Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

あえて書けば・・・・

2011年03月31日 22時30分13秒 | 日々の事

自分がこの震災で何をしたかとか、そんな事あえてこのブログで書くつもりはなかったけど、

書く程の事が出来るわけでもないし。

でも、「程の」って考え自体、今はよけいな自意識な気がして、だから今日の出来事として素直に書こうかなと。

うちには、けっこう若い女子の出入りがある。

それで、それぞれ生理用品の買い出しにいってもらい、できるだけ沢山段ボールにつめ、支援団体を通して発送してもらった。

それと、義援金。いくらか?ってのは、それこそよけいな事なので書かないけど、私が喜びを手にいれたオペの時、地震を知り心がキュンとした

その思いの分とはいえないけど、私が最高の医療に払った分、せめてもの気持ちでさせてもらった。

 

不思議とそれだけで、今の幸せがもっともっと純粋に何倍もに感じる。

偽善であろうが何であろうが、人って自分が幸せ・楽になる事をするのは当たり前で、誰も好き好んで嫌なことはしない。

でも、嫌な事・状況からのがれられない人の為に「何か」と思う気持ち、そしてそれが現に少しでも役に立つという事実があるのなら、それは善であり、その善に偽りは無いと思う。

 

だから・・・・・

私はこれからも、自分が気持ちがいいと思える為でも、それが現実の役にたっているのであれば、なんらかのことを続けたいと思う。

ずっと、この3月考えてきた心のつかえが、今日、少しとれた。

 

久しぶりに買った生理用品はおもしろい気分だった。。。そんな3月末の出来ごと。


散歩とマックと買い物

2011年03月29日 18時41分29秒 | 日々の事

題名だけで内容そのまんまなんだけどぉ~

まっ、ちょっと書くわ。いつまでも、自分の写真トップってのも何だからさ~~

今日のランチはちょっと遠く・・・・っていってもまぁ一駅ぶんくらいなんだけど、

るんるん歩いて、水都大阪プロジェクトでできた中之島から続く「八軒家浜」という人工の公園までいってきた。

この川の駅から水上船が出るみたい。この上にはウエディングとフランス料理店のスペースもあった。

こんなに穏やかな自然もあるのにね・・・・(写真の人はあかの他人さまです)

公園は基本、川にそって細長く、ウォーキングにぴったり。等間隔に植えられた桜が開花したら、川の向うと両側で満開でさぞキレイだろうな~

平日で月末、年度末の今日はこのお天気のわりには人は少なく、ゆっくり桜の蕾もみれた。

ランチはマック(マクド)ね。UV50をしっかり付けて、外で食べたわ久々旨かった~~この食生活も維持したいしね、

そろそろ、また体力向上、体型維持からやや絞り・・・・の運動をしなければ!!ってことで、帰りはABCマートで靴を購入。

オペ前まで1キロの靴を履いて歩いていたんだけど、今は1キロを履くのはちょっとしんどいなぁ~ってことで、欲しかったのがこちら。

Reebokの履いて歩くだけで美脚効果があるってやつね

ちょうどバーゲンだったし、何かラッキーさあ!!がんばろ~~

 


三月の縁(えにし)

2011年03月28日 12時37分20秒 | 乳がん

昔はね、三月ってあんまり好きじゃなかった。肌寒さだけが、中途半端な挫折と切なさだけを刺激して・・・・
桜の蕾も素通り、陽射しと風に舞う花びらより、夜の青山墓地の桜の方がぞくぞくして心落ち着いた。

そんな小娘だった。

それから、いくつもの春がきて、

乳がんになった私はそんな三月に深い縁(えにし)が出来た。

今は陽射しの中に揺れる満開の桜を眩しく美しく愛の形を描き重ねる心がある。

そんな桜を待ちわびる三月。私の三月の縁(えにし)。

 

3月は術前の抗がん剤を始めた治療開始の月。そして脱毛の月。2年前の事ね。

明日から髪が抜けていくっていうその日に、支えられるようにそっと桜の蕾を見に行った夜。

2回目の投与は白血球が足りず延期になったなぁ。その帰り路、大川のほとりにより、帽子のひさし中の瞳で満開の桜を見ながら

貧血で倒れたっけ。(延期になるくらいなんだから、とっとと車で帰ればいいのに、あの頃は、あぁ、さ・く・ら・・・もう桜なんてぇ~よょ・・・って感じさ~)

で、屋台のにおいに吐き気までしたっけ。そんな乳がん治療の日々だったなぁ。

私の術前ケモが順調に進めば、その1年後の3月(つまり昨年)に放射線が終わるなんていうスケジュールにはならなかっただろうに・・・

副作用でオペが延期になったりなんだかんだで、放射線を終了したその日は3月3日。

そして、春の訪れ という記事でも書いたけど、1年前の今日3月28日は東京でマチ桜のオフ会のあった日。

私が再建をしようと決めた日。不思議なめぐり合わせと必然を感じる。

その日から1年。私は今、再建手術を終え、笑っている。

でね、ちょっと記念撮影!

どうせだったら、昨年3月3日の放射線終了の時に撮った写真と比べたいから、同じかっこうで撮ってみちゃった!!

ビフォアー・アフターね

これが、昨年3月3日。髪はやっと出てきたってレベルね。

放射線のマーキングもそのままに最後の照射を終え病院から帰ってすぐにやったぁ~~!の記念撮影よ。首も肩先も、見えないけど当然胸も、赤黒く焼けていたわ。ここはその後、頑張ってシスレーつかって綺麗にしたのよん

それとリンパをカクセイした脇のくぼみも気になっていたところ。ここにくぼみがあると、洋服着ても襟がゆがむの。どんなに胸をパッドで補整しても、ちょっと響くのよね。きものもそうだったなぁ・・・・。

まぁ、この頃はそんな事も思い至らないほど、とにかく終わったことにほっとしていたんだけどね。

 

そして、「再建をしようと決めた昨年3月28日」からちょうど1年の今年の今日の私。

特上ユンケル様のおけげで、何とか写真とってもいいか~と思える体調さ~~

今日は再建手術からちょうど3週間目。これも小さな偶然ね。

まだ少し腫れているし、体調悪かったせいか身体全体に浮腫みもあるけど・・・・キズが見えなければどっちがオペした方か分からないくらいでしょ~~

気になっていたリンパカクセイの後のくぼみもかなりフォローして頂きましたよん!それが解るように首を傾けたつもりだけど、ずるずるクッションのほうへと・・・全体に傾きすぎや!腹筋はありますよん

髪の毛は、伸びない!薄い!といいつつ、そりゃ~1年たっているのですから、なんとかやっぱ比べれば伸びているわさ~~ 比べてみて少しは安心した~~普段はきずかないものね。

そんなこんなで、毎年、これからも、この三月を笑って生きていきたいな~~って、思う。

三月はいつの間にか私の好きな月になっていた。

 

みんなが、桜の蕾に夢を見れる・・・・・・そんな三月を。

この2年を越えた今年、岡山という地で再建した。再建の術後の中、命の鼓動を聞きながら目にした東日本の大災害の惨状。一瞬にして失ってしまった命の重さと儚さ。動揺に包まれながら聞いた血流の音。その間に交叉した私の思いもまた、私がこれから生きていくための貴重な経験として、いつの日かあの眠れぬ夜も前向きに受け止められるよう、この身体と心のひだを大切にいきたい。

この蕾が綺麗にいっぱいに開きますように・・・・・

 

 

 追記

再建術後3週間目の今日は、まだイナバウアーのポーズはとれませんが、ラジオ体操の「大きく息を吸ってぇ~~」のポーズくらいならできるようになりました。くりりんちゃんがお見舞いにきてくれた時はまだおばあさんのように、腰をかがめてちょこちょこ歩いていたのにね

 

 

 

 


リンパ浮腫検査の結果

2011年03月27日 12時51分24秒 | リンパ浮腫

さっき、りんごさんへのコメントを書いていて、

はた!と思い至ったのだけど・・・・・・・私、まだリンパ浮腫の検査の結果を書いて無かったなぁ~~と。

えーと、結局、リンパの劣化はありました。 手首のあたりと、二の腕の深いあたりだとか・・・・。

手首はまだ太くなったというほどではないのですが、指輪がきつくなったり、何より、パソコンならまだいいのですが、

字を書く、これをすると途端に痺れてジ~~ンと痛く重くなるという症状があります。やはりか・・・と思いましたね。

二の腕については、だるいときは少し太くもなっているので(まだぱっと見言われてみればのレベル)、これもやはりか。の感じ。

 

胸のキズが落ち着いたくらいの、多分6月ころと先生がおしゃっていましたので、その頃、リンパ管静脈の吻合手術をしようと思っています。

早めの対処が一番だから~~

なんせ、私は乳がんをほっておいた反省があるか、早め早めにこだわるのでっす!!

 


初ブラ

2011年03月24日 17時21分43秒 | 乳房再建

退院して早、かれこれ1週間。

その間、爆睡につぐ爆睡、時々爆笑!って感じで過ごしてきましたが・・・・・

昨日、梅田のちょっとはじっこまで出かけ、そして、今日は梅田のど真ん中、阪急までいってきた!

デパートはさすがにくらくらしたわ。これ、私得意の貧血ね。

でも、どうしてもゲットしておきたいのがあったので行ってきました。

「初ブラ」

ワコールのオーダーブラを今後1年モニターで付けるのだけど、それは術後1カ月目からでそれまでは、ワイヤーなしの

優しいコットンのブラになる。入院中はノーブラで過ごし、退院後は乳がんの時に使っていた、術後用のブラを使っていたんだけど、

可愛くないしぃ~、デコルテ開いてる服着たときブサイクな感じのが見えそう・・・・ってか、そういう服着れないんだぁ。

で、ワコールさんからも、オーダーが届くまでは是非「ナイトアップブラ」という商品を使ってくださいな~

と教えてもらっていたし、これ可愛いからもともと欲しかったので、早速買いにいった。

こちらがそれ!くらくらしながら買ったブラね。

本来、寝る時に使うものみたい。寝てるときでも胸を支えてくれるそうな。

今の、私には1日中必要だけどね~なんせ、胸、重いからさぁ~~

 


ちょこっとお知らせ

2011年03月24日 17時00分04秒 | 乳房再建

 

ちょっと、お知らせです

再建術式決定と病院選び

 という記事を少し加筆しました。青字がその部分です。

とても、多くの方に読んで頂き、中には再建を真剣に検討している方も多いと思いましたので、私なりに言葉不足と感じたところで、アクセスの多い記事は訂正や加筆をしたほうがいいとの判断です。

もともと、素人の私が書いてることですから、医学的な厳密・正確性は記事すべてを通して正しい表現・内容とは断言できないことはご理解の上で読んで下さっているとは思いますが、

それでも、気がついた範囲で、記載が言葉足らずと感じたところは加筆・訂正しておきたいと思い一応青文字にして足しておきました。

とはいっても、それでもそれが本当に正確かどうかは不確かなので、それぞれのドクターや本などで確認して下さいね。

私のざくっとした文章でイメージだけつかんで頂けたら、何よりです


煮込みうどんは深いアイ

2011年03月23日 23時01分19秒 | 乳がん

今日は名古屋から、乳がん・再建同期仲間のゆうたんさんがお見舞い(もう祝福かな)に大阪に来て下さいました

 

もちろん、ゆうたんさんはお仕事の勉強会が夕方からあるので、それにかけて来て下さったのだけど、

それでも、大阪へとなった時、ならば蒔絵リコに合いたいと思ってくれる気持ちが本当にとても嬉しい

(アタシはとりあえず、通天閣よりも、タコ焼きよりも勝ったわけよ!少なくとも対ゆうたんさんではね!きゃはは~~)

 

ゆうたんさんは、乳がんのオペの時や、何かの節目には必ず、心優しいエールをくれた。

今回は再建という節目での来阪だった。

彼女も今、エキスパンダーで再建途中。これまで頂いた沢山のエールを今度はお返ししたいな~

乳がん仲間は、なんでだろう・・・・・とてもアイが深い。それは、きっと、きっと、この病気がもたらす負の作用が、同じ経験の人に

対してのアイへと変化するのだろうな~と思う。

負とは・・・・・・・・・・・・やはり乳がん独特の一見人体機能とは関係ない胸の喪失であったり、その胸というものの特別な世間の感覚とのそれぞれの温度差であったり、薬でつくられる更年期症状であったり、長い治療期間であったり。その事で向けられる理解のない視線であったり言葉であったり。

やはり、ゆうたんさんも、再建を思い決意するまでには、重い出来ごとがあったことを話してくれた。

みんな、みんな、それぞれに痛みがあったのだなぁ、と。苦しくなる。

だから皆とても優しく、深い絆を感じるのだろう。

同じ経験は、経験者でなければ分からない思いを共有することで強い力を持つ。

今、乳がん患者はとても多い。だからこそ、強い力となって乳がんを取り巻く医療を始め、未来に希望を感じることができる。

 

 

今、沢山の同じ経験がこの国に溢れている。だからきっと強い力となって未来に希望を・・・・・・希望を感じたい。

 

ゆうたんさんがお土産で持ってきてくれた名古屋の煮込みうどんを食べつつ

う~~ん、深いうどんも味噌も、人の気持ちもアイも深~~く熟成させたものは絶品ね~

と思う今日の蒔絵リコちゃんでした。

 

しかし・・・

私としたことが、せっかくゆうたんさんが名古屋から来てくださるのに、なんと!お土産用意するのわすれちゃってぇ~~

完全、入院ぼけ。写真も撮ってないしぃ~~

まだまだ、世間様においついてないなぁ~~。とりあえず、今日はガンガンサクララトークでちょっと頭がクリアになったかなぁ~

ゆうたんさんは、今頃ギンギン夜の大阪を堪能中かしらん

 

ふかふかベットでゆっくり眠って帰ってね~~

 

ちなみに、

ガンガンサクララトーク。これ、例によって再現不能でっす!再現してたら腕腫れるわ・・・・・ 

 

 


放射線のリスクと最終判断

2011年03月22日 23時49分56秒 | 乳房再建入院~手術


私の場合、放射線をあてているので、ドナーのお腹の皮膚や脂肪に栄養を与える胸の周りの血管

が、綺麗にドナー血管と繋がりちゃんと機能するのかどうか・・・・・・

それが最後まで不安リスクとしてあった。

もし、機能しなければ、
再建の失敗となる。イコール胸に移植した脂肪と皮膚に血流が上手く流れなく、
結果として、その胸(移植した組織)が壊死するということだ。

そうなると、結論としては胸は元にもどし、お腹だけに新たなキズを作ってしまうという
結果になるということだ。

この確率は普通の人(放射線をあててない人)ならしかるべきマイクロサージャリーの技術のある病院だったら

今のところ1%くらいとのことのようだ。

でも、私の場合はこの確立がもっと高くなる。事前に血流の音を聴いたり、エコー画像で確認しても、

その血管が吻合に耐えうるかどうかは未知数。

で、

オペ前の最終説明の段階で、もし、胸を開けてみて、3か所の候補(内胸・脇・鎖骨下)に栄養血管がもろい感じ、もしくは有効なものが見つからなければその時は、腹直筋をそのまま持ってきて再建する方法に切り替えますか?

との打診があった。

私の答えは即座に「NO」

腹直筋を使う再建をするのなら、再建は諦める。腹直筋をつかって、その後腰痛やヘルニアに悩まされて(そのリスクが高くなる)生きても、それじゃ胸を手に入れることの意味が相殺されてしまう。もしくはマイナスになるくらいだ。私の中ではそういう位置ずけが、この打診された腹直筋を使うオペだ。(もし、このオペをした方が読んでいたらすみません。これはあくまで私の主観による私にとっての意見です)

胸が無いことなら、補整をすればオシャレは楽しめるし、身体のバランスってほどの支障も私にはない。何度も、ここでも書いているけど、私は胸を失った事で女性としても、人としても自信を失っていない。ただ、ほんの少しの時折過る悲しみや淋しさを持てあます私がいるだけ。時々ね。だから見れる夢は見たいと思うだけ。

そして、より良く、もっとスペシャルな私として生きていきたいから、今の医学の進歩の恩恵を最大限享受したいと思っているだけ。

胸が全てでは無く、身体のリスク、これからのQOLをトータルで考えての「再建」でなければ私にとっての「欲しい胸」ではない。

そんな思いを真っ直ぐ先生達に伝えた。

先生達はちょっと一瞬戸惑った感じだったけど、直ぐに、私の思いを理解してくれたし、

同時に、それは私がこの病院を選んだことの意味・・・・・・ここのマイクロサージャリーの技術を高く評価して委ねてきたのだという事も伝えているのだという事を理解してくれたのでしょう。先生達にとっては改めての自覚と自信に思いを馳せることとなってくれたのでは・・・・・

先生達の目は、私にはそう見えた。信頼を固めた出来ごとだったと思っている。

 

 

そして、

ここからはちょっと恥ずかしいんだけど、散々「葛藤」「葛藤その2」の記事の中でお腹に新たなキズがぁ・・・・あぁ・・・・

なんて言っていた私なんだけど、

胸を開くのと、お腹を開くのは同時進行との説明をうけると、

ならば、上記のようにもしもの場合、再建はもう諦めるとして、お腹・・・・・そのまま締めないでぇ~~~一応この再建のために貯めておいた「脂肪様」があるので、それを程良く除去する手術に切り替えて下さいとつげた。これ、と~~ぜん!!だと思うのはまっとうな女子心でしょう!!

それと、プラス、リンパ浮腫の検査の結果、劣化がみつかれば、それも繋いじゃってくださいね~~と。

せっかくの、全身麻酔!有効に活用しなければ!!

 

そんなんで、麻酔から覚めたあと、もしかしたら胸は出来てないかもしれないけど、ここまで来たら、最後自分の判断で求めたこと、

自分でも不思議なくらいその判断に迷いもなかったし、もしもの時の再建に対する諦めも潔くできていた。

それはきっと、この病院でこの先生達がやってダメだったのなら悔い無し!と思えるくらいその話で同意書を作った後、

懸命に私の栄養血管を探し、何度もエコーをあてて画面を見つめる先生達の姿を見たせいかな。。。。。惚れたぜ!

 

でも、まぁ、そんな先生達の努力と私の強運で、見事今、愛おし胸が私に授かった。

私の強運!それはいいドクターとの出会いである。

私の栄養血管(内胸)が水々しくキレイで、放射線をあびてないままのこっていたのは、大阪の放射線科の力だと先生が教えてくれた。

かなりの細かい緻密な計算で放射線をあてたと思います、すごい丁寧で優秀な仕事だったと思いますと。言われて思い返せば、確かに凄い時間をかけて考え抜いて下さっていた。

 

きゃ~~、だから、放射線科の主治医、自信たっぷりに退院して直ぐにキレイな胸見せてもらいましょうかぁ~~って、

予約をいれたのね。彼の自信ね。あの先生はこの結果を誰よりも早く分かっていたのかも~~

私も早く見せに行きたい~~!惚れなおしたぜ!!

 

 太陽がいっぱい その放射線科の予約の件はこの記事に書きましたよん。

 

 

 

 

 


目覚めは最高!

2011年03月21日 15時44分49秒 | 乳房再建入院~手術

これね、前の記事が「夜明け前」ってのにひっかけて書くわけじゃなくって、

今、書かないと、きっと書き損ねてしまいそうだから、でも、絶対書いておきたい事だから

書きまっす!!

つまり・・・・

岡山大学の麻酔科は素晴らしい!!

これが結論なんだけどね、形成が素晴らしい事はこれまでも、これからもいくらでも書くこと

あるでしょうけど、この麻酔科の素晴らしさは今書かなければ!

ホントに感動的だったのよ~~。

入院リアルタイムでは、なかなかケータイってこともあったし、いろいろ

書くことあって、今になってしまったのだけど、全身麻酔の後、こんなにさわやか覚醒したのは

初めてでした。

これまでに、3回全身麻酔を受け、その中でも今回は一番長く大ががりなオペだったと思う。

いつも、必ず喉が痛かったり、不快感があったり、タンがからんだり、吐き気がしたり、寒気がしたり・・・・・・・

あげればきりが無いほど、その目覚めはいつも最悪で、これが「手術の恐怖」の一つの要因でもあった。

あ~~、あの麻酔のあとの感じ嫌だな~~っていうブルーな思いね。

 

しかし・・・・・・・・

今回だけはほんとうに素晴らしい!家で朝起きる時より良いかも~~ってこれあながち嘘じゃない。

約9時間のオペ。

回復室には4時間くらいいたのだけど、回復室での出来事は、あまり鮮明には覚えてないの。

ただ、主治医の女の先生に放射線あとの肌がキレイだったといわれ、

でしょ~~!シスレーつかってたんですよ!

と語ったことだけは何故か覚えている。その回復室でのことはそれしか気臆にないから、ちょっと怖いなぁ・・・

テンション高かったような・・・・・・そんな感触があるぅ。

でも、苦しい気臆は無い。

そして、回復しつから病棟にもどってからは、本当に爽やかに、先生たちの説明もわりとちゃんと聞いていた。

血管が水々しかったこと、脂肪に弾力があったこと、放射線をあてた肌の状態が良かったから、当初若干小さくなるかもと

言われていたのが、むしろ少し大きく(大は小を兼ねるで、あとで脂肪を抜いたり調整できるから、その方がいい)出来たことなどなど・・・・。

そして、私はその時、この麻酔の後の感覚、この爽やかさ、初めて!!とその段階でも先生にほめちぎっていた。

先生もうちの麻酔科は優秀です、嬉しいですと。

その証に、私は病棟に戻って、自分で携帯からこのブログを更新した。

その時、この目覚め最高!!麻酔科素敵!!

といれようと思ったけど・・・・・それはまぁ、メインで頑張ってくれた形成の3人の先生に失礼だし

見てくれてる皆さんにも「へっ!?」って気分ではないかしらん

と思い、そこは外した。

そんな計算までしていたのよ!素晴らしいでしょう~~麻酔科

 

 


夜明け前

2011年03月20日 17時31分23秒 | 乳房再建入院~手術

3月7日のオペ当日、目覚めて見た空は、まだ夜と朝の間で静かにたたずむだけだった。

月も薄れ、星も消えかかる前の優しい光だけ。

 

そして、静かに、でも確実に時間は動き、街のどこかでが少しずつ何かが動きだす。人の鼓動・・・・朝が来る気配。

そんな時間の空が昔から好きだった。

夜明け前の空が好き。

だって、夜は明けるから、必ず。

 

この空に包まれて、みんな繋がったいる。そんな力を感じながら、ただただ、移りゆく空の色と見知らぬ街の気配を見つめて過ごした夜明け前だった。

まだほんの2週間前の事。

 


無事退院

2011年03月18日 14時24分09秒 | 乳房再建入院~手術


さっき家に着いた。

出る前に頂いた花がまだ少しだけ元気だった。

ベランダの楓も新芽を出していた。

とてもとても長い旅から帰ったような、、、、、

今は言葉が上手く紡げない…

先ずは寝ますm(__)m

みんな~

ありがとう。ただただ出逢いに感謝m(__)m

夢叶え…今だ夢の続きの
リコちゃんでした~

半分寝てるわ…(^_-)


術後11日目はネイル

2011年03月17日 12時40分22秒 | 乳房再建入院~手術
今日で入院生活も終り。明日はこの十階から地上に戻る。

いきなりはちょっと切ないような胸キュン(;_;)

頑張ってくれた先生達とのさよなら(まぁ、まだまだ続くけど)と、スタッフの皆さんとのさよなら(これもまたくるけど)大丈夫じゃけんなぁ…に和まされた。
ずっと二時間おきに血流を計りにきてグッドの文字とそれぞれの名前サインが記載された術後からの記録紙は記念に持って帰ろう♪

そんなんで、いきなりのシャバはウルウルだから術前に切った爪にネイルしてみた♪

爪も時の分だけ伸びていた、、、、、

追伸
この色が世間様と今のアタシを繋ぐぴったりの色


術後10日目

2011年03月16日 20時30分20秒 | 乳房再建入院~手術
術後10日目の今日は、退院に向けちょっとゆっくりしながらも、院内をテクテクまだちょっと前かがみになりながら歩いたりしていた。

外来病棟までたどり着いてオーダー下着の採寸をした。あと1日、ゆっくり余韻にひたります(*^-')b

新たな地震に胸が痛むけど、傷の痛みはもうほぼ終息。逆ならいいのに…と…

そんな10日目です。

胸の痛み…生きるって色々な胸の痛みがあるんだとしみじみ感じる入院生活。

忘れられない日々だ…

サクラのお見舞い

2011年03月15日 16時59分16秒 | 乳房再建入院~手術


今日は生桜に生胸初披露
↑ ↑ ↑

きゃはは~(^o^)/~~
なんというオヤジ表現!

改めまして、
今日は地元大阪のサクララくりりんちゃんがわざわざ岡山までお見舞いに着て下さいました
(*^o^)/\(^-^*)

もうダメ…

顔見たとたんに号泣だった。乳がん治療の頃からの色々な思いのなか、ようやくここまでたどり着いて、まだ未完成ながらアタシの身体も新たな命の力を日々増し、人様にも見せたいと思えるまで回復して、、、
そんな術後9日目にサクララはあかんわぁ~

涙ばかりだと、お顔がクチャクチャでせっかくのキュンボン←(ホンマやで~)の身体に似合わなくなると思いながらアタシは饒舌に喋った。

そんなアタシの気持ちもくりりんちゃんは分かっているのでしょうね(^^)/

沢山の『綺麗』の言葉と馬鹿話…そして、思いをはせる、多くの命の事、病気になったこの私達の命の事を話した。

乳がん手術のセカンドバースディは家族に守られ…そして再建は、、、立て直していくというこの初めて灯す光りの立ち会い人は家族よりサクララ仲間がふさわしい。

そんな事を感じた手術後9日目もくりりんちゃんのお土産のサクラのゼリーを食べながら暮れていく。

そして、夢のような今回の入院生活ももうすぐおわる。このアタシの身体とその間に感じ増した心のひだだけは、いつまでも醒めない『夢のような現実』

追伸
くりりんちゃんからも家族からも、顔を出しているのだから胸(胴体)の写真だけはブログにアップしたらあかんと…私の性格を見越し厳重注意を受けてます。なので…メール知ってる皆さんのところに突然強制的に今の私の写真が届くかも~

きゃはは~

いや…やっぱもう少し良くなってからにしようかな…そんな場合じゃないよね~(*^^*)

まぁ、9日目にしてそれくらいこのオペを喜んでいるアタシだということです♪(^o^)/