事を発見!

そうだぁ~、毎年、ダスキンさんがくれるカレンダーがほっこり系の挿絵とサイズで、
それが好きで毎回それをあてにしていたんだけど、この不景気のせい?

今年(正しくは昨年末)はそのカレンダーが送られてこなかった

ってこともきずかぬまま、今頃になって、その定位置のカレンダー不在に違和感を感じ、
早速・・・・仕方なく、本屋さんにカレンダーを買いに行く。

で、話は大きく変わるのだけど、カレンダー売り場はもう下火になってる中、その横あたりの同じブロックには、占いの本がまだまだひしめいている。

私は細木さんマニアじゃないけどね・・・・

昨年末、確か、立ち読みした時、今年の私の運勢は良かった。
で、向う3年もいいはず。

手術が迫った今、何だかまた気になって、思わず占い系の本を手に取る。

いろりろ見るけど、やはり今年はどの角度で見ても、まぁいいみたい。
それで、何だか詳しく見たくなって、細木さんの本を買ってしまった。

今年の私は<再会>という年らしい。読んで字のごとく、新し事の始まりのような年なのだと。

そして、再建手術を受ける3月も<再会>の月運みたい

きゃ~~良い感じ~

で、自分のここ数年を振り返って、なぞってみると、
告知の年、2年前が<達成>という年。

これまた字のごとくで、とてもいい年のはず。なのに・・・乳がん。

ここからが、まぁ、私のいい性格なのよね~~

きっと、<達成>という、とても良い年に乳がんのメイン治療、術前抗がん剤とオペを終えたから、私の中で癌を無くせたのだと、確信しちゃった~
それで、
昨年は<乱気>という年なんだって。
考えてみたら、抗がん剤をしている時より、術後の昨年の方が、心乱れた。

それは、喪失感であったり、焦燥感であったり、
苛立ち、絶望、悲しみ、憤り、
その反面
とても楽観的で陽気で貪欲で、良く笑いもしたけど、きっと、上向きの気持ちがある分、真逆の「不」の気持ちも増幅されていたのかも。

と、

今更ながら想うと、去年は正に「乱気」だったわ~~

ふむふむ。

細木さん、当たってるじゃぁ~~ない!!

そんな事を思い巡らせ、日ごとの運もチラっと確認。←これ、チラっとってのが先ずはお約束。
で、
オペの日も良い日。<種子>という運気の日。

<種子>12年間の運命周期の始まり。総合的に物事が良い方向へ回転始めるとき。

う~~ん、いいね~~

ここだけを、今一度再確認するために、細木さんの印税に協力。
って、いうか、私への景気付けね

これ以上はもう、見ません。

もう充分。
それより見たいもの、読みたいものあるしね~~~


本日購入の今年のカレンダー。
毎日、色んな自分や出来事と、あらたな気持ちで出会う<再会>の年にしたいな。


先ずは、3月7日にしっかり丸をしたよん


I love 岡山

2011年01月23日 20時33分42秒 | 乳房再建
今日はビュッっと新幹線に乗って、岡山入り。 

昨年岡山大学の乳がんの講演会に行ったメンバーでランチとお茶をしてきました

こういうのは、オフ会っていうのかな?

地元岡山の乳がん患者さんでしかも再建の先輩と、私が再建する0大学病院の再建先輩と、
まぁ、岡山繋がりでランチ。

O大学病院の再建の先輩でもあるnaoちゃんは、闘病の頃から私より1年先を行く先輩患者さんで、ずっと仲良くしてきました。
再建もちょうど1年先輩になる。

今回はそのnaoちゃんの計らいで、in岡山となりました。

この、オペが決まり、緊張と不安が日々つのる私には、今日の会は何よりの
強力パワーとなりました。

初めて再建胸を生で見せて頂いた時の感動は、雲にのるような「夢」でもあり
フラフラ~~、うるうるのあまりの衝撃に直情の世界でしたが、

今日は、また別の興奮がありました。そう、興奮なの。現実に想像するリアルな興奮。

それは、今日参加のIさんは私とまったく同じ方法(エキスパンダーも使わず、お腹の脂肪と皮膚の穿通枝皮弁)
同じ先生にオペを受けた方なのです!!

だから、正にそのIさんの胸は未来の私の胸として、現実見を一層帯びて見れる訳
なのです。

それは、それは、綺麗でした

術後2年たっているので、キズはどこ?と探さなければ分からないほどですし、
形といい、
私も早く受けたい~~~~

と思うほど、納得の仕上がりでした。

そりゃね、もともとの肌質とか、いろいろあるでしょうが・・・

でも、同じ先生、同じ方法と思えば、嫌でも期待に胸躍りますよん

あんなに、怖い~~と思っていた私が、

例によって、胸を見せ合った高島屋のトイレを出たあと、思わず入院グッツの代表選手のパジャマを買ってしまいたい衝動にかられるほど、ウキウキ
(まっ、何も荷物になるここで買わなくとも・・と思い直しましたが)


そして何より、

不安に感じていた、術後の痛みとかも詳しくお話しが聞け、
その皆さんの今の笑顔に会えて・・・良かった。

今日のメンバーは皆、再建という壁を乗り越えてきた仲間・・・

そこには、その前の告知も治療もオペも全ての思いが重なるところがあるということ。

それぞれの価値観や状況、考えで全てが同じではないけど、

流した涙の数はきっと同じだと思う。

だから、その人達が笑って、

オーダーメイドの下着を少女のようにきらきらの瞳で語る様子がまぶしい



さらに、術後、再建の胸はまた身体の一部、一体となって、様々に変化し一緒に
生きていることもよ~く分かった。

年を重ね老いるのだけど、それは新たな身体としての成長なのだと思った。
再建の胸はただのお飾りではなく、生きた華 
「生花」なんだな~~正に

この辺はまたかなりリアルなお話し。私の体験談として、また書いていけたらと思う。








食べ放題のビュッフェにメインと、食べつくせば、これもしっかり
再建胸への栄養となるのよん

色んな人の支えが嬉しく、そして何より色んな栄養いっぱいの一日でした。

ありがとう!!感謝・感謝です

岡山


再建術式決定と病院選び

2011年01月22日 17時18分41秒 | 乳房再建

私が乳がん告知された頃・・・・・と言っても、ほんの2年前だが。

その時(09年2月)発売されていた08年11月発行の本、
(つまりその時点で最新の本)には、
再建の術式について、自家組織法については穿通枝皮弁については書かれていなかった。


僅か2年前のその当時の再建の術式として紹介されていたのは、大きく分け、
まず
①インプラント法
②自家組織法

であった。

①インプラントは、ようするにはシリコンを入れるというもので、
まだ保険適用ではないが、身体によけいなキズを増やしたり、
犠牲にすことなくできる方法として、選択する人も多い。


問題は②の自家組織法(保険適応)

広背筋、腹直筋いずれにしても、筋肉を犠牲にする方法しか掲載されてませんでした。

自家組織を使う場合、皮膚や皮下脂肪を移植する際、血流を保たなければ壊死してしまいます。
それを防ぐために、筋肉についている太い血管を利用するために、筋肉ごと移植します。
僅か2年前の医学ではそれが当たり前として書かれていたのです!


この方法では、筋肉を取るため、それによる後遺症で腰痛に苦しんだり、
腹筋がなくなる(弱くなる)というような、生活レベルがさがったりすることもあり、
そこまでしての再建というのも抵抗を感じる、という思いは
きっと私だけではなかったのではないでしょうか。


これが、2年前までの自家組織再建法の主流だったのです。
今でも、まだ主流の座にはいるのかもしれません。

しかし・・・・・

そのころ、既に、一部の病院では、穿通枝皮弁(センツウシヒベン)をしていました。


穿通枝皮弁とは・・・・
筋肉の中から穿通枝という細い血管だけを採取して、これにより
皮膚と脂肪の血流を保ち、壊死しないように保って移植する方法です。

筋肉組織を傷つけることがないので(正確には、血管を取り分けるときには筋肉組織にもメスを入れるのでここは慎重さと高い技術がいるようです)、身体にとても優しい方法です。

(もっとも、穿通枝皮弁の移植でつなぐ血管は通常、深下腹壁動脈という長く太い血管を使用するようです。血管を穿通枝だけの状態にしたものを、東大の光嶋先生は「真の穿通枝皮弁」と呼んでいるそうです)

私は、この穿通枝皮弁を知ったからこそ、この方法だからこその前提で、
再建を決めました。

(「放射線のリスクと向きう」という記事でもかきましたが、
私にはインプラントを選択できる状態ではなかったのです。)

もし、自家組織法が腹直筋を犠牲にする方法しかなかったら諦めていたでしょう。


ただ、

この穿通枝皮弁はとえも高度な技術と設備がいるため、
そんなに多くの医師もいなく、病院も少ないのが今の現状でしょうか。


私は、筋皮弁から穿通枝皮弁への過渡期にちょうど乳がん治療をしていた感じです。


そんな訳で、限りある資源のドクター探し、
そのためなら日本中どこの病院でもかけつけるさ~~


の気持ちで、これができる先生と病院を探しました。
(もちろん、いろんな方の情報や協力を得て)

で、

これは以外と簡単でしたね

それだけ、少ないということなのです。

インプラントも含め、いろんな方法が可能な方よりは、
その点では苦労しなかったし悩まなかったですね


この先生とめぼしを決めた先生何人かの、講演会に行き、
その先生のまずは生理的な相性みたいなものをチャック


それから、再建に対する考え方、患者との向き合い方など、
講演の中でも皆それぞれに個性を出し、以外と解るものです。

声や話し方なども、性格の一部として、こういう場合私は気にしますね。
なんせ、自分のこの身をゆだね任せ、色々チェック(きゃっ )されるんですからね~

共通していることは、
どの先生も「綺麗に治してこそ医者」という乳がん治療そのものに対する思いの深さ、
情熱は皆共通でした。

こういう風に、任せるドクターを密かに(ってストーカーみたいなわけではないが)
生でチェックして予約をするので、
初受診は、もうそこですることが前提という感じで受けてこれました。


そして、そのとおり、初受診の先生・病院で無事決定

22年12月22日私の再建は、あっけなく、その日で決まった。

23年3月4日入院
23年3月7日手術

です。



PS

再建の費用や取り巻く事情について、リコちゃんのワンポイント 

現在、
再建は、①インプラント(人工物を使うもの)は、保険適応では無いのですが、
    ②自己組織(自分の身体の一部の移植)は保険が利きます。

しかし、この自家組織方法だと、回復までに時間もかかるし、結果、職場復帰への時間など、かかる経済的負担は大きなものです。
(また、身体に新たなキズを作ることにもなります。なので、保険が適応であってもその面でも悩む人が多いのです。)

結局、費用面に関していえば、、再建費用は多きいという事にかわりはありません。
もし、インプラントが保険適応になれば、もっと気楽に(自由に)再建が広まると思います。

こうした、制度や、身体への負担のバランスもまだまだ再建の難しさ、悩みどころなのです。

ただ、反面、多くの患者の自由な選択、まさにオーダーメイドに応えるバックボーンが出来てきていると、前向きにも考えられるのです。

たまたま、私の場合は放射線を掛けていることによって、こうした選択の余地もなく、
自家組織法による再建に限られていたというのが現実です。




春の訪れ

2011年01月21日 15時29分45秒 | 乳房再建を決めるまで

それは春の訪れだった。

3月の終りのまだ肌寒い日。
桜の蕾が東京の空の下で小さくこごえながら淡く街を包んでいた日

HANAさん掲示板のマチ桜のオフ会があった。

そこで、私はまこつまさんと初めて会った。出会いはその前から、
掲示板やブログを通して、お互いの名前は知り、当時の私の同時再建を諦める
という記事をみて、「それが全てではないからね、」とメールくれた方。

そう、再建への布石をくれた再建体験者の皆さんの中で初めて会う人がまこつまさんだった。

その責任?なんていったら、怒られちゃうわね

もっと、

もっと大きな・・・とても大きな・・・・
この病気の持つ切なさが優しさへと導き、その優しさの一つとして
私に再建したばかりの自らの胸を見せて下さったのだ。


しばし見入り、そして呆然と、
まだ見ぬ、未来の私を鏡で見ているような錯覚の中、私は泣けた。

「絶望より希望が勝った涙だった・・・」
その頃のブログに書いた言葉、今でも忘れてない。


私はこれが欲しかったんだ。こうなりたかったんだ。
自分がどこかで我慢していた本当の感情が、
再建により見事に胸をとりもどし、
そのバランスのとれた本来の身体を見て、
私の中の本能の気持ちがグラグラゆれて心から溢れ出た瞬間だった。

当時のブログで、
まるで現金3億つまれたよう、そんな衝撃・・・・・なんていう、
とても下世話な表現であえてその時の気持ちを書いたけど、
でも、それは私が求めていた本能そのものとして、目の前に現金3億つまれ、
「これがあなたが落としたものですよ!」といわれた気分だったの。

失ったものの大きさ、諦めきれない欲する気持ちの大きさ。

落としてしまった当選宝くじ3億円。
初めから買って無かったと思えば良いじゃない!
そんなイメージで、無理やり自分の気持ちの納め方をしていた事に掛けて書いた表現でした。


今更ながら・・・やっぱり現実に見る、間の当たりにするというのは、
凄い影響力・力なのだと、あの時、
溢れ出る直情に自分自身で驚くほどの出来事だったなぁ。




そして・・・・・




その涙と共に、沈む私は消え去り、私は再建を決めた。


私の中で春が来た。




PS
私としては一気に、この「再建を決めるまで」のカテゴリーを書いてきました。
それはね、

怖いの。

今、現実に手術が迫ってきて、喜びの気持ちと同じくらい、怖いの。

とても、大きな手術だし・・・・・

だから、自分がどんな思いの中、この選択をしたのか、私の心に再びきちんと問い掛けたかったの。

乳がん術後、
「麻酔で眠っている間にさよならしてしまった私と、もっと話しておけばよかった」
と涙したあの頃に、今回はなりたくないから。

だから、いっきに、思いを巡らせてきました。

あ~~、それでも怖い怖い。
あ~~、それでも欲しい欲しい。

前回、このカテゴリーはこれでおしまいね、と、予告したけど、まだまだ私の迷走は
つづく・・・・・かもしれない。





放射線のリスクと向き合う

2011年01月20日 16時15分18秒 | 乳房再建を決めるまで

ちょうど、今から1年前ころから放射線治療が始まった。

 さて・・・・・ 再建と放射線。

このことのリスクが頭でっかちであったことは、「術後に出会った私」の記事で書いたが、頭でっかちの反面、片隅に、放射線を掛けて見事再建をしたという方の存在を、有難いことに私は知っていた。

 教えてくれる、お仲間、先輩患者さんに恵まれたからだ。

 そこで、私は照射・毎日の通院による「不」の感情をプラスに持っていく手段として、放射線後に再建をかなえた方のブログなどを見るように努めた。

 そうした人がいるという存在は、限りなく不可能と思っていた私の中に希望を与えてくれ、

先ずは、喪失感といものの苦しみを軽減するほんの僅かなきっかけになってくれた。

 

では、 放射線と再建のリスクとはいったいなんなのか?

①照射により、皮膚や脂肪組織は硬くなり、しなやかさが失われていく。

②皮膚の血流そのものが悪くなり、再建時にはがした皮膚そのものが壊死することもある。

③ ②までの事がなかったとしても、つなぐための血管に辿りつくのに困難な場合などもある。

④ ①から③を踏まえれば、必然とインプラントより自家組織というように選択肢が狭められる

 

 しかし・・・・・・こうしたリスクを理解すれば、また別の観点で事が見れる。

 

 ①の場合は、新しい胸のための皮膚を伸ばすのに限界があったり、または、ゆっくり慎重にのばさなければならない。しかし、不可能ではない。

 ②の場合は、再建手術の際にこうした事態になった場合、ドナーとなる皮膚に置き換えるなどの措置で対応できる。また、そうなる可能性の高さを判断するのは熟練の医師であれば、事前に可能と考える方が合理的だろう。いずれにしても、不可能ではない。

 ③の場合は、放射線照射からの時間を1年以上おき、じっくり皮膚の再生(この1年というのは、組織の回復に必要な最低ラインのようだ。)を待つ。また、つなぎやすそうな血管を見つける力量も優れた医師にはある。よって、不可能ではない。

④の場合、自家組織に思いを絞ればいい。よって、不可能ではない。

 

 つまり、放射線を掛けても、時間をかけ、優れた医師と出会い、ドナーとなる皮膚を使うことも覚悟

(この場合、皮膚感の違いなどで、パッチワークのようになったり、仕上がりの胸のキズが2本・・この葉のような感じになるということもある)

すれば、再建は十分可能なのだ。

そういう再建でも、充分な満足を得られると自分の心に問いかけ、イエスなら、放射線を掛けても再建は出来るという答えになる。

 そんな事をきちんと、自分で勉強する機会をもつきっかけとなった出来事。

それが、私が再建を決める瞬間だったのではないかなぁ。

そう、再建胸を生で初めて見た衝撃。その時自分の心が見えた。

 

その日の出来事はまた・・・つづく

 

このカテゴリー、次回で完結させますねん

 

PS

今では、温存の場合は当然のように放射線とセットの治療になるし、私のように全摘でも、病理の結果、リンパ転移が4個以上あれば、胸壁・鎖骨上への放射線を進められる。

また、温存をしたもののその変形に「こんなはずでは・・・・」と心を痛めている患者さんも多いという現実もあるそうだ。

「温存・放射線(変形の可能性)」、「全摘・放射線」、これらと再建のリスク、

そして必ずしも不可能では無いという事は、もっと広く知られる事が必要ではないかなぁ~

と、色んなお仲間のお話しを聞いて感じるこの頃です。

 

 


ちらほらサクララ

2011年01月19日 19時50分36秒 | 日々の事
新年が明けて、地元の癌友(サクララ)さんたちとの、新年会をしましょ!!

と、それぞれ思ってみても、嬉しい事に、病気友達だったはずの皆さんも
今ではそれぞれ多忙な社会生活をしていて、
そう簡単には時間も日にちの調整も出来ないようになっちゃってぇ~

で、個別にぽつぽつ、思いつくままに、明日暇?

みたいな感じでプチプチ新年会が、先週、今週とありました。
(こういう時、いつでも直ぐ行けるとこに住んでるのはラッキー!)

まさに、初春ちらほらサクララ




気がつけば、いつの間にか、こんなに日が落ち
新年のライトアップが浮かぶ、ホテルのラウンジ。


ま~~よく喋る!!



気がつけば、メインのお料理平らげ、
デザートの最後の最後のマカロンをかろうじて写メ。

ま~~よく食べる!!

そんな感じで、サクララも今では特別なことって事も忘れるくらい
喋って、食べて、笑っての癒し時間になりました。

ってか、ブログをしてるの久々でわすれてたぁ

いずれにしても、今年もいいお仲間とのいい時間を重ねて
いきたいなぁ~


PS
今日のMさんから、「ピュアな毒吐き」
なんていう、ニックネーム?を頂きましたよん
きゃはは~~




術後に出合った私

2011年01月18日 18時08分06秒 | 乳房再建を決めるまで
さてさて、「再建を決めるまで」のカテゴリーの続きを書きましょう。

とにかく、「命」。

既に見た目の事など考える余裕もない状態で、何とか抗がん剤をやり終えた。

しかし、その副作用の浮腫みがひどく、オペを1カ月ほど延期するという、
もう、じらしにじらされて臨んだオペだったので、
入院中は、自分の心の変化も
何を感じているかも、感覚自体がマヒした感じ・・・・・


心の深いところで、最終防衛兵器が動きだし、
私の心に麻酔を打ち、おおきな膜を一枚かぶせていたのかなぁ。


そんな感じ。


考えたり、感じたりの感性が雲の上を歩くように宙に浮いていた。

何だか、ボーとドレーンの中のリンパ液を見ていたり、
テレビを音を消して見ているような感覚を時々覚えた。


それでも、ダンナッチと笑ったり、友達とメールをしたり、1日3回のリハビリ運動に
やたらと精を出したり、
一見順調に回復しているような、当の私がそんな暗示にかかっていた入院期間だった。

だけど、ドレーンもとれ、胸帯も軽いものとなり、退院すると、
現実の生活環境の中で、
私は見知らぬ自分に戸惑った。


半分削げてしまった胸を持った私。

胸は、二つあるものではなく、二つのふくらみで一つのものなのだなぁと・・・・

だから、私はたったひとつの胸がキズついたという事を実感した。

その頃の思いを書いた、闘病中のブログには、
「麻酔で寝ている間に前の私とはさよならしたんだ・・・こんなことならもっと、前の私と話しておけばよかった・・・」
と書いた。
まさに、その通りの思い、喪失感というものに暫らく苦しめられる日々だった。


挙句、病理の結果から、やはり放射線もする事になり、「再建」というものが、
現実から遠のいていく。

無理ならば、今のこのバランスを欠いた自分を今一度愛そうという、そんな気持ちに揺れる日々。
自分を改めて愛することで、「再建」は半分「夢」になっていく。
グラフの線が交わらずに離れて行くような皮肉な現象が、ちょうど1年前頃の私だった。

自分を愛するイコール「再建」という構図を描けなかったのは、やはり放射線を受けるという事が大きく影響していた。

当時の私の知識・・・・再建について、真剣に考える手前で私の心をブロックした
「あやふやな知識」として、
放射線を掛けると再建が困難になる。
もしくは、無理な事が多い。かなりのリスクで受けてくれる病院も少ない。
等々、放射線の後の再建の困難さだけが、インプットされていたのでした。

しかし、これは正確な知識とは言えなかった。
困難になるという事は確かにそのとおりなんだけど、どういう理由で困難になるのかという、困難の理由(何故)まで分かっていたわけではなかった。

それでは、正しい知識とは言えず、
この「何故」をきちんと受け止め、自分なりに勉強したとき、私の中で「再建」がグッと近づき、

光となった。



自分を愛するイコール再建へと、グラフの線が交差し一つになる瞬間へと向かう時が
その後、訪れたのです。



つづく


PS
放射線のリスク、このことはまた別に書きたいと思います。
無知であるって事は、色んな可能性をのがしてしまう事にもなるのだなと、
事、病気については、冷静に調べたりする時間はとても大切だ
という事を学んだ「乳がん体験」でもありました~~


アホ可愛い~~のキャラも捨てがたいんだけどね~~


充分アホとの声も聞こえるが・・・・・・