Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

術後に出合った私

2011年01月18日 18時08分06秒 | 乳房再建を決めるまで
さてさて、「再建を決めるまで」のカテゴリーの続きを書きましょう。

とにかく、「命」。

既に見た目の事など考える余裕もない状態で、何とか抗がん剤をやり終えた。

しかし、その副作用の浮腫みがひどく、オペを1カ月ほど延期するという、
もう、じらしにじらされて臨んだオペだったので、
入院中は、自分の心の変化も
何を感じているかも、感覚自体がマヒした感じ・・・・・


心の深いところで、最終防衛兵器が動きだし、
私の心に麻酔を打ち、おおきな膜を一枚かぶせていたのかなぁ。


そんな感じ。


考えたり、感じたりの感性が雲の上を歩くように宙に浮いていた。

何だか、ボーとドレーンの中のリンパ液を見ていたり、
テレビを音を消して見ているような感覚を時々覚えた。


それでも、ダンナッチと笑ったり、友達とメールをしたり、1日3回のリハビリ運動に
やたらと精を出したり、
一見順調に回復しているような、当の私がそんな暗示にかかっていた入院期間だった。

だけど、ドレーンもとれ、胸帯も軽いものとなり、退院すると、
現実の生活環境の中で、
私は見知らぬ自分に戸惑った。


半分削げてしまった胸を持った私。

胸は、二つあるものではなく、二つのふくらみで一つのものなのだなぁと・・・・

だから、私はたったひとつの胸がキズついたという事を実感した。

その頃の思いを書いた、闘病中のブログには、
「麻酔で寝ている間に前の私とはさよならしたんだ・・・こんなことならもっと、前の私と話しておけばよかった・・・」
と書いた。
まさに、その通りの思い、喪失感というものに暫らく苦しめられる日々だった。


挙句、病理の結果から、やはり放射線もする事になり、「再建」というものが、
現実から遠のいていく。

無理ならば、今のこのバランスを欠いた自分を今一度愛そうという、そんな気持ちに揺れる日々。
自分を改めて愛することで、「再建」は半分「夢」になっていく。
グラフの線が交わらずに離れて行くような皮肉な現象が、ちょうど1年前頃の私だった。

自分を愛するイコール「再建」という構図を描けなかったのは、やはり放射線を受けるという事が大きく影響していた。

当時の私の知識・・・・再建について、真剣に考える手前で私の心をブロックした
「あやふやな知識」として、
放射線を掛けると再建が困難になる。
もしくは、無理な事が多い。かなりのリスクで受けてくれる病院も少ない。
等々、放射線の後の再建の困難さだけが、インプットされていたのでした。

しかし、これは正確な知識とは言えなかった。
困難になるという事は確かにそのとおりなんだけど、どういう理由で困難になるのかという、困難の理由(何故)まで分かっていたわけではなかった。

それでは、正しい知識とは言えず、
この「何故」をきちんと受け止め、自分なりに勉強したとき、私の中で「再建」がグッと近づき、

光となった。



自分を愛するイコール再建へと、グラフの線が交差し一つになる瞬間へと向かう時が
その後、訪れたのです。



つづく


PS
放射線のリスク、このことはまた別に書きたいと思います。
無知であるって事は、色んな可能性をのがしてしまう事にもなるのだなと、
事、病気については、冷静に調べたりする時間はとても大切だ
という事を学んだ「乳がん体験」でもありました~~


アホ可愛い~~のキャラも捨てがたいんだけどね~~


充分アホとの声も聞こえるが・・・・・・