Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

始めは・・・

2011年01月15日 23時55分01秒 | 乳房再建を決めるまで

始めは同時再建のつもりだった。

私が、乳がんの告知を受けた時、特に乳がんに対する知識が豊富にあったわけでもなく、
むしろ、周りに乳がんの人もいない中
(のちに、自分もそうだったという人がけっこう出現したのはびっくり!!)
だからこそ、けっこう悪くなるまで検診もせず、のほほんとしていたのだが・・・


話を戻すと、そんな状況の私でさえも、おぼろげに刷り込まれた知識として、
今の医学では乳房の形は残せる、つまり温存が当たり前なのだろうという知識があった。

そして、できるだけ、綺麗に治す方向に乳がんをとりまく医療は進歩している、
そんな事をぼんやりと知っていた。

本当に、ぼんやりと・・・・・。



だけど、現実には、病状によっては温存は無理な場合もあることなど、
だんだんに分かってきて、そこで、行きついた答えは、同時再建だった。


やはり、全摘といのは、癌という現実と引き換えても、まだどこかで抵抗があったのだと思う。

それと、「今」の医学の進歩を享受できるこの時代に乳がんになったんだ!
という
これをフルに利用しないでどないすんねん←なぜか関西弁!!
っていう「もったいな根性」のようなものがあって、
同時再建という、喪失感も無く、根治性にも叶う、方法に夢をいだき、
その名医も探し、手術の予約までした。


この段階で、私が見ていたのは、同時再建のみで、「再建」は私の中には無かった。

というか、あえて、切り捨てていた感じかなぁ~、今おもえば。
切り捨てた上での、同時再建の選択だったのだと思う。


ところが・・・・・

世の中、そううまくはいかないですね。

私の病状は、鎖骨の下の筋肉にまで転移がこまかくあるという事で、
全摘をして、尚且つ放射線もあて、さらに術後の病理の結果次第で必要であれば、
抗がん剤を続けるという、なんともまぁ~~

今でこそこうつらつら書けますが、当時はかなり落ち込む病状で、

同時再建どろではありません!!って現実がまっていました。

これが、抗がん剤の折り返しの頃に突きつけられた現実で、
その時、ブログ上で、再建経験者の方から、
きっと、今同時再建を諦めても、それが全てではない、といメッセージを頂いたりで、

・・・・・・・・・・

私が再建へと向かう、布石を投げて頂いたということかなぁ。

ただ、その頃の私は、とにかく命を守る事で頭がいっぱいで、
再建の本をみたり、勉強する気力はなく、私の中から、
「綺麗に治す」なんていう、まさに綺麗事は一旦影をひそめるのでした。

そんな感じの術前でした。

あの頃、自分がどうなるのか、意味も無く、涙が溢れたのが、
今では愛しい幻。

つづく・・・・

 

追記

ここで書いてる同時再建とは、温存したうえで取ってしまって足りなくなる分を広背筋
をもってきて完全な胸の形で残すという方法です。私の場合です。


恋文(の訳)

2011年01月15日 01時00分48秒 | ご挨拶

乳がん、闘病の頃・・・・・・

術前抗がん剤、FEC4クール、タキソテール&ハーセプチン、
右全摘オペ(リンパカクセイ)、
放射線、術後ハーセプチン

と、その間ブログを書いてました。

そして、治療の終了と共に、一旦ブログを止めました。

が・・・・・

思っていたよりも早く、乳房再建が決まり、その記録を、私の身体と心の記録を再び残したいなと思い、ブログを再開しました。

病気以前の私も病気以降の私も、私はずっと私で、変わった事といえば、より自分を愛するようになったこと。
より、家族を愛するようになったこと。

だから、ここで綴る言葉は、どんなに稚拙で、どんなにふざけて、どんなに取り繕い、どんなに自分を偽っても、

それは全て、今を生きた未来の私への「恋文」

だから、ブログタイトルに恋文と入れました。

また、

再建は、単に乳房再建だけでなく、色んな意味での再建。

私と私の家族と、私を取り巻く人達への「恋文」の一つのかたち。

しかぁ~~し・・・・

熱烈な愛はそう頻繁じゃ~~疲れるからねん

だから、「気ままな恋文」なのさ~~~ 


という訳で、乳がん3年目の日々を再建という大イベントを通して、
ぼちぼち書き残していけたらと思います。
(闘病中より相当元気になった私としてはどれくらい更新出来るか不安なのですが)

こんな私です。